パサディナ空港で

トリヤマケイ

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#202 メタバースで会いたい

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 霧島の今の心境を敢えて述べるならば、とっても不安ということになるだろうか。
 
 
 
 
 
 

 ここは、ガラスの部屋というメタバースのプラットフォーム。2丁目の白い部屋とはちょっと、ちがう。
 
 
 
 
 
 
 
 

 ガラスの壁にガラスの床が地平線まで果てしなく続き、そしてガラスの棚には美しいバカラや、奇妙な生き物のガラスのフィギュアが所狭しと並んでキラキラと輝いていた。まさに、絢爛豪華な眺めだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 さしずめ、このアトモスフィアに合いそうなBGMは、ロバート・フリップとイーノの『No Pussy Footing』だろうか。
 
 






 しかし。こんなところにほんとうに推しメンAは来るのだろうか。霧島の頭に、そんな素朴な疑問がボウフラのように湧いてきた。
 
 
 
 
 
 
 

 実は、今朝というか、明け方近く推しメンから突然DMがきたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「逢いたい。東京都青少年育成条例第十八条六の三の九チャプター18 『アイドルたるものプロ意識を持ち、何人(なんぴと)も、ヲタクその他と恋愛し、そこから派生するみだらな性交、又は性交類似行為を行つてはならない。』という恋愛禁止条例にメタバースで逢うなら、抵触しないから」








 それはそうかもしれないのだけれど、そのかわり手をにぎることも出来ないし、キスも出来ないねと霧島は喜びに打ち震えながら冗談半分に、すぐさまリプライしたけれど、返事はもうこなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 いや、だいぶ話を盛ってしまった、プライベートなどアイドルにはないのだから、彼女たちが恋愛のエビデンスとなるテキストを残すはずもない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 送られてきたのたのは、メタバースのアドレス、それだけであり、都条例のくだりは、霧島が考えた妄想。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霧島は天にも昇るようなうれしさに衝動的に、脳内で話を盛ってしまったけれど、推しメンからメタバースの『ガラスの部屋』のアドレスがDMで送られてきたことは嘘偽りのない事実だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 霧島は以前、SNSでDMをガンガン送っていたのだけれど、ある時から相手が承認しないと送れなくなってしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 しかし、なぜか推しメンAは、ビジネスチャットという表示が出て、以前と変わらずDMが送れるのだった。ただ既読は一切つかない。けれど、それでも推しメンに向かって、メンションできるというのは、霧島にとって無上の喜びだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 既読スルーどころか、既読すら付かなくても、まったく意に介さない。たとえ会話しなくても、推しメンと繋がっていられるというだけで、霧島はうれしいのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ぶっちゃけ、霧島はDDなので地下アイドルに絨毯爆撃よろしくDMを送り付け、結果、ビジネスチャット表示になっている推しメンたちが何人かいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そのほとんどは、既読はつかないし、本人が見ているのかマネージャーが見ているのか、誰にもわからない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 というわけなのだが、ある日突然、青天の霹靂の如く、返信がきたというわけなのだ。
 
 






 それが、ガラスの部屋のアドレスだった、というわけだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして、たしか、なんちゃらウィリアムスのガラスの動物園という小説があったっけ、などと霧島は思いながら、この意味を考えた。
 










 確かにメタバースは、アバターでのやりとりだから、本人があの誰もが知っているアイドルなんてわかるはずもない。
 
 
 
 
 

 

 ただ、わからないのは自分も同じことで、数多のアバターの中から彼女を特定するにはどうしたらいいのか、それが心配だったし、同様に彼女もオレを特定するのは難しいのではないか、と霧島は思った。











 しかし、それもきっと杞憂に過ぎないのだろうと思ってはいた、というのも、もっと心配なことがあるからだった。
 
 
 
 
 
 
 
 

 つまり、推しメンAがメタバースで会いたいというのは、とどのつまり、リアルでは決して会うことはない、そういうことなのだろう。








 そのことが、いま、はっきりとわかり、美しく冷たいガラスの世界で霧島はひとり、愕然とした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 霧島は、その場にくずおれて途方に暮れる。
 
 
 
 
 
 
 
