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第二部 第三章「女王陛下と大怪盗」(2)
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「はい、指輪」
僕はヴァイリスの宝飾店であらかじめ買っておいた銀のリングケースに入れた、水晶龍のクランリングをメルに見せた。
「……本当に……、取り返してくれたのね……」
メルはみんなの顔を、それから僕の顔をじっと見つめて、僕の手のひらのリングケースに入った指輪を見た。
「せっかくだから、ベルくんがはめてあげたらー?」
ミスティ先輩がにやにや笑いながら言った。
ここで照れちゃうと先輩の思うつぼなので、僕は平然とした表情を装って、指輪ケースから指輪を取り出すと、左の手のひらをメルに差し出した。
メルが恥ずかしそうにしながらも、僕の手のひらの上に右手をのせたので、僕は右手で、水晶龍の三連リングをメルの細い指に……。
「なにさりげなく薬指にはめようとしてんのよっ!!」
「いだっ!!」
スパカーン!!という音を立てて、ユキからスリッパで頭をはたかれた。
どうでもいいけど、それ、メルのおばあちゃん家のスリッパなんだけど。
「……ありがと」
人差し指にはめた指輪をしげしげと眺めてから、メルが僕の胸にこつん、と頭を乗せた。
「すっごく嬉しい」
「ん」
僕はメルの銀色の髪にぽん、と右手を乗せた。
その後は、女性陣がきゃっきゃっとメルに近付いていって、ワイワイとおしゃべりが始まった。
「それがさー、メル、聞いてよ。まっちゃんってば、その指輪を取り返すために海賊団ごと……」
ユキとアリサ、ミスティ先輩を中心に、ゾフィアやテレサ、ヒルダ先輩、アーデルハイドとジョセフィーヌまでが加わって、メルのおばあちゃん家の玄関先で話し込み始めたので、僕は先におばあちゃんに挨拶をしておこうと、一足先にお宅に上がらせてもらうことにした。
「いらっしゃい、伯爵」
「やぁ、ご無沙汰です、エスメラルダおばあちゃん」
リビングに入った途端、紅茶のいい香りが漂ってくる。
エスパダは紅茶で有名で、メルの紅茶好きはおばあちゃんの影響らしい。
「着いて早々、随分ご活躍だったみたいじゃないか。あんた、すっかり街の噂になってるよ」
「いやぁ、災難でした」
メルと同じ銀髪をエメラルドのバレッタでアップにして、銀縁の丸いメガネを掛けたメルのおばあちゃんは、おばあちゃんというよりは王宮の貴婦人のようだ。
(やっぱ、おばあちゃんはこうでないと)
女王陛下の二種類の強烈すぎるおばあちゃんを見た後なので、余計にメルのおばあちゃんのこの姿に癒やされる。
ちなみに、海賊団から奪い取った船の名前は「アブエラ・エスメラルダ号」と命名した。
エスパダ語で「エスメラルダおばあちゃん号」という意味になる。
……エスメラルダおばあちゃん号という名前で100門もの魔導カノン砲を積んでいるのはちょっとどうなのかという声も一部から上がったけど。
「しかし、メルセデス女王陛下のお転婆っぷりはいくつになっても変わらないんだねぇ。幼い頃は猫に化けて、私達が家で焼いた焼き魚を盗み食いなさっていたものだけど」
……なにやっとんじゃ、あの女王陛下は……。
椅子に座って、あったかいエスパダの紅茶をいただきながら、僕はエスメラルダおばあちゃんと女王陛下の話をした。
「ということは、女王陛下が変身の達人だってことは、エスパダの人はみんな知っていることなんですか?」
僕がそう言うと、エスメラルダおばあちゃんはにっこりと笑いながら首を振った。
「いいや。女王陛下は幼い頃、この近くのキレイなお屋敷で暮らしていらっしゃったのさ。だから、この辺の人間じゃなきゃ、知らないと思うねぇ」
「なるほど……」
聞けば、メルことメルティーナの「メル」は、メルセデス女王陛下の名前から取ったのだとか。
子供の頃からとても聡明で、地元の人たちからも愛されていたらしい。
「それにしても、変身のしすぎで元の御姿がわからないって、どうなんだろう……」
「……女王陛下がそうおっしゃったのかい?」
「ええ、そうですけど……?」
「……そうかい……」
エスメラルダおばあちゃんはそれだけ言うと、紅茶をゆっくり口に含んだ。
