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8話
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グイベル家へやって来たリーバイの婚約者候補であるグレンダ。 中々、ローラの事を諦めず、家にも帰って来ないリーバイを心配したシュヴァルツ伯爵夫人が寄越した令嬢だ。
にこやかに微笑み、アンガスとローラに応援してほしいと願ってきたグレンダは、嵐を呼ぶ空気を醸し出していた。 アンガスは先が思いやられると、溜息を吐いた。
◇
応接間での話し合いも終わり、グレンダを2階の客室へアンガス自身が案内をした。 本宅と客室用の建物は渡り廊下で繋がっている。 本宅へ続く渡り廊下の前に2階へ上がる階段がある。
2階の客室は2部屋だ。 いつもはジェレミーやアダムぐらいしか使用しない。 グイベル領は観光地な事もあり、多くの貴族が別宅をグイベル領に持っている。
グイベル領はブリティニアにあって、異国情緒にあふれ、カウントリムの雰囲気を感じられる土地である為、田園風景も観光の1つになっているらしい。
「では、グレンダ嬢。 部屋へ案内致しましょう」
アンガスはソファから立ち上がり、応接間の扉へ向かった。 隣で座っていたローラと向かいで座っていたグレンダも同時に立ち上がった。
「まぁ、アンガス様自ら案内していただけますの? 光栄ですわ」
「ええ、グイベル侯爵からの指示の様ですので」
(執事もメイドも……誰も応対に来ないという事はそういう事でしょう……。 面倒だけど仕方ありません。 お客様ですしね)
ちらりと横を歩くローラを見ると、少しだけ不機嫌な視線とぶつかった。
(ん? ローラ……何か不機嫌? 先程はまぁまぁいい雰囲気だったのですが……)
アンガスとローラの2人の後をグレンダが面白そうに口元を緩めて着いて来ている事に2人は気づいていなかった。
階段を上がりながら、客室の2階のどちらの部屋を案内しようかと考えていると、客室から掃除道具を持ったメイドが部屋から出て来た。 グレンダには奥の部屋を使ってもらう様だ。
「丁度、掃除も終わったようですね。 どうぞ」
階段を上がって直ぐの木製両扉を掃除を終えたメイドが開ける。 アンガスを先頭に客室へグレンダとローラを通した。 ブリティニア調の内装にグレンダが小さく声を上げた。
「まぁ、素敵な部屋をご用意していただけなのですね。 ありがとうございます」
ローラも入った事がない客室なので、興味深そうに客室を見回していた。 アンガスはふと思う。
(今更ながら……ローラは何故、着て来たのでしょう。 当たり前の様に隣を歩いていたので、何も考えてませんでしたけど……)
案内した客室からは庭の庭園などは見えず、屋敷の前の街道を挟んで広がっている自然公園が見えるだけだが、グレンダは2人の侍女を連れているので、使用人の部屋がある客室を選んだ様だ。
もう1部屋は舞踏会が開かれるホールの敷地にある庭園やバラ園、本宅にある植樹した大木が見下ろせる。 いつもジェレミーが泊まる時に使用している部屋だ。 グレンダの侍女たちは既に荷物の整理の為、衣装部屋として仕切られている場所で持ってきた衣装箱を開けていた。
グレンダが客室を見回っている様子をアンガスとローラは扉の前で並んで立って眺めていた。
客室は広い1部屋で、L字型の形になっている。 3つのスペースを壁で仕切ってあるが、扉をつけていない為、ソファが置いてある寛ぎスペースから侍女たちの様子が見えている。 衣装部屋のスペースの奥にトイレとお風呂があり、グレンダは寛ぎスペースと食事を摂る為の2人用のテーブルセットを眺め、隣のベッドスペースを覗いた後、アンガスとローラに近づき、何か閃いた様に笑みを浮かべた。
