異世界オメガ

さこ

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32 夢渡りがつなぐ、夢のいち

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 夢を見ているのは判ってた。

 居間に両親がいて、息子を前にして目を丸くしている。
 懐かしい。と感じるのはその居間が、現在両親の住んでいる実家じゃなく、隼百が子供の頃に住んでいた社宅の居間だったからだ。
 E棟の4階の402号室。

 当時日本の人口は増え続けていて、でも土地は有限だった。結果として人の住居は縦に伸び、規格化されコピペのごとく増殖した団地はつまらない中流家庭の象徴とされた。けれど青空を背負った無骨な鉄筋コンクリートがどこまでも並ぶ様は子供の目から見れば巨大迷路であり、ジャングルだった。壁と塀のあり得ない隙間を駆け回って遊んだ記憶も、友達と一緒に怒られた思い出も沢山。今はとっくに取り壊され跡形も無い。
 感慨深く室内を見渡せば、狭い空間の中に家具や雑多な物が所狭しと並んでいる。壁にはゼンマイ式の柱時計。シールがベタベタに貼られたタンス。小学校の入学から使っていた学習机。あれもこれも、引っ越しで捨てた、忘れていた事すら忘れていた物たち。玄関には鳥かごが置かれてたんだよな──なんて事まで思い出すと、いつの間にか隼百の肩の上にはインコと文鳥、数羽が乗っていた。
 ピコにピピ、それにピピとピコと、ハッちゃんグッちゃん。名前が被ってるのは歴代全てが揃っているからだ。
 黄色ならピコで、青ならピピ。雑なネーミングの主は母。
 そして──両親に対しては懐かしいよりも、たまに実家に帰った時と同じ感想が浮かぶ。

 また老けたかな? って。

 余命宣告を受けた後も、隼百が実家に帰る頻度が増える事はなかった。日々弱っていく姿を親に見せるのは可哀想だと考えたからだけど。少しは顔を見せれば良かったなと今なら思う。

 夢の割にリアルな造形だなあ。……と両親を眺めていたら父が隼百の前にふらふらつんのめりつつまろび入る。
「ちょっ、大丈夫かよ?」
 隼百にはわかった。お母さんに強く背中を押されたのだ。お父さんが先に何か喋りなさいよ、という台詞まで聞こえてきそうだ。いつも困るとお父さんに押しつけるんだから……呆れて父を見れば、目が合った途端ごしごしと目を擦るから焦る。え。
「うん、うん。大丈夫だ。やっとお前に会えたからな。……隼百はやと。やっと夢に出てきてくれた」
「……お父さん」
 夢なんて所詮夢だ。
 夢で会えたからって、それだけで喜ぶなんて、馬鹿だな。もっと恨み言とかあるだろう。今だったら孫が見たかったと責められたって素直にごめんって言う。結局まともな親孝行も出来なかった。いろんな思いが同時に浮かんできて、不意に二度と会えない実感が沸いて不肖の息子として姿勢を正す。
「隼百」
「うん」
 繰り返し呼ばれる名に籠もる、万感の想いが辛くて暖かい。
「そっちの世界で楽しくやってるか?」
「ううーん……」 言い淀む隼百だ。いきなり答え辛い問いぶっ込まれても。「今ちょっと、楽しいとは言いにくい」
 夢に嘘をつく必要もないし、正直に答える。

 ──耳の奥ににこびり付いたみたいに繰り返し脳裏をよぎる声がある。
 あのバリトン。

 あーあ。
 結局声しか聞けなかった。
 やっと会えたのに。
 ざんねん、顔も見てない。

 剥き出しの心は素直だ。

 残念。それが何にも取り繕えない裸の隼百の気持ちだった。

 夢の中では現実は曖昧で、これが夢だと自覚していたって直前の記憶すら持っていない。
 それでも隼百は『彼』とすれ違った事は忘れてないし、何の根拠もなく、何の疑問もなく確信している。

