33 / 44
33 船?
しおりを挟む
「きゃああ!」
隼百が身じろぐと子供達は叫び声と共に蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
間。
子供、ではない。子供達──複数形である。
「見て! 起きた! 起きてる!」
「叫ぶなよ。近いから聞こえてる。起こしたのはキンセイ、お前だろ」
「キセ起こしちゃったの? まだそっとしておいてあげなきゃ駄目だよ」
ベッドの上で呆然と硬直する隼百の耳に届くのは幼い声。
視線を向けれてみれば、ぼんやりと曇った視界にわらわらとちいさいのが戯れている様が見てとれた。
叱られているのが今逃げた子だろうか。
「違うよー? そっとしてたら起きたんだよ」
「ぱって、めえあいたの」
「アレって起きてる? ぼーっとしてるけど」
「ぼーってしてるね!」
「ボーちてる」
いや何人いるんだ?
「弱そうでかわいいね。オメガかな?」
「はあ? ドコを見てるんだキンセイ。物事の観察と表現は正しくしろ」
「ええっ、強いの!?」
「……違う。弱いのは合ってる。でもあれは可愛くはない。オメガにしてはくたびれてるだろ」
大人びた口調で喋ってる方も、声は高くて可愛らしい。
「クタぴれるってなに?」
「おじさんってことだよきっと」
「オジサンてなに?」
「くたびれてるんだよ」
「クタぴれるってなに?」
「おじさん!」
「きゃーあ!」
ぜんぜん状況わからない。けど……隼百はしみじみと歳を実感する。箸が転がってもおもしろい年頃ってすげえな。
おじさん、ついてけない。
「弱そうだとオメガってなるの、おかしくないか?」
解せない、といった風に呟いたのは少女で、赤ちゃんを抱いている。少女がちいさいから重そう。
「おかしくないよー? メノニイだって腕ずもうでおれに勝てないじゃん。駆けっこもいつもおれが勝つよ?」
「う」
「メノニイを強そうって言ったらウソになるでしょ? ウソ言ったらダメなんだよ? あ、それかおれの言い方が悪い? 強くなさそうってやさしく言ったらだいじょぶ?」
「え? うんそうだね。やさしく……やさしいか?」
「キンセイ、矢継ぎ早に捲し立てるな。めのの理解が追いつかない」
寝起きの隼百の理解も追いつかない。
ちっちゃい。みんなちっちゃい。ここは託児所か?
何で託児所にオレが? 子供ばかりの場所って他に……あ。
ぴこんと閃く。そう! 仲嶋さんが子だくさんだった。
そしてトルマリンの伴侶は仲嶋さんだ。
繋がった。かもしれない。
ここは仲嶋家か。いやトルマリン家って言うべき?
隼百はそこまで見当を付けて。
どうして自分がここに? という最初の疑問に立ち戻る。
戸惑う隼百だが、子供の疑問も止まらない。
「エンにーに、くたぴりるはかわいくないの?」
「くたぴりるじゃなくて『くたびれてる』だ。かわいくないよ。ほら顔色がおかしいだろう? 唇もガサガサ。痩せすぎだし、息の仕方だって普通じゃないよな? 苦しいからこうなる。目元もごらん」
「すごい!」
「健康じゃないんだ。放っておくと長生きしない」
いや待て。隼百は心の中で突っ込む。可愛いか可愛くないかってのは健康状態でジャッジするものか? この子の主張は何も間違えてはいないけど、根本的なところがズレてる。まずおっさんをみて可愛いと言った最初の子からズレてる。ペット飼う感覚?
「くたぴりちるとオメガちがうの?」
「そういう訳じゃない。けどオメガはくたびれてても美形だ」
「きららはくたぴちれてもびけいね」
「きららはくたびれてない美形だ。でも女の子だから美人と言った方が順当だな」
質問責めにも根気よく答えている子がいちばん背が高くて大人びてる。それでも小学生高学年ぐらいだけど。大人の姿はない。エンにーに、と呼ばれてたから『エン』君はお兄さんか。長男か。
「きららはびじんわかる! ママといっしょ」 両手を上げてはしゃぐ女の子『きらら』ちゃんは会話覚えたて喋りたい盛りの三歳児って感じ。「そんでびけいってなに?」
「……」
うん。延々と終わらないよな、ナゼナニ。お兄ちゃんは大変だなあ。そのお兄ちゃんに散々な言われようなのに隼百は呑気に同情してる。
答えるのが面倒になったっぽいエン君と妹のやり取りの脇で、赤ちゃんを抱いた子守ちゃんがくすりと笑った。小学生の低学年位か。やけに華奢なのに危なげなく抱っこしているアンバランスさに目が離せなくなってついつい見つめているとおっとり口を開いた。
「美形はかわいいって事だよ。きららはかわいいもん」
「えー」 ブーイングの声を上げたのはいちばん元気な男の子。歳は子守ちゃんと同じぐらい? 「おれ、つよいのが美形と思ってた。オメガが美形だったらメノニイも美形なの?」
「僕? さあ」
首を傾げるぽやっと子守ちゃん。
あれ。隼百は気が付く。これ抱っこしてるんじゃないわ。赤ちゃんの方がしがみ付いているのだ。コアラみたいに。
……ええ平気?
