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第二部 第三章「女王陛下と大怪盗」(1)
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1
「おいおい、女王陛下って、そりゃいくらなんでも……あっ」
キムはそこまで言って、周囲を見て慌てて言葉を止めてひざまずいた。
他のみんながそうしていることに気付いたからだ。
「わはは、そうだよな! こんな糞まみれのばーさんが……」
空気が読めないルッ君だけが、キムの言葉を続けていらんことを言った。
花京院は……、ジョセフィーヌが頭を押さえてひざまずかせていた。
「ひひひ、愉快な仲間たちじゃのう?」
「きょ、恐縮です」
「えっ、マ、マジなの……? 馬糞……もごっ」
僕が返答しているのにまだ何か言おうとするルッ君を、キムが押さえ込んだ。
「うちの大使を完全にやりこめた若造がいると聞いて、ちょいとからかってやろうかと思うとったのじゃが、予想以上の傑物のようじゃの、ベルゲングリューン伯」
女王陛下が言った。
なるほど、イシドラさんから話を聞いて、仕返しついでにどんな奴か見てやろうって腹積もりだったのか。
「おかげで朝からひどい目に遭いましたよ。エスパダを嫌いになるところでした。せっかくお昼までエスパダ観光と買い物を楽しもうと思っていたのに……」
「まぁまぁ、そう言うでない。これから我が国を大好きにさせてやるゆえ」
僕の恨み節に、女王陛下が苦笑しながら僕をなだめた。
「海賊討伐の叙勲の際に楽しみにしておくがよい。デモ隊に扮した反抗組織どもを退けるばかりか、見事群衆を味方に付けたそなたの手腕と功績を踏まえ、そなたらが喜びそうな褒美を取らせるゆえ」
女王陛下直筆の署名による永続的なエスパダへの自由渡航と通商の許可証は、すでにイシドラさん経由でいただいていたが、正式な叙勲があるとのことで、僕たちは後日エスパダの王宮であるアレハンドロ宮殿に出向くことになっていた。
「よかった。イシドラさんがケチなだけだったんですね。てっきり、エスパダの女王がどケチなのかと思っていました」
「お、おい……」
ヒルダ先輩とヴェンツェルの常識人二人が、僕の物言いにハラハラしている。
ヒルダ先輩を常識人のくくりに入れるのはちょっと、ためらう部分もあるんだけど、こういう時のハラハラしている感じは祖父であるアルフォンス宰相閣下にそっくりだ。
そんな二人には申し訳ないけど、僕はこの婆さんの気まぐれと悪ふざけで、今日はさんざんな目に遭わされたのだ。
今さら気を遣うつもりはなかった。
「じゃが、どうやって見抜いたのじゃ?」
「匂いです。身なりも気にしない、きったねぇ婆さんにしては、やたらといい匂いがしましたので」
「匂いじゃと?」
「ええ」
目を丸くする女王陛下に、僕は答えた。
たとえばアリサからは柑橘系の香りがするし、ゾフィアからはライムの香り、テレサからは椰子の実の香りがする。
ミスティ先輩からは上品な薔薇の香りがするし、ヒルダ先輩からはイランイランのエキゾチックな香りがする。
ジョセフィーヌからはビャクダンや沈香などの香木が混ざったような、オリエンタルで中性的な香り。
それぞれがそれぞれの香りを漂わせているけど、僕はこれまでに、たった一人だけ、「もはやなんの植物なのかもわからない、とにかくすっげぇいい香り」を身に纏わせている女性と会っている。
……そう、最近はしゃぎ回っていたせいで、すっかりお笑いキャラになってしまいつつある、あの御方だ。