「そうだわっ! アンガス様、明日、時間があれば街を案内していただけませんか?」
「……街の案内ですか?」
「ええ。 花街のお茶屋、美味しいと評判の饅頭も食べてみたいですわ」
「「……」」
「花街は……ちょっと。 直ぐに茶屋から饅頭を取り寄せるので、それで我慢してください」
「あら、残念」
笑顔で宣うグレンダにアンガスとローラは、頬を引き攣らせた。
グレンダと街の案内を約束した後、本日の定例のローラとのお茶会は、グレンダの訪問でお開きになってしまった。 ローラを馬車止めまで送り、何か言いたそうなローラを宥めて馬車へ乗せた。 ローラの馬車を見送り、アンガスは自室に戻ってからやっとの事で心を落ち着かせた。
テーブルに陶器が置かれる小さい音を鳴らし、アンガスは顔を上げた。
テーブルの上で淹れたての緑茶が湯気を上げていた。 一緒にいつもは食べないが、甘いフィナンシェの皿が並べられた。 さらに顔を上げると、にこやかに笑顔を浮かべる補佐官の顔があった。
「お疲れ様です。 どうぞ、温まりますよ」
緑茶のいい香りが居間に拡がり、温かい緑茶を一口飲むと、少しだけ気持ちが落ち着く。 甘い菓子もいつもより美味しく感じた。 フィナンシェを食んで思い出した。
「そうだ、直ぐにお茶屋から饅頭をグイベル邸へ持って来る様に文を出してくれ」
「承知いたしました。 いつものお茶屋でよろしいですか?」
「いや、花街の方だ。 グレンダ嬢がご所望だ。 それと……明日は、グレンダ嬢を街へ案内することになりました」
「……なるほど、そういう事ですか。 直ぐに文を出します」
「よろしくお願いします」
「では、若様はこちらの書類の処理をお願いします」
「……」
重い音を鳴らしてカウチの前に置かれているローテーブルに大量の書類が置かれ、湯呑の中の緑茶が跳ねる。 一緒にお茶請けとして置かれたフィナンシェと皿も一緒に跳ねた。
「……容赦ないですねっ」
「グレンダ嬢を街の案内へ連れ出すのでしたら、明日の分の仕事を半分以上は今夜中に終らせないと時間が取れませんので、では私は文を出す為、少しだけ離れます」
「……ええ、お願いします」
がっくりと項垂れたアンガスが仕事を終えたのは、深夜だった。
◇
出された晩餐を食べ終えたグレンダは、寛ぎスペースに設置されている丸い暖炉の前に置かれているソファに腰かけた。 ソファは半月状に湾曲していて、2人で座るには窮屈だが、1人で座るにはゆったり座れる大きさだ。 柔らかく、身体の沈み具合も良い。 グレンダの頬がホッと緩む。
ソファは2つ置かれ、テーブルの椅子も2つ。 ベッドはダブルベッドのサイズの少し大きいサイズだった。 2人用を想定している客室の様だ。
ソファのそばに置いてある小さい丸いコーヒーテーブルに紅茶カップがそっと置かれる。
寛ぎスペースの隣に使用人用の小部屋があり、簡単なキッチンが作られている。 連れて来た使用人たちが簡単な物を作れるように配慮されている。 入ってみて確かめてみたが、二段ベッドが置いてあり、クローゼットも置いてあった。
紅茶の香りが漂い、グレンダは侍女にお礼を言い、紅茶カップに手を伸ばした。
「ありがとう、美味しいわ」
「それは良かったです。 グイベル家から用意されていた茶葉ですわ」
「そう。 貴方たちの荷解きは終わったのかしら?」
「はい、既に終わっております」
「そう」
窓際のソファを選んで座ったグレンダは窓の外から見える街路樹や自然公園を眺め、瞳を細める。
食事時は夕日が綺麗に見えていたが、日は沈み、夜のとばりが降りようとしている。 明日はグイベルの街を案内してもらい、リーバイには何時、会いに行こうかと思考していた。
(リーバイ様とも街を歩きたいですけど……断られるでしょうねっ……)
