六丁の娘

大純はる

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第十話 名前

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「もうお前たちには会えない」
 と、ウガヤは真面目な顔で言い渡してきた。
 近ごろ蓄え始めた口髭が、まだ借り物のように似合っていない。
「会うのは、今日で最後になる」「何を言ってるんだ、一体」
 進は、へらへらと笑ってみせた。とても真剣には受け取られない。だが、相手の硬い面差しは少しも緩まなかった。
「父親が死んだ。なのに葬儀を出す金もない。憎い借金取りにこれ以上借りるわけにもいかず、俺が家へ入って、どうにか差配しなければならない」
「それはお悔やみ申し上げる」
 確かにウガヤは、わきの開いた浅黒いほうに、えいを巻いた冠という、常に似ない服装をしている。きっと公家の喪服なのだろう。
「しかし、もう会えないってのはどういうことだ。まさか一生というわけでもないんだろう」
「恐らく、一生になる」
「バカを言え」
 進にはようやく、少しばかり現実として受け止められてきた。すると自然、ふつふつと怒りが湧き上がってきた。
「しほはどうなる。もうすぐ臨月だというのに」
 正式に祝言を挙げた、というわけではない。だがウガヤは度々、兄妹の小さな茅舎ぼうしゃで夜を過ごすようになっていた。しほの方から望んで、臥所ふしどを共にすることも一再ではなかった。だから子を宿したという時にも、ウガヤ以外の相手は考えられなかった。
ててなし子を育てろと言うのか」
「すまん、としか言えない」
「まさか」
 とても信じられなかった。どういう態度でいるべきかもよくわからず、上目に睨みつけながら、ケッ、と痰を切って足元に吐いた。
「所詮はお前にとって、身分違いの女だったってことか」
「これで充分ではないだろうが、心ばかりだ」
 五百ぴき、と書かれた折紙銭おりかみせんを手渡そうとする。進は途端にカッとなり、力任せにその手をはたき落とした。
「こんなもの、誰が受け取るか。あまり見くびるなよ」
 ウガヤは怒りも言い返しもせず、ただ斜め下へ目を逸らしている。後ろめたい思いでいるのは、痛いほど伝わってきた。
「お前、もしかして、もう妹の顔も見ずに行ってしまうつもりか」
「今までのように、気ままに外へ出ることもできない。父の葬儀も含めて、様々な儀式を絶やさず行うこと、それ自体のために戦わなくてはならない。それがこれからの、俺の人生だ」
 進は憤りを通り越して、全身の血が冷たくなり、逆流していくような感じを味わっていた。顔に浮かべられるのは、引きつった笑みばかりだ。
「ほうほう、それがお前の人生か。ご立派なことだな。しほも、六丁の俺たちも見捨てて、金輪際姿を見せる気はない、なんぞと短い言葉一つで終わりにしてしまうのが」
「六丁は、もう俺がいなくても大丈夫だ。充分にやっていける。それに、決してみんなを見捨てたりはしない。近くから、ずっとお前たちのことを見守っている」
「まるで神仏にでもなったような言い種だな」
 そこまで言われても、ウガヤはやはり激しなかった。進としては、どれだけみっともなくても、どこかで生の気持ちを露わにしてほしかった。それが例えば、家族というものではないのか。だが、自分たちとウガヤとの間では、やはり難しいのだろうか。
「お前の帰る家というのは、一体どこなんだ」
 ウガヤはしばらく考え込んでから、すぐ目の前の崩れかけた土塀を指差した。その向こうは、もう何年にもわたり、ろくすっぽ修築もできていないという御所だった。
「ずっと黙っていて悪かったが、俺の本当の名は勝仁かつひとという。姓というものはない。父の追号は、恐らく後土御門院となることだろう」

(第十一話へ続く)
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