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Ⅰ.トーキョー・ファントムシーフ
(19)対談
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午後になると、トウヤはヒカルコに連れられて一階の書斎に向かった。彼女の父であるノノミヤ公爵に挨拶するためだ。
公爵邸とはいえ、豪邸を見慣れたトウヤからするとこの屋敷は質素に思えた。
必要最小限の礼儀をわきまえつつ、過度な装飾を排しながらも素材を厳選した最上級の機能美。そんな印象だ。
――その屋敷の主もまた、屋敷の雰囲気に違わない気品を漂わせる紳士だった。
整えられた口ひげに少し白髪が混じっているところを見ると、歳は四十くらいか。
色物のシャツにウールのジャケット。襟元から覗かせたスカーフがヒカルコのワンピースと同じ柄だ。愛娘の英国土産なのだろう。
そんな彼が、
「これはこれは。娘のワガママに付き合ってくださり恐縮です」
と、扉まで迎えに出て握手を求めるから、トウヤの方が恐縮した。
「エンドー・トウヤと申します。お目通りをお許しいただき光栄です」
と、精一杯丁寧に握手を返す。
四方を本棚に囲まれた部屋。
その中央に向き合うソファーに導かれ、トウヤはヒカルコと並んで腰を下ろした。
目の前のテーブルに、主任執事のワカバヤシがティーカップとミルクを並べる。
焼きたてのスコーンを勧められるが、先程のフィッシュ&チッブスが胃に残っているため遠慮した。
「お父様……」
と、切り出したのはヒカルコだ。
「私、彼を探偵として雇いたいの」
「本気なのか、怪盗とやらを捕まえるというのは」
ノノミヤ公爵は、たっぷりとミルクを注いだティーカップに軽く口を付けてから、向き合う二人に紅茶を勧める。
軽く会釈して、トウヤはカップを手に取る。しかし、ヒカルコは不満げに膝に手を置いていた。
「私が本気でない事がこれまでにあって?」
「おまえが言い出すと聞かない性分なのは、私が一番よく知っている。しかし、おまえ一人ならともかく、彼を巻き込むとなると話は別だ」
と、公爵はトウヤに目を向ける。
「君は、娘の本心を知っているのかな?」
「――はい」
トウヤは答える。
「法律が善悪を定める平等な社会……素晴らしい考えだと思います」
これは正直な意見だ。
運営する側が真っ当な価値観を持っていれば、これほど良い世の中はないだろう。
だが、その考えを見透かしたように、ノノミヤ公爵はこう言った。
「そのデメリットも、考えた事があるかね?」
トウヤはギクッとした。
二十二世紀の状況を……法律を作る側の人間だけが利権を得られる、偏った法律に縛られた未来を、予見しているというのか。
トウヤが言い淀んでいると、公爵は静かにティーカップをソーサーに戻した。
「ヒカルコ、悪いが彼と二人で話したい。少し席を外してもらえないか?」
◇
二人きりになった書斎で、トウヤは姿勢を正す。
ノノミヤ公爵は再びティーカップに口を付けてから、膝に手を置いた。
「まず、君に謝罪せねばならない。昨日、私は君を密偵に尾行させた。それは、ヒカルコの意図するところではない。言い訳がましいが、これでも内務大臣として敵が少なくないのだ。万一を考えての確認とはいえ申し訳なかった……この通り」
と、頭を下げるものだから、トウヤは冷や汗をかく。
「そんな……! こちらこそ、危ないところを助けていただいたのですから」
すると、ノノミヤ公爵は顔を上げ、穏やかな表情で彼を見た。
「その件なのだが……」
――やはり来たか、とトウヤは息を呑む。
百戦錬磨のこの紳士に対し、誤魔化し切る事は可能だろうか?
