シャイな異形領主様に代わりまして、後家のわたくしが地代を徴収(とりたて)いたします。

見早

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2章 クリスタル族の虹色研究

30話 運命の男?【前編】

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「……メル、エメル……」

 あの呼び声は誰のものだろう。
 気まぐれに出てきては、無責任な啓示をしたり、命を助けてくれたりする時渡人わたしもりか。それとも――もう、これ以上は息がもたない。

「エメルレッテ!」

 違う。ここは水の中ではない――唇に温かい熱が灯っている。
 
「ゴホッ、ゴホッ……!」

 意識が回復するのと同時に、胸の中に溜まった水が勢いよく押し出された。冷たく軋む肺の中に、酸素が入り込んでくる。

「エメルレッテさん……よかった……」
「ドラグ、様?」

 いったい何が起こったのか分からないまま、濡れた腕に痛いほどの力で抱きしめられた。咳き込みながら顔を上げると、ドラグの濡れた頬が光っている。
 ここは洞窟の外、博士のテントの下らしい。

「溺れかけてたんだよ……本当に、良かった」

 額に添えられた、白く冷たい手も濡れている。

「ドラグ様が、助けてくださったのですか?」
「う、うん……一応」

 謙遜する彼の背後に、青くか弱い光を灯すクリスタルたちが並んでいた。パープル博士も一緒に、こちらを覗き込んでいる。

『はぁ……貴様の夫が泳げるドラゴンで命拾いしたな。始祖の間の床が一部破壊されたが、人命には代えられまい』
「博士……ご心配、おかけしました。それに皆さんも」

 全身が怠く冷たい。ドラグから離れたら、凍えてしまいそうなほどに。

「……大丈夫だよ。今緑のクリスタルの子が、麓の屋敷に行ってくれてる。もうすぐアレスターが着替えを持って来てくれるから」

 その言葉にも救われるが、今は何よりドラグの熱と離れたくない。ずぶ濡れの身体で、同じく濡れた温かい胸にくっついていると――なぜか顔を背けられた。
 こつしてそっぽを向かれることにも以前は慣れていたが、今されると胸が少し苦しくなる。

「ごめん、その……だって、キミ、全然息してなくて……」

 ドラグの言葉と、唇へ移った控えめな視線に、心臓がドッと急加速した。息を吹き返した時、唇に残っていたあの熱は――。

「まさか、そんな……」
「キミを助けるために仕方なく……許してほしい」

 これはアレだ。フィクションの世界ではお約束の展開だが、現実だととてつもなく気まずいアレ――人工呼吸。
 厳密には推しではないが、この世界シビュラの推しと言っても過言ではない彼と唇を重ねてしまった――人命救助とはいえ。

『領主代理は何を絶望しているのだ?』
「……嫌だった、のかな。やっぱり……」
 
 俯き離れて行こうとするドラグに、訂正の言葉をかけたいのだが。脳内が衝撃にやられたせいか声が出ない。
「イヤとかではなくて」――その言葉が出ずに放心していると。

「奥方殿! 大事ないか!?」

 久しぶりに聞くショタじじ吸血鬼の声に、冷えた身体が弾かれた。

「アレスター……」
「早よ着替えるのじゃ、ほれ。とりあえず毛布にくるまって、これでも飲め」

 珍しく焦った執事から差し出されたのは、湯気の立つホットミルクだった。

「じゃ、じゃあ僕はこれで……」
「あ……」
 
 ドラグはアレスターにこちらを任せ、博士たちと向こうへ行ってしまった。
 違う。「イヤ」ではなく、「ダメ」なだけだ。推しに邪な気持ちを抱くのがどうとか、触れるなんて大罪に値するとか、そんなことではない。
 この身体は「エメルレッテわたし」であって「匡花わたし」ではないのに――彼に触れられることで熱を帯びるこの気持ちが、紛れもなく「匡花わたし」のものであることが問題なのだ。

「おーおー、手が氷のように冷えて……ん、どうした?」

 私の正体を明かすなど、この世界の誰にもできるはずがない。最初にこの世界へ来た時、決意したことではないか――当分はエメルレッテとして振る舞うと。

「い、いえ……その、寒くて」

 アレスターが持って来てくれた温かい飲み物と毛布、そしてコートのおかげで、だいぶ震えは治まってきた。しかし博士と始祖の洞窟へ行ったきり、ドラグが戻ってくる様子はない。
 
『ちょっと失礼、領主代理さん。助けくれてありがとう』

 無機質な声に、重い頭を上げると。いつの間にか傍に立っていたのは、黒いクリスタル――本物のブラックだった。
 水の中では必死で分からなかったが、彼女のボディは傷だらけだ。

「いいえ、こちらこそ……無事でよかったです」
『あの偽物に閉じ込められてから、もう1年ほど経っているなんて驚きよ』

 やはり、現場監督として出世していたあのブラックは偽物。【スキル:擬態】でブラックに成り代わっていたのだ。

「ブラックさん。貴女を閉じ込めた偽物は、いったい何者だったのですか?」
『……分からないわ。彼女がはじめて洞窟にやってきた時のことは、今でも憶えているけれど』

 彼女――その擬態スキルをもつ何者かは、あの道具箱がある部屋で、突然ブラックに話しかけてきたという。

『結晶石をたくさん売ってくれないか……そう言われて』

 クリスタル族が掘り出し研磨した石は、彼らが少しずつ麓の町へ運び、雑貨屋などに卸している。しかし彼女は、それでも「全然足りない」と焦っていたという。

「直接買い付けに来た……ということですの?」

 大量の石を欲しがった彼女は、いったいどんな姿をしていたのか。訊ねると、ブラックは困ったように光を小さくした。
 
『たぶん、あなたたち人間と同じ姿をしていたわ。でも何だか後ろの岩が透けて見えてて……とにかく変な感じだったの』
「半透明の女性……ですか?」

 人間ではないことは確かだが、何族かは断定できない。しかし明らかになったことがある――。

「やはりブラック……いえ失礼。偽物が結晶石を盗んだと見て、間違いなさそうですわね」

 だが動機までは分からない。高値で取引される始祖の結晶を売るつもりなのか、それとも別の目的があるのか――『ボクの仕事は、ただ集めるだけ』――そう最後に語っていたが。

「とにかく、引き続き私たちも犯人の行方を追います。クリスタル族の皆さん、どうか力をお貸しください」

 すると本物のブラックをはじめ、色とりどりのクリスタルたちが頷いてくれた。

「ですが、いったいどこへ消えてしまったのでしょう」

 あの洞窟で、偽ブラックと対峙した時のことを思い返すと。突然濁流を召喚した彼女は、いつの間にかどこかへ消えてしまっていた。
 腕を組み思考に入っていると、「おお!」とアレスターが手を鳴らした。

「そういえば奥方殿。これがそこの崖っぷちに刺さっておったぞ」
「えっ……」
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