リーバイの事を考えると、グレンダの表情に陰りが落ちた。 グレンダの様子にそばで控えていた侍女2人の表情も沈む。 幼い頃からグレンダの世話をしてくれてる侍女たちには、グレンダの考えている事は手に取るように分かる。 視線を見かわした侍女2人は、意を決したように頷いた。
「グレンダ様、何も他の方を想っている方を婚約者としなくてもいいのではないですか? 偽印を刻むのでしたら、私たちは想い合った者同士が刻む物だと思いますっ」
「そうですわっ、旦那様も無理にとは言いませんよっ」
「……」
侍女たちの声に振り返ったグレンダは、彼女たちが心配そうに自身を見ている事に気づいた。
平民出身の彼女たちには、偽印は想い合った者同士が刻む物だろう。 侍女たちがずっと心配してくれている事はグレンダも知っていた。 しかし、貴族として生まれた以上、グレンダには許されない。
「ありがとう。 でも、私の我がままで好き勝手は出来ませんわ。 それに、私はリーバイ様をお慕いしていますもの」
「グレンダ様っ」
「だからこそ、言っているんですっ」
侍女たちに眉尻を下げて笑みを浮かべる。 再び、窓の外を見たグレンダは決意を新たにした。
(リーバイ様も分かっていらっしゃるはずです。 何としてもリーバイ様の御心を射止めなくてはっ)
◇
予定よりも早くにグイベル邸を後にしたローラは、帰ってくるなり執事に応接間へ通された。 ローラに訪問者がいて、留守だと言ってもローラが帰ってくるまで待つと言い、一向に話を聞かないのだと言う。 執事は敢えて訪問者の名前を告げなかった。 誰かは見当がついている。
「……リーバイ」
応接間に入らなくても、ガラス扉とガラス窓が嵌められているので、中に誰が居るのか、丸見えだった。 深く溜息を吐いたローラの気持ちは会いたくないだった。
会えばきっと必然と花街の話になるし、花街でお茶して以来、リーバイと初めて会うのだ。
(どんな顔をして会えばいいのかしら……)
ガラス扉から見えるリーバイの横顔はものすごく沈んだ表情をしていた。 リーバイの暗い表情は見た事がある。 リーバイの母親に怒られ、落ち込んでいる時の顔だ。
(あの顔は、とても後悔している時の表情だわ)
思い悩んでいるのはリーバイの方で、ローラよりも深刻に悩んでいるかもしれないと思い、ローラが重いガラス扉を開けた。
ガラス扉が開かれ、暗い表情のリーバイが顔を上げ、ローラを見るとカウチから立ち上がった。
リーバイが小上がりを降りて近づいてくる前に真剣な表情で近づくと、リーバイは分かりやすく狼狽えた。 リーバイの様子を見るに本当に反省している様で、ローラは苦笑をこぼした。
俯いたリーバイが口を開く。
「ごめんっ、ローラ。 あの時も言ったけど、花街に連れて行ったのは本当に、不埒な気持ちはなかったんだっ」
「うん」
「……本当に純粋に美味しい饅頭を食べさせたかったんだっ」
「うん、分かった」
いとこという関係は、とてもずるいと思う。 幼い頃から知っているから、本当に後悔して反省している事を分かってしまうから。
(これ以上は怒れないじゃない……。 アンガス様には甘いって怒られるわね……きっと、たぶんだけど)
「もういいわ。 もう二度としないって誓ってね」
「う、うん。 誓うっ」
仕方ないなと笑顔を向けると、リーバイは綻ぶように微笑んだ。 世の令嬢方なら、胸が飛び跳ねるくらいの素敵笑顔だが、ローラの胸は少しも跳ねなかった。 リーバイの事はいとこ以上に思えず、家族として認識しているのだと改めて思ったのだった。
◇
翌朝、グイベル邸の馬車停めには、ブレイク家とシュヴァルツ家の馬車が停められていた。
