9 / 42
第九話・訪問客3
しおりを挟む
陽太の保育園への入園準備でバタバタしていた時だったから、夫を亡くしてから丁度半年になる頃だ。先にメッセージアプリ経由でこちらの都合を確認して貰っていたし、優香はその来客を心からの笑顔で出迎えた。
「お久しぶりー。わぁ、みんな大きくなったねー」
チャイムが鳴ると同時に慌てて飛び出した玄関先には、きょろきょろと周囲の景色を物珍しそうに眺めている女性が二人立っていた。どちらも大きなマザーズバッグを肩から掛け、手には手土産らしき紙袋を下げていて、お腹には抱っこ紐を使って陽太と同じ生後半年ほどの乳児を抱きかかえている。
「ほんと、久しぶり。優香ちゃんとは一カ月健診以来だよね」
「陽太君はお昼寝中? ごめんね、タイミング悪かったかも……」
「ううん、陽太はもうすぐ起きる時間だから平気。マリちゃんもナオ君も、すごく顔がしっかりしてて、ビックリ」
「どうぞ、上がって」と優香は二組の親子を家の中へと招いた。マリの母親の伊崎愛理が先立って入ると、その後ろにナオの母親の長瀬胡桃が遠慮がちに付いていく。二組が家に遊びに来るのはこの日が初めてだったから、優香は少し照れたような笑みを浮かべながらも迎え入れる。
二人とは出産でお世話になった産院で知り合った。陽太と一日違いで生まれた二人とは産後の四日間を同じ病院の新生児室でベッドを並べていた仲だ。優香達の病室は完全な個室だったけれど、産後の夕食は体調が良ければ部屋ではなく食堂で病院スタッフや他の患者と一緒に食べることもでき、沐浴指導などで一緒になったり、授乳室で顔を合わせることも多く、二組が退院していく頃には連絡先を交換するくらいに仲良くなっていた。
年齢も出身地も、職歴も全く違う三人だったが、初めての子供が同じ時期に同じ産院で生まれたという一点で繋がっている。夜中に薄暗い廊下で、寝不足な顔で赤ちゃんを抱っこしてすれ違った仲。自分自身ではなく息子が繋いでくれた縁は退院した後もメッセージアプリを通して近況を送ったりして続いていた。
退院後、二人と再会したのは産後一カ月が過ぎた時の健診でだ。でも、あの時はお互いに付き添いで母親や夫を連れていたし、次々に診察室へ呼ばれてしまうからそう話し込めるような時間は無かった。だから外出許可が下りた後、どこかに集まってゆっくりお喋りしようと約束して別れた。
――でも、その健診の翌日に大輝が……
夫が亡くなったことは、二人にはすぐに伝えることができなかった。しばらく放心状態が続いていた優香には、そんな余裕はなかった。何とか生き続けて、陽太のお世話をするのがやっとで、あの頃の自分がどう過ごしていたのかを今はもう思い出すことが出来ないくらいだ。今日こうして笑顔で二組のことを迎え入れられるようになったのが不思議だ。あの落ち込んだ日々が延々に続くものだと、当時は疑っていなかったのに。
陽太が生後三か月を過ぎた頃に、「児童館に乳児専用の時間帯があるらしいから、みんなで行ってみない?」という愛理から誘いのメッセージを受け取った時に、ようやく自分の家族に襲った不幸を伝えることができた。その時はまだ心の整理が不完全だったから、迷惑を掛けてしまうのが心配で、会うことはしなかった。長めの里帰りができ、育児に協力してくれる旦那様がいる二人。彼女らとの境遇の差を目の当たりにはしたくなかった。でも、それでも変わらずメッセージのやり取りは続けていた。
「これって首が座ったって言っていいのかな?」「うちも今そんな感じだよ」「今の月齢だとこんなものなんじゃない?」まだ微妙に安定しない子供の首を心配して、互いに動画を送って確認し合った。初産同士、悩むポイントはほとんど同じだったから、二人の存在はとても心強かった。
ただ、夫を亡くしたばかりの優香とはやはり連絡し辛いらしく、二人だけで連絡を取り合って頻繁に会っているのはグループメッセージの雰囲気で何となく察してはいた。それは優香が逆の立場だったとしても仕方ないことだと分かっている。
「あれ、陽太君も保育園に入れるの?」
ソファーの上に置きっぱなしになっていた入園グッズに気付いた愛理が、トーンを落とした声で聞いてくる。和室に敷いた子供布団では陽太が少し寝汗をかきながらも静かに眠っていた。
数日前に縫い終わったばかりの絵本バッグや上靴入れをソファーから退けて、優香はママ友達に席を勧める。二人は慣れた手付きで抱っこ紐を外して子供を縦抱きしたり膝の上に座らせてあやし始めた。
「うん、マリちゃんも六カ月から入れるんだよね?」
「あー、うちはまだ保活中……近くの園には乳児の空きが無いらしくて」