緊張を隠せないトウヤに対し、ノノミヤ公爵は静かに口を動かす。
「君を襲った連中なのだがね、こちらで身柄を確保しているのだ。タジミ公爵家の衛兵の服装をしていたから、念の為にタジミ公爵に確認をしたのだが……うちの娘の婚約者を襲った不届き者は、貴殿の名を騙った偽物なのかと」
トウヤは目を丸くする。
タジミ公爵といえば、先日『雷神の牙』を盗まれたばかり。その失態により立場を悪くしていると、ホテルでチラッと目にした新聞に書き立てられていた。
――つまりノノミヤ公爵は、その微妙な立場を突いてタジミ公爵をうまく丸め込みつつ、自身の立場を優位に立たせようとしたのだ。
まさに百戦錬磨の交渉術だ。
だが、ノノミヤ公爵はそんな策謀を微塵も見せない穏やかさで続ける。
「勝手に婚約者などと言ったのは申し訳ない。その方が説明が早いと思ってね」
「あ……いえ……」
「するとタジミ公爵も、その通りだから処遇はこちらに任せると言われてだね」
これ以上立場を悪くしたくないから、知らぬ存ぜぬと切り捨てたのだ。
……とはいえ、あの衛兵長はトウヤを『怪盗ジューク』だと判別する証拠を掴んでいる。それを明かされたら最後だ……。
ノノミヤ公爵はどう出るかと、トウヤは冷や汗が止まらない。不自然に見えないよう、チーフで額を拭うのが精一杯だ。
しかしノノミヤ公爵は、そんな彼の様子を気にするでもなく、スコーンを半分に割って頬張った。
「こちらに任せると言われても、困ってしまってね。身元も分からない者をどうしようかと。そこで、被害者である君に確認したいのだが……」
スコーンをゴクンと飲み込み、公爵は言った。
「君は、あの者たちの素性を知らないのかね?」
トウヤの背筋が冷える。
迂闊な返答をすれば、「俺が怪盗ジュークだ」と名乗るようなものだ。
一瞬目を閉じ、呼吸に集中する。
――あの衛兵長がノノミヤ公爵の手に落ちた以上、彼の罪を追求する事は避けなければならない。尋問でもされれば、トウヤの正体は一発だ。
ここは穏便に乗り切るしかない。あの衛兵長が俺を襲った合理的な理由を提示しつつ、衛兵長に俺を「怪盗ジュークだ」と言わせないよう圧力を掛ける、もしくは恩を売る必要がある。
それには……。
だが一瞬後には、トウヤは顔を上げた。
そしてバツの悪そうな顔でこう答えた。
「実は、彼は私の古くからの友人でして……ここだけの話、彼、ヒカルコお嬢様に片想いをしているのです」
「おやおや……」
「それで、誰からか私が最終選考に残った事を聞き出して、ヤキモチを焼いて殴り込みに……いや、まさかタジミ公爵家の衛兵服まで揃えて、帝都ホテルに押し掛けてくるとは思いませんでした。まぁ、そうでもしなければ入れるような場所ではありませんが」
ノノミヤ公爵は朗らかな笑い声を上げた。
「それはそれは、君も災難だったね」
「彼も冗談のつもりだったのです。それが、だんだんエスカレートしてしまい……。あのような大騒ぎになってしまったので、彼の名誉のために真相を隠さなければならないと考え、つい逃げ出してしまいました。私こそ、大変なご迷惑を掛け、申し訳ございませんでした」
トウヤは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「そのような事情ですので、なにとぞ彼には、寛大なご処置を」
ノノミヤ公爵は目尻に皺を寄せ目を細める。
「事情は分かりました。どうか、頭をお上げください」
そう言ってから、パンパンと手を打つ。
するとすぐさま、ワカバヤシ主任執事が入ってきた。
ノノミヤ公爵は、横に控える老執事に軽く目を向ける。
「実は、彼はひとつ、やってはいけないミスを犯してしまったのだ。屋敷を尋ねてきた君の友人に聞かれるままに、『紫色の瞳の痩せた男』が探偵選考試験に参加している事を伝えてしまってね。まさか、タジミ公爵家の名を騙っているとは夢にも思わずに」
「私の失敗がなければ、あなた様が大変な思いをされる事もなかったと思うと、心苦しいばかりでございます。この通り、深くお詫び申し上げます」
――あっぶねー!
トウヤは心の中で叫んだ。
ワカバヤシ執事という伏兵が潜んでいたとは。彼の目の色を見咎めたのは、ヒカルコだけではなかったのだ。
たまたま話の辻褄が合ったから良かったものの、そうでなければ……。
この老執事も侮れない!