「ユリーシャ王女殿下の匂いと似た香りがずっとしていたんですよ。なので、この香水はおそらく、そういうステージにいる人しか使えないようなものなのかなって」
「……そんなことより、そなたが体臭を嗅ぎ分けられるほど『ヴァイリスの至宝』と近しい関係にあることに驚きじゃわ」
老婆の姿をした女王異陛下はそう言いながら、苦笑する。
そういえば、これはイグニア新聞がすっぱ抜いたせいで後で大騒ぎになったんだけど、そんなヴァイリスの至宝は、ベルゲングリューンランドの古代迷宮を各国の冒険者たちが掃討していた時、ユリシール殿の甲冑を着て参加し、クラン「水晶の龍」と共に、なんと最下層まで踏破したのだ。
その時の王女殿下は、同じような全身甲冑の男を連れ歩いていた。
さすがに今回は護衛を付けたのだろう、なんて思っていたけど、最下層の踏破で感激したユリーシャ王女殿下が大喜びで兜を脱ぎ捨て、その甲冑の男に飛びついた。
ユリシール殿の正体を知らなかった冒険者たちはそれだけでも驚愕だったんだけど、飛びつかれた男の方も感極まって兜を投げ捨てて抱きしめてしまい、冒険者たちは勝利の喜びどころではなくなった。
そこには、大喜びするユリーシャ王女殿下を笑って抱きしめる、英雄エリオこと、エリオット国王陛下がいたからである。
……そんなわけで、「ユリシール殿」の正体はヴァイリス全土でバレバレになってしまったんだけど、冒険者や街の人の間で「王女殿下がユリシール殿をやっている時は、気付かないフリをして、高名な冒険者、ユリシール殿として接しよう」という暗黙のルールが出来上がったあたり、国民たちから愛されるヴァイリスの至宝なのであった。
そんなヴァイリスの至宝と似た香りを漂わせているのが、ただの老婆なわけがない。
あと、「きったねぇ婆さん」と何度も言ってきたけど、僕はよっぽど汚くない限り、お婆さんのことをそんな風に言うことはない。
女王陛下が扮する老婆は、不自然なほどに汚すぎたのだ。
「いかにも、わらわが使っている香水は、アンブロシアという伝説の花の雫が使われておる。一般人にはそうそう手に入らぬじゃろうから、鋭い指摘じゃ」
「そこまでは、きったねぇ婆さんに徹しきれなかったんですね」
僕がそういうと、女王陛下がきゃっきゃっ、と笑った。
「まっちゃんって匂いフェチだもんね」
ユキがぼそっと言った。
「フェチって……、なんか僕が変態みたいじゃないか」
「知ってるぅ? まつおちゃんがそんなだから、ウチのクラスの女子、こぞって香水を使い始めたのよぉ? 更衣室の匂いが大変なことになってるんだからぁ~」
「あれは本当に最悪。私なんてさっさと着替えてすぐに出ちゃうもの」
ジョセフィーヌの言葉に、アリサがうなずいた。
そんなことより、女子更衣室で女子たちと一緒に着替えるのを許されているジョセフィーヌがすごいと思うし、初対面のエスパダの女王陛下の前でこんなしょうもない会話ができるのもすごいと思う。
「先程の暴動の治め方も見事じゃった。流血沙汰になれば介入しようかとも思ったが……」
「暴動を巻き起こした張本人がよく言いますよ……」
「オレ、馬糞をアイツに投げつけたの、絶対まつおさんだと思ったぜ」
「私も。日頃の行いが悪すぎるんだもん」
花京院とユキが言うのを、女王陛下が孫たちを見るような目で見て笑った。
「さて……。それでは、わらわの本当の姿を見せてしんぜようかの」
「マ、マジでか……、い、いや、マジですか……!」
期待に胸を膨らませたルッ君が、思わず口に出た言葉を敬語に直した。
いや、全然敬語になってないんだけど。
「ふふ……マジじゃ。市民が見ておったら大騒ぎになるじゃろうが、今はあやつらを追い回しておるから構わんだろう。それっ!」
