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市原麻衣と秘密の部屋
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そうしてその数日後、件の、デート予定な土曜日の朝。
常務が例の部屋から出てこないことに気がついて、私はちょっと焦っていた。
「じょ、常務ー? 常務、ご無事ですかぁ?」
『……大丈夫だ』
部屋の中から、くぐもった声。同時にひどく、咳き込んで。
「風邪ですか!?」
『すこし……熱があるみたいだ。伝染すと悪いから』
「……! と、とりあえず何か買ってきます!」
私は駅前まで走って、スポーツドリンクやらゼリー飲料やら、とにかく風邪に良さげなやつを買い漁る。あと、あるか分からなかったから体温計も。
マンションに戻り、ドアの前に置く。
「常務、私はいまからリビング行きますから……」
そっとドアから離れた。
この部屋は見られたくないらしいから、離れておいたほうが良いんだろう。
しばらくしてリビングから様子をうかがうと、ドリンク類は回収されている。ホッとした。
お粥を作って、それも同じようにドア前に置く。小一時間すれば空になったお碗が置かれていて、食欲はあるようだ、とまた安堵する。
『……市原』
「はい?」
『美味かった。ありがとう』
「良かった、です」
ドア越しに私は微笑みかける。伝わらないだろうけれど。
このまま良くなってくれれば──と思っていた私が再び焦ったのは、その日の夕方だった。またお粥を持って、声をかけてドア前に置いて──でも、返事はなくて。
(常務……?)
寝てる?
大丈夫?
不安になって、電話をかけてみる。部屋の中から音はするけれど、常務は出てくれない。
「……っ」
心配。心配だ。
もしかして、意識ない? 熱はどれくらいあるの? 胸が痛い。このドアを開けてしまいたい。けれど──開けては、いけないって。
(でも!)
私はふ、と息を吐く。ルール違反だ、けど。
これでこの「お試し婚」が終わりになったとしても──仕方ない。
そんなことより、常務の無事を確かめるほうが大事だ。何かあってからでは遅い。
こん、とドアを叩く。
「常務。入ります」
返事はない。私はドアを引き開けた。そうして──ちょっとだけ、びっくりした。
そこには三角木馬も蝋燭も鞭もなかった。
ただ、──電車の模型だけが、所狭しと並んでいたのだった。
「電車……?」
一瞬呆気にとられたけれど、すぐに部屋の中央にあるベッドで横になっている常務に駆け寄る。
「常務、常務」
ふ、ふ、と荒い息。
熱は何度くらいあるのだろう? とりあえずは生きていて安心したけれど。
さっき買ってきた体温計が転がっていたので、悪いとは思ったけれど勝手に測る。
「38.7」
呟いた。高熱だ。
「どうしよう……」
熱に浮かされる常務の額に、そっと手を押し当てる。ふと、気持ちよさそうに眉間が緩んだ。
「冷やしたほうが、気持ちいいですか?」
冷やしタオルでも持ってこよう、と手を離すと服をがっと掴まれた。離れて欲しくないと言っているかのように。
「……仕方ないですね」
なんかキュンとして、常務のベッドに腰掛けた。そうして左右の手を入れ替えつつ、彼のおでこを冷やし続ける。本当に冷えてるかは分からないけれど、離れると嫌そうだから仕方ない。
どれくらい、そうしていただろう。
薄く、常務は目を開いて──小さく笑う。
「あ、起きました? 大丈夫ですか? 何か飲みま──」
「っ、市原!?」
慌てたようにがばり! と常務は上半身を起こした。それから頭を抱える。
「っ、いたた」
「じ、常務。お身体が悪いんですから」
「そ、そうじゃない。本物? 夢じゃなくて、──っ」
常務は蒼白だ。
「ほ、本物、ですが……」
「……!」
めちゃくちゃ困った顔をしている。困った、っていうか悲壮的というか……。
私はそこでハッと気がつく。そうだ、この部屋には入っちゃいけなかったんだ……。
「ごめん、なさい……」
「……なぜ君が謝る?」
「この部屋、入ったらダメだって……約束も、守れなくて……その、もう私のこと嫌なのでしたら、常務の風邪が治り次第マンションを出て」
「嫌だ!」
常務は子供が泣く寸前、のような顔をして──私は年上の男性がそんな顔してることに驚いて、ただ彼を見つめた。
そんな、宝物を──取り上げられるような、顔して。