子守ちゃんの名前は『めの』ちゃ……ん? ニイ? 一人称とメノニイという単語にようやく引っかかりを覚えて言葉を咀嚼して、隼百は眉を下げる。……ごめん。最初から兄と呼ばれていたのに少女だと思い込んでた。男の子だった。
隼百が勝手に勘違いして反省してる間にも会話は続いてる。
「キセはきららより大きい癖してなぜなぜ聞き過ぎなんだよ。お前ちょっとは黙ってろ」
「えーエン兄、おれだけ黙るのさべつだよ。ねえ、エン兄、めの兄は弱いのに美形なの? エン兄はめの兄をかわいいと思ってるって事?」
「……。うるさいって言ったつもりだけど……そうか。キセにはもっとはっきり言わないと伝わらないんだな」
推定長男の睨みにぴゃっと怯むキセ君。子供からはあり得ない圧を感じた隼百も怯む。こわい。これ殺気では? ただの子供が? ただ者じゃない。けれど睨まれた当人は案外平気そうで、めの君の後ろにささっと隠れる。
「なに? なにをはっきり言うの? おれエン兄怒らせた? ねえめの兄、エン兄怒ってる?」
「どうしてエンの機嫌を僕に聞くのさ」 めの君はちょっと鈍いのか、ぽやっとしてて緊迫感が全くない。「エンは別に怒ってないよ。ほら、ベッドで寝てるお兄さんが困ってるよ。静かに看病しよ?」
鈍いなんて評価してごめん良い子だ。そして、もういっこ間違いを発見した。
──長男はめの君の方だ。
根拠もないのに隼百は確信する。勘なら外した事がない。勘違いはするけどな。
「こはちゃ、びけいってなに?」
兄たちの解答では物足りなかったのか、きららちゃんが聞く相手を変えた。
めの君に抱きついた赤ちゃんの方に。
「にぃに」
そして答える赤ちゃん。……喋れるんだ。つたないのにしっかりとしたこの声には聞き覚えがある。
嘉手納で監視カメラをジャックした、クマのぬいぐるみ持ってた赤ん坊だ。……ああ。
やっぱりここ、仲嶋さんの家か。
「えー?」 とキセ君。「コハー、にいに、だけじゃダレかわからないよ。どのにいにかしぼって言わないとね」
兄の教えに赤ちゃんが身体をぐぐっと反る。
「にぃに、ねぇね、ぱぱ、まま、まどちゃ、ちぇんちょ」
「ふえてくの!?」
「ふふ、琥珀ちゃんは賢いね」
ここで口を挟んできたのはまた毛色が違う子供だ。
だから何人いるんだよ。
「おれよりかしこいよ! コハすごいの」
「うん。キセ君の美点はその素直さだよね」
「ちのぶ」
「僕も入れてくれるの? ありがとう」
「ん」
赤ちゃん得意げ。
「もー。アルファはいみしんばっか言うよね。ちゃんと教えてくれないとひとにわかんないよ? ね、エン兄。……もー」 返事をしない兄に、キセ君の様子がちょっとおかしくなる。笑おうとして、出来なくて俯いた。「エン兄はきららばっかり教える。先にきいたのはおれなのに」
声が揺れてる。
「は? 妹を嫉むのか? ……お前、最低だ」
「ちがうー」
「ちがわない。だからベータってのは」
険悪になりかけたところにめのちゃんの声が被る。
「きせはエンが好きだよねえ。エンに構って欲しいんだよ」
「……あのな」
「そうだよ。おれ、エン兄好き。エン兄みたいになりたいの。でもエン兄はいつもおれを邪魔に言う……」
「はっ?」 あ。率直な台詞にエン君がひるんでる。「充分構ってるだろ。……邪魔とも思ってない」
「うん。そうだね。キセはいつも元気でいてくれるからエンはついつい気を許して言い過ぎちゃうんだよね。ほらキセ、エンが言い過ぎたって反省してるよ」
「言ってないし」
「でも反省はしてるよね?」
自分よりちいさい兄に諭されて反抗するかと思いきや、
「……うん。ごめん」
エン君は素直だった。ぽやっとして見えるめの君が予想外に長男らしい事にびっくりだ。傍らで観察してるだけの隼百にはわかる。めの君はきょうだいたちの様子をよく見て発言してる。
「えへへ……いいよー。でもおれ結局あのひとがオメガじゃない事しか教えてもらってないんだけどあそっか!」
「へあっ!?」
これは隼百の声。
キセ君がベッドに半身を乗り上げて隼百を見上げている。足先をぶらぶらと揺らして楽しげ。いやちょっと今の今までべそ掻いてなかったか? てかいつの間に来た!? 遠巻きにされてたしすっかり傍観者気分で油断してた。
「ねえきみ、オメガじゃないならベータ? おれと同じ!? 仲間?」
お子様のフットワークの軽さ怖い。期待の眼差しも怖……うっわ。近くで見ると愛らしいな。好奇心旺盛な円らな瞳は犬の子とか猫の子を思い出す。てかここでオレは答えるべき? それとも先におはようと言うべき?
「キセ……はやいし」 弟を止めようとして間に合わず、といったところか、めの君が中途半端に上がった手を降ろしてる。それから小首を傾げる。「同じじゃないよ? キセとお兄さんは似てない」
「メノウちゃんの言うとおり」 大人っぽく落ち着いた雰囲気の子は『ちのぶ』君か。「同じではないね」
「えー。オメガじゃなくてベータじゃないの? そしたらある」
「アルファでもないからな」 弟の台詞をぶった切るエン君。「それよりもキセ、パパから教わった事を忘れたのか? 人に性別を聞くのは失礼だから止めろ」
「あそうか。ごめんなさい……」 即座に反省するキセ君の姿が健気な仔犬に見えてくる。「あ、おとなほしいよね? パパー! パパ起きたよー!」
謝ってしまえば速攻でけろりとするところも犬っぽい。
「呼ぶならまずうちの親じゃないかな?」
「あそうか! 来てー! マドカサン!」
「ガー君で良くない?」
「ガーくーん!」
扉に駆け寄って外に向かって声を張り上げているキセ君を隼百は言葉もなく見送ってしまう。よく動くなあ……電池満タンのおもちゃみたい。それにしても。
全部が仲嶋さんの子じゃないのか? ここにいるのはきょうだいだけじゃないっぽい。ならどういう関係なのか。隼百はあらためて子供達の会話を思い返す。
オレ、目がおかしいって言われたな。目を擦る。
……え。
目脂がぽろぽろと落ちた。
恥ずかしい!
指摘されても今まで気付かなかった事から恥ずかしい。今すぐ顔を洗いたい。隼百は少しクリアになった視界で改めて室内を見て、呆然とした。
神様でも降臨するのか?
天使がたくさんいる。
ひょっとして気が付かないうちに死んでたのかも、なんて考えまでが脳裏をよぎる。可能性がなくもない所が笑えない。
教えてあげたい。『美形』を知りたければ鏡を見ろと。
幼女趣味も稚児趣味も無いけどこんな子達を市井に放ったら秒で攫われると確信できる。あでも攫われたのはオレの方か。
『メノウの仰る通りですよ。お客様が吃驚しています。これ以上大きな声でお喋りを続けるなら皆さん部屋から追い出します。うるさくしてお客様の具合が悪くなってはいけませんからね』
子供達が一斉に黙った。青年の声だ。大人居たのかよ。しかし辺りを見回しても声の主の姿が見えない。
……? 放送?
