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3章

27話:塔

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 ルルカとヤクルは普通のことを話しているつもりだが、一同からは頭に疑問符が残ったような反応をされてしまう。あまりに反応に差があって、ヤクルはわからなくなってしまっていた。

 ヤクルはふたつの発想の揺らぎの間で、自分がどちらの立場に身を置くべきなのかわからなくなってしまった。ルルカが正しいか、ほかの面々が正しいか……仮にルルカが正しいとしても、彼女を推すべきなのか、否か……。

『……まぁ、みんなはパッチの影響で合理的な判断を促されるように思考を汚染されてしまっているから、どうしてもルール遵守な考え方になるし、だからきっと人権に対して一考の余地もないんだろうね。だからこそ思考を汚染されていないリルちゃんだけが盗みを働くことができたんだろうけど』



 ルルカに質問を飛ばすのはのゐるだ。

「ルルカさん、それはつまり、ルールは守るべきではないってことですか……?」

いい・・質問だね。やっぱり的を射てないあたりがさ、いい・・よ』

「……?」

 ヤクルからすれば、のゐるのそれは、明らかにおかしな質問であった。

 ルルカは続けた。

『ルールを守るべきかどうかって捉えてるならこれまで伝えた通りさ……まぁいまどれだけ説明したところで、思考汚染されているみんなにはわからないよ。ただ、この二ヶ月調べてわかったんだけど、みんなはこの領地の千キロ先にある塔が放つ魔導素子の影響下にある。脳に埋め込まれたパッチはいわば受信機で、塔から放たれた素子を感知しみんなの思考を汚染しているから、塔がなくなれば思考汚染もなくなるよ』

「そうですか……塔……それを壊さないといけないんですか……」

 ルルカがやり取りのなかで、あからさまなヒントを出すように話すのを聞いていたヤクルだが、彼は考え込んでしまい、みなを導くだけの言葉を発することができずにいた。

 ルルカの意見には物証がない。とはいえ、どれだけ思考汚染について物証を重ねられたところで理解することが難しいだろうから、専門的にならずにわかりやすく伝えるために、あえて物証に頼らずに説明してきているのだろう。

 ただ、ルルカには裏がないということもヤクルにはわかっていた。もし彼女になにか裏があってヤクルを用いて塔の破壊を果たしたいのであれば、そもそもヤクルの意思に関わりなく、彼の身体を操ってそれを果たせばよいのだから、こうして説明してくれている以上そこに謀る気持ちはないはずだ。ましてやそれぞれの意思を確認する必要などない。

 しかし、このように進言する話し方をするからには、ルルカは理解を得ようとしているだろう。彼女は一同から「ヤクルが塔へ飛ぶ」ということを理解して貰えればよいと思っている。ヤクルもまたここまでわかっているのだからあとは名乗り出るだけなのだが……。

「えぇと……俺はどうしたらいいんだ……?」

 彼にはその一歩が遠かった。

 とはいえ、そもそもルルカにとっては回りくどく説明する必要などなかった。回りくどさを捨てればヤクルへ「塔を破壊するんだ」と命じるだけで済む話なのだが、これまで人に利己的に使われ続けた彼女からすれば、ヤクルに領主らしくみなを率いることができるようになってほしいという願いがあった。

 そして……ヤクルは既に「塔を壊せばいい」という答えを持っていた。ルルカが話していることをすべて真実と受け入れるのならば、当然この現状は放置して然るべき状況ではない。それも彼はわかっていた。

 各自あまりに危機感こそないが、 いま危機感を覚えなければ確実に新世界はなされるがままだ。世界が滅びるのを合理的に受け入れることを、よしとするほどの思考汚染が起きているのだ。なにをされたところでされるがままである。

 しかしヤクルはこの異様な雰囲気のなかで「危機へとぶつかって行きたい」と、発する勇気を持てずにいた。

 これはつまり、ヤクルが領主として相応しいか、その器量をルルカに量られているということでもあったのだ。



 ヤクルが言葉を発するべきか迷っていたところで、のゐるが食いついた。

「塔……? ルルカさん、それじゃあ……」

『そう。その塔を破壊すれば、みんなは思考汚染の支配下から逃れることができる。少なくともアタシはそれを望んでいるけれど、塔のまわりにはアタシのビームやあの爆発をも耐え抜くほどのバリアが展開されていて、生半可なことでは太刀打ちできない』

「……」

『そのうえ、数万体のゴーレムが、塔を守るように地中に植わってる。塔を破壊しようにもボコボコ地面から出てくるゴーレムを倒さないとならない。一筋縄ではいかないね。もしかしたら、ヤクルはやられちゃうかも?』

「で、でも……」

 のゐるは初めて自分の頭にパッチが埋め込まれていると耳にしたときから、気持ちが悪くて仕方がなかった。

 いまだ自分の思考が汚染されているその実感こそ得られていないのだが、自分の考えが、想いが、制御されたものだと教えられてからというもの、作家としてのアイデンティティを奪われたような気持ちすら芽生えていた。

 そして、悔しかった。自分がこれまで書いてきた小説が、自分ひとりの力で書き上げたものではなく、なんらかの合理性を齎す装置の恩恵を得て書いたもの……そう思うと、悔しくて仕方がない気持ちであった。

 彼女はそれだけ自らの小説を書く能力に固執していたし、それだけ自身の小説を書く能力に頼って生きてきた。いまだヤクルに励まされたことをきっかけに脳裏に浮かぶ文章が、彼女の手によって産声を上げるのをいまかいまかと待っている。作家としての能力を見込んで新世界に生きる権利を与えられたのであればなおのことだ。

 だからこそ、のゐるは自身の執筆能力は自分だけのものだと思いたかったし、このまま塔を放置するのは我慢ならなかった。彼女にとって思考汚染とは、許しがたい冒涜行為なのであった。

「きっと、ルルカさんとヤクルさんならそれでも……!」

 のゐるがルルカに寄せる期待に、その気持ちは現れていた。

 ルルカはさらに話した。
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