六丁の娘

大純はる

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第五話 家出兄妹、命を救われる

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 悲鳴、叫び、泣き声が折り重なり、何一つ聞こえなくなった。
 周囲のあちこちで血煙が噴き上がり、肉片がちぎれ飛んだ。進はめいっぱい両腕を広げ、覆いかぶさるようにして小さな妹を守った。背中、脇腹に何本も鏃やじりが食い込み、煮えるように熱くなった。
「お兄、お兄」
 胸元で、耳をふさいで泣きじゃくる妹の声が響いていた。
「おい、渡辺の! 亀みたいにうずくまって、そのまま射殺されちまうつもりかっ」
 痰の絡んだ胴間声が、自分のことを呼びつけている。思わずあごを上げ、脂汗の溜まったまぶたを開いた。
「ここは撤退じゃ。命あっての物種よ。何もかんも捨てて、取りあえず立って走れ、走れえッ」
 進は必死でうなずき、妹の膝裏を抱え上げて駆け出した。背後から風切る音を立てて矢玉が飛んでくる。それが自分たちの肩口を追い越し、目の前に突き立っていった。
 暗がりの底へ沈むように、町屋の物陰へ転がり込んだ。
 ついさっきまで自分たちのいた場所を夥しい矢が襲い、たちまち泥道を針の山のようにした。火事の熱で首筋が熱く、鼻を刺す煙で息が苦しい。野犬のように正体なく喘いでいた。
「おい、渡辺の」
 泥で汚れた頬に、細い目だけを胡乱に光らせながら、為次郎はあごをしゃくった。間近なので、山蒜のびる臭い息がまともにかかった。
「そのメスガキの腕を叩き斬って、外へ放り出せ」
「えっ?」
 進は一瞬、自分が何を聞いたのかわからなかった。
「最初に斬った腕の方を高く放り投げて、何だありゃ、と連中の気を引いてから、次に体ごとだ」
「何だって」
「聞こえんかったか? まず、さっさとそのガキの腕を叩き落とせ」
 思わず、その場にうずくまるしほの姿を見下ろした。膝の間に小さな頭を抱え込んだまま、小刻みに震えている。
「俺の妹だ」
「そりゃ、たまたまな。だがこういう使い途でもなけりゃ、誰が好きこのんでそんな役立たずを養うもんかよ。町衆どもに憐れを誘わせりゃ、まず上々の仕事ぶりよ。その隙に俺たちゃずらかる。お前はまだ、この先使える見込みもありそうじゃからのう。何をしたって、ちいっとでも生き残る目がある方に賭けなきゃあ、こんな稼業はとても続かねえんだよ」
 血の流れが速まるのを感じながら、目の前の為次郎と、足元のしほを見比べていた。同じ人間の姿とも思われなかった。では、ちょうど二人の真ん中にいる自分はどうなのか。
「わかった、投げ捨ててやる」
「ほう。お前もちったあ、見どころがありそうだな」
 為次郎は、意外そうな微笑に口元を緩めた。
「だが、相手の気を引くだけなら、お前の腕だっていいわけだな」
 言い終わる前に、進は抜刀していた。狭い物陰で肩をすぼめ、打刀を縦ざまに抜き払っていた。為次郎もとっさに身をかばう。その手のひらから肩先にかけて赤い残光が走り、開いた傷口から血を噴き散らした。
「渡辺、てめええッ」
 為次郎は、手負いの獣のような物凄い眼光を向けてきた。仕留め損ねた。今を逃せばきっと二度目はない。焦って突き出した切先が、胴服の肩を貫いて町家の壁に突き立った。相手は皮を脱ぎ捨てるように身をかわし、するりと抜け出して後ずさった。力なく垂れた指先からは血がしたたり、自慢の太刀もどこかへ取り落としている。
「この、裏切りもんが」
「誰がよ」
「こいつは、高くつくぞ。仲間をたばかるってことはな。一生かけても落とし前はつけさせてやる。覚悟しとけよッ」
 暗がりの底から這い出すと、為次郎は身を低くしながら辻子の方へ転がっていった。それに気づいて追いすがるように、まばらな矢が飛んでくる。だが仕留められた様子はなく、
「キイイーッ」
 という奇声とともに、盗賊の親玉はどこへともなく掻き消えてしまった。
 わずかの間、茫然としていた。それでも何とか我に返ると、うずくまったままの妹を抱き上げ、ふらつく足取りで物陰から出ていった。道の真ん中の泥濘に膝頭を埋め、腰を折り曲げて、土蔵の方へ伏せるように頭を下げた。
「降人、ということか」
 笑うような声が、軽やかな足音とともに頭上へ近づいてくる。
「蔵の閂を叩き壊した、馬鹿力めにございます」
 別の声色が隣から言い添えた。やはりつい先だって行き合った、あの老人のものではないか。
「ほう。顔を上げてみろ」
 進は言われるがままにした。汗と洟水にまみれ、目はかすんでいる。だが縹色はなだいろ狩衣かりぎぬに身を包んだ若者の姿ばかりは、どうにか見分けられた。烏帽子の下の眼差しは明るく、口元は引き締まって凛々しい。浮織うきおり指貫さしぬきに包まれた足が、目の前で立ち止まった。
「女童を抱いているな」
「妹にて」
 喉に詰まった小声で、ようやくそれだけを答えた。
「何やら賊徒とはいえ、わけありのようだ。もっとも、わけのない人間など、この世には一人もいないのだが」
 しばらく黙ったまま、こちらの顔を眺め下ろしていた。不思議そうに小首をかしげている。
「命乞いはせんのか」
「俺は死んで当然の人間なんで。ですが、妹は違います。俺のことを思ってついてきただけなんで。どうか、お助けいただけるのなら、妹ばかりは、どうか」
 ふむ、と鼻を鳴らし、紫だんだらの袖括りを揺らして腕を組んだ。やがて企み顔で、背後に控えている頭巾の老人を振り返った。
深草ふかくさ。今宵の押し込み、火消しのあと始末はもちろん、六丁の普請や修繕も、まだまだ人手が足りぬな」
「はっ、猫の手も借りたいほどにて。馬鹿力が一人おれば、ずいぶんはかどり方も違うかと」
「まあ、そういうことだ」
 笑いながらその場で膝を折り、こちらの目を覗き込んできた。その瞳は鳶色に透き通っているが、奥行きはずいぶんと深い。
「たった今から、お前と妹の命は、この六丁のものだ」
 その言葉に、字面ほどの恐ろしさはなかった。むしろ、彼岸からの救いの声のように響いた。
「お前、名は」
「渡辺四郎左衛門しろうざえもん進」
 ぐずぐずと鼻を啜りながら、ようやく答えた。
「妹は」
「しほ」
「そうか。俺の名はウガヤだ。姓というものはない」

(第六話へ続く)
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