「しー! だって」
「シーってなに?」
「こうやってシー! ってするんだよ」
「しー!」
くすくす。黙ってるのが楽しくなってきたみたい。
静かになってはいないな。
「ヒソヒソ声ならいい? オレおきゃくさまとまだお話してない」
「きららもー」
「キセがひとりで喋ってたからだろ。僕、声も聞いてない」
「きららも!」
「おれは聞こえたよ。へあっ、って言ったもん。へあっ」
「へあっなの? ふふふ、へあっ」
「こおら」
と──柔らかい大人の声。
またかよ。いい加減ウンザリしてきた隼百だ。次から次へと新たな人物に出て来られても覚えられないんだけど。
今度も声だけで姿が見えないんじゃないかと疑いの眼差しで声のした方を窺ったけれど、ちゃんと実体はあった。
そして馬鹿みたいに口が開く。
「マドカさんみてみて! 起きたよ!」
「うっげ」 儚げな美人が雑な言葉を吐いて雑に頭を掻く。「おい何で皆ここに集結してるんだよ。立ち入り禁止だって……誰も言ってないのか」
すご……天使が増えた。大人だけど。
「そりゃあね」 にこやかに答えたのはちのぶ君。「入ったらダメって言われなきゃ、当然来るよね」
「指示する暇が無かっただけ! 言われなくてもわかるだろ。こういう時はしのかエンがちゃんと止めな。アルファ年長者」
「止める?」 エン君が思いも寄らなかったって顔をしてる。「めのが会いたいって言えば叶えるだろ」
「……めの史上主義なエンは置いていて、しの。お前は分別があるだろ」
ちのぶ君はしの? ちのぶ君ことしのぶ君は大人にめっと睨まれても笑顔を保ったままで、子供ながらどこか胡散臭い。
「僕はアルファとして大丈夫だと判断したんだよ。どうせいつか顔合わせはするし、結果は同じだろ? 母さん」
「同じって……対面させるかどうかの話も出てないから」
「船に連れてきたんだから、同じ意味でしょ」
「あーそうなのかな」 顎に手を添えて考える。「じゃなくて! 仮に会わせる算段があったとして、今じゃないだろ。忍には具合が悪い人に対して気遣いが出来るアルファになって欲しい」
「ふふ。母さんが看た直後に体調が悪い? あり得ないよね」
「……ああ言えばこう言う」
「本音は僕も早く会いたかったんだ」 笑顔を消して呟く。「滅多にないだろ。外の人に会える機会」
「あー、まあ……。悪い」
「母さんが謝らなくて良いよ。僕らの為だって理解してる」
「ねえねえマドカサンいっしょにおきゃくさんかんげいかいしよ?」
「だぁめ。ほらもう皆、外に出な」
「マドカサン怒った?」
「おこた? にゃーとくる?」
「きゃー」
「きゅあー!」
「めのも」
「えっ? えっ引っ張らない、でー」
「またね」
あっと言う間に部屋から走り去る子供達。
室内は急に静寂が訪れた。
嵐か。
ひとりだけ部屋に残った大人がベッドの側に来る。
頭を撫でられてびくっとする隼百。
「ゴメン。あの子達、お客さんが珍しくっていつになく興奮して……って言い訳は見苦しいな。本当、すまない」 心底申し訳なさそうに謝りつつ躊躇無く隼百の頬に触れる。「今更だけど体調はどうかな? 気分は悪くない? どこも痛くは無いかな? ……隼百?」
「だっ、大丈夫です」
ドギマギして考えるよりも先に答えてしまう隼百だ。20代? なんか年下から呼び捨てにされたけど、知らなかった。それが並外れた美人相手だとイライラじゃなく、ゾクゾクするものなんだな。この歳になってもまだ新しい発見というのはあるものだ。
じゃなくて誰?
天使──この言葉から隼百がイメージする姿は金髪碧眼だ。こういうのは西洋から来てる発想だからだろう。けど目の前の人は日系美人だ。日本人。なんだって天使なんて突飛な単語が浮かんだのかなオレは……と目が合って隼百はその瞳から目が離せなくなった。
眼球すげえ。瞳の中に星が瞬いてないか? 切れ長の漆黒の目。睫、長っ。唇、ぷるんとして柔らかそう。黒髪は艶々さらさら。語彙力を奪われる美人が目の前に。
今まで見た中でいちばん綺麗な人だ。
え。これで人の親? と考えてから浮上した可能性に戦々恐々とする。
──もしかして、これが仲嶋さんの正体では?
恐らくここに隼百を連れてきたのはトルマリンだ。
あの時に居合わせた『彼』なわけがない。
……急に落ち込んでいく自分の気分が不思議で、苦笑いして雑念を追い払う。
えっと。
トルマリンの奥さんが仲嶋さんで、隼百が知る糸目の仲嶋さんは変装姿だ。変装を解いた姿は、見てない。だから目の前の人物が仲嶋さんという可能性はあるのだ。マドカさんと呼ばれてたから別人か? いや母さんって呼ぶ子も居たし、そもそも隼百は仲嶋さんの名前を知らない。でも、
「その……奥さん?」 どうにも違和感を払拭できず、相手への呼び方に迷いが出た。しかし隼百の台詞に相手がぽかんとする。「あの?」
隼百の呼び掛けに『奥さん』はふわりと微笑む。
「新鮮だな。そう呼ばれたのははじめて」
よし解った! これ仲嶋さんじゃないわ。あり得ない美人だからとかそういう問題じゃない。
あの人こんなに素直じゃない。
つまりは知らない人だ──誰さ!? やばい。聞きたい事がありすぎて最早何から聞いていいのか解らない。
「あの、どうしてここに」
オレがいるのか、か? それとも、あなたがいるのか? ここはどこで、連れてきたのは誰?
すると隼百を安心させるように『奥さん』が微笑む。
「説明の前に自己紹介だよな。隼百、俺は円。あの子達の親のひとりで、オメガだ。隼百の世界にはオメガもアルファも存在しないんだって? なのに文明が同じって皮肉だよな。よろしく。歓迎するよ」 一気に喋ってから我に返ったみたいにしゅんとした。「隼百の話は前から聞いてるんだ。初対面って気がしなくて馴れ馴れしくてごめん」
「タメ口で構わないよ。よろしくまどか」 謝らせてしまった。気を遣わせないよう焦って返事をして、それから隼百は釣られて呼び捨てにした自分に照れる。日本人にとって初対面への名前呼びはハードル高い。「あの、まどかの名字は?」
「ああ、無いんだよね」
やっぱり仲嶋さんじゃないのか。だよな。と納得しかけて首を傾げる。聞きたい事は山ほどあるのにあまりにさらりと言われた台詞が聞き捨てならない。
「無いってどういう意味だ?」
「俺のパートナーは異世界人だから」
「……うん?」
だから?