ボロボロの衣服を身に纏ったみすぼらしい老婆姿の女王陛下がそう言って指を鳴らす。
その途端。
「おおっ!!!」
ルッ君が思わず声を上げる。
布切れのような衣服がみるみるうちにきらびやかな宝石がちりばめられた、真紅のコートと、同色の瀟洒なドレスハットに変化する。
ぴん、と背筋を伸ばし、聡明さが溢れ出るような理知的な瞳をこちらに向けたエスパダの女王の御姿は、エスパダの紙幣に描かれていた肖像そっくりの……。
そっくりの貴婦人の50年後のような姿に変化していた。
「けっきょく婆さんなんかい!!!」
「お、おいっ、ルクス! メルセデス女王陛下になんちゅうことを言うんだ……」
思わず女王陛下にツッコんでしまったルッ君をヴェンツェルが慌てて諌めた。
そうそう、許可証の署名で初めて知ったんだけど、エスパダの女王陛下はメルセデスというお名前なのだ。
……まるで神様みたいな名前だ。
「だってさ、フツー、キレイなお姉さんになるって思うじゃん?!」
ルッ君の魂の叫びがエル・ブランコの港湾に響いた。
「婆さんに変身していた人がもったいぶって『正体を見せる』って言ってドキドキしてたら違う婆さんになった姿を見せられるこの気持ち、どうしてくれるの? 婆さんトゥ婆さんだぞ?! わざわざ婆さんから、婆さんになる必要ある?!」
ルッ君が半泣きになって訴えてきたので、僕たちは思わず目をそらした。
「本当はもっと若かったんじゃ!」
「……だいたいの婆さんはそうだと思います。女王陛下」
「い、いや、そうではなくてな……」
女王陛下は僕のツッコミに少々たじろぎながら、説明してくれた。
「知っての通り、わらわは変身魔法を得意とするのじゃが……、幼き頃より変身を繰り返していたせいで、元のわらわの姿がどうだったか、わからんようになってしまったのじゃ」
「ええぇ……」
誰かがドン引きした声が聞こえると思って振り向いたら、ヒルダ先輩だった。
この人がたまに普通っぽいリアクションするの、めちゃくちゃ面白い。
「そんな、むちゃくちゃな……」
「まだ王女だった頃、わらわには許婚がおってな。じゃが、わらわはどうしてもそやつと婚姻を結びたくないあまり、このようなババアの姿に変身してやりすごしたのじゃが……」
その許婚との婚姻政策を老婆の姿で回避した手前、その姿のまま戴冠する羽目になり、市井の民草にその姿を見せてしまった関係で、ずっとこの姿になっているのだとか。
そう聞けば、この女王陛下もなかなか大変な人生を送っているものだ。
そこまでして結婚したくない男性ってのは、どんな人だったんだろう。
「まさかあの時のブサイクなヴァイリスの青年貴族がエスパダの王になる道をさっさとあきらめ、冒険に明け暮れて大陸で勇名を馳せ、婿入りしてヴァイリスの王になるなどとは思いもしなかったがのう……」
「「「「「エリオット陛下かーい!!!」」」」」
僕とヴェンツェル、ギルサナス、ヒルダ先輩、ユキが身分も忘れてメルセデス女王陛下に思わず全力でツッコんだ。
「そんなわけで、見た目はこんなじゃが、わらわの年齢は30代じゃ。……元の姿がわからんようになっただけでな」
理知的な笑みを浮かべて、メルセデス女王陛下が言葉を続ける。
「なので、そなたの子を妊もうと思えば、妊めんことはないかもしれんぞ? どうじゃ、美女になってやろうか?」
「うーん……。それは、どうなんだろう」
「……あのな、照れるか全力で嫌がるかのどっちかにしてくれんか?」
女王陛下が力なくツッコんだ。
僕はつい、考えてしまったのだ。