「君は悪くない。俺が風邪をひいて、というか、変に隠し立てしたから──」
私に触れようとして、でも触れなかったその手は宙を彷徨ってシーツに落ちる。ぽすん。
常務が例の部屋から出てこないことに気がついて、私はちょっと焦っていた。
「じょ、常務ー? 常務、ご無事ですかぁ?」
『……大丈夫だ』
部屋の中から、くぐもった声。同時にひどく、咳き込んで。
「風邪ですか!?」
『すこし……熱があるみたいだ。伝染すと悪いから』
「……! と、とりあえず何か買ってきます!」
私は駅前まで走って、スポーツドリンクやらゼリー飲料やら、とにかく風邪に良さげなやつを買い漁る。あと、あるか分からなかったから体温計も。
マンションに戻り、ドアの前に置く。
「常務、私はいまからリビング行きますから……」
そっとドアから離れた。
この部屋は見られたくないらしいから、離れておいたほうが良いんだろう。
しばらくしてリビングから様子をうかがうと、ドリンク類は回収されている。ホッとした。
お粥を作って、それも同じようにドア前に置く。小一時間すれば空になったお碗が置かれていて、食欲はあるようだ、とまた安堵する。
『……市原』
「はい?」
『美味かった。ありがとう』
「良かった、です」
ドア越しに私は微笑みかける。伝わらないだろうけれど。
このまま良くなってくれれば──と思っていた私が再び焦ったのは、その日の夕方だった。またお粥を持って、声をかけてドア前に置いて──でも、返事はなくて。
(常務……?)
寝てる?
大丈夫?
不安になって、電話をかけてみる。部屋の中から音はするけれど、常務は出てくれない。
「……っ」
心配。心配だ。
もしかして、意識ない? 熱はどれくらいあるの? 胸が痛い。このドアを開けてしまいたい。けれど──開けては、いけないって。
(でも!)
私はふ、と息を吐く。ルール違反だ、けど。
これでこの「お試し婚」が終わりになったとしても──仕方ない。
そんなことより、常務の無事を確かめるほうが大事だ。何かあってからでは遅い。
こん、とドアを叩く。
「常務。入ります」
返事はない。私はドアを引き開けた。そうして──ちょっとだけ、びっくりした。
そこには三角木馬も蝋燭も鞭もなかった。
ただ、──電車の模型だけが、所狭しと並んでいたのだった。
「電車……?」
一瞬呆気にとられたけれど、すぐに部屋の中央にあるベッドで横になっている常務に駆け寄る。
「常務、常務」
ふ、ふ、と荒い息。
熱は何度くらいあるのだろう? とりあえずは生きていて安心したけれど。
さっき買ってきた体温計が転がっていたので、悪いとは思ったけれど勝手に測る。
「38.7」
呟いた。高熱だ。
「どうしよう……」
熱に浮かされる常務の額に、そっと手を押し当てる。ふと、気持ちよさそうに眉間が緩んだ。
「冷やしたほうが、気持ちいいですか?」
冷やしタオルでも持ってこよう、と手を離すと服をがっと掴まれた。離れて欲しくないと言っているかのように。
「……仕方ないですね」
なんかキュンとして、常務のベッドに腰掛けた。そうして左右の手を入れ替えつつ、彼のおでこを冷やし続ける。本当に冷えてるかは分からないけれど、離れると嫌そうだから仕方ない。
どれくらい、そうしていただろう。
薄く、常務は目を開いて──小さく笑う。
「あ、起きました? 大丈夫ですか? 何か飲みま──」
「っ、市原!?」
慌てたようにがばり! と常務は上半身を起こした。それから頭を抱える。
「っ、いたた」
「じ、常務。お身体が悪いんですから」
「そ、そうじゃない。本物? 夢じゃなくて、──っ」
常務は蒼白だ。
「ほ、本物、ですが……」
「……!」
めちゃくちゃ困った顔をしている。困った、っていうか悲壮的というか……。
私はそこでハッと気がつく。そうだ、この部屋には入っちゃいけなかったんだ……。
「ごめん、なさい……」
「……なぜ君が謝る?」
「この部屋、入ったらダメだって……約束も、守れなくて……その、もう私のこと嫌なのでしたら、常務の風邪が治り次第マンションを出て」
「嫌だ!」
常務は子供が泣く寸前、のような顔をして──私は年上の男性がそんな顔してることに驚いて、ただ彼を見つめた。
そんな、宝物を──取り上げられるような、顔して。
「君は悪くない。俺が風邪をひいて、というか、変に隠し立てしたから──」
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