動揺を誤魔化すように、トウヤは紅茶を一気に飲み干す。
そしてワカバヤシ執事にカップを差し出した。
「どうかお気になさらず。私と彼の仲ですから。それより、この紅茶は絶品ですね。是非おかわりをお願いしたいです」
書斎を退出する燕尾服の背を見送りながら、トウヤは思った。
とりあえずの危機は脱したと思っていいだろう。
しかし、彼の正体を知るあの男は、彼にとって最も危険な存在となるだろう――この先、どうあしらうか。
公爵邸とはいえ、豪邸を見慣れたトウヤからするとこの屋敷は質素に思えた。
必要最小限の礼儀をわきまえつつ、過度な装飾を排しながらも素材を厳選した最上級の機能美。そんな印象だ。
――その屋敷の主もまた、屋敷の雰囲気に違わない気品を漂わせる紳士だった。
整えられた口ひげに少し白髪が混じっているところを見ると、歳は四十くらいか。
色物のシャツにウールのジャケット。襟元から覗かせたスカーフがヒカルコのワンピースと同じ柄だ。愛娘の英国土産なのだろう。
そんな彼が、
「これはこれは。娘のワガママに付き合ってくださり恐縮です」
と、扉まで迎えに出て握手を求めるから、トウヤの方が恐縮した。
「エンドー・トウヤと申します。お目通りをお許しいただき光栄です」
と、精一杯丁寧に握手を返す。
四方を本棚に囲まれた部屋。
その中央に向き合うソファーに導かれ、トウヤはヒカルコと並んで腰を下ろした。
目の前のテーブルに、主任執事のワカバヤシがティーカップとミルクを並べる。
焼きたてのスコーンを勧められるが、先程のフィッシュ&チッブスが胃に残っているため遠慮した。
「お父様……」
と、切り出したのはヒカルコだ。
「私、彼を探偵として雇いたいの」
「本気なのか、怪盗とやらを捕まえるというのは」
ノノミヤ公爵は、たっぷりとミルクを注いだティーカップに軽く口を付けてから、向き合う二人に紅茶を勧める。
軽く会釈して、トウヤはカップを手に取る。しかし、ヒカルコは不満げに膝に手を置いていた。
「私が本気でない事がこれまでにあって?」
「おまえが言い出すと聞かない性分なのは、私が一番よく知っている。しかし、おまえ一人ならともかく、彼を巻き込むとなると話は別だ」
と、公爵はトウヤに目を向ける。
「君は、娘の本心を知っているのかな?」
「――はい」
トウヤは答える。
「法律が善悪を定める平等な社会……素晴らしい考えだと思います」
これは正直な意見だ。
運営する側が真っ当な価値観を持っていれば、これほど良い世の中はないだろう。
だが、その考えを見透かしたように、ノノミヤ公爵はこう言った。
「そのデメリットも、考えた事があるかね?」
トウヤはギクッとした。
二十二世紀の状況を……法律を作る側の人間だけが利権を得られる、偏った法律に縛られた未来を、予見しているというのか。
トウヤが言い淀んでいると、公爵は静かにティーカップをソーサーに戻した。
「ヒカルコ、悪いが彼と二人で話したい。少し席を外してもらえないか?」
◇
二人きりになった書斎で、トウヤは姿勢を正す。
ノノミヤ公爵は再びティーカップに口を付けてから、膝に手を置いた。
「まず、君に謝罪せねばならない。昨日、私は君を密偵に尾行させた。それは、ヒカルコの意図するところではない。言い訳がましいが、これでも内務大臣として敵が少なくないのだ。万一を考えての確認とはいえ申し訳なかった……この通り」
と、頭を下げるものだから、トウヤは冷や汗をかく。
「そんな……! こちらこそ、危ないところを助けていただいたのですから」
すると、ノノミヤ公爵は顔を上げ、穏やかな表情で彼を見た。
「その件なのだが……」
――やはり来たか、とトウヤは息を呑む。
百戦錬磨のこの紳士に対し、誤魔化し切る事は可能だろうか?