女王陛下には申し訳ないけど、老婆のフリをしてずっと生きてきた人は、見た目はどうあれ、もうその中身はほとんど老婆なんじゃないだろうか。
たとえばアウローラは3000歳以上なんだと思うけど、老婆だと思ったことはない。
むしろこう、ピチピチでイケイケのお姉さんみたいな印象がある。
頭の中で話しかけられてゾクゾクするし。
常に知的で蠱惑的、セクシーな存在だ。
朝起きたら、ベッドの隣に裸のアウローラがいて、
「ふふ、そなたの寝顔はこんなにかわいいのだな。もう少し眠って寝顔を見せろ」
って言われたらすごいドキドキすると思うけど。
いくら美女の姿をしていたとしても、朝起きたら女王陛下が同じベッドにいて、
「なんじゃ、やっと起きたのか? ふふ、寝坊すけじゃのう」
とか言ったら、「うわああっ!!」ってなりそうな気がする。
『ふふふ、そなたはよくわかっているではないか。まさにその通り! 女は年齢ではないのだぞ!!』
僕の心を勝手に覗き込んだアウローラが、勝手に上機嫌になった。
「……ふん、まぁ良いわ。わらわはこれから寄らねばならぬところがあるゆえ、先に行くぞ。それではな」
「い、いや、王宮にお戻りになられたほうが良いのでは……」
思わずツッコんだミスティ先輩に、女王陛下が嫌そうな顔を向けた。
「いーやーじゃ!! せっかく国政を丸投げして自由の身になったと思ったら、あやつら、わらわをエスパダの象徴だとかなんだとか抜かしおって、ちっとも自由にさせてくれんのだ!! 仕方ないからババアに変身して外に出ようとしたら警察に追いかけ回される始末よ!!」
女王陛下はそう言って指を鳴らすと、今度は灰色のフクロウに変身して、そのまま飛び立ってしまった。
「いや、だからさ……、変身のチョイスが、お婆さんなんだよね……」
僕がぼそっとそう言ったのが聞こえたのか、フクロウはバサバサと音を立ててどこかに墜落していった。
「おいおい、女王陛下って、そりゃいくらなんでも……あっ」
キムはそこまで言って、周囲を見て慌てて言葉を止めてひざまずいた。
他のみんながそうしていることに気付いたからだ。
「わはは、そうだよな! こんな糞まみれのばーさんが……」
空気が読めないルッ君だけが、キムの言葉を続けていらんことを言った。
花京院は……、ジョセフィーヌが頭を押さえてひざまずかせていた。
「ひひひ、愉快な仲間たちじゃのう?」
「きょ、恐縮です」
「えっ、マ、マジなの……? 馬糞……もごっ」
僕が返答しているのにまだ何か言おうとするルッ君を、キムが押さえ込んだ。
「うちの大使を完全にやりこめた若造がいると聞いて、ちょいとからかってやろうかと思うとったのじゃが、予想以上の傑物のようじゃの、ベルゲングリューン伯」
女王陛下が言った。
なるほど、イシドラさんから話を聞いて、仕返しついでにどんな奴か見てやろうって腹積もりだったのか。
「おかげで朝からひどい目に遭いましたよ。エスパダを嫌いになるところでした。せっかくお昼までエスパダ観光と買い物を楽しもうと思っていたのに……」
「まぁまぁ、そう言うでない。これから我が国を大好きにさせてやるゆえ」
僕の恨み節に、女王陛下が苦笑しながら僕をなだめた。
「海賊討伐の叙勲の際に楽しみにしておくがよい。デモ隊に扮した反抗組織どもを退けるばかりか、見事群衆を味方に付けたそなたの手腕と功績を踏まえ、そなたらが喜びそうな褒美を取らせるゆえ」
女王陛下直筆の署名による永続的なエスパダへの自由渡航と通商の許可証は、すでにイシドラさん経由でいただいていたが、正式な叙勲があるとのことで、僕たちは後日エスパダの王宮であるアレハンドロ宮殿に出向くことになっていた。
