色のない虹は透明な空を彩る〜空から降ってきた少年は、まだ『好き』を知らない〜

矢口愛留

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第一章 緑

第10話 「やっぱそれ聞くぅ?」

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 セオには、きちんと感情がある。間違いない。
 なのに、それに気付いていない様子のラスに、私は少しカチンと来てしまった。

 ラスは、しばらく目をぱちくりしていたかと思うと、何が面白かったのか、突然笑い出した。

「くく、くふふふ……! なるほどねぇ、そっか、そういうことかぁ」

「……何ですか」

「まぁそんなに不貞腐ふてくされた顔しないで。せっかくの可愛い顔が台無しだよ。とにかくあれだ、やっぱり君を連れてきて正解だったよ。くふふふふ」


 ラスは、一人で笑っている。
 理由が分からず困惑していると、そこにフレッドが湯気の立つマグカップを三つ持って、戻ってきた。

「なんじゃ、楽しそうじゃの」

 フレッドはラスにコーヒーを、私にはホットミルクを手渡し、自分もコーヒーのマグカップを手に椅子に座った。
 私はお礼を言って、ホットミルクを口に含む。
 ほんのりとした甘さと温かさに、心身のこわばりが少しずつほどけていくのを感じた。

「パステルは面白いね。さっきのドラゴンとの追いかけっこもそこそこ楽しかったし、ボクは満足だよ」

「……ドラゴン?」

「うん。さっき脱出する時に追いかけて来たんだよ」

「も、もしかして……ラスさんが番犬って言ってたの、ドラゴンだったんですか!?」

「うん、そう。さっきのあいつは暗黒龍ダークドラゴン。光るものと陽射しが大嫌いなんだ」

「ふえぇ……」

 ドラゴンと言えば、その爪は山をも崩し、その吐息は湖をも干上がらせると言われている、伝説の生き物だ。
 私自身、そんな生物が現実に存在するなんて思っていなかった。
 そんなのに追いかけられたなんて言われても、にわかに信じがたい。

「おいおいラス、危ないことは無かったじゃろうな?」

「ボクを誰だと思ってるのさ。ブレスは何回か飛んできたけど、この通り無傷だよ」

「そうは言ってもラスはおっちょこちょいな所があるからのぅ。こないだだって、昼寝しすぎてうっかり――」

「あーそれはナシナシ、言わないでよー!」

 ラスは慌てて顔の前で手をぶんぶん振り、フレッドを止めた。
 フレッドは呆れたような顔をしながらコーヒーを啜っている。

 帰り道の揺れはドラゴンのブレスを避けてたから……?
 未だに理解が追いつかない。

「あ、あの……ドラゴンって、そもそも存在するんですか?」

「えぇ? そこら辺にいるよ、普通に。小型龍タイニードラゴンあたりなら番犬代わりに飼ってる魔法使いもそこそこいるんじゃないかなあ?」

 そもそも私の住む王国では、ドラゴンも魔法も、おとぎ話のような扱いだ。
 存在してると思っている人は、ほとんどいない。
 ラスは、暗黒龍ダークドラゴンはかなり珍しいんだけどね、などと語っているが、現実味がなさすぎて、全然頭に入ってこなかった。

 フレッドが、呆れ声でラスに突っ込みを入れつつ、私に話しかけてくれる。

「お嬢ちゃん、ラスの言った事を真に受けない方がいいぞ。ドラゴンをペット代わりにしてたのは百年以上も前の話じゃからな」

「え、今はしてないの?」

「今はそこら辺にはおらん」

「えー? ボクの家の近くには嵐龍ストームドラゴンがたくさんいるよ? なんなら数増えてるけど」

「地上で暮らせなくなったからじゃろう」

「ほぇー。キョーミないから気づかなかったよ」

 ラスはコーヒーを啜ると、熱かったのか苦かったのか、舌をちろりと出して、しかめっ面をしている。


「あの、ラスさんとフレッドさんって、一体……?」

 ドラゴンも恐ろしいが、それに対処できるラスも、やはり異常だ。
 そしてそのラスと対等に話しているフレッド……幼少期の私を知っているようだし、疑問は膨らんでいくばかり。

「やっぱそれ聞くぅ?」

「そりゃもっともな疑問じゃろ」

「えーとね、フレッドは人間だよ。前に助けてくれたから力貸してる」

「うむ、あの時は酷かった。寝ぼけて思いっきり――」

「わー、それも言わない、ナシナシ!」

 ラスはまた、顔の前で手をぶんぶん振っている。
 こういう仕草は普通に子供っぽい。

「あの、フレッドさんは、私と会った事があるのですか?」

「ああ、まだ赤ん坊の時にのう。ワシの娘がお嬢ちゃんの母君と親友でな。パステル嬢ちゃんが生まれた年に、娘にも丁度子供が生まれたから、家族ぐるみで仲良くしとったよ」

「そうだったんですか……」

「まあ、ワシはそれから疎遠になってしまったから、一度しか会っていないのじゃが。……ご両親のこと、残念だったのう」

「……はい。でも、私、あんまり本当の両親のことは覚えていませんし、今の父と母も優しくしてくれるので……大丈夫です」

「……そうか」

 フレッドは、哀しそうに微笑んでいる。
 だが、私は本当に覚えていないので、少し困惑してしまう。

 もし本物の両親が生きていたら、と考えたことも少なからずあるが、それは育ての両親に対して失礼なことだ。
 それに、数日前まで私は、平和で穏やかなロイド子爵家の生活に満足していたのだから。

「ともかく、また会えて良かったぞい。……本当に大きくなったなぁ、お嬢ちゃん」

「……!」

 フレッドは、とびきり優しい眼差しを向けて、大きな手で私の髪をわしゃわしゃと撫でた。
 私は驚いたが、不快ではなかった。

 フレッドの視線には憐憫も、不信も、嘲りもない。
 その代わりに、円熟した大らかな優しさがある。
 このような大きな人に、私は、会った事がなかった。

「フレッドさん……」


「……あー、しみじみしてるとこ悪いんだけどさ。ボク、もう飽きたから帰っていい?」

 ラスは腕を頭の後ろで組み、椅子を揺らして退屈そうにしていたが、ガタンと音を鳴らして立ち上がった。

「なんじゃ、相変わらず飽きっぽいのう」

「風は止まってらんないの。悪いけどパステル、帰りはセオに送ってもらってよ」

「え? は、はい」

 セオといい、ラスといい、突然現れて突然去っていくのが流行っているのだろうか。
 気持ちの整理とか聞きたいこととか、色々追いつかないから困る。

「あの、お帰りになる前に聞きたいのですけど……ラスさんって一体……?」

「ふふん、やっぱり聞くぅ? ま、いいか、教えてあげる」

 ラスは、もったいぶって大きな身振りで振り返ると、真剣な表情に変わった。

 猫のようなその吊り目をすうっと細め、唇は緩く弧を描く。
 その表情は、子供のような見目とはまるっきりかけ離れたものだった。

 ラスの妖艶とも言える大人びた表情に、私は自然と背筋が伸びる。


「――ボクは風の精霊、アエーラス。君のを預かってる」


「……え?」

「パステル、また会おう。きっと近いうちに、君の方からボクに会いに来る。セオと一緒にね」

「え……? それって、どういう……」

「じゃーねー!」

 そう言い残して、ラスはくるりと背を向け、颯爽とコテージを出て行った。
 扉の外が強い光に覆われて思わず目を閉じると、その次の瞬間にはラスの姿は消えていたのだった。
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