パサディナ空港で

トリヤマケイ

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#96 紅い砂

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*月*日


   今となってはそこがどこであったのか、なぜまたそんなところに自分がいたのか、まったくわからない。

   もしかしたら、夢の中の出来事にすぎないのかもしれない。ただざらつくような手触りに似た記憶だけが、心だか脳の片隅でひっそりと眠っている。

   記憶は、発作のように唐突にはじまり、途切れながらノイズのようにひきつれ、ねじれつつ、はらわたを掻き回してまた、唐突に断絶した。





   ときどき、まるっきり顔のない写真を見なければならない時もありました。

   顔がないといっても、首から上がないのではなく、顔の造作がなにもなくてぽっかりと穴があいているのです。

   モノクロの写真だから見ていられたようなものの、カラーだったらとても正視出来なかったでしょう。

   いや、まてよ、あれは写真じゃなかった気もします。

   なんでまた写真で見たなんて思ってしまったのかわけがわかりませんが。あまりにもインパクトが強すぎるので、自分の中で咀嚼すらできなくて未消化のままなのかもしれません。

   だから、自分のキャパシティを遥かに超えた出来事を自分でそのように改竄してしまったのかもしれません。

   まあ、それはともかく、アッ、そうだそれで思い出しました。

   たぶん、顔に丸く切れ目が入ってそっくりえぐられていたのでしょう、お盆のような台に載った首たちがクルクル廻りながらベルトコンベアーで運ばれていました。

   なぜ、回転していたんだろう? きっとチェックのためだとは思うのですが、チェックしている人など見あたらないのです。カメラがどこかしらかにあって、モニターしているのかもしれませんが。

   その異様な光景も、しばらくすると見慣れてしまい、廊下に出て窓から外を眺めてみると、建物から5メートルほど突き出したベルトコンベアーの先から、地上へと顔のない首たちが、捨てられていました。

   コンクリートで囲われた投棄場所には、顔のない首がうずたかく積みあがりピラミッド状になって裾がずっと向こうまで広がっていました。

   物音に気づいてふと振り返ると、人影のなかった通路にモップがけしている人がいました。

   モスグリーンの上下を着たその清掃スタッフだろうおじいさんに、あの顔のない頭部は廃棄になるんですかと自分でも不思議なくらいスムーズに訊いていました。

「ああ、まぁ、うちとしては廃棄処分ということになるけれども、また長い工程を経て再生するんだよ。ほら、ちょうど再生業者がやってきたみたいだ」

   おじさんの柔らかい視線のそのずっと先に砂煙が上がっているのが見えました。

  どうやら再生を行う業者とやらのトラックがやってくるようでした。それでぼくははじめて荒涼とした景色に気付いて目を瞠りました。

   そこには、ここが火星だといわれたならば、頷いてしまうだろうと思えるほどの異世界が広がっていました。

   風紋でタペストリーのように織り成された赤い砂の大地から、にょっきりと生えた尖塔のように先がとがった奇岩群が紺碧の空に向かって屹立しているのが見えました。

   顔を失った頭部は、いったいどうなるんでしょう。いや、その前になぜまた顔をえぐり取られているのでしょうか。

   あのおじさんは、再生されると言っていたけれども、再生とはいったいなんなのか。

   風が出てきたようです。奇岩群の下の方は、瞬く間に赤茶けた砂嵐で見えなくなっていきました。

   ぼくは、あることを思い立ち、あのおじいさんを捜しました。

   おじいさんは、通路の清掃を終えたらしく、給湯室の前に一脚だけ置かれてあったくたびれたパイプ椅子に腰掛けて、ぼうっとしているのでした。

   ぼくは、そこに近づいていくと、こんな風に切り出しました。


「なぜ、ぼくはここにいるんでしょう?」

   おじいさんは、一瞬びくりとして大きな笑い声をあげて言いました。

「そりゃいい。たぶん自分でそうしてるんだろうね。わかってるんだね自分がどれだけ酷いことをしているのか。ちがうかな?」

   いったいなにを言っているのか、さっぱりわからず俯いていると

「まあ、きみもまるっきりの悪人じゃないってことかな。罪悪感はあるんだ、いいことだよ」

   ぼくは、すがるように訊きました。

「あの、なにをぼくはしたんでしょうか? まったく記憶がないんです」

「うん。わかってる。だからね、自分で記憶を消したんだよ、君自身の記憶をね」

「なぜ? 」

「そりゃ、辛いからだろうね。自分の顔を捜すために何百何千という人の顔をえぐり取っているんだからね」

   ぼくは、あまりのことに絶句しました。

「そ、そんな馬鹿な...」

「そう。その馬鹿なことをやった張本人なんだよきみは」

「でも、顔を捜すって、いったい? えー! もしかして、ぼくには顔がないんですか?」
ぼくは、おそるおそる自分の顔に触れてみました。

「大丈夫、あるでしょう? 君は自分の失った顔の記憶を頼りに、自分で顔を模造したんだよ。うまいもんだね」

「それって...」

「つまり、仮の顔を作ったってわけだよ、仮面みたいなもんさ」

「見つかるまでの、仮の顔...」

「そう」

「でも、首ごと取り替えればいい話じゃないんですか? なぜまた、顔だけ生皮を剥がすようにえぐり取ってあるんでしょう?」

   おじさんは、煙草を咥えて火を点けると立ち上がり、窓の框に手をやって目を細めながらゆっくりと煙を吐き出しました。

「記憶にある過去の自分をきみは捜してるんだよ。なぜかは知らないが。たぶん、母の面影を残しているはずの過去の自分の顔にまだ未練があるんだろう」

「それと、顔をえぐるということとは、どういう関係性があるんですか?」

「よくはわからないのだがね、きっと失恋の腹いせかなんかじゃないのかな」

「え?」

「いや、すまん。冗談だよ。人の行動なんて理路整然とした説明などつかんよ、現象だけを見るならばな。フロイトだかフロイドだかディープスロートだか知らないが、すべてを性で捉える人もいるらしい。彼ならば、そうフェティシズムで済ましてしまうかもしれない」

   そう言っておじいさんは屈託ない笑顔を浮かべ、あはははと笑うのでした。

「でも、よくご存知ですね、ぼくのこと?」

   するとおじいさんは、苦笑いを浮かべるのでした。

「いいか、よく見ておくがいい。これが、未来のおまえの姿なのだ。私はおまえだ。こうなりたいのか?   こんな惨めな自分になりたくなければ、すぐさま過去に執着するのをやめることだな」

   そう言っておじいさんは、自分の顔を両手で覆うと、ひとつ大きく嘆息し、やがて手をゆっくりと離しました。

   そこには、穴がぽっかりとあいたおじいさんの顔がありました。

  その空洞から赤茶けた砂嵐と教会のオベリスクのような奇岩群がそっくり覗いて見え、乾いた埃っぽい風がぼくの頬をなぶるのでした。
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