「相手の家門はこの世界に存在しないだろ? で、俺の方はオメガと診断された時に実家から捨てられているから結婚で旧姓を名乗るのも少し違和感があって。でも隼百みたいに元の家名を生かす人は多いよ。うちは必要なかっただけ」
「それ初対面に打ち明けて良い話かな!?」
重いよ!?
本人に不満はなさそうだから赤の他人が口を挟む場面では無いけど。
隼百の困惑に円はくすくすと笑う。
「困らせてごめん。他の説明はちょっと待ってて。詳しい事情はこっちには知らされてないから答えられないんだ。担ぎ込まれた隼百を看に来ただけでね」
「見に?」 くたばり損いの中年男なんて見物しても面白くもないだろうに。子供に振り回された結果か。「そっか。わからないのに色々ありがとな」
でも。隼百が持つ疑問の中で、円が答えられるものがひとつだけある。聞いて良いものかどうか迷うけど。
アウトか。さっきエン君だって失礼な事だと弟を諭してたし。その辺りの常識は元の世界と変わらないだろう。ううん。
女、男、どっちだ?
まどかって中性的な名前では判断つかない。母さんって呼ばれてたから女だ。普通ならば。
この世界の仕組みが隼百にはわからない。オメガは男でも子供が産めると最初に教えられた、ような?
本当か?
聞き間違いか勘違いだったかもしれない。そりゃ男の仲嶋さんはママって呼ばれてたけど、そもそもあの人は変装してたんだから正体は女かもしれな……えー?
うう、ぐるぐるする。男が子供を産むのと、高性能な変装グッズで女が男に擬態するのはどっちがあり得る?
わからん。今までの地方田舎生活では異世界ギャップを感じる事がなかった分、突き詰めて考えると記憶に自信が無くなってくるし、受け容れがたい。
けど、逆に言えば隼百の常識通りだったのは地方での日常だけだ。それ以外では概念をぶち壊されてばかりいる。
地方と言えば。喫煙所で聞いた話を思い出す。隼百にとって切ない話だけれど、この異世界の日本でも嫌煙化は進んでおり『タバコミュニケーションなんて化石』と言われてる。けど田舎でならそれはまだ健在だ。時代遅れのおっさん共の雑談の中身は野球と近辺の情報交換、時々中央の情勢。
彼らが言うには地方から都会出ていく若者は多く、けれど戻ってくる者も同じだけ多いらしい。それは全国的な現象で。ここ十年の凄まじい変化を受け入れられない者は年寄りだけではないのだ、と。
──異渡りとその叡智は中央に集まる。出戻り組の『都会は怖いよ』とのボヤキを何となく聞き流してたけど、異世界人によって生まれる諸々の軋轢と格差は深刻なのかも……どうでも良い事考えてるなオレ。ちょっと今動転してるから気を逸らしたいのだ。
至近距離の胸の辺りを見ても喉仏のあたりを見ても、円の性別は判断付かない。きっかり成人しているのに性別不詳な美人に会ったのは隼百は初めてだ。この年齢でも初めての経験って、意外と多いなあ。
とか悠長に構えてられるか!
さっきから気が散ってるのは円が隼百の頬やおでこ、腕、腰をぺたぺたと触りまくってくるからだ。一体なんなん? 性別不詳相手だから無駄にドギマギする。
「あの」
「ちょっと我慢して」
「でも」
「動かない」
柔らかい口調なのに意外と強引だ。全く有無を言わせてくれない。遠慮無い手付きで目脂も拭われた。ぐう。
打ちひしがれる隼百を余所に手をタオルで拭いながら円は独り言を呟く。
「うん。不純物は出てるから順調と言えるよな……違和感消えない原因なんだろ? ……ああ。いちばんデカイ傷は身体じゃない……魂は、俺じゃ」
「……煙草あるかな?」
「ごめんな。館内は禁煙なんだ」
人の身体に触りながら考え事に没頭する円の反応はにべもない。隼百は肩を落として溜息。
「喫煙者に優しい異世界に行きたかった」
「……。そんなに吸いたい?」
声に項垂れた顔をあげると、不安そうに覗き込まれていたから慌てる。
「や、大丈夫。駄目なら全然我慢するし」
困らせるつもりは無いのだ。相手はあからさまにホッとした顔になる。
「良かった。もし隠れて吸ったりしたらお空に放り出されちゃうから気をつけて」
「そら?」
なんで空。
「うん。ここは船の中なんだ」
「……ふね?」
なんで船?
「にしても隼百は我慢強いね」
「うん?」
どこがだ?
特に思いつかない……ぼうっとしてしまってハッとする。散々思考して疲れたせいか面倒になってきた。……えと。何の話だっけ? いやまだ何も聞いてないんだった。鈍い自分の反応に弱る。聞かなきゃ。あの後どうなったのか、とか。
暑いな。じゃない。……駄目だ、会話の最中だ。失礼だろう。もうドキドキしてない自分が不思議だ。円に触れられた箇所がポワポワしている。身体の芯から暖かい。
いや、これ──暑いじゃなくて、熱い、のか? ……またぼうっとしてしまってハッと我に返るを繰り返し、ようやく自分が眠いって事に気が付いた。
瞼の上を手に覆われて自然と目を閉じている。ゆっくり、ゆっくりと頭を撫でられる。
「今度は夢を見ずにおやすみ」
意識が落ちる寸前、そんな声を聞いた。
────────────────
遅くなりました。
軽率に次回予告するとタイトル回収シーンまで書かなければいけない羽目になるから長くなるんですね。ちい覚えた。
今回出てきたきょうだいたちの話は同人誌でも書いてます。本編に絡まない程度の外伝本を作ろうとしたらショタになりました。範囲外です。もしもアルファオメガベータ混成のうるさい子達が気になりましたらぜひ。Twitterにリンクあります。
次回は『34 治癒』です。
隼百が身じろぐと子供達は叫び声と共に蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
間。
子供、ではない。子供達──複数形である。
「見て! 起きた! 起きてる!」
「叫ぶなよ。近いから聞こえてる。起こしたのはキンセイ、お前だろ」
「キセ起こしちゃったの? まだそっとしておいてあげなきゃ駄目だよ」
ベッドの上で呆然と硬直する隼百の耳に届くのは幼い声。
視線を向けれてみれば、ぼんやりと曇った視界にわらわらとちいさいのが戯れている様が見てとれた。
叱られているのが今逃げた子だろうか。
「違うよー? そっとしてたら起きたんだよ」
「ぱって、めえあいたの」
「アレって起きてる? ぼーっとしてるけど」
「ぼーってしてるね!」
「ボーちてる」
いや何人いるんだ?
