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第八章
気がかりなこと1
しおりを挟む黒柿色の湯呑みから白い湯気がくねる。濃い色の茶は、甘味の後から渋みを感じる。
「九郎の様子はどうかね? 」
出されたお茶と同じくらい渋みのある声がした。厳めしい座敷に相応しい主がこちらを見ている。
紆余曲折を経て烏の当主へ復帰した一進が近況を尋ねてきたので、月読は九郎へ施した結界について説明する。屋敷では変わりなく過ごしている事を伝えると、一進はわずかに表情を緩めた。
「あと少し様子を見て変化がないなら、おっしゃる案件を受けられるかもしれません」
九郎は当主の座を追われたけれど、破門になったわけでは無かった。むしろ強い能力者を失う方が、烏にとって痛手になると判断したようだ。
別の選択肢もあったけれど、この世界に居続けるのは九郎の希望だった。退魔師である事は彼のアイデンティティの1つで、月読もそれを尊重した。
加茂の言うように欠片の危険性さえなかったら、退魔の仕事を続けることも認められる。そうなれば今後は月読の命で動く一烏として活動を再開することになる。
退魔の仕事には神霊に関連する依頼もあり、鎮めの祭祀を行うため出向く場合もある。
神と成ったものは、どのような状態でも強大な力を有していて適切に対応しないといけないため依頼としては厄介だ。しかし神と言っても、小さきものから祟り神まで八百万、数え切れぬほどいて月読が出向く必要のない案件は烏へ任せている。
それらを月読経由で、九郎へ依頼する計画を一進と話し合っていた。
「烏側は大丈夫なのですか? 」
九郎が手練れとは言え、単独で対応させるのは危険な仕事もある。もちろん一進に命じられれば烏は同行するだろう、けれども彼らの心情的なものが気になって尋ねた。
「榎本と葛城家からの個人的な接触は、しばらく控えた方が宜しいかと……私も息子のことでは危うい橋を渡っていますゆえ。だが心配しなくても、同行を自ら希望する者達もいます」
月読が無傷で帰ってきた事もあり、今回の騒動をかるく受けとめる者もいる。それでも烏の主要な八家のなかには、榎本家や葛城家のようにオオマガツヒの欠片を宿す九郎の在籍や再起に異をとなえる者達もいた。
烏の問題は烏が解決するので、心配する必要はないと告げられた。月読の意志に烏は従い、九郎へ危害がおよぶことは無いという。
「それより月読殿、わざわざ此方へ赴いた用件はそれだけではなかろう? 」
一進は核心をついてくる。
月読は大黒主教と九郎の怪我について示唆する。彼も勘づいているだろうが、この件にはできるだけ関わらせたくない。
指の怪我は逃亡中、月読の力によって治り痕も消えた。怪我と変貌の因果関係は、心の内に引っかかっている。
「オオマガツヒを崇める大黒主教か、九郎の部下だった者から報告は受けています。独自に調査してますが、なかなか足取りをつかめませんな」
烏を熟知して姿を隠し遂せる存在、大黒主教に烏に精通する者がいるのではないかと月読は意見した。
「内部に裏切者がいると? 根拠は? 」
一進は朗らかな顔を一転させて、厳しい目つきをこちらへ向ける。
「烏に精通するものが、生きている者とは限りません」
マガモノと化したもの、或いは記憶を持った何者か。月読はふところから茶色いボロボロの烏面を取り出した。たったひとつ奈落のトンネルと化した地龍の胎から持ち帰った物。胎の底で遭遇した成れ果てを滅したものの、曖昧なわだかまりの感覚が残る。
今回の怪我が過失か故意なのか判断はつかない。姿を消している大黒主教が九郎へ憑いた欠片のことを知れば、再び動き出すかもしれない。
「こちらを熟知している存在という事ですか……。早急に対策を立てる必要がありますな」
目元を鋭くした一進は、あご髭を撫でた。月読は大黒主教の調査について烏へ一任する。
書斎を出ると廊下の角に烏が群れてる気配がした。廊下を歩く月読に隠れながらついて来た烏達はヒソヒソ騒めき、誰かを制止している声が聞こえる。
「月読様」
声をかけられて振り向くと、金村が立っていた。御山に戻ってから末端の者たちとは接触すらしていない、九郎が今なにをしているか事情も分からないだろう。
金村は黙ったまま立っている。あわてたように廊下の影から、もう1人が出てきた。
「ああ~金村、申し訳ありません月読様。ええと……」
騒々しい兄弟子の気配もするけれど、出てきたのは大伴だった。九郎について尋ねることを禁じられてる様子で言葉を詰まらせる。
「家にいるデカいのなら元気にしているよ。そのうち其方へも飛んでいくから、詳しいことは直接聞くといい」
「果たして我々に話して下さるのでしょうか? 」
大伴の指摘を受けて、月読は視線を左上へ流した。たしかに九郎なら今回の件について語らず、黙々と仕事をしそうな気もする。
無口な男はこれだから困ると、月読は眉をハの字型にしてげんなりした。
「そうだな……丙が早々と復帰祝いの酒宴を考えているから、そこへ来るといい。酒の席なら私の口も多少は軽くなるかもしれん」
丙が開催する酒宴へ大伴達を招待する。猿の里で行われるので、気を使わなくても大丈夫だろう。九郎と同じく無口な金村がうなずいた。
草履を履いた月読は、烏達に見送られ屋敷を後にする。
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