客室の応接間には、4人の男女が腰かけていた。 にこやかに微笑むグレンダの隣に憮然とした表情のリーバイが並んで座り、向かいに勘弁してくれという感情を隠し切れないアンガスとローラが並んで座っていた。
瞳を細めてリーバイを見つめたアンガスを、リーバイは挑戦的な表情で見つめ返して来た。
(初っ端から修羅場ですか? 揉める未来しか見えませんね……)
何故、リーバイが居るかと言うと、ローラが昨日、ポロリと漏らした事で心配したリーバイが押しかけて来たのだ。 ローラは自身も誘われたのは定かではないが、アンガスとグレンダを2人っきりにさせたくなくて、衝動的に来てしまった様だ。
まさか、リーバイまでが押しかけ来ているとは知らなかったようで、リーバイを見るとものすごく驚いていた。
(同時に来た時はもしやと思いましたけど……示し合わせて来た訳でなくて良かったです)
「折角ですもの、皆さま、ご一緒に街巡りを致しましょう」
グレンダだけが笑顔で4人一緒に街探索を提案して来た。 隣で小さくなりながら、ローラは小声で謝罪する声が耳に届いた。
「……すみませんっ、呼ばれてもいないのに……来てしまって」
真っ赤になってバツが悪そうに俯くローラの横顔を見たアンガスは、自身の胸が番の刻印よりも早く反応をしてじんわりと歓喜が湧いてくるの感じた。
(ローラは心配して来てくれたんですね)
番の刻印が刻まれているローラの手をそっと握り、強く握りしめる。 お互いの刻印が反応をして、発熱を起こす。 自然と目元が緩み、優しい瞳でローラを見つめていた。
「いいえ、正直に言えば……とてもうれしいです」
顔を上げたローラと視線が合い、瞳を細める。 ローラの白から灰色へ変わるグラデーションの髪色が揺れ、肩から落ちる。 ローラの1つ1つの仕草がとても愛しいとアンガスは初めて思った。
にこやかに微笑み、アンガスとローラに応援してほしいと願ってきたグレンダは、嵐を呼ぶ空気を醸し出していた。 アンガスは先が思いやられると、溜息を吐いた。
◇
応接間での話し合いも終わり、グレンダを2階の客室へアンガス自身が案内をした。 本宅と客室用の建物は渡り廊下で繋がっている。 本宅へ続く渡り廊下の前に2階へ上がる階段がある。
2階の客室は2部屋だ。 いつもはジェレミーやアダムぐらいしか使用しない。 グイベル領は観光地な事もあり、多くの貴族が別宅をグイベル領に持っている。
グイベル領はブリティニアにあって、異国情緒にあふれ、カウントリムの雰囲気を感じられる土地である為、田園風景も観光の1つになっているらしい。
「では、グレンダ嬢。 部屋へ案内致しましょう」
アンガスはソファから立ち上がり、応接間の扉へ向かった。 隣で座っていたローラと向かいで座っていたグレンダも同時に立ち上がった。
「まぁ、アンガス様自ら案内していただけますの? 光栄ですわ」
「ええ、グイベル侯爵からの指示の様ですので」
(執事もメイドも……誰も応対に来ないという事はそういう事でしょう……。 面倒だけど仕方ありません。 お客様ですしね)
ちらりと横を歩くローラを見ると、少しだけ不機嫌な視線とぶつかった。
(ん? ローラ……何か不機嫌? 先程はまぁまぁいい雰囲気だったのですが……)
アンガスとローラの2人の後をグレンダが面白そうに口元を緩めて着いて来ている事に2人は気づいていなかった。
階段を上がりながら、客室の2階のどちらの部屋を案内しようかと考えていると、客室から掃除道具を持ったメイドが部屋から出て来た。 グレンダには奥の部屋を使ってもらう様だ。
「丁度、掃除も終わったようですね。 どうぞ」
階段を上がって直ぐの木製両扉を掃除を終えたメイドが開ける。 アンガスを先頭に客室へグレンダとローラを通した。 ブリティニア調の内装にグレンダが小さく声を上げた。
「まぁ、素敵な部屋をご用意していただけなのですね。 ありがとうございます」