「弱そうでかわいいね。オメガかな?」
「はあ? ドコを見てるんだキンセイ。物事の観察と表現は正しくしろ」
「ええっ、強いの!?」
「……違う。弱いのは合ってる。でもあれは可愛くはない。オメガにしてはくたびれてるだろ」
大人びた口調で喋ってる方も、声は高くて可愛らしい。
「クタぴれるってなに?」
「おじさんってことだよきっと」
「オジサンてなに?」
「くたびれてるんだよ」
「クタぴれるってなに?」
「おじさん!」
「きゃーあ!」
ぜんぜん状況わからない。けど……隼百はしみじみと歳を実感する。箸が転がってもおもしろい年頃ってすげえな。
おじさん、ついてけない。
「弱そうだとオメガってなるの、おかしくないか?」
解せない、といった風に呟いたのは少女で、赤ちゃんを抱いている。少女がちいさいから重そう。
「おかしくないよー? メノニイだって腕ずもうでおれに勝てないじゃん。駆けっこもいつもおれが勝つよ?」
「う」
「メノニイを強そうって言ったらウソになるでしょ? ウソ言ったらダメなんだよ? あ、それかおれの言い方が悪い? 強くなさそうってやさしく言ったらだいじょぶ?」
「え? うんそうだね。やさしく……やさしいか?」
「キンセイ、矢継ぎ早に捲し立てるな。めのの理解が追いつかない」
寝起きの隼百の理解も追いつかない。
ちっちゃい。みんなちっちゃい。ここは託児所か?
何で託児所にオレが? 子供ばかりの場所って他に……あ。
ぴこんと閃く。そう! 仲嶋さんが子だくさんだった。
そしてトルマリンの伴侶は仲嶋さんだ。
繋がった。かもしれない。
ここは仲嶋家か。いやトルマリン家って言うべき?
隼百はそこまで見当を付けて。
どうして自分がここに? という最初の疑問に立ち戻る。
戸惑う隼百だが、子供の疑問も止まらない。
「エンにーに、くたぴりるはかわいくないの?」
「くたぴりるじゃなくて『くたびれてる』だ。かわいくないよ。ほら顔色がおかしいだろう? 唇もガサガサ。痩せすぎだし、息の仕方だって普通じゃないよな? 苦しいからこうなる。目元もごらん」
「すごい!」
「健康じゃないんだ。放っておくと長生きしない」
いや待て。隼百は心の中で突っ込む。可愛いか可愛くないかってのは健康状態でジャッジするものか? この子の主張は何も間違えてはいないけど、根本的なところがズレてる。まずおっさんをみて可愛いと言った最初の子からズレてる。ペット飼う感覚?
「くたぴりちるとオメガちがうの?」
「そういう訳じゃない。けどオメガはくたびれてても美形だ」
「きららはくたぴちれてもびけいね」
「きららはくたびれてない美形だ。でも女の子だから美人と言った方が順当だな」
質問責めにも根気よく答えている子がいちばん背が高くて大人びてる。それでも小学生高学年ぐらいだけど。大人の姿はない。エンにーに、と呼ばれてたから『エン』君はお兄さんか。長男か。
「きららはびじんわかる! ママといっしょ」 両手を上げてはしゃぐ女の子『きらら』ちゃんは会話覚えたて喋りたい盛りの三歳児って感じ。「そんでびけいってなに?」
「……」
うん。延々と終わらないよな、ナゼナニ。お兄ちゃんは大変だなあ。そのお兄ちゃんに散々な言われようなのに隼百は呑気に同情してる。
答えるのが面倒になったっぽいエン君と妹のやり取りの脇で、赤ちゃんを抱いた子守ちゃんがくすりと笑った。小学生の低学年位か。やけに華奢なのに危なげなく抱っこしているアンバランスさに目が離せなくなってついつい見つめているとおっとり口を開いた。
「美形はかわいいって事だよ。きららはかわいいもん」
「えー」 ブーイングの声を上げたのはいちばん元気な男の子。歳は子守ちゃんと同じぐらい? 「おれ、つよいのが美形と思ってた。オメガが美形だったらメノニイも美形なの?」
「僕? さあ」
首を傾げるぽやっと子守ちゃん。
あれ。隼百は気が付く。これ抱っこしてるんじゃないわ。赤ちゃんの方がしがみ付いているのだ。コアラみたいに。
……ええ平気?