 背中しか知らない夢の彼と、声しか知らない彼は同じだと。
 少なくとも隼百の中では同一人物だ。
 あの声は言ったのだ。
 帰れと。

 ……酷いなあ。
 ずっと。
 気の遠くなるくらい前からずっと、あの人に会いたかった。
 同じくらいの量の気持ちでずっと、会いたくなかった。
 会うのが怖い。
 冷たくされたくない。
 きっと、また捨てられる……うん? 隼百は自分の不安に首を傾げる。オレは捨てられたのかな? 拾って貰えなかったんだっけ? 覚えてない。思い出せない。知らない。
 記憶の箱から何やら怖いものが溢れそうになって急いで蓋をする。でも多分、『また』があったら今度こそオレの魂は壊れてしまうんだろう。
 壊れるのは困るなあ……自分の未来なのに他人事に考える。
 だって壊れたらあの人を守れない。

 夢の中ならまた会えるかな? 無理か。
 自分の思いつきに失笑する。埒も無い事、何も両親の前で考えなくても良いのにオレは。

 両親は隼百の返答に目を瞬いていたが、
「嫌だわー。そっちの世界も世知辛いの?」 その反応は予想外にあっけらかんとしてた。母は頬に手を当て息を吐く。「わたしらだってそのうち行くとこだってのにねえ」
 そっちの世界って、意味が違った。
 ああそっか。普通は死後の世界と思うよな。
 オレがそこに行くにはもうちょっとかかりそうだよ。

 父はしたり顔で頷いている。
「苦悩するぐらいが丁度良いのかもしれんぞ。天国には幸福しか存在しないなんて言うが、おれは胡散臭いと疑ってたんだ。大丈夫だ、隼百。困難の先に得難い幸せが来るからな」
 いや、息子が地獄じゃなく天国に行くって事は疑わないのかよ? 悲観的に見えて楽観的な父に呆れるが、気づけば母が隼百を呆れたように眺めてる。
「……なに?」
「あんたね、死期を悟って消える猫みたいな死に方は止めなさいよ」
「え。そんなつもりは無かったんだけど」
「そういうところよ。普段ぼんやりしてる癖して時々、とんでもない行動力で問題起こすんだから」
「いやそれ言い掛かり……」 反論しかけた言葉を呑み込む。どっちにしろ親不孝なのは変わらないか。「うん、ごめん。心配かけた」
「そうよ……夢でぐらい元気な姿を見せて欲しかったわ。痩せちゃって、もう」
「でも最近の猫って家の中で飼ってるから昔みたいに勝手に消えたりしないよ?」
「ちょっと、涙も引っ込むわ。ほんとああ言えばこう言うんだから。なら隼百は猫より悪いって事じゃない」
「口が達者なのはどっちだよ……」
 初めは父の背中を盾にしてた癖に、一端喋り出した母は止まらない。
「そもそもろくに帰ってこないし、うちの場所忘れたんじゃないかって思ってたわよ。あんたはいろいろ足りてないって自覚も足りないんだから。って言っても隼百は頭だって顔だって悪くないしむしろ整ってるのよ? ご近所の女の子達の初恋相手は殆ど隼百だったじゃない? 隼百を好いた中には男の先輩もいた事もこっちは知ってるんだから。でも本人は気付いてるのかいないのか全部ぼんやり受け流しちゃうしチョコだって沢山貰ってきてたのにお返しの中身を考えるばかりでアレを春の恒例行事と思い込んでたんじゃないの? 御歳暮じゃないのよ彼女のひとりも連れてこないでまさかそのまま大人になるとは思ってなかったわ。本当まともな甲斐性さえありゃとっくにひ孫だってこさえてるのにあんたは」
 隼百ははたと思いつく。
「オレ、行方不明扱いになってるのかな。ごめん、死亡じゃなきゃ保険も降りないよな……あ、でも預金は生きてるか?」
 それほど稼いでたわけじゃないが、散在する趣味もなかったのだ。こんな事ならちゃんと遺産の準備をしておけばよかったと後悔する。死が迫ってたわりに何も考えてなかったんだよなオレ。
「隼百」
「暗証番号はこの社宅の電話番号下四桁だから。老後に使って……って言うほど蓄えは無いけど」
 夢の登場人物相手に必死になっても意味は無い、と自分で思ったばかりなのに冷静な判断は出来ず、あわあわと焦る隼百に、突っ込みが入る。
「隼百なあ」
「あんたねえ」
「なんだよ」
「……夢でも隼百らしいわ。こういうズレてる子だったわ。忘れてた。ほんと、いろいろ思い出した」
 母が笑ってるけど、笑いながら涙ぐんでるから困る。
 父の方はもっと悪くて、号泣を堪えるひどい顔で目を潤ませてるから居心地が悪い。