 
「生きるべきか、死すべきか。それが問題だ」なんて、暢気にハムレットやってる場合じゃなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 だが、何よりメタバースの仮想空間に出入りするには、幾らだか知らないが、たぶん高価なVR機器が必要になるし、実際にメタバースという仮想空間のことはみんなに認知されているが、やっている人はほとんどいないだろう、と霧島は思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 実際、プラットフォームは乱立しているらしいが、参加者は分散してしまい、メタぼっち状態とかいう、広大な空間で、ひとり孤独感を募らせるみたいな感じらしい。まあ、だから過疎っているからこそ、密会にはちょうどいいと推しメンは考えたのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 だが、やはりかなり怪しい。メタバース内での経済活動は、現実世界のお金をいわゆる仮想通貨に変換して行われることが多いらしいが、NFTの売買や権利収入など詐欺が横行している世界だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 つまり、推しメンが詐欺の片棒を担いでいるとかではなく、SNS用に事務所がアカウントを作り、運用しているのかもしれない、つまり、そうなると、そもそも本人は一切関係ないという事になる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 本人から事務所に送られてくる写真から担当者がチョイスして、キャプションを付けて投稿、という流れか、と霧島は苦笑いした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 まあ、とにかく推しメンと思ってメンションしていた相手は、実は、派遣の小太りで髪の薄いおっさんとか、バイトのおねいさんという可能性は充分ある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 なので、ビジネスチャットになっているからといって、手放しで喜べない。
 
 
 




 
  
 というわけで、霧島はメタバースをやるつもりはなかった。冒頭のガラスの部屋の景観も、霧島のただの妄想。そもそもメタバースに行くには機器を用意しなきゃならないし、推しメンAは、会いたいなどとは一切言っていない、ただ会いたいと匂わせているだけに過ぎないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 そんなわけなのだった。しかし霧島は、そう簡単にはめげない。出会い厨というわけではないけれど、別のSNSで、気になる存在がいて、会うつもりだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 霧島は、基本アホなので、いや、恋してる者はみな、はたから見ればアホなのだ。恋は盲目とはよくいったものだ。
 
 
 
 
 
 
 とにかく霧島は、そのSNSでのチャットしてるメンバーの中のひとりが、どうも狙っているモノホンのアイドルではないかと目星をつけていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 何回かやりとりしているうちに、もしかしたらという期待が、やがて確信へと変わり、あれよあれよというまに、とんとん拍子に会うことになってしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 その彼女、推しメンRSが待ち合わせに指定してきたのは、なぜか川越だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霧島は、素っ頓狂な声をあげた。
「川越!!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 よりにもよって、都内ではなく、川越。霧島は、まあ、ロケで川越に行っているんだろうと、スマホの画面を見ながら、わけ知り顔で、うなずいた。
 
 
 
 
 
 
 
 そして、密会当日。霧島は中目黒から1時間かけて、川越駅に到着した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 改札での待ち合わせだった。幸いなことに、人待ち顔している若い女性は、それほどいなかった。
 
 
 
 
 
 
 推しメンRSは、むろんヘンテコな変装をしてくるだろうと霧島は考えていた。まさか、文春の記者が嗅ぎつけて、カメラを携え、決定的瞬間を捉えようと虎視眈々と狙っているはずもないだろうが、メジャーなアイドルとしては、変装の一択だろう。
 
 
 
 
 
 
 
 まあ、あるとしたらRSのヲタクの裏活だろうが、裏垢はバレてないはずだと、霧島は高を括っていた。
 
 
 
 
 
 
 しかし。それらしき女性はいなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 いや、若い女性が確かにひとり壁際にポツンと立っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 変装もしていないし、やけに地味な子だった。
 
 
 
 
 
 とりあえず約束を勝手に反故にするわけにもいかないので、恐る恐る、その彼女に近寄っていき、消え入りそうな弱い声音で、霧島は、意を決してやっと尋ねた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あ、あの、もしかして、LINEで約束した人ですか?」
 
 
 
 
 
 
 恐ろしい答えがかえってくる予感がした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「はい」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 万事休す。終わった。
 
 
 
 
 
 
 
 霧島は、自分に都合よく解釈して彼女を推しメンRSと思い込み、疑うことを知らなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 ほんとうに、アホの見本のようだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 霧島は、相当なダメージを食らって、顔は青褪めていたかもしれない。
 
 
 



 
 
 
 40度近い暑い日だったが、もう暑さなど一切感じなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 それでも、「人違いでした、はい、さようなら」では、あまりにも可哀想すぎるのだった。
 
 
 
 
 
 
 そこで、
 
 
 
 
 
「あ、あの、近くにATMあるかな?」
 
 
 
 
 
 
 
 霧島は、そう尋ねてふたりして川越の街へと繰り出した。が、ATMは、100メートルも離れていなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 霧島は、そこでお金を下ろし、彼女に手渡した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ごめん、人ちがいしてしまって。これ交通費ということで。ほんとうにごめんなさい」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霧島は、彼女と別れ、泣き笑いしながら陸橋を駅に向かって歩いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その後、彼女のアカウントはいつの間にか消えていた。
 
 
 
 




 
 
 
 
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