子守ちゃんの名前は『めの』ちゃ……ん? ニイ? 一人称とメノニイという単語にようやく引っかかりを覚えて言葉を咀嚼して、隼百は眉を下げる。……ごめん。最初から兄と呼ばれていたのに少女だと思い込んでた。男の子だった。
隼百が勝手に勘違いして反省してる間にも会話は続いてる。
「キセはきららより大きい癖してなぜなぜ聞き過ぎなんだよ。お前ちょっとは黙ってろ」
「えーエン兄、おれだけ黙るのさべつだよ。ねえ、エン兄、めの兄は弱いのに美形なの? エン兄はめの兄をかわいいと思ってるって事?」
「……。うるさいって言ったつもりだけど……そうか。キセにはもっとはっきり言わないと伝わらないんだな」
推定長男の睨みにぴゃっと怯むキセ君。子供からはあり得ない圧を感じた隼百も怯む。こわい。これ殺気では? ただの子供が? ただ者じゃない。けれど睨まれた当人は案外平気そうで、めの君の後ろにささっと隠れる。
「なに? なにをはっきり言うの? おれエン兄怒らせた? ねえめの兄、エン兄怒ってる?」
「どうしてエンの機嫌を僕に聞くのさ」 めの君はちょっと鈍いのか、ぽやっとしてて緊迫感が全くない。「エンは別に怒ってないよ。ほら、ベッドで寝てるお兄さんが困ってるよ。静かに看病しよ?」
鈍いなんて評価してごめん良い子だ。そして、もういっこ間違いを発見した。
──長男はめの君の方だ。
根拠もないのに隼百は確信する。勘なら外した事がない。勘違いはするけどな。
「こはちゃ、びけいってなに?」
兄たちの解答では物足りなかったのか、きららちゃんが聞く相手を変えた。
めの君に抱きついた赤ちゃんの方に。
「にぃに」
そして答える赤ちゃん。……喋れるんだ。つたないのにしっかりとしたこの声には聞き覚えがある。
嘉手納で監視カメラをジャックした、クマのぬいぐるみ持ってた赤ん坊だ。……ああ。
やっぱりここ、仲嶋さんの家か。
「えー?」 とキセ君。「コハー、にいに、だけじゃダレかわからないよ。どのにいにかしぼって言わないとね」
兄の教えに赤ちゃんが身体をぐぐっと反る。
「にぃに、ねぇね、ぱぱ、まま、まどちゃ、ちぇんちょ」
「ふえてくの!?」
「ふふ、琥珀ちゃんは賢いね」
ここで口を挟んできたのはまた毛色が違う子供だ。
だから何人いるんだよ。
「おれよりかしこいよ! コハすごいの」
「うん。キセ君の美点はその素直さだよね」
「ちのぶ」
「僕も入れてくれるの? ありがとう」
「ん」
赤ちゃん得意げ。
「もー。アルファはいみしんばっか言うよね。ちゃんと教えてくれないとひとにわかんないよ? ね、エン兄。……もー」 返事をしない兄に、キセ君の様子がちょっとおかしくなる。笑おうとして、出来なくて俯いた。「エン兄はきららばっかり教える。先にきいたのはおれなのに」
声が揺れてる。
「は? 妹を嫉むのか? ……お前、最低だ」
「ちがうー」
「ちがわない。だからベータってのは」
険悪になりかけたところにめのちゃんの声が被る。
「きせはエンが好きだよねえ。エンに構って欲しいんだよ」
「……あのな」
「そうだよ。おれ、エン兄好き。エン兄みたいになりたいの。でもエン兄はいつもおれを邪魔に言う……」
「はっ?」 あ。率直な台詞にエン君がひるんでる。「充分構ってるだろ。……邪魔とも思ってない」
「うん。そうだね。キセはいつも元気でいてくれるからエンはついつい気を許して言い過ぎちゃうんだよね。ほらキセ、エンが言い過ぎたって反省してるよ」
「言ってないし」
「でも反省はしてるよね?」
自分よりちいさい兄に諭されて反抗するかと思いきや、
「……うん。ごめん」
エン君は素直だった。ぽやっとして見えるめの君が予想外に長男らしい事にびっくりだ。傍らで観察してるだけの隼百にはわかる。めの君はきょうだいたちの様子をよく見て発言してる。
「えへへ……いいよー。でもおれ結局あのひとがオメガじゃない事しか教えてもらってないんだけどあそっか!」
「へあっ!?」
これは隼百の声。
キセ君がベッドに半身を乗り上げて隼百を見上げている。足先をぶらぶらと揺らして楽しげ。いやちょっと今の今までべそ掻いてなかったか? てかいつの間に来た!? 遠巻きにされてたしすっかり傍観者気分で油断してた。
「ねえきみ、オメガじゃないならベータ? おれと同じ!? 仲間?」
お子様のフットワークの軽さ怖い。期待の眼差しも怖……うっわ。近くで見ると愛らしいな。好奇心旺盛な円らな瞳は犬の子とか猫の子を思い出す。てかここでオレは答えるべき? それとも先におはようと言うべき?
「キセ……はやいし」 弟を止めようとして間に合わず、といったところか、めの君が中途半端に上がった手を降ろしてる。それから小首を傾げる。「同じじゃないよ? キセとお兄さんは似てない」
「メノウちゃんの言うとおり」 大人っぽく落ち着いた雰囲気の子は『ちのぶ』君か。「同じではないね」
「えー。オメガじゃなくてベータじゃないの? そしたらある」
「アルファでもないからな」 弟の台詞をぶった切るエン君。「それよりもキセ、パパから教わった事を忘れたのか? 人に性別を聞くのは失礼だから止めろ」
「あそうか。ごめんなさい……」 即座に反省するキセ君の姿が健気な仔犬に見えてくる。「あ、おとなほしいよね? パパー! パパ起きたよー!」
謝ってしまえば速攻でけろりとするところも犬っぽい。
「呼ぶならまずうちの親じゃないかな?」
「あそうか! 来てー! マドカサン!」
「ガー君で良くない?」
「ガーくーん!」
扉に駆け寄って外に向かって声を張り上げているキセ君を隼百は言葉もなく見送ってしまう。よく動くなあ……電池満タンのおもちゃみたい。それにしても。
全部が仲嶋さんの子じゃないのか? ここにいるのはきょうだいだけじゃないっぽい。ならどういう関係なのか。隼百はあらためて子供達の会話を思い返す。
オレ、目がおかしいって言われたな。目を擦る。
……え。
目脂がぽろぽろと落ちた。
恥ずかしい!
指摘されても今まで気付かなかった事から恥ずかしい。今すぐ顔を洗いたい。隼百は少しクリアになった視界で改めて室内を見て、呆然とした。
神様でも降臨するのか?
天使がたくさんいる。
ひょっとして気が付かないうちに死んでたのかも、なんて考えまでが脳裏をよぎる。可能性がなくもない所が笑えない。
教えてあげたい。『美形』を知りたければ鏡を見ろと。
幼女趣味も稚児趣味も無いけどこんな子達を市井に放ったら秒で攫われると確信できる。あでも攫われたのはオレの方か。
『メノウの仰る通りですよ。お客様が吃驚しています。これ以上大きな声でお喋りを続けるなら皆さん部屋から追い出します。うるさくしてお客様の具合が悪くなってはいけませんからね』
子供達が一斉に黙った。青年の声だ。大人居たのかよ。しかし辺りを見回しても声の主の姿が見えない。
……? 放送?