士官学校のカフェテラスで飲む紅茶は、なんというか、香りがするだけのお湯みたいな感じだったんだけど、メルたちを召喚魔法で海賊たちから救出して、エスメラルダおばあちゃんにベルゲングリューン城で淹れてもらった紅茶を飲んで、初めて紅茶というものの美味しさを知った。
アサヒが茶葉の選び方から淹れ方までしっかりレクチャーしてもらっていたので、これからが楽しみだ。
「違うんですか?」
僕は少し待ってから、おばあちゃんに女王陛下のことを尋ねた。
「まぁ……、そういうことにしたってことなんだろうねぇ」
エスメラルダおばあちゃんはしみじみと言った。
「若かりし頃の女王陛下と今のヴァイリスのエリオット国王陛下はね、年こそ離れてはいらしたが、当時、それはそれは大恋愛をなさっておいでだったんだよ」
「えっ……」
なんか聞いちゃいけない話を聞いてしまった気がして、僕は少しドキドキしてしまった。
「ところが、女王陛下に横恋慕したある貴族家の男が、女王陛下にこっぴどくフラれた腹いせに禁断の古代魔法を使って、自分の命と引き換えに女王陛下を老婆の姿に変えてしまったのさ」
「……でも、女王陛下は変身の達人なんですよね?」
「ああ、そうさ。……だから女王陛下がその気になりゃ、誰もが羨むような若く美しい女性にでもなんにだって変身できるだろうさ。でもね……」
エスメラルダおばあちゃんが、丸眼鏡ごしに、僕の目を真っ直ぐに見た。
「英雄エリオが愛した女の姿には、どうやっても戻ることができなかったのさ」
「……」
英雄エリオはそんな女王陛下の呪いを解くために、貴族から冒険者となって、世界各地で勇名を馳せたものの、ついにその解呪方法を見つけることはできなかった。
やがて老婆の姿になった少女は女王として即位して、もはやエリオが近づける存在ではなくなってしまった……。
失意のまま冒険者を引退し、本人の意図に反して数々の栄光を手に貴族に戻ったエリオは、やがてエリオット国王となる……。
(なんちゅーほろ苦い……、大人の話だ……)
「女王陛下はあんたに、若き日の英雄エリオの面影を見たんだよ、きっと。だから、そんなにちょっかいをお出しになったんじゃないかしら」
「陛下のことをブサイクな青年貴族って言ってたから、あんまり嬉しくないなぁ」
「あっはっは! それはきっと、女王陛下の照れ隠しさね」
ツンデレ婆さんか……、新しいな。
『ベル様、聞こえますか?』
『その声は、イシドラさん?』
エスメラルダおばあちゃんと談笑していると、イシドラさんの通信が入った。
『はい。ベル様が大暴れなさったこと、女王陛下から聞きましたわよ……』
『あのね……、それ、100%女王陛下のせいですからね?』
『うふふ、やっぱりお気に入りになられちゃったみたいですわね』
頭に響くイシドラさんの少し低めの声がとても心地よい。
会談の内容はアレだったけど、ものすごく魅力的な女性だとは正直思う。
『それで……、今夜の皆さんのお宿は、お決めになられましたか?』
『それがですね……、どうやら観光シーズンらしくて、エル・ブランコの宿屋はどこも満室で、仕方ないから船で寝ようかなって』
さすがにこの大所帯でエスメラルダおばあちゃんの家に泊めてもらうわけにもいかない。
そんなことを考えていると、イシドラさんから提案があった。
『それでしたら、いかがでしょう? 内見を兼ねて、皆さんでベル様のお屋敷に逗留なさっては?』
『へ? お屋敷?』
『会談の時にお約束させていただきましたでしょう? 女王陛下にご相談したところ、今は使われていない女王陛下の御用邸をベル様の所有になさっては、と』
『まさか本当にご用意くださっていたとは……』
僕が欲しかったのは自由渡航と通商の許可だったので、他の褒賞についてはあまり深く考えていなかった。
そうか、お屋敷ももらえるのはありがたい。
『私、ケチじゃありませんからね!』
『あはは……』
『んもう!』
イシドラさんは女王陛下に何か言われたらしい。
『今はどちらにおいでですか?』
『えーとね、ここはどこになるんだっけ……、エル・ブランコの内側にほら、大きな川があるでしょう?』
『デュエリ川ですわね』
『そうそう、その川の大きな橋を渡ると、すごくのどかでキレイな町並みがあって。時計台があるんですけど、その近くにある素敵な民家にいます』