「よかった。イシドラさんがケチなだけだったんですね。てっきり、エスパダの女王がどケチなのかと思っていました」
「お、おい……」
ヒルダ先輩とヴェンツェルの常識人二人が、僕の物言いにハラハラしている。
ヒルダ先輩を常識人のくくりに入れるのはちょっと、ためらう部分もあるんだけど、こういう時のハラハラしている感じは祖父であるアルフォンス宰相閣下にそっくりだ。
そんな二人には申し訳ないけど、僕はこの婆さんの気まぐれと悪ふざけで、今日はさんざんな目に遭わされたのだ。
今さら気を遣うつもりはなかった。
「じゃが、どうやって見抜いたのじゃ?」
「匂いです。身なりも気にしない、きったねぇ婆さんにしては、やたらといい匂いがしましたので」
「匂いじゃと?」
「ええ」
目を丸くする女王陛下に、僕は答えた。
たとえばアリサからは柑橘系の香りがするし、ゾフィアからはライムの香り、テレサからは椰子の実の香りがする。
ミスティ先輩からは上品な薔薇の香りがするし、ヒルダ先輩からはイランイランのエキゾチックな香りがする。
ジョセフィーヌからはビャクダンや沈香などの香木が混ざったような、オリエンタルで中性的な香り。
それぞれがそれぞれの香りを漂わせているけど、僕はこれまでに、たった一人だけ、「もはやなんの植物なのかもわからない、とにかくすっげぇいい香り」を身に纏わせている女性と会っている。
……そう、最近はしゃぎ回っていたせいで、すっかりお笑いキャラになってしまいつつある、あの御方だ。
「ユリーシャ王女殿下の匂いと似た香りがずっとしていたんですよ。なので、この香水はおそらく、そういうステージにいる人しか使えないようなものなのかなって」
「……そんなことより、そなたが体臭を嗅ぎ分けられるほど『ヴァイリスの至宝』と近しい関係にあることに驚きじゃわ」
老婆の姿をした女王異陛下はそう言いながら、苦笑する。
そういえば、これはイグニア新聞がすっぱ抜いたせいで後で大騒ぎになったんだけど、そんなヴァイリスの至宝は、ベルゲングリューンランドの古代迷宮を各国の冒険者たちが掃討していた時、ユリシール殿の甲冑を着て参加し、クラン「水晶の龍」と共に、なんと最下層まで踏破したのだ。
その時の王女殿下は、同じような全身甲冑の男を連れ歩いていた。
さすがに今回は護衛を付けたのだろう、なんて思っていたけど、最下層の踏破で感激したユリーシャ王女殿下が大喜びで兜を脱ぎ捨て、その甲冑の男に飛びついた。
ユリシール殿の正体を知らなかった冒険者たちはそれだけでも驚愕だったんだけど、飛びつかれた男の方も感極まって兜を投げ捨てて抱きしめてしまい、冒険者たちは勝利の喜びどころではなくなった。
そこには、大喜びするユリーシャ王女殿下を笑って抱きしめる、英雄エリオこと、エリオット国王陛下がいたからである。
……そんなわけで、「ユリシール殿」の正体はヴァイリス全土でバレバレになってしまったんだけど、冒険者や街の人の間で「王女殿下がユリシール殿をやっている時は、気付かないフリをして、高名な冒険者、ユリシール殿として接しよう」という暗黙のルールが出来上がったあたり、国民たちから愛されるヴァイリスの至宝なのであった。
そんなヴァイリスの至宝と似た香りを漂わせているのが、ただの老婆なわけがない。
あと、「きったねぇ婆さん」と何度も言ってきたけど、僕はよっぽど汚くない限り、お婆さんのことをそんな風に言うことはない。
女王陛下が扮する老婆は、不自然なほどに汚すぎたのだ。
「いかにも、わらわが使っている香水は、アンブロシアという伝説の花の雫が使われておる。一般人にはそうそう手に入らぬじゃろうから、鋭い指摘じゃ」