ローラも入った事がない客室なので、興味深そうに客室を見回していた。 アンガスはふと思う。
(今更ながら……ローラは何故、着て来たのでしょう。 当たり前の様に隣を歩いていたので、何も考えてませんでしたけど……)
案内した客室からは庭の庭園などは見えず、屋敷の前の街道を挟んで広がっている自然公園が見えるだけだが、グレンダは2人の侍女を連れているので、使用人の部屋がある客室を選んだ様だ。
もう1部屋は舞踏会が開かれるホールの敷地にある庭園やバラ園、本宅にある植樹した大木が見下ろせる。 いつもジェレミーが泊まる時に使用している部屋だ。 グレンダの侍女たちは既に荷物の整理の為、衣装部屋として仕切られている場所で持ってきた衣装箱を開けていた。
グレンダが客室を見回っている様子をアンガスとローラは扉の前で並んで立って眺めていた。
客室は広い1部屋で、L字型の形になっている。 3つのスペースを壁で仕切ってあるが、扉をつけていない為、ソファが置いてある寛ぎスペースから侍女たちの様子が見えている。 衣装部屋のスペースの奥にトイレとお風呂があり、グレンダは寛ぎスペースと食事を摂る為の2人用のテーブルセットを眺め、隣のベッドスペースを覗いた後、アンガスとローラに近づき、何か閃いた様に笑みを浮かべた。
「そうだわっ! アンガス様、明日、時間があれば街を案内していただけませんか?」
「……街の案内ですか?」
「ええ。 花街のお茶屋、美味しいと評判の饅頭も食べてみたいですわ」
「「……」」
「花街は……ちょっと。 直ぐに茶屋から饅頭を取り寄せるので、それで我慢してください」
「あら、残念」
笑顔で宣うグレンダにアンガスとローラは、頬を引き攣らせた。
グレンダと街の案内を約束した後、本日の定例のローラとのお茶会は、グレンダの訪問でお開きになってしまった。 ローラを馬車止めまで送り、何か言いたそうなローラを宥めて馬車へ乗せた。 ローラの馬車を見送り、アンガスは自室に戻ってからやっとの事で心を落ち着かせた。
テーブルに陶器が置かれる小さい音を鳴らし、アンガスは顔を上げた。
テーブルの上で淹れたての緑茶が湯気を上げていた。 一緒にいつもは食べないが、甘いフィナンシェの皿が並べられた。 さらに顔を上げると、にこやかに笑顔を浮かべる補佐官の顔があった。
「お疲れ様です。 どうぞ、温まりますよ」
緑茶のいい香りが居間に拡がり、温かい緑茶を一口飲むと、少しだけ気持ちが落ち着く。 甘い菓子もいつもより美味しく感じた。 フィナンシェを食んで思い出した。
「そうだ、直ぐにお茶屋から饅頭をグイベル邸へ持って来る様に文を出してくれ」
「承知いたしました。 いつものお茶屋でよろしいですか?」
「いや、花街の方だ。 グレンダ嬢がご所望だ。 それと……明日は、グレンダ嬢を街へ案内することになりました」
「……なるほど、そういう事ですか。 直ぐに文を出します」
「よろしくお願いします」
「では、若様はこちらの書類の処理をお願いします」
「……」
重い音を鳴らしてカウチの前に置かれているローテーブルに大量の書類が置かれ、湯呑の中の緑茶が跳ねる。 一緒にお茶請けとして置かれたフィナンシェと皿も一緒に跳ねた。
「……容赦ないですねっ」
「グレンダ嬢を街の案内へ連れ出すのでしたら、明日の分の仕事を半分以上は今夜中に終らせないと時間が取れませんので、では私は文を出す為、少しだけ離れます」
「……ええ、お願いします」
がっくりと項垂れたアンガスが仕事を終えたのは、深夜だった。
◇
出された晩餐を食べ終えたグレンダは、寛ぎスペースに設置されている丸い暖炉の前に置かれているソファに腰かけた。 ソファは半月状に湾曲していて、2人で座るには窮屈だが、1人で座るにはゆったり座れる大きさだ。 柔らかく、身体の沈み具合も良い。 グレンダの頬がホッと緩む。