『……驚いた。ベル様、女王陛下から何か伺っていらっしゃいました?』
『いえ? 何がです?』
『御用邸は、そのすぐ近くです』
イシドラさんの言葉に、僕はエスメラルダおばあちゃんがさっき言っていた言葉を思い出した。
『その御用邸って、もしかしてアレですか、女王陛下が子供の頃に暮らしていたお屋敷で、よく猫に変身してご近所の焼き魚を漁って回っていたっていう……』
『……後半の話は聞かなかったことにしますが、そのお屋敷で間違いないかと思います』
『やっぱり』
僕はイシドラさんとその後少し話をしてから、通信を切った。
「エスメラルダおばあちゃん」
「ばあちゃんでいいわよ。なぁに?」
みんなのために料理を作っていたばあちゃんが、こちらを振り向いた。
「それ、何? お米を使ってるの?」
「これかい? これはパエリアっていうのさ」
「なんか黄色いけど」
「サフランっていう花のめしべを乾燥させたものだよ。エスパダでは市場で普通に売ってるよ」
「へぇ……、おいしそう……」
エビやイカ、アサリなどの魚介類の香りで、お腹がぐぅぐぅ鳴ってきた。
そういえば、こっちに来てから、僕はロクに何も食べていないんだった。
「それで、どうしたんだい?」
「そうそう、さっきさ、お屋敷の話してたでしょ? 女王陛下がご近所の魚を食い荒らしていたっていう」
「わたしゃそこまで言ってないけど……、それがどうかしたのかい?」
「そのお屋敷、僕のものになったみたい」
僕はイシドラさんと話した内容をばあちゃんに伝えた。
「おやまぁ、おやまぁ……、ご近所さんになっちゃったねぇ」
「もう学校やめてエスパダで暮らそうかな、僕」
この自然豊かでのどかな街で、ばあちゃんのパエリアをいつでも食べさせてもらえる。
天国じゃないだろうか。
「あっはっは!! 何言ってんだい、この子は」
エスメラルダおばあちゃんが朗らかに笑った。
僕の知り合いは、個性的で、どこかネジが一つ吹っ飛んでる人が多いんだけど、エスメラルダおばあちゃんの安心感はすごいなぁ。
メルはこんなおばあちゃんに育てられてきたから、あんなにお行儀が良くていい子に育ったんだなぁ。
でも、メルの剣技は……、誰に教わったんだろう。
「はい、指輪」
僕はヴァイリスの宝飾店であらかじめ買っておいた銀のリングケースに入れた、水晶龍のクランリングをメルに見せた。
「……本当に……、取り返してくれたのね……」
メルはみんなの顔を、それから僕の顔をじっと見つめて、僕の手のひらのリングケースに入った指輪を見た。
「せっかくだから、ベルくんがはめてあげたらー?」
ミスティ先輩がにやにや笑いながら言った。
ここで照れちゃうと先輩の思うつぼなので、僕は平然とした表情を装って、指輪ケースから指輪を取り出すと、左の手のひらをメルに差し出した。
メルが恥ずかしそうにしながらも、僕の手のひらの上に右手をのせたので、僕は右手で、水晶龍の三連リングをメルの細い指に……。
「なにさりげなく薬指にはめようとしてんのよっ!!」
「いだっ!!」
スパカーン!!という音を立てて、ユキからスリッパで頭をはたかれた。
どうでもいいけど、それ、メルのおばあちゃん家のスリッパなんだけど。
「……ありがと」
人差し指にはめた指輪をしげしげと眺めてから、メルが僕の胸にこつん、と頭を乗せた。
「すっごく嬉しい」
「ん」
僕はメルの銀色の髪にぽん、と右手を乗せた。
その後は、女性陣がきゃっきゃっとメルに近付いていって、ワイワイとおしゃべりが始まった。
「それがさー、メル、聞いてよ。まっちゃんってば、その指輪を取り返すために海賊団ごと……」
ユキとアリサ、ミスティ先輩を中心に、ゾフィアやテレサ、ヒルダ先輩、アーデルハイドとジョセフィーヌまでが加わって、メルのおばあちゃん家の玄関先で話し込み始めたので、僕は先におばあちゃんに挨拶をしておこうと、一足先にお宅に上がらせてもらうことにした。
「いらっしゃい、伯爵」
「やぁ、ご無沙汰です、エスメラルダおばあちゃん」
リビングに入った途端、紅茶のいい香りが漂ってくる。
エスパダは紅茶で有名で、メルの紅茶好きはおばあちゃんの影響らしい。
「着いて早々、随分ご活躍だったみたいじゃないか。あんた、すっかり街の噂になってるよ」
「いやぁ、災難でした」
