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ニコニココラムぼちぼちやります。
C-141「稀世と三朗のつぶやき「煎茶の生みの親「永谷宗円」」
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C-141「稀世と三朗のつぶやき「煎茶の生みの親「永谷宗円」」
稀世・三朗:「稀世でーす。三朗でーす。
GWも終わってようやく普段の生活に戻った人も多いかな?この間、書いた「大阪ぱにゃにゃんだー」企画は、隣県も参加して「関西ぱにゃにゃんだー」になりそうでーす!楽しくなってきたよー!今日は、「京都」の「宇治田原情報」でーす!」
稀世:「今年は予定してた有馬温泉が諸事情あっていけなくなっちゃったんで、出かけたんは、近場めぐり中心やったけど楽しかったなー!
特に江戸時代に全国に緑茶を広めた永谷宗円さんの生家見学が面白かったなぁ!土日と祝日しか公開してへんところやねんけど、案内ボランティアのおばちゃんがめっちゃ元気でよかったよなぁ!」
三朗:「寿司屋と緑茶は切っても切れない縁がありますから勉強になりましたね。」
稀世:「永谷宗円さんっていうのは、「永谷」という苗字でピンと来た人がおるかもしれへんけど、お茶漬けで有名な永谷園の創始者の10代前の人やねん。」
三朗:「ほうじ茶と抹茶しかお茶が無かった江戸時代に、お茶の葉を温めながら揉んで煎茶を作る方法を編み出した人ってことでしたよね!15年もかけて今の緑茶製法を作って、江戸に持ち込んで全国に広めたって言ってましたね。」
稀世:「そうそう。今でこそ普通に飲んでる緑茶って意外と新しいもんやと思ったわな。「宇治田原茶」が全国にあるお茶の原点やねんな。」
三朗:「宗円さんが、新しい製法で煎茶を作るまでは、貴族や金持ちは「抹茶」で、庶民は「ほうじ茶」や「玄米茶」しか飲まれへんかったんですもんね。宗円さんが持ち込んだ煎茶を全国に広めたのが、これまた寿司屋と縁が深い「海苔」の山本山さんですよね!」
稀世:「うん、おばちゃんの話やとそういう話やったな。当時は「山本屋」って名前やったっていてたけど、後に「山本山」になったって言ってたな。」
三朗:「山本山は宗円さんの煎茶でぼろもうけして、明治時代の初めまで永谷家にずっとお礼を続けて、後に宗円さんの10代先の子孫が「永谷園」を創立したって流れでしたよね。」
稀世:「うん、「宇治田原茶」って「宇治茶」や「静岡茶」や「伊勢茶」よりマイナーやと思ってたけど、意識変わったわ!お客さんにも「お茶」と「海苔」のうんちく話せるようになったから、速くこの「ネタ」を使ってみたいな。」
三朗:「そうですね。お客さんとの何気ない会話の中で使えますよね。いろいろ勉強させてもらいましたが、僕が一番参考になったのが「冷茶」の作り方ですね。」
稀世:「あー、現地で飲ませてもらったお茶めちゃくちゃ美味しかったもんなー!えーっと、みんなにも作り方を教えておくね!
高いお茶、安いお茶関係なく、ミネラルウォーター2リットルに対して、煎茶を40g入れて、冷蔵庫で7時間から10時間!
たったそれだけで、めちゃくちゃすっきりした「冷茶」ができるねん!今まで沸かしたお茶を冷やしてたけど、ぜんぜん「旨味」と「甘味」が違う!」
三朗:「確かに、うちの店でも一昨日から出し始めましたけど、好評ですよね!「大将、高いお茶に変えた?」ってみんな言いますもんね!これは、みんな試してみる価値はありますよ!
簡単、お手頃で美味しいお茶が飲めるって幸せですもんね!」
稀世・三郎:「じゃあ、これからも関西のいいところ紹介していきますねー!よろしくー!」
宗円さんの生家(今は資料展示館になってます)
煎茶の揉み台(この下で炭を焚いて熱を加えるらしい)
ちょっと美人に描いてもらいました(笑)!(〃▽〃)ポッ
※現地までのラスト1キロは、道がめちゃくちゃ狭いので大きい車で行く人は気を付けてくださいね。車の運転に自信のない人は、下にある公共のお茶の資料館に停めて歩いていくことをお勧めします。
あと、平日は見学できないから気を付けてね!
