元禄大正怪盗伝

山岸マロニィ

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Ⅰ.トーキョー・ファントムシーフ

(21)礼拝堂ノ秘密

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 書斎を辞した後、トウヤは一人で礼拝堂に向かった。
 祭壇の前に立ち、聖母マリアの像を見上げながら、この像の持つ本当の意味に身震いする。

 あの後、ノノミヤ公爵はこう続けた。
「礼拝堂を見ただろう」
「はい、探偵選考試験の説明で」
「実は、あれはキリスト教の教会ではない」
「……というと?」

 ――このマリア像は、ヒカルコには彼女の母と伝えてあるが、実際は彼女の曾祖母、オージオの妻に似せたもの。

 そして、正面の薔薇窓。
 中央に描かれた十字架は、イエス・キリストを示すものではなく、全ての罪を背負って断罪された、勇者オージオを現したもの。

 ――つまり、この礼拝堂自体が、ノノミヤ公爵のイザナヒコに対する逆心の決意なのだ。

 そして、のための準備もここで進めているらしい。
「まだその時ではないのだがな」
 と、公爵は言っていた。
 どうやら、イザナヒコの周囲の人物を味方に付ける計画を進めているようだ。タジミ公爵の件もその一環なのだろう。慎重を期すため、多大な時間と財力が必要なのだ。


 ……なぜ彼が、ここまでオージオに心酔するようになったのか。
 それは、彼がまだ幼い頃に遡る。

 当時、ノノミヤ家には非魔人ミソギの奴隷がいた。
 幼い公爵は、その状況が当たり前と信じて疑わず、彼らに対し横柄な態度で接していた。

 そんなある時。
 彼らが集まって何やら話しているところを見て、公爵は覗きに行った。
 そして彼らが、勇者オージオの英雄伝を彼らの子供たちに語り継いでいるところを見て、その教材として使われていた本を取り上げた。

 それを持って公爵が父に報告すると、奴隷たちは全員殺された。

 公爵は、自分のした行いが怖くなった。
 そして、なぜ彼らが殺されなければねらなかったのか、考えるようになった。

 実は、父に見せたのは取り上げた本のほんの一部で、何冊かは自分の部屋に隠し持っていた。
 手描きで作られた粗末な冊子。
 簡単な言葉しか使われず、絵で内容が伝わるようになった絵本だ。学業とは縁遠い彼らの知恵で作られたそれを読んで、公爵は衝撃を受けた。

 非魔人も、彼と同じ人間であったからだ。

 同じ人間なのに、人間として扱われないのはおかしい。
 人間として生きるために、自分は人間であると訴えよう。

 ただそれだけの事が書かれた本。
 けれどそれは、存在してはいけないものなのだ。

 強く世界の歪みを認識した公爵は、だが同時に、自分の無力さも噛み締めていた。
 魔人マヒトとして、公爵という爵位の中で生きなければならない呪い。
 爵位を捨てれば、家族、使用人、彼に関わる全ての人が路頭に迷う事になる。

 だから、勇者オージオへの思いを燻らせたまま、ここまで生きてきたのだ。
 しかし、帰国した娘の様子を見て決意した。
 娘の本当の幸せを叶えるには、どうすればいいのかと……。


「罪滅ぼしなのだ、私なりのね。正しい考えを持った人々を死に追いやり、妻すらもすくえなかった。それに……」
 ノノミヤ公爵はこう付け加える。
「子供の頃に受けた衝撃というのは一生ものでね。多くの子供が牛若丸や真田十勇士に憧れるように、私はオージオに、ヒーローとして憧れてしまったのだよ」

 ……ヒーロー……憧れ……
 その言葉は、何よりもトウヤに説得力を持たせた。
 いつも彼の心の中には、師匠でありヒーローである、怪盗十九号が存在するのだから。

 マリア像を見上げる。
 身ごもった腹部を愛おしく撫でる姿は、母の象徴。
 ――そして、英雄の血を後世に引き継ぐ決意。

 あまりの展開に目眩がする思いだ。
 たかが怪盗。ヒノモトの未来というお宝はあまりにも重すぎる。
 いっそ……

「このまま逃げてもいいのよ」
 突然声がして、トウヤは振り返った。
 すると礼拝堂の入口にヒカルコがもたれていた。
「父に聞いたわ。ごめんなさいね、妙な事に巻き込んでしまって。こんな重い話を聞かされても困るわよね」
 柔らかな日差しの礼拝堂に彼女の声が響く。
「探偵だなんて言い訳で叛逆に巻き込もうとするとか、普通じゃないわ。それだけ、何としても怪盗ジュークを見付けたかったの」

「どうして、その役割に俺を?」
 トウヤが振り返ると、ヒカルコは、
「それは……」
 と顔を伏せた。
「ミソギの方の方が、協力を得やすいと思ったし、それに……」

 ヒカルコは首を横に振る。
「でも、もういいの。やっぱり、あなたを巻き込むのは間違ってる。記憶消去の魔法だけ掛けさせてもらうから。全部忘れて、私の事も――それがいいのよ」

 ヒカルコはそう言うと、手にした手杖の先を伸ばした。
「魔法なんて使うの、何年ぶりかしら。力加減を間違えたらごめんなさい」
 と、彼女はトウヤに杖を向ける。
「蘇生魔法しか使えないんじゃないのか?」
「私が使えないのは、潜在魔力が魔法の強度に影響するもの。イチかゼロかの結果しかない魔法は、潜在魔力に関係ないから……使い道がなさすぎて忘れてたわ」