「しー! だって」
「シーってなに?」
「こうやってシー! ってするんだよ」
「しー!」
くすくす。黙ってるのが楽しくなってきたみたい。
静かになってはいないな。
「ヒソヒソ声ならいい? オレおきゃくさまとまだお話してない」
「きららもー」
「キセがひとりで喋ってたからだろ。僕、声も聞いてない」
「きららも!」
「おれは聞こえたよ。へあっ、って言ったもん。へあっ」
「へあっなの? ふふふ、へあっ」
「こおら」
と──柔らかい大人の声。
またかよ。いい加減ウンザリしてきた隼百だ。次から次へと新たな人物に出て来られても覚えられないんだけど。
今度も声だけで姿が見えないんじゃないかと疑いの眼差しで声のした方を窺ったけれど、ちゃんと実体はあった。
そして馬鹿みたいに口が開く。
「マドカさんみてみて! 起きたよ!」
「うっげ」 儚げな美人が雑な言葉を吐いて雑に頭を掻く。「おい何で皆ここに集結してるんだよ。立ち入り禁止だって……誰も言ってないのか」
すご……天使が増えた。大人だけど。
「そりゃあね」 にこやかに答えたのはちのぶ君。「入ったらダメって言われなきゃ、当然来るよね」
「指示する暇が無かっただけ! 言われなくてもわかるだろ。こういう時はしのかエンがちゃんと止めな。アルファ年長者」
「止める?」 エン君が思いも寄らなかったって顔をしてる。「めのが会いたいって言えば叶えるだろ」
「……めの史上主義なエンは置いていて、しの。お前は分別があるだろ」
ちのぶ君はしの? ちのぶ君ことしのぶ君は大人にめっと睨まれても笑顔を保ったままで、子供ながらどこか胡散臭い。
「僕はアルファとして大丈夫だと判断したんだよ。どうせいつか顔合わせはするし、結果は同じだろ? 母さん」
「同じって……対面させるかどうかの話も出てないから」
「船に連れてきたんだから、同じ意味でしょ」
「あーそうなのかな」 顎に手を添えて考える。「じゃなくて! 仮に会わせる算段があったとして、今じゃないだろ。忍には具合が悪い人に対して気遣いが出来るアルファになって欲しい」
「ふふ。母さんが看た直後に体調が悪い? あり得ないよね」
「……ああ言えばこう言う」
「本音は僕も早く会いたかったんだ」 笑顔を消して呟く。「滅多にないだろ。外の人に会える機会」
「あー、まあ……。悪い」
「母さんが謝らなくて良いよ。僕らの為だって理解してる」
「ねえねえマドカサンいっしょにおきゃくさんかんげいかいしよ?」
「だぁめ。ほらもう皆、外に出な」
「マドカサン怒った?」
「おこた? にゃーとくる?」
「きゃー」
「きゅあー!」
「めのも」
「えっ? えっ引っ張らない、でー」
「またね」
あっと言う間に部屋から走り去る子供達。
室内は急に静寂が訪れた。
嵐か。
ひとりだけ部屋に残った大人がベッドの側に来る。
頭を撫でられてびくっとする隼百。
「ゴメン。あの子達、お客さんが珍しくっていつになく興奮して……って言い訳は見苦しいな。本当、すまない」 心底申し訳なさそうに謝りつつ躊躇無く隼百の頬に触れる。「今更だけど体調はどうかな? 気分は悪くない? どこも痛くは無いかな? ……隼百?」
「だっ、大丈夫です」
ドギマギして考えるよりも先に答えてしまう隼百だ。20代? なんか年下から呼び捨てにされたけど、知らなかった。それが並外れた美人相手だとイライラじゃなく、ゾクゾクするものなんだな。この歳になってもまだ新しい発見というのはあるものだ。
じゃなくて誰?
天使──この言葉から隼百がイメージする姿は金髪碧眼だ。こういうのは西洋から来てる発想だからだろう。けど目の前の人は日系美人だ。日本人。なんだって天使なんて突飛な単語が浮かんだのかなオレは……と目が合って隼百はその瞳から目が離せなくなった。
眼球すげえ。瞳の中に星が瞬いてないか? 切れ長の漆黒の目。睫、長っ。唇、ぷるんとして柔らかそう。黒髪は艶々さらさら。語彙力を奪われる美人が目の前に。
今まで見た中でいちばん綺麗な人だ。
え。これで人の親? と考えてから浮上した可能性に戦々恐々とする。
──もしかして、これが仲嶋さんの正体では?
恐らくここに隼百を連れてきたのはトルマリンだ。
あの時に居合わせた『彼』なわけがない。
……急に落ち込んでいく自分の気分が不思議で、苦笑いして雑念を追い払う。
えっと。
トルマリンの奥さんが仲嶋さんで、隼百が知る糸目の仲嶋さんは変装姿だ。変装を解いた姿は、見てない。だから目の前の人物が仲嶋さんという可能性はあるのだ。マドカさんと呼ばれてたから別人か? いや母さんって呼ぶ子も居たし、そもそも隼百は仲嶋さんの名前を知らない。でも、
「その……奥さん?」 どうにも違和感を払拭できず、相手への呼び方に迷いが出た。しかし隼百の台詞に相手がぽかんとする。「あの?」
隼百の呼び掛けに『奥さん』はふわりと微笑む。
「新鮮だな。そう呼ばれたのははじめて」
よし解った! これ仲嶋さんじゃないわ。あり得ない美人だからとかそういう問題じゃない。
あの人こんなに素直じゃない。
つまりは知らない人だ──誰さ!? やばい。聞きたい事がありすぎて最早何から聞いていいのか解らない。
「あの、どうしてここに」
オレがいるのか、か? それとも、あなたがいるのか? ここはどこで、連れてきたのは誰?
すると隼百を安心させるように『奥さん』が微笑む。
「説明の前に自己紹介だよな。隼百、俺は円。あの子達の親のひとりで、オメガだ。隼百の世界にはオメガもアルファも存在しないんだって? なのに文明が同じって皮肉だよな。よろしく。歓迎するよ」 一気に喋ってから我に返ったみたいにしゅんとした。「隼百の話は前から聞いてるんだ。初対面って気がしなくて馴れ馴れしくてごめん」
「タメ口で構わないよ。よろしくまどか」 謝らせてしまった。気を遣わせないよう焦って返事をして、それから隼百は釣られて呼び捨てにした自分に照れる。日本人にとって初対面への名前呼びはハードル高い。「あの、まどかの名字は?」
「ああ、無いんだよね」
やっぱり仲嶋さんじゃないのか。だよな。と納得しかけて首を傾げる。聞きたい事は山ほどあるのにあまりにさらりと言われた台詞が聞き捨てならない。
「無いってどういう意味だ?」
「俺のパートナーは異世界人だから」
「……うん?」
だから?