「そこまでは、きったねぇ婆さんに徹しきれなかったんですね」
僕がそういうと、女王陛下がきゃっきゃっ、と笑った。
「まっちゃんって匂いフェチだもんね」
ユキがぼそっと言った。
「フェチって……、なんか僕が変態みたいじゃないか」
「知ってるぅ? まつおちゃんがそんなだから、ウチのクラスの女子、こぞって香水を使い始めたのよぉ? 更衣室の匂いが大変なことになってるんだからぁ~」
「あれは本当に最悪。私なんてさっさと着替えてすぐに出ちゃうもの」
ジョセフィーヌの言葉に、アリサがうなずいた。
そんなことより、女子更衣室で女子たちと一緒に着替えるのを許されているジョセフィーヌがすごいと思うし、初対面のエスパダの女王陛下の前でこんなしょうもない会話ができるのもすごいと思う。
「先程の暴動の治め方も見事じゃった。流血沙汰になれば介入しようかとも思ったが……」
「暴動を巻き起こした張本人がよく言いますよ……」
「オレ、馬糞をアイツに投げつけたの、絶対まつおさんだと思ったぜ」
「私も。日頃の行いが悪すぎるんだもん」
花京院とユキが言うのを、女王陛下が孫たちを見るような目で見て笑った。
「さて……。それでは、わらわの本当の姿を見せてしんぜようかの」
「マ、マジでか……、い、いや、マジですか……!」
期待に胸を膨らませたルッ君が、思わず口に出た言葉を敬語に直した。
いや、全然敬語になってないんだけど。
「ふふ……マジじゃ。市民が見ておったら大騒ぎになるじゃろうが、今はあやつらを追い回しておるから構わんだろう。それっ!」
ボロボロの衣服を身に纏ったみすぼらしい老婆姿の女王陛下がそう言って指を鳴らす。
その途端。
「おおっ!!!」
ルッ君が思わず声を上げる。
布切れのような衣服がみるみるうちにきらびやかな宝石がちりばめられた、真紅のコートと、同色の瀟洒なドレスハットに変化する。
ぴん、と背筋を伸ばし、聡明さが溢れ出るような理知的な瞳をこちらに向けたエスパダの女王の御姿は、エスパダの紙幣に描かれていた肖像そっくりの……。
そっくりの貴婦人の50年後のような姿に変化していた。
「けっきょく婆さんなんかい!!!」
「お、おいっ、ルクス! メルセデス女王陛下になんちゅうことを言うんだ……」
思わず女王陛下にツッコんでしまったルッ君をヴェンツェルが慌てて諌めた。
そうそう、許可証の署名で初めて知ったんだけど、エスパダの女王陛下はメルセデスというお名前なのだ。
……まるで神様みたいな名前だ。
「だってさ、フツー、キレイなお姉さんになるって思うじゃん?!」
ルッ君の魂の叫びがエル・ブランコの港湾に響いた。
「婆さんに変身していた人がもったいぶって『正体を見せる』って言ってドキドキしてたら違う婆さんになった姿を見せられるこの気持ち、どうしてくれるの? 婆さんトゥ婆さんだぞ?! わざわざ婆さんから、婆さんになる必要ある?!」
ルッ君が半泣きになって訴えてきたので、僕たちは思わず目をそらした。
「本当はもっと若かったんじゃ!」
「……だいたいの婆さんはそうだと思います。女王陛下」
「い、いや、そうではなくてな……」
女王陛下は僕のツッコミに少々たじろぎながら、説明してくれた。
「知っての通り、わらわは変身魔法を得意とするのじゃが……、幼き頃より変身を繰り返していたせいで、元のわらわの姿がどうだったか、わからんようになってしまったのじゃ」
「ええぇ……」
誰かがドン引きした声が聞こえると思って振り向いたら、ヒルダ先輩だった。
この人がたまに普通っぽいリアクションするの、めちゃくちゃ面白い。
「そんな、むちゃくちゃな……」