稀世・三朗:「稀世でーす。三朗でーす。
GWも終わってようやく普段の生活に戻った人も多いかな?この間、書いた「大阪ぱにゃにゃんだー」企画は、隣県も参加して「関西ぱにゃにゃんだー」になりそうでーす!楽しくなってきたよー!今日は、「京都」の「宇治田原情報」でーす!」
稀世:「今年は予定してた有馬温泉が諸事情あっていけなくなっちゃったんで、出かけたんは、近場めぐり中心やったけど楽しかったなー!
特に江戸時代に全国に緑茶を広めた永谷宗円さんの生家見学が面白かったなぁ!土日と祝日しか公開してへんところやねんけど、案内ボランティアのおばちゃんがめっちゃ元気でよかったよなぁ!」
三朗:「寿司屋と緑茶は切っても切れない縁がありますから勉強になりましたね。」
稀世:「永谷宗円さんっていうのは、「永谷」という苗字でピンと来た人がおるかもしれへんけど、お茶漬けで有名な永谷園の創始者の10代前の人やねん。」
三朗:「ほうじ茶と抹茶しかお茶が無かった江戸時代に、お茶の葉を温めながら揉んで煎茶を作る方法を編み出した人ってことでしたよね!15年もかけて今の緑茶製法を作って、江戸に持ち込んで全国に広めたって言ってましたね。」
稀世:「そうそう。今でこそ普通に飲んでる緑茶って意外と新しいもんやと思ったわな。「宇治田原茶」が全国にあるお茶の原点やねんな。」
三朗:「宗円さんが、新しい製法で煎茶を作るまでは、貴族や金持ちは「抹茶」で、庶民は「ほうじ茶」や「玄米茶」しか飲まれへんかったんですもんね。宗円さんが持ち込んだ煎茶を全国に広めたのが、これまた寿司屋と縁が深い「海苔」の山本山さんですよね!」
稀世:「うん、おばちゃんの話やとそういう話やったな。当時は「山本屋」って名前やったっていてたけど、後に「山本山」になったって言ってたな。」
三朗:「山本山は宗円さんの煎茶でぼろもうけして、明治時代の初めまで永谷家にずっとお礼を続けて、後に宗円さんの10代先の子孫が「永谷園」を創立したって流れでしたよね。」
稀世:「うん、「宇治田原茶」って「宇治茶」や「静岡茶」や「伊勢茶」よりマイナーやと思ってたけど、意識変わったわ!お客さんにも「お茶」と「海苔」のうんちく話せるようになったから、速くこの「ネタ」を使ってみたいな。」
三朗:「そうですね。お客さんとの何気ない会話の中で使えますよね。いろいろ勉強させてもらいましたが、僕が一番参考になったのが「冷茶」の作り方ですね。」
稀世:「あー、現地で飲ませてもらったお茶めちゃくちゃ美味しかったもんなー!えーっと、みんなにも作り方を教えておくね!
高いお茶、安いお茶関係なく、ミネラルウォーター2リットルに対して、煎茶を40g入れて、冷蔵庫で7時間から10時間!
たったそれだけで、めちゃくちゃすっきりした「冷茶」ができるねん!今まで沸かしたお茶を冷やしてたけど、ぜんぜん「旨味」と「甘味」が違う!」
三朗:「確かに、うちの店でも一昨日から出し始めましたけど、好評ですよね!「大将、高いお茶に変えた?」ってみんな言いますもんね!これは、みんな試してみる価値はありますよ!
簡単、お手頃で美味しいお茶が飲めるって幸せですもんね!」
稀世・三郎:「じゃあ、これからも関西のいいところ紹介していきますねー!よろしくー!」
宗円さんの生家(今は資料展示館になってます)
煎茶の揉み台(この下で炭を焚いて熱を加えるらしい)
ちょっと美人に描いてもらいました(笑)!(〃▽〃)ポッ
※現地までのラスト1キロは、道がめちゃくちゃ狭いので大きい車で行く人は気を付けてくださいね。車の運転に自信のない人は、下にある公共のお茶の資料館に停めて歩いていくことをお勧めします。
あと、平日は見学できないから気を付けてね!
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