ソファは2つ置かれ、テーブルの椅子も2つ。 ベッドはダブルベッドのサイズの少し大きいサイズだった。 2人用を想定している客室の様だ。
ソファのそばに置いてある小さい丸いコーヒーテーブルに紅茶カップがそっと置かれる。
寛ぎスペースの隣に使用人用の小部屋があり、簡単なキッチンが作られている。 連れて来た使用人たちが簡単な物を作れるように配慮されている。 入ってみて確かめてみたが、二段ベッドが置いてあり、クローゼットも置いてあった。
紅茶の香りが漂い、グレンダは侍女にお礼を言い、紅茶カップに手を伸ばした。
「ありがとう、美味しいわ」
「それは良かったです。 グイベル家から用意されていた茶葉ですわ」
「そう。 貴方たちの荷解きは終わったのかしら?」
「はい、既に終わっております」
「そう」
窓際のソファを選んで座ったグレンダは窓の外から見える街路樹や自然公園を眺め、瞳を細める。
食事時は夕日が綺麗に見えていたが、日は沈み、夜のとばりが降りようとしている。 明日はグイベルの街を案内してもらい、リーバイには何時、会いに行こうかと思考していた。
(リーバイ様とも街を歩きたいですけど……断られるでしょうねっ……)
リーバイの事を考えると、グレンダの表情に陰りが落ちた。 グレンダの様子にそばで控えていた侍女2人の表情も沈む。 幼い頃からグレンダの世話をしてくれてる侍女たちには、グレンダの考えている事は手に取るように分かる。 視線を見かわした侍女2人は、意を決したように頷いた。
「グレンダ様、何も他の方を想っている方を婚約者としなくてもいいのではないですか? 偽印を刻むのでしたら、私たちは想い合った者同士が刻む物だと思いますっ」
「そうですわっ、旦那様も無理にとは言いませんよっ」
「……」
侍女たちの声に振り返ったグレンダは、彼女たちが心配そうに自身を見ている事に気づいた。
平民出身の彼女たちには、偽印は想い合った者同士が刻む物だろう。 侍女たちがずっと心配してくれている事はグレンダも知っていた。 しかし、貴族として生まれた以上、グレンダには許されない。
「ありがとう。 でも、私の我がままで好き勝手は出来ませんわ。 それに、私はリーバイ様をお慕いしていますもの」
「グレンダ様っ」
「だからこそ、言っているんですっ」
侍女たちに眉尻を下げて笑みを浮かべる。 再び、窓の外を見たグレンダは決意を新たにした。
(リーバイ様も分かっていらっしゃるはずです。 何としてもリーバイ様の御心を射止めなくてはっ)
◇
予定よりも早くにグイベル邸を後にしたローラは、帰ってくるなり執事に応接間へ通された。 ローラに訪問者がいて、留守だと言ってもローラが帰ってくるまで待つと言い、一向に話を聞かないのだと言う。 執事は敢えて訪問者の名前を告げなかった。 誰かは見当がついている。
「……リーバイ」
応接間に入らなくても、ガラス扉とガラス窓が嵌められているので、中に誰が居るのか、丸見えだった。 深く溜息を吐いたローラの気持ちは会いたくないだった。
会えばきっと必然と花街の話になるし、花街でお茶して以来、リーバイと初めて会うのだ。
(どんな顔をして会えばいいのかしら……)
ガラス扉から見えるリーバイの横顔はものすごく沈んだ表情をしていた。 リーバイの暗い表情は見た事がある。 リーバイの母親に怒られ、落ち込んでいる時の顔だ。
(あの顔は、とても後悔している時の表情だわ)
思い悩んでいるのはリーバイの方で、ローラよりも深刻に悩んでいるかもしれないと思い、ローラが重いガラス扉を開けた。
ガラス扉が開かれ、暗い表情のリーバイが顔を上げ、ローラを見るとカウチから立ち上がった。