 そんな彼女の視線の中を、トウヤはゆっくりと進む。
 そしてヒカルコの目の前に立つと、杖の先端を指で押して収納した。
「全然分かってねえな」

 そうしてトウヤはマリア像を振り返る。
「秘めた野望を抱え込んで生きてきた公爵と、図らずも同じ夢を持ってしまったご令嬢……見てられねえよ、危なっかしくって」
「えっ……」
「捨てるモンが多すぎんだよ。万一、この話が外に漏れたらどうする? ワカバヤシ執事もタマヨさんも、君に関わる人みんなが、どうなるか分かってんのか?」
「…………」
「そういう時はな、一人近くに置いておくモンなんだよ――部外者を」

 そう言って、トウヤは振り向く。
「いつでも責任を丸投げして縁を切れる立場の奴を側に置く。そのための俺じゃねえのか? ……魔法くらいで忘れられるくらいなら、もうとっくにここにはいねえよ」
 彼を見上げるヒカルコの横の壁に手を置く。そして、黒ダイヤの瞳を覗き込んだた。
「俺は執念深いタチでね、約束はずっと覚えてるからな」
「……あ、あの……」
「俺にプロポーズさせるんじゃなかったのか? ……公爵様にも頼まれたしな、しばらく君の側にいる事にする。君が言い出した事だ。諦めな」

 するとヒカルコはヘナヘナと座り込んだ。両手で顔を隠してジタバタと頭を振る。
「……そ、そういうの、予告なしで言わないで……無理……ホント無理……ッ!」

 その途端。
 礼拝堂に足音が駆け込む。

「お嬢様! 何かございましたか!」
 タマヨである。
 彼女はその大きな体でヒカルコの肩を抱えると、キッとトウヤを睨んだ。

「――お嬢様に何を言ったんですか?」

 低くドスの効いた声に、トウヤは慌てた……また投げ飛ばされたらたまらない。
「べ、別に、何も……」
「そ、そうよ、タマヨ。何も言われてないから……ッ!」
「そ、それならよろしいのですが……」

 と、タマヨは未だ顔を伏せるヒカルコを離れ、トウヤに歩み寄る。
 そして耳元で囁いた。

「お嬢様を悲しませたら、私が許しませんから」

 ◇

 その夜から、トウヤはノノミヤ公爵邸の住人となった。
 とはいえ、客人としての扱いではない。使用人である。とりあえず、雇われ探偵としての身分を与えられたのだ。

 一階の端にある、使用人部屋が集まる区画。
 その中でも、主任執事に次ぐ広さの部屋だから、なかなかの厚遇と言える。

 飾り気はないが、十分に整った調度品。
 寝心地の良いベッドに、机と椅子。鍵付きの棚もある。
 本棚には、ヒカルコが気を回したのか、ヒノモトの歴史書や魔法についての本が並んでいる。
 そして何より、壁に造り付けられたクローゼットの天井の一部が開き、一階と二階の隙間に入れるようになっている。怪盗道具の隠し場所や逃走経路に最適だ。

「……フゥ、今日は今日とて疲れたな」
 ベッドに身を投げ、目を閉じた途端に猛烈な睡魔に襲われる……そういえば、一昨日からまともに寝ていない。
 だが、腹の上にポンと落ちてきたリュウがそれを遮った。
「腹が減ったでアリマス」
 屋敷の壁にでも擬態して、一部始終を見ていたのだろう。ようやく光学迷彩を解いたリュウは、ペタペタと前足で存在をアピールする。

 と、トウヤはその尻尾をつまみ上げた。
「やってくれたよなぁ、リュウ」
「……な、なんの話でアリマスか……」
「内蔵の原子時計がズレたとは言わせねえぜ」
 リュウは短い手足をジタバタさせながら金切り声を上げる。
「け、結果良ければオールオッケーでアリマス! ワガハイはドブネズミに噛まれなくて済むし、トウヤはフカフカのベッドで寝られるでアリマス!」

 ――否定できないのが余計に腹立たしい。
 トウヤはリュウを傍らに下ろし、棚に金平糖を取りに行く……これを得るために、「無類の金平糖好き」という意味の分からない設定まで増えてしまった。

 机に数粒転がしてやると、リュウは一気に頬張った。彼も疲れていたのだろう。

 トウヤも一粒口に入れ、再びベッドに仰向けになり天井を見上げた。
 舌の上で砂糖の塊を転がすと、甘さが口いっぱいに広がり疲労感を和らげる。

 ……果たしてコノエ公爵の言葉は、そのまま信じて良いのだろうか?

 怪盗稼業を続けていると、人を信じる事が難しくなる。特にあの公爵のように、策略に長けた人物ほど信用できない。
 何か事が起こる前に、文殊の白毫を盗み出してズラかる、というのもひとつの方法だ。
 だが……。

 すると、リュウが枕元にやってきた。
「トウヤは、ヒカルコお嬢様を好きでアリマスか?」

 一瞬、トウヤは言葉に詰まる。
 昨日から抱えていたモヤモヤの正体を、言い当てられた気がしたのだ。

「……あ、アレは、アレだよ。この屋敷にしばらくいる事になるんだから、理由付けとして、そういう立場の方がだな……あくまで、俺がこの屋敷にいる理由は、怪盗の仕事がしやすくなるからで……」

 だがすぐに、トウヤは言葉を切り、枕に顔を伏せた。
「俺は怪盗なんだよ。絶対に手に入らないものは、求めちゃならないんだ」


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