「相手の家門はこの世界に存在しないだろ? で、俺の方はオメガと診断された時に実家から捨てられているから結婚で旧姓を名乗るのも少し違和感があって。でも隼百みたいに元の家名を生かす人は多いよ。うちは必要なかっただけ」
「それ初対面に打ち明けて良い話かな!?」
重いよ!?
本人に不満はなさそうだから赤の他人が口を挟む場面では無いけど。
隼百の困惑に円はくすくすと笑う。
「困らせてごめん。他の説明はちょっと待ってて。詳しい事情はこっちには知らされてないから答えられないんだ。担ぎ込まれた隼百を看に来ただけでね」
「見に?」 くたばり損いの中年男なんて見物しても面白くもないだろうに。子供に振り回された結果か。「そっか。わからないのに色々ありがとな」
でも。隼百が持つ疑問の中で、円が答えられるものがひとつだけある。聞いて良いものかどうか迷うけど。
アウトか。さっきエン君だって失礼な事だと弟を諭してたし。その辺りの常識は元の世界と変わらないだろう。ううん。
女、男、どっちだ?
まどかって中性的な名前では判断つかない。母さんって呼ばれてたから女だ。普通ならば。
この世界の仕組みが隼百にはわからない。オメガは男でも子供が産めると最初に教えられた、ような?
本当か?
聞き間違いか勘違いだったかもしれない。そりゃ男の仲嶋さんはママって呼ばれてたけど、そもそもあの人は変装してたんだから正体は女かもしれな……えー?
うう、ぐるぐるする。男が子供を産むのと、高性能な変装グッズで女が男に擬態するのはどっちがあり得る?
わからん。今までの地方田舎生活では異世界ギャップを感じる事がなかった分、突き詰めて考えると記憶に自信が無くなってくるし、受け容れがたい。
けど、逆に言えば隼百の常識通りだったのは地方での日常だけだ。それ以外では概念をぶち壊されてばかりいる。
地方と言えば。喫煙所で聞いた話を思い出す。隼百にとって切ない話だけれど、この異世界の日本でも嫌煙化は進んでおり『タバコミュニケーションなんて化石』と言われてる。けど田舎でならそれはまだ健在だ。時代遅れのおっさん共の雑談の中身は野球と近辺の情報交換、時々中央の情勢。
彼らが言うには地方から都会出ていく若者は多く、けれど戻ってくる者も同じだけ多いらしい。それは全国的な現象で。ここ十年の凄まじい変化を受け入れられない者は年寄りだけではないのだ、と。
──異渡りとその叡智は中央に集まる。出戻り組の『都会は怖いよ』とのボヤキを何となく聞き流してたけど、異世界人によって生まれる諸々の軋轢と格差は深刻なのかも……どうでも良い事考えてるなオレ。ちょっと今動転してるから気を逸らしたいのだ。
至近距離の胸の辺りを見ても喉仏のあたりを見ても、円の性別は判断付かない。きっかり成人しているのに性別不詳な美人に会ったのは隼百は初めてだ。この年齢でも初めての経験って、意外と多いなあ。
とか悠長に構えてられるか!
さっきから気が散ってるのは円が隼百の頬やおでこ、腕、腰をぺたぺたと触りまくってくるからだ。一体なんなん? 性別不詳相手だから無駄にドギマギする。
「あの」
「ちょっと我慢して」
「でも」
「動かない」
柔らかい口調なのに意外と強引だ。全く有無を言わせてくれない。遠慮無い手付きで目脂も拭われた。ぐう。
打ちひしがれる隼百を余所に手をタオルで拭いながら円は独り言を呟く。
「うん。不純物は出てるから順調と言えるよな……違和感消えない原因なんだろ? ……ああ。いちばんデカイ傷は身体じゃない……魂は、俺じゃ」
「……煙草あるかな?」
「ごめんな。館内は禁煙なんだ」
人の身体に触りながら考え事に没頭する円の反応はにべもない。隼百は肩を落として溜息。
「喫煙者に優しい異世界に行きたかった」
「……。そんなに吸いたい?」
声に項垂れた顔をあげると、不安そうに覗き込まれていたから慌てる。
「や、大丈夫。駄目なら全然我慢するし」
困らせるつもりは無いのだ。相手はあからさまにホッとした顔になる。
「良かった。もし隠れて吸ったりしたらお空に放り出されちゃうから気をつけて」
「そら?」
なんで空。
「うん。ここは船の中なんだ」
「……ふね?」
なんで船?
「にしても隼百は我慢強いね」
「うん?」
どこがだ?
特に思いつかない……ぼうっとしてしまってハッとする。散々思考して疲れたせいか面倒になってきた。……えと。何の話だっけ? いやまだ何も聞いてないんだった。鈍い自分の反応に弱る。聞かなきゃ。あの後どうなったのか、とか。
暑いな。じゃない。……駄目だ、会話の最中だ。失礼だろう。もうドキドキしてない自分が不思議だ。円に触れられた箇所がポワポワしている。身体の芯から暖かい。
いや、これ──暑いじゃなくて、熱い、のか? ……またぼうっとしてしまってハッと我に返るを繰り返し、ようやく自分が眠いって事に気が付いた。
瞼の上を手に覆われて自然と目を閉じている。ゆっくり、ゆっくりと頭を撫でられる。
「今度は夢を見ずにおやすみ」
意識が落ちる寸前、そんな声を聞いた。
────────────────
遅くなりました。
軽率に次回予告するとタイトル回収シーンまで書かなければいけない羽目になるから長くなるんですね。ちい覚えた。
今回出てきたきょうだいたちの話は同人誌でも書いてます。本編に絡まない程度の外伝本を作ろうとしたらショタになりました。範囲外です。もしもアルファオメガベータ混成のうるさい子達が気になりましたらぜひ。Twitterにリンクあります。
次回は『34 治癒』です。
0
お気に入りに追加
119
あなたにおすすめの小説
そばにいてほしい。
15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。
そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。
──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。
幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け
安心してください、ハピエンです。
βの僕、激強αのせいでΩにされた話
ずー子
BL
オメガバース。BL。主人公君はβ→Ω。
αに言い寄られるがβなので相手にせず、Ωの優等生に片想いをしている。それがαにバレて色々あってΩになっちゃう話です。
β(Ω)視点→α視点。アレな感じですが、ちゃんとラブラブエッチです。
他の小説サイトにも登録してます。
受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店
ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる