元禄大正怪盗伝

山岸マロニィ

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Ⅰ.トーキョー・ファントムシーフ

(18)勇者ノ血

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 突然の告白に、トウヤは返答に詰まった。
 オージオといえば、歴史に名を残す大罪人。その程度の認識しか彼にはなかったのだ。

 憂いを浮かべる彼女の目は、壁に掛けられた写真に向けられていた。
 ――彼女そっくりの澄んだ黒い目をした美しい女性。
 ヒカルコの亡き母に違いない。

「ここからは、教科書にない話よ」
 ヒカルコは母の肖像を眺めたまま語りだした。

「オージオは反逆者とされているけれど、一部の人々からは『勇者』と崇められているわ……あなたなら、分かるわよね」
 トウヤは返答に詰まる。だがすぐに、彼の脳は最適解を導き出した。
「――非魔人ミソギ、だね」
「そう」

 ヒカルコの表情は見えない。だがその声色は無表情に淡々としていた。
「おまえは勇者の子孫なんだから知らなければならないと、母が私に語った話……私が覚えてる、数少ない母の思い出」

 ヒカルコは説明する。
 一般的に、オージオは武家の生き残りで、刀剣銃器禁止令に異を唱え、国家転覆を図ったとされている。
 しかし……

「真相は違うの。オージオは、魔人マヒト非魔人ミソギという身分制度に反対して叛乱を起こしたのよ。モノ同然に扱われるミソギの解放を求めた蜂起は、けれど一日で壊滅した――『神の宝刀』と呼ばれる、オニマルとツルマルの二人によって」

 オニマルとツルマル――「神の宝刀」という二つ名からして、かつて織田信長が所持していたとされる名刀、『鬼丸国綱オニマルクニツナ』と『鶴丸国永ツルマルクニナガ』に由来した名であるに違いない。
 二十二世紀の当時、トウヤは古い刀剣に興味を持っていた時期があったため、そういう知識は持っている。

「その二人は魔刀の使い手で、魔法すら知らない叛乱軍を、あっという間に薙ぎ倒してしまったの」
「魔刀?」
「魔法の力を込めた刀。本来、刀剣の所持は禁じられているわ――帝城以外は。帝城には、かつての権力者が所有したとされる刀剣の類が国宝として保管されているから、そのうちの二振りなんだと思う」
「…………」
「そしてオージオは捕まり、彼の妻である曾祖母と、わずかな協力者だけが逃げ延びた。けれど、本当の地獄はそこからだったのよ」
 と、ヒカルコはトウヤに目を移す。

「曾祖母は、彼が処刑された時身ごもっていた――私の祖母をね。彼は妻と子、仲間を守るために、全ての罪を自分ひとりで引き受けて処刑台に立った。そして……」

 叛逆者への制裁は、苛烈なものだった。
 残虐な手段で公開処刑されながら、蘇生魔法で生き返らせられ、再び処刑される。
 民から叛逆の芽を摘むための見せしめだ。
 何度も死を繰り返しながら、彼はだが、絶対に愛妻の存在だけは口にしなかった。
 そして……

「彼の苦しむ姿に耐えられなくなった曾祖母は、銃で彼を撃った――魔法が効かなくなる呪いを込めた、水晶の弾で」

 最大級の愛なのだろう。トウヤは思った。

「逃げ延びた曾祖母は、協力者の手引きで身分を隠し、とある華族に嫁いだの。そこで、女の子を産んだ。その子も後に、華族へ嫁いで子供を産んだのよ――それが、私の母という訳」
「なるほど……」

 しかし、反逆者の血筋の者が、なぜ公爵家に嫁ぐ事になったのか?
 トウヤの表情を察したのだろう、ヒカルコが答える。

「母がちょっと特別だったのは、前に言ったでしょ? 潜在魔力が高すぎたって」
「…………」
「実はね、オージオもイザナヒコ様に匹敵する魔法使いだったという話があるの。でも、イザナヒコ様は神だから良いとして、人間がそれだけの魔力を抱え込むのは無理があるのよ。祖母にもそういう傾向があったみたいで、血筋と呼ぶしかないんでしょうね」
「そうなると、どうなるんだ?」
「狂人扱い」
 そう答えたヒカルコは、悲しそうに顔を曇らす。
「発作的に魔法を発動してしまうから、外に出せずに座敷牢に閉じ込められていたみたい」
 ヒカルコの目が再び母の写真に戻る。その横顔には、悲しみよりも怯えの色が濃く含まれていた。

「そんな母の存在を知った父が、母を助けようとしたの」

 ヒカルコは無理矢理な笑顔をトウヤに戻す。
「父はね、公爵家に生まれながら、ちょっと変わってるの。オージオを尊敬していて、マヒトとミソギの間の壁はなくなるべきだと思ってる……外ではとても言えないけどね。だから、オージオの血を引く母を救出するために結婚したみたい」

 トウヤはヒカルコの細めた目の奥にある感情を読み取ろうとするが、彼女の笑顔は仮面のように本音を隠していた。
 そして彼女は、軽い口調でこう言った。

「でもね、結局、魔力を押さえられずに……自殺しちゃった」

 トウヤは絶句する。
 一昨日会った時にも事情がありそうだとは思ったが、まさか、そんな過去があったとは。

 ヒカルコにとっての『母親』という存在は、決して愛に満ちたものではなく、恐怖の対象なのだろう。
 母譲りの魔力の高さに対するものだけではない。母親という存在が幼い彼女にトラウマを植え付けただろう事は、想像に難くなかった。

「だからね、父は私の事をとても気に掛けて。気持ちだけでも強く持つようにって武術を習わせたのよ。その先生がちょっと凄い方でね。あのタマヨでも敵わないの」

 ……なるほど。このお嬢様のお転婆なところには、そんな理由があったのか。
 クスッと笑うヒカルコに、だがトウヤは敢えて不機嫌な顔を向けた。

「だからって、いきなりドロップキックはないだろ」
「だって、分かってたんだもの。あなたがあの程度で倒されたりしないって」
 一流の武闘家は相手の力量を読むのも一流、か。
 やれやれと、トウヤは魚のフライを口に放り込む。

「でも、ずっとお屋敷から出た事がなかったから、父が屋敷の外も見た方がいいって、英国に留学する事になったの」
「英国はどうだった?」
「科学と法律で保たれた世界は、みんな平等で素晴らしかった。立場の違いを超えて、誰もが人間として生きていけるの……憧れの世界だったわ」

「平等、ね……」
 トウヤは知っている。
 科学も法も、決して万能ではない。

 十九世紀のロンドンといえば、産業革命の真っ最中。資本家と労働者という、どうしようもない格差が蔓延していた。
 社会の大多数を占める労働者が命を削って築き上げたもの――それが科学文明だ。
 彼女が目にした世界は、科学の恩恵を享受する資本家側から見た、ほんの一部のロンドン。影の部分にある労働者側のロンドンは、彼女の目に映っていなかっただけだ。

 そんな資本主義の成れの果てである二十二世紀の科学文明も、腐敗しきった魔法文明のこの世界トーキョーと変わらない――わずか二百年ばかり、理性が長持ちしただけで。

「そんないいモンかな、平等ってヤツは」
 少々皮肉を込めたトウヤの言葉に、だがヒカルコは明るい声でこう答えた。
「もちろん、全てが平等って訳ではないわ。でも、未来へ夢を繋げる可能性は誰にでも平等に存在するのよ、あの世界では」

 ……その時、トウヤの中の何かが、彼の脳裏をチクリと刺激した。
 それが呼び起こしたのは、セピア色の写真を眺めて夢を見ていた頃の自分。

 どうしようもない格差の中へ放り込まれ、身動きのできない息苦しさから逃げたかった。
 それは、今のヒカルコも同じなのではないだろうか。
 「魔法」に対する恐怖と、魔法を使えない劣等感から解放されたい。そう願う彼女の気持ちは、否定すべきものじゃない。

 急にヒカルコの印象への解像度が上がった気がして、トウヤは動揺する。
 「公爵令嬢」という偏見フィルターが、彼の中に存在したのをまざまざと自覚したのだ。

 ――何が差別と偏見をなくす事が正義だ。俺の中にもそれはあるじゃねえか。

「…………どうなさったの?」
 ヒカルコが心配そうに彼を見ている。
 トウヤは慌てて笑顔を取り繕った。
「君はトーキョーを、ロンドンみたいな世界にしたいのか?」
「えぇ。そんな風にできたらどんなにいいかと思うわ」
「でも、そうすると……」
 と、トウヤは首を傾げる。

「君が怪盗ジュークを捕まえたいってのの、理由が分からないな。俺からすると、彼は魔法を消そうとしているように見えるんだが。魔法がなくなれば必然的に、マヒトもミソギもなくなるだろ? もしかすると、彼は味方なんじゃないか?」

 心変わりを期待した質問だったが、ヒカルコはきっぱりと首を横に振った。

「法治国家というのは、正しいか正しくないかではないの。法に反しているか反していないか。それだけの判断基準なのよ。だから、いくら高尚な理想を掲げていても、そのやり方が法的に正しくなければ、それは間違っている。私が目指したいのは法治国家――だから、義賊と名乗ったところで、泥棒は泥棒。断罪されるべき犯罪者よ」

 ……これは手厳しい。トウヤは首を竦めた。

「確かに、彼には共感するところもあるわ。でもね、私は彼に、になってもらいたいのよ。だから、何としても怪盗ジュークを捕まえたいの……いい? 探偵として、あなたには期待してるから」
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