緊張を隠せないトウヤに対し、ノノミヤ公爵は静かに口を動かす。
「君を襲った連中なのだがね、こちらで身柄を確保しているのだ。タジミ公爵家の衛兵の服装をしていたから、念の為にタジミ公爵に確認をしたのだが……うちの娘の婚約者を襲った不届き者は、貴殿の名を騙った偽物なのかと」
トウヤは目を丸くする。
タジミ公爵といえば、先日『雷神の牙』を盗まれたばかり。その失態により立場を悪くしていると、ホテルでチラッと目にした新聞に書き立てられていた。
――つまりノノミヤ公爵は、その微妙な立場を突いてタジミ公爵をうまく丸め込みつつ、自身の立場を優位に立たせようとしたのだ。
まさに百戦錬磨の交渉術だ。
だが、ノノミヤ公爵はそんな策謀を微塵も見せない穏やかさで続ける。
「勝手に婚約者などと言ったのは申し訳ない。その方が説明が早いと思ってね」
「あ……いえ……」
「するとタジミ公爵も、その通りだから処遇はこちらに任せると言われてだね」
これ以上立場を悪くしたくないから、知らぬ存ぜぬと切り捨てたのだ。
……とはいえ、あの衛兵長はトウヤを『怪盗ジューク』だと判別する証拠を掴んでいる。それを明かされたら最後だ……。
ノノミヤ公爵はどう出るかと、トウヤは冷や汗が止まらない。不自然に見えないよう、チーフで額を拭うのが精一杯だ。
しかしノノミヤ公爵は、そんな彼の様子を気にするでもなく、スコーンを半分に割って頬張った。
「こちらに任せると言われても、困ってしまってね。身元も分からない者をどうしようかと。そこで、被害者である君に確認したいのだが……」
スコーンをゴクンと飲み込み、公爵は言った。
「君は、あの者たちの素性を知らないのかね?」
トウヤの背筋が冷える。
迂闊な返答をすれば、「俺が怪盗ジュークだ」と名乗るようなものだ。
一瞬目を閉じ、呼吸に集中する。
――あの衛兵長がノノミヤ公爵の手に落ちた以上、彼の罪を追求する事は避けなければならない。尋問でもされれば、トウヤの正体は一発だ。
ここは穏便に乗り切るしかない。あの衛兵長が俺を襲った合理的な理由を提示しつつ、衛兵長に俺を「怪盗ジュークだ」と言わせないよう圧力を掛ける、もしくは恩を売る必要がある。
それには……。
だが一瞬後には、トウヤは顔を上げた。
そしてバツの悪そうな顔でこう答えた。
「実は、彼は私の古くからの友人でして……ここだけの話、彼、ヒカルコお嬢様に片想いをしているのです」
「おやおや……」
「それで、誰からか私が最終選考に残った事を聞き出して、ヤキモチを焼いて殴り込みに……いや、まさかタジミ公爵家の衛兵服まで揃えて、帝都ホテルに押し掛けてくるとは思いませんでした。まぁ、そうでもしなければ入れるような場所ではありませんが」
ノノミヤ公爵は朗らかな笑い声を上げた。
「それはそれは、君も災難だったね」
「彼も冗談のつもりだったのです。それが、だんだんエスカレートしてしまい……。あのような大騒ぎになってしまったので、彼の名誉のために真相を隠さなければならないと考え、つい逃げ出してしまいました。私こそ、大変なご迷惑を掛け、申し訳ございませんでした」
トウヤは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「そのような事情ですので、なにとぞ彼には、寛大なご処置を」
ノノミヤ公爵は目尻に皺を寄せ目を細める。
「事情は分かりました。どうか、頭をお上げください」
そう言ってから、パンパンと手を打つ。
するとすぐさま、ワカバヤシ主任執事が入ってきた。
ノノミヤ公爵は、横に控える老執事に軽く目を向ける。
「実は、彼はひとつ、やってはいけないミスを犯してしまったのだ。屋敷を尋ねてきた君の友人に聞かれるままに、『紫色の瞳の痩せた男』が探偵選考試験に参加している事を伝えてしまってね。まさか、タジミ公爵家の名を騙っているとは夢にも思わずに」
「私の失敗がなければ、あなた様が大変な思いをされる事もなかったと思うと、心苦しいばかりでございます。この通り、深くお詫び申し上げます」
――あっぶねー!
トウヤは心の中で叫んだ。
ワカバヤシ執事という伏兵が潜んでいたとは。彼の目の色を見咎めたのは、ヒカルコだけではなかったのだ。
たまたま話の辻褄が合ったから良かったものの、そうでなければ……。
この老執事も侮れない!
動揺を誤魔化すように、トウヤは紅茶を一気に飲み干す。
そしてワカバヤシ執事にカップを差し出した。
「どうかお気になさらず。私と彼の仲ですから。それより、この紅茶は絶品ですね。是非おかわりをお願いしたいです」
書斎を退出する燕尾服の背を見送りながら、トウヤは思った。
とりあえずの危機は脱したと思っていいだろう。
しかし、彼の正体を知るあの男は、彼にとって最も危険な存在となるだろう――この先、どうあしらうか。
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