リーバイが小上がりを降りて近づいてくる前に真剣な表情で近づくと、リーバイは分かりやすく狼狽えた。 リーバイの様子を見るに本当に反省している様で、ローラは苦笑をこぼした。
俯いたリーバイが口を開く。
「ごめんっ、ローラ。 あの時も言ったけど、花街に連れて行ったのは本当に、不埒な気持ちはなかったんだっ」
「うん」
「……本当に純粋に美味しい饅頭を食べさせたかったんだっ」
「うん、分かった」
いとこという関係は、とてもずるいと思う。 幼い頃から知っているから、本当に後悔して反省している事を分かってしまうから。
(これ以上は怒れないじゃない……。 アンガス様には甘いって怒られるわね……きっと、たぶんだけど)
「もういいわ。 もう二度としないって誓ってね」
「う、うん。 誓うっ」
仕方ないなと笑顔を向けると、リーバイは綻ぶように微笑んだ。 世の令嬢方なら、胸が飛び跳ねるくらいの素敵笑顔だが、ローラの胸は少しも跳ねなかった。 リーバイの事はいとこ以上に思えず、家族として認識しているのだと改めて思ったのだった。
◇
翌朝、グイベル邸の馬車停めには、ブレイク家とシュヴァルツ家の馬車が停められていた。
客室の応接間には、4人の男女が腰かけていた。 にこやかに微笑むグレンダの隣に憮然とした表情のリーバイが並んで座り、向かいに勘弁してくれという感情を隠し切れないアンガスとローラが並んで座っていた。
瞳を細めてリーバイを見つめたアンガスを、リーバイは挑戦的な表情で見つめ返して来た。
(初っ端から修羅場ですか? 揉める未来しか見えませんね……)
何故、リーバイが居るかと言うと、ローラが昨日、ポロリと漏らした事で心配したリーバイが押しかけて来たのだ。 ローラは自身も誘われたのは定かではないが、アンガスとグレンダを2人っきりにさせたくなくて、衝動的に来てしまった様だ。
まさか、リーバイまでが押しかけ来ているとは知らなかったようで、リーバイを見るとものすごく驚いていた。
(同時に来た時はもしやと思いましたけど……示し合わせて来た訳でなくて良かったです)
「折角ですもの、皆さま、ご一緒に街巡りを致しましょう」
グレンダだけが笑顔で4人一緒に街探索を提案して来た。 隣で小さくなりながら、ローラは小声で謝罪する声が耳に届いた。
「……すみませんっ、呼ばれてもいないのに……来てしまって」
真っ赤になってバツが悪そうに俯くローラの横顔を見たアンガスは、自身の胸が番の刻印よりも早く反応をしてじんわりと歓喜が湧いてくるの感じた。
(ローラは心配して来てくれたんですね)
番の刻印が刻まれているローラの手をそっと握り、強く握りしめる。 お互いの刻印が反応をして、発熱を起こす。 自然と目元が緩み、優しい瞳でローラを見つめていた。
「いいえ、正直に言えば……とてもうれしいです」
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レミ・マカリスター侯爵夫人は、夫と政略結婚をして十年目。侯爵夫人として、義父母の介護や領地経営その他もろもろを完ぺきにこなしている。そんなある日、王都に住む夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。義弟を通じ、夫を追求するも夫は「送り間違えた。ほんとうは金を送れというメモを送りたかった」という。レミは、心から思った。「それはそれで問題なのでは?」、と。そして、彼女の夫にたいするざまぁがはじまる。
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
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