 ……今、辛気臭い話なんてしてなかったじゃん。

「お金の事なんてあんたに心配される筋合いは無いわ。大体隼百が居なくなってもう5年経ってるんだし」
 え?
「なんで? そんなに経ってんだ? オレこっちに来たばかりだよ」
「ほんと、ぼーっとした子よねえ」
「ぼーって」
 親に軽く受け流されて釈然としない気分……いいけども。ああ、そうだ。夢だけれども折角だ。
 会えたなら、言わなきゃいけない。

「お母さん、ここまで育ててくれてありがとう」 言葉に出してから、言い足りてないと感じる。「お父さん、オレどうしようもない息子だったけど、見離さないで、愛してくれてありがとう」
 ──壊れかけていた魂がここまで回復したのはただ普通に暮らしたからだ。両親の愛で慈しまれて育ったからだ。
「……馬鹿ね。お嫁に行く挨拶じゃないんだから」
 母はまた涙ぐみながら笑う。
 やっぱり居心地が悪くって、隼百は焦る気を紛らわすように肩に止まっている小鳥の一羽に手を伸ばした。息子の情操教育の為にと飼われていた、団地でも飼えた小動物。

 選んだのは白の小鳥。インコでも文鳥でもなく、なんの鳥か……わからない。他の子達の名前は思い出せるのにこの子だけ見覚えが無いのだ。夢だからいい加減なのは当然だけど、他が完璧だから少しの違和感が気になる。
 と、咄嗟に飛び上がって逃げようとした鳥の足だけを捕らえてしまった。
「きゃ」
「あ、悪い」
 反射的に謝ってから、んん? と首を傾げる。
 耳元でした声の方を振り向けば、予測した位置より間近に大きな瞳。小さな顔。

 背中から白い翼が生えている美少女が、隼百に二の腕を掴まれて硬直していた。


      †


 ふっと目を開ける。

 頭を動かすと耳元でキシッと音が鳴った。
 頭の下に枕がある。って事はベッドの上か。
 近頃では珍しくすっきりした目覚め。
 夢を見ていた気がする。内容は覚えておらず、ひどく懐かしく暖かい気持ちだけが残っている……ここどこだろ? 枕は適度に堅く、好みの弾力。布団は軽くフワフワ。襲撃を受けた隼百のアパートじゃない事だけはわかる。明るいけれど太陽ではない眩しさで、朝なのか夜なのかも分からない。目がぼやけてモノがよく見えない。年齢と病気をいちばん実感するのは寝起きかも。出来ない事が日々増えていくのも慣れたけど。今日の体調はまだマシな方。……マシどころではないな。どこも痛くなくて、大分良い。ふしぎだな。ぼんやりとした視界の中に身を乗り出してこちらを覗き込んでいる影に気付いて仰け反った。下がれない。
 宇宙人!?
 それらの影は頭が大きく、手足が小さい。

「おきた!」

 高くあまい声に隼百は拍子抜けする。
 人にしてはバランスがおかしくて認識がバグったが、何のことはない。正体は子供だ。ランドセルを背負い初めくらいの歳の。

 ……子供ぉ?


────────────────
ひさびさ更新が夢のシーンで失礼します。次はもうちょっと早めにしたい。次回は「33 船?」です。

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