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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

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「お待たせいたしました、義母上」

 応接室に入ると、優雅な姿勢でイジドーラ王妃がソファに腰かけていた。その後ろに控えているのは古参の女官だ。

 ハインリヒが向かいのソファに腰かけると、後ろをついてきたカイは、ハインリヒの後ろに控えるように立った。そのカイの足元を弱そうな小鬼が三匹ちょろちょろとうろついている。
 その小鬼たちはやけにおめめがきゅるんとして愛らしく見える。リーゼロッテが浄化できないまま別れた小鬼たちだ。この異形たちは、あれ以来王太子の応接室に住み着いて、そのまま放置されていた。

 小鬼たちはハインリヒが座るソファの陰から、こそこそとイジドーラ王妃を覗き見ている。気になるが近づけない。そんな様子だった。
 イジドーラ王妃には、王の守りが張り巡らされている。恐らくはその影響だろうと、カイは小鬼たちをちらりと見やった。そしてハインリヒに視線を戻す。

 普段から、自分の近辺に女性が出入りするのを好まないハインリヒは、王妃に対して愛想笑いのひとつもしようとする気も失せてしまう。それでも何とか張り付けたような笑顔を繕った。

「何度も申し上げていますが、面会の際には先ぶれを出して頂かないと、むやみにお待たせすることになりますよ。それに、義母上自らご足労頂かなくても、言って頂けたらこちらからお伺いさせていただきます」
「あら、そんなことしていたら、ハインリヒに会えるのは一年先になってしまうじゃない」

 親子と言えど王族の面会は、予定の調整などで申請から面会まで時間が掛かる。しかし数日から掛かっても一週間程度だろう。
 暗に面会時は予約を取れと言ってみるが、まったく意に介さないイジドーラを前に、ハインリヒは今度こそ大きなため息をついた。

「で、今日は一体何事ですか?」
「テレーズが懐妊したようなの」

 イジドーラの言葉に、ハインリヒの表情が真剣なものに変わる。

「テレーズ姉上が?」
「ええ、まだ隣国で正式な発表はされていないのだけれど」

 閉じた扇を口元に当てながら、イジドーラは妖艶な笑みを浮かべた。

 国交が乏しいとはいえ、第二王女のテレーズが隣国の第三王子に嫁いだこともあり、隣国の情報はつぶさに届くようになっている。

 ここブラオエルシュタインでは長い年月、他国との国交は途絶えていた。しかし、前王妃であるセレスティーヌは隣国・アランシーヌの王女だったため、ここ二十年ほどで隣国とだけは少しずつ交流が生まれている。
 テレーズがアランシーヌに嫁いだのもその一環で、テレーズは龍の託宣を受けなかったため可能になった縁談だった。

「正式に発表されるのと同時に、テレーズにお祝いを贈りたいのよ。初孫ができたお祝いなのに、他の誰かに先を越されるなんて悔しいじゃない」

 そう言いながら、イジドーラはお付きの女官に扇で指示を出す。女官は黙ったまま頭を下げ、手に持っていた箱を恭しくハインリヒに差し出した。
 ハインリヒはカイに目配せして、それを女官から受け取らせた。

「中を見ても?」

 イジドーラが妖しげな笑みを保ったまま頷くのを確認すると、カイはハインリヒの目の前で箱の蓋を開けて見せた。

「これは……守り石ですか?」

 箱に入っていたのは、大小様々な楕円形の石だった。くすんだ灰色のそれらは、数にして十個以上はありそうだ。
 石から近しい波動を受けたハインリヒは、これらがかなり良質な守り石だと感じ取っていた。

「テレーズのためにいい石を取り寄せたの。子が無事に生まれるよう、これでお守りになる装飾を作りたいと思って」

 守り石には力を込める人間との相性がある。これらの石は、ハインリヒのために選別された物のようだ。
 試しにひとつ手に取ってみる。軽く握りこんで、ハインリヒは少しだけ力を注いでみた。するとくすんでいた石がうっすらと紫色を帯びていく。

「これは相当良質ですね……」

 良質イコール込められる力が多い、ということだ。この数の石に力を注ぐとなると、少し難儀かもしれない。

「どれくらいかかるかしら?」

 イジドーラは力ある者でも視える者でもない。王妃として、龍の託宣や異形の者の存在を、知識として知っているだけだ。力を使う際の疲労感や体力消耗など、本質的な事は理解などしていないのだろう。

(気軽に言ってくれる)

 内心で毒づきながらも、他ならないテレーズのためだ。異国の地にひとり嫁いでいった姉姫のことを思うと、ハインリヒにはやらないという選択肢はあり得なかった。

「この数ですし、一週間……いえ、五日ほどいただければ」
「あら、意外と早いのね。うれしいけれど、無理はしないでちょうだい。かわいいハインリヒに倒れられては困るもの」

 一拍置いたイジドーラは「だけれど……」と、思わせぶりに切れ長の薄い水色の瞳を細めてみせた。
「うぅんと、心を込めてちょうだいね」

 そう言ってイジドーラは、この日一番の妖しい笑みをハインリヒに向けたのだった。


 王妃の離宮に戻る道すがら、今まで黙っていた女官が感慨深げに口を開いた。

「ハインリヒ様は、ますますセレスティーヌ様に似ておいでになられましたね」
「そうね……一度、ハインリヒに化粧を施して、ドレスで着飾らせてみたいものだわ」

 この王妃なら本当にやりかねない。
 女官は慌てて「そのようなお戯れを」とイジドーラをたしなめた。

「冗談よ」

 イジドーラの蠱惑の唇がにやりと弧を描いたその瞬間、執務室に戻ったハインリヒの背中に悪寒が走ったのだった。
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