寂しがりやで強がり

希紫瑠音

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秀次2

謝罪と抱擁(2)

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 気がつけば美術室から出て、外に座り込んでいた。

 知っていたのにどうして橋沼さんは何も言わなかったんだろう。

 彼が言うとおり、どんな奴か気になって相手をしてくれていたのだろうか。

「ぶにゃぁ」

 今じゃ食べ物の匂いがなくても顔を見せてくれるようになったブニャを抱き上げて顔を埋める。

「田中」

 こんなに存在感がある人なのに、気配を消すの上手いよな。いつの間にか傍に橋沼さんの姿がある。

 何故、話しかけてくるのだろう。知っているだろう? 俺は卑怯でずるい奴だってことを。

「美術室で話しをしよう」

 それなのに優しく声を掛けてくれる。

 俺はいかないと首を横に振るうが、

「よし、選ばせてやる。美術室にいくか、恥ずかし固めをくらうか」
「なんだよ、それ……」

 恥ずかし固めとは、股を開かせた体勢でホールドする関節技のことだ。

「股、開きたいのか?」

 女じゃないんだ。男にそんな真似をされたら屈辱的なだけだ。

「嫌に決まってんだろ」
「それなら来い」

 と腕を掴まれる。

 抵抗しても力では敵わない。引っ張られるまま美術室へと向かう。

 中に入るなり俺は橋沼さんの手を払った。

「なぁ、知っていたんだろ、俺がしたことを。それなのに、どうして」

 その答えを聞くのが怖い。だけど口にせずにはいられなかった。

 総一さんの本当の気持ちを知りたかったからだ。

「俺は今の田中としか付き合いがないんだぞ? 誰かに酷いことをした話をされてもなぁ、嫌いになれない」

 俺は深く息を吐き、しゃがみ込む。

 橋沼さんが全てを知っていると聞かされた時、心臓が止まるかと思った。

 プロレスの話で盛り上がったり、絵を描く時の真剣な目を見ることができなるなると。

 失うことが怖くて、辛くて、

「泣くなよ」

 そう言われて、頬に触れると濡れていた。

「え? 泣いてねぇし」

 どうやら、安心したら涙が出てしまったようで、それを掌で拭う。

「俺の前では強がらなくていい」

 と、橋沼さんもしゃがみ込み、俺の背に腕を回した。

 包容力がある人だ。大きな手で背中を撫でられると安心してしまう。

 このままこうしていたい。そんな想いがよぎり、驚いて肩がビクッと跳ね上がる。

「どうした?」

 顔が近い。何故か心臓が落ち着かなくてドクドクと波打つ。

「暑苦しいんだよ」

 手でガードするように橋沼さんの身体を押す。

「可愛くない」

 と、そのままスリーパーホールドをかけられた。

 後ろから相手の首に腕をまわして頸動脈を締め上げて気絶させる技なのだ。かるくかけられているので落ちることはないが苦しい。

「降参」

 腕を叩いていうと、橋沼さんがガッツポーズをし、口角をあげた。

「お前は抱擁よりもプロレス技の方が良いようだな」
「どっちも嫌だてぇの」

 男なんかに抱擁されても嬉しくねぇ。同じ巨乳でも柔らかい方が良い。

 こうしていたいと思ったのはひと肌が恋しかっただけだ。

 そっと橋沼を見れば、優しい表情を浮かべていて、俺は目を見開いた。

 なんか、やばい。

 男にときめくって、ありえない。

「はは、真っ赤だな」

 ぎゅっと鼻を摘ままれて、そのお蔭で気持ちが誤魔化せた。

 よかった。

 安心しつつ、橋沼さんの手を払いのけると、今度は乱暴に髪を撫でられた。

 だがそれも次第に弱くなり手が止まった。

「俺な、お前に救われたんだ」
「俺に?」
「実はスランプになったのって、展示会に出す絵を切り裂かれたからなんだ」
「えっ」

 それって相当ダメージをうけただろうに。俺は何も言うことができず、橋沼さんを見る。

「すごく手ごたえがあったんだ。それだけにショックが大きくて筆を握ることができなかった」

 すごくつらかったんだな。橋沼さん、すごく苦しそうな表情をしている。

 俺はどうしたらいいのか解らなくて俯いてしまう。そうしたら手を握りしめられた。

 思いだしたくないことだろう。だけど俺に話そうとしてくれている。それをきちんと聞かないでどうするんだ。

 顔をあげ橋沼さんを真っ直ぐとみる。目が合うと苦しそうだった顔がすこしだけ和らいだ。

「先生が美術室のカギをかしてくれて、それでも描く気力がわかずに、毎日ぼっとしていたんだ」

 そんなとき、ブニャに、そして俺に出会ったそうだ。

「はじめは見ているだけだったんだけど、スケッチブックと鉛筆を持って眺めていたら、自然と手が動いていた。久しぶりに描けたなって気持ちになって。他から見たらなんだこれって絵なのにな」

 興味をもった。俺を見てみたいと思った。

 そういうと指を絡ませる。

「ブニャが話すきっかけをくれた。初めて見る田中はまるで警戒している猫のようだったな」
「そりゃ、橋沼さんみたく馴れ馴れしくねぇもの」
「知りたいって思いで必死だったからな」

 と笑い、

「でだ。こういうことがあったから、アイツは俺のことを心配してくれるわけなんだ」

 美術室で橋沼さんの友達とのやりとりをいっているのだろう。

 事情を知っているからこそ、俺みたいのが傍にいることが心配でならなかったのだろうな。

「でもアイツが勝手に俺らのことを決める権利はない。だから謝らせるから」
「え、謝罪なんていらねぇよ」

 正直言って会いたくないんだよな。俺、嫌われているみたいだし。

 それに彼のお蔭で橋沼さんとより仲良くなれた気がするから。

「これからも一緒に飯を食おうな」
「あぁ」

 美術室での時間をまだ続けていていいんだな。よかったと俺は胸をなでおろした。
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