メルと同じ銀髪をエメラルドのバレッタでアップにして、銀縁の丸いメガネを掛けたメルのおばあちゃんは、おばあちゃんというよりは王宮の貴婦人のようだ。
(やっぱ、おばあちゃんはこうでないと)
女王陛下の二種類の強烈すぎるおばあちゃんを見た後なので、余計にメルのおばあちゃんのこの姿に癒やされる。
ちなみに、海賊団から奪い取った船の名前は「アブエラ・エスメラルダ号」と命名した。
エスパダ語で「エスメラルダおばあちゃん号」という意味になる。
……エスメラルダおばあちゃん号という名前で100門もの魔導カノン砲を積んでいるのはちょっとどうなのかという声も一部から上がったけど。
「しかし、メルセデス女王陛下のお転婆っぷりはいくつになっても変わらないんだねぇ。幼い頃は猫に化けて、私達が家で焼いた焼き魚を盗み食いなさっていたものだけど」
……なにやっとんじゃ、あの女王陛下は……。
椅子に座って、あったかいエスパダの紅茶をいただきながら、僕はエスメラルダおばあちゃんと女王陛下の話をした。
「ということは、女王陛下が変身の達人だってことは、エスパダの人はみんな知っていることなんですか?」
僕がそう言うと、エスメラルダおばあちゃんはにっこりと笑いながら首を振った。
「いいや。女王陛下は幼い頃、この近くのキレイなお屋敷で暮らしていらっしゃったのさ。だから、この辺の人間じゃなきゃ、知らないと思うねぇ」
「なるほど……」
聞けば、メルことメルティーナの「メル」は、メルセデス女王陛下の名前から取ったのだとか。
子供の頃からとても聡明で、地元の人たちからも愛されていたらしい。
「それにしても、変身のしすぎで元の御姿がわからないって、どうなんだろう……」
「……女王陛下がそうおっしゃったのかい?」
「ええ、そうですけど……?」
「……そうかい……」
エスメラルダおばあちゃんはそれだけ言うと、紅茶をゆっくり口に含んだ。
士官学校のカフェテラスで飲む紅茶は、なんというか、香りがするだけのお湯みたいな感じだったんだけど、メルたちを召喚魔法で海賊たちから救出して、エスメラルダおばあちゃんにベルゲングリューン城で淹れてもらった紅茶を飲んで、初めて紅茶というものの美味しさを知った。
アサヒが茶葉の選び方から淹れ方までしっかりレクチャーしてもらっていたので、これからが楽しみだ。
「違うんですか?」
僕は少し待ってから、おばあちゃんに女王陛下のことを尋ねた。
「まぁ……、そういうことにしたってことなんだろうねぇ」
エスメラルダおばあちゃんはしみじみと言った。
「若かりし頃の女王陛下と今のヴァイリスのエリオット国王陛下はね、年こそ離れてはいらしたが、当時、それはそれは大恋愛をなさっておいでだったんだよ」
「えっ……」
なんか聞いちゃいけない話を聞いてしまった気がして、僕は少しドキドキしてしまった。
「ところが、女王陛下に横恋慕したある貴族家の男が、女王陛下にこっぴどくフラれた腹いせに禁断の古代魔法を使って、自分の命と引き換えに女王陛下を老婆の姿に変えてしまったのさ」
「……でも、女王陛下は変身の達人なんですよね?」
「ああ、そうさ。……だから女王陛下がその気になりゃ、誰もが羨むような若く美しい女性にでもなんにだって変身できるだろうさ。でもね……」
エスメラルダおばあちゃんが、丸眼鏡ごしに、僕の目を真っ直ぐに見た。
「英雄エリオが愛した女の姿には、どうやっても戻ることができなかったのさ」
「……」
英雄エリオはそんな女王陛下の呪いを解くために、貴族から冒険者となって、世界各地で勇名を馳せたものの、ついにその解呪方法を見つけることはできなかった。
やがて老婆の姿になった少女は女王として即位して、もはやエリオが近づける存在ではなくなってしまった……。
失意のまま冒険者を引退し、本人の意図に反して数々の栄光を手に貴族に戻ったエリオは、やがてエリオット国王となる……。
(なんちゅーほろ苦い……、大人の話だ……)
「女王陛下はあんたに、若き日の英雄エリオの面影を見たんだよ、きっと。だから、そんなにちょっかいをお出しになったんじゃないかしら」
「陛下のことをブサイクな青年貴族って言ってたから、あんまり嬉しくないなぁ」
「あっはっは! それはきっと、女王陛下の照れ隠しさね」