「まだ王女だった頃、わらわには許婚がおってな。じゃが、わらわはどうしてもそやつと婚姻を結びたくないあまり、このようなババアの姿に変身してやりすごしたのじゃが……」
その許婚との婚姻政策を老婆の姿で回避した手前、その姿のまま戴冠する羽目になり、市井の民草にその姿を見せてしまった関係で、ずっとこの姿になっているのだとか。
そう聞けば、この女王陛下もなかなか大変な人生を送っているものだ。
そこまでして結婚したくない男性ってのは、どんな人だったんだろう。
「まさかあの時のブサイクなヴァイリスの青年貴族がエスパダの王になる道をさっさとあきらめ、冒険に明け暮れて大陸で勇名を馳せ、婿入りしてヴァイリスの王になるなどとは思いもしなかったがのう……」
「「「「「エリオット陛下かーい!!!」」」」」
僕とヴェンツェル、ギルサナス、ヒルダ先輩、ユキが身分も忘れてメルセデス女王陛下に思わず全力でツッコんだ。
「そんなわけで、見た目はこんなじゃが、わらわの年齢は30代じゃ。……元の姿がわからんようになっただけでな」
理知的な笑みを浮かべて、メルセデス女王陛下が言葉を続ける。
「なので、そなたの子を妊もうと思えば、妊めんことはないかもしれんぞ? どうじゃ、美女になってやろうか?」
「うーん……。それは、どうなんだろう」
「……あのな、照れるか全力で嫌がるかのどっちかにしてくれんか?」
女王陛下が力なくツッコんだ。
僕はつい、考えてしまったのだ。
女王陛下には申し訳ないけど、老婆のフリをしてずっと生きてきた人は、見た目はどうあれ、もうその中身はほとんど老婆なんじゃないだろうか。
たとえばアウローラは3000歳以上なんだと思うけど、老婆だと思ったことはない。
むしろこう、ピチピチでイケイケのお姉さんみたいな印象がある。
頭の中で話しかけられてゾクゾクするし。
常に知的で蠱惑的、セクシーな存在だ。
朝起きたら、ベッドの隣に裸のアウローラがいて、
「ふふ、そなたの寝顔はこんなにかわいいのだな。もう少し眠って寝顔を見せろ」
って言われたらすごいドキドキすると思うけど。
いくら美女の姿をしていたとしても、朝起きたら女王陛下が同じベッドにいて、
「なんじゃ、やっと起きたのか? ふふ、寝坊すけじゃのう」
とか言ったら、「うわああっ!!」ってなりそうな気がする。
『ふふふ、そなたはよくわかっているではないか。まさにその通り! 女は年齢ではないのだぞ!!』
僕の心を勝手に覗き込んだアウローラが、勝手に上機嫌になった。
「……ふん、まぁ良いわ。わらわはこれから寄らねばならぬところがあるゆえ、先に行くぞ。それではな」
「い、いや、王宮にお戻りになられたほうが良いのでは……」
思わずツッコんだミスティ先輩に、女王陛下が嫌そうな顔を向けた。
「いーやーじゃ!! せっかく国政を丸投げして自由の身になったと思ったら、あやつら、わらわをエスパダの象徴だとかなんだとか抜かしおって、ちっとも自由にさせてくれんのだ!! 仕方ないからババアに変身して外に出ようとしたら警察に追いかけ回される始末よ!!」
女王陛下はそう言って指を鳴らすと、今度は灰色のフクロウに変身して、そのまま飛び立ってしまった。
「いや、だからさ……、変身のチョイスが、お婆さんなんだよね……」
僕がぼそっとそう言ったのが聞こえたのか、フクロウはバサバサと音を立ててどこかに墜落していった。
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執筆終了済みです。
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