ツンデレ婆さんか……、新しいな。
『ベル様、聞こえますか?』
『その声は、イシドラさん?』
エスメラルダおばあちゃんと談笑していると、イシドラさんの通信が入った。
『はい。ベル様が大暴れなさったこと、女王陛下から聞きましたわよ……』
『あのね……、それ、100%女王陛下のせいですからね?』
『うふふ、やっぱりお気に入りになられちゃったみたいですわね』
頭に響くイシドラさんの少し低めの声がとても心地よい。
会談の内容はアレだったけど、ものすごく魅力的な女性だとは正直思う。
『それで……、今夜の皆さんのお宿は、お決めになられましたか?』
『それがですね……、どうやら観光シーズンらしくて、エル・ブランコの宿屋はどこも満室で、仕方ないから船で寝ようかなって』
さすがにこの大所帯でエスメラルダおばあちゃんの家に泊めてもらうわけにもいかない。
そんなことを考えていると、イシドラさんから提案があった。
『それでしたら、いかがでしょう? 内見を兼ねて、皆さんでベル様のお屋敷に逗留なさっては?』
『へ? お屋敷?』
『会談の時にお約束させていただきましたでしょう? 女王陛下にご相談したところ、今は使われていない女王陛下の御用邸をベル様の所有になさっては、と』
『まさか本当にご用意くださっていたとは……』
僕が欲しかったのは自由渡航と通商の許可だったので、他の褒賞についてはあまり深く考えていなかった。
そうか、お屋敷ももらえるのはありがたい。
『私、ケチじゃありませんからね!』
『あはは……』
『んもう!』
イシドラさんは女王陛下に何か言われたらしい。
『今はどちらにおいでですか?』
『えーとね、ここはどこになるんだっけ……、エル・ブランコの内側にほら、大きな川があるでしょう?』
『デュエリ川ですわね』
『そうそう、その川の大きな橋を渡ると、すごくのどかでキレイな町並みがあって。時計台があるんですけど、その近くにある素敵な民家にいます』
『……驚いた。ベル様、女王陛下から何か伺っていらっしゃいました?』
『いえ? 何がです?』
『御用邸は、そのすぐ近くです』
イシドラさんの言葉に、僕はエスメラルダおばあちゃんがさっき言っていた言葉を思い出した。
『その御用邸って、もしかしてアレですか、女王陛下が子供の頃に暮らしていたお屋敷で、よく猫に変身してご近所の焼き魚を漁って回っていたっていう……』
『……後半の話は聞かなかったことにしますが、そのお屋敷で間違いないかと思います』
『やっぱり』
僕はイシドラさんとその後少し話をしてから、通信を切った。
「エスメラルダおばあちゃん」
「ばあちゃんでいいわよ。なぁに?」
みんなのために料理を作っていたばあちゃんが、こちらを振り向いた。
「それ、何? お米を使ってるの?」
「これかい? これはパエリアっていうのさ」
「なんか黄色いけど」
「サフランっていう花のめしべを乾燥させたものだよ。エスパダでは市場で普通に売ってるよ」
「へぇ……、おいしそう……」
エビやイカ、アサリなどの魚介類の香りで、お腹がぐぅぐぅ鳴ってきた。
そういえば、こっちに来てから、僕はロクに何も食べていないんだった。
「それで、どうしたんだい?」
「そうそう、さっきさ、お屋敷の話してたでしょ? 女王陛下がご近所の魚を食い荒らしていたっていう」
「わたしゃそこまで言ってないけど……、それがどうかしたのかい?」
「そのお屋敷、僕のものになったみたい」
僕はイシドラさんと話した内容をばあちゃんに伝えた。
「おやまぁ、おやまぁ……、ご近所さんになっちゃったねぇ」
「もう学校やめてエスパダで暮らそうかな、僕」
この自然豊かでのどかな街で、ばあちゃんのパエリアをいつでも食べさせてもらえる。
天国じゃないだろうか。
「あっはっは!! 何言ってんだい、この子は」
エスメラルダおばあちゃんが朗らかに笑った。
僕の知り合いは、個性的で、どこかネジが一つ吹っ飛んでる人が多いんだけど、エスメラルダおばあちゃんの安心感はすごいなぁ。
メルはこんなおばあちゃんに育てられてきたから、あんなにお行儀が良くていい子に育ったんだなぁ。
でも、メルの剣技は……、誰に教わったんだろう。
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