「え、愛理さん、育休あまりないって言ってなかった?」
ナオに歯固めの玩具を手渡しながら、胡桃が驚き顔で聞き返す。
「保育園が見つからなければ延長もできるんだけど、復帰後のことを考えるとね……」
「確かに、休みが長いと戻りにくそうだよね。そっか、うちはどうしようかなぁ。妊娠が分かってすぐ辞めちゃったし、しばらくは専業主婦のままかな」
母親達の話し声に目を覚ましたのか、和室の方から陽太が小さくグズり始める声が聞こえてくる。優香は慌てて駆け寄ると、汗でじっとりと湿った小さな額をガーゼで拭った。
「ほら、ナオ。陽太君、起きたって。久しぶりーって」
「わ、陽太君、めちゃくちゃ背伸びてない?」
子供を抱っこして駆け寄って来た二組に、陽太は不思議そうに目をぱちくりさせていた。子供布団の上に三人並んで座らせると、優香達はスマホで我が子の写真を撮り始める。まだ安定感のないお座りはそう長くは続かず、思い思いにハイハイしたり転がり出す子供を追いかけながら、優香は声を出して笑う。こんなに笑ったのは、いつぶりになるんだろう。
「お久しぶりー。わぁ、みんな大きくなったねー」
チャイムが鳴ると同時に慌てて飛び出した玄関先には、きょろきょろと周囲の景色を物珍しそうに眺めている女性が二人立っていた。どちらも大きなマザーズバッグを肩から掛け、手には手土産らしき紙袋を下げていて、お腹には抱っこ紐を使って陽太と同じ生後半年ほどの乳児を抱きかかえている。
「ほんと、久しぶり。優香ちゃんとは一カ月健診以来だよね」
「陽太君はお昼寝中? ごめんね、タイミング悪かったかも……」
「ううん、陽太はもうすぐ起きる時間だから平気。マリちゃんもナオ君も、すごく顔がしっかりしてて、ビックリ」
「どうぞ、上がって」と優香は二組の親子を家の中へと招いた。マリの母親の伊崎愛理が先立って入ると、その後ろにナオの母親の長瀬胡桃が遠慮がちに付いていく。二組が家に遊びに来るのはこの日が初めてだったから、優香は少し照れたような笑みを浮かべながらも迎え入れる。
二人とは出産でお世話になった産院で知り合った。陽太と一日違いで生まれた二人とは産後の四日間を同じ病院の新生児室でベッドを並べていた仲だ。優香達の病室は完全な個室だったけれど、産後の夕食は体調が良ければ部屋ではなく食堂で病院スタッフや他の患者と一緒に食べることもでき、沐浴指導などで一緒になったり、授乳室で顔を合わせることも多く、二組が退院していく頃には連絡先を交換するくらいに仲良くなっていた。
年齢も出身地も、職歴も全く違う三人だったが、初めての子供が同じ時期に同じ産院で生まれたという一点で繋がっている。夜中に薄暗い廊下で、寝不足な顔で赤ちゃんを抱っこしてすれ違った仲。自分自身ではなく息子が繋いでくれた縁は退院した後もメッセージアプリを通して近況を送ったりして続いていた。
退院後、二人と再会したのは産後一カ月が過ぎた時の健診でだ。でも、あの時はお互いに付き添いで母親や夫を連れていたし、次々に診察室へ呼ばれてしまうからそう話し込めるような時間は無かった。だから外出許可が下りた後、どこかに集まってゆっくりお喋りしようと約束して別れた。
――でも、その健診の翌日に大輝が……
夫が亡くなったことは、二人にはすぐに伝えることができなかった。しばらく放心状態が続いていた優香には、そんな余裕はなかった。何とか生き続けて、陽太のお世話をするのがやっとで、あの頃の自分がどう過ごしていたのかを今はもう思い出すことが出来ないくらいだ。今日こうして笑顔で二組のことを迎え入れられるようになったのが不思議だ。あの落ち込んだ日々が延々に続くものだと、当時は疑っていなかったのに。
陽太が生後三か月を過ぎた頃に、「児童館に乳児専用の時間帯があるらしいから、みんなで行ってみない?」という愛理から誘いのメッセージを受け取った時に、ようやく自分の家族に襲った不幸を伝えることができた。その時はまだ心の整理が不完全だったから、迷惑を掛けてしまうのが心配で、会うことはしなかった。長めの里帰りができ、育児に協力してくれる旦那様がいる二人。彼女らとの境遇の差を目の当たりにはしたくなかった。でも、それでも変わらずメッセージのやり取りは続けていた。
「これって首が座ったって言っていいのかな?」「うちも今そんな感じだよ」「今の月齢だとこんなものなんじゃない?」まだ微妙に安定しない子供の首を心配して、互いに動画を送って確認し合った。初産同士、悩むポイントはほとんど同じだったから、二人の存在はとても心強かった。
ただ、夫を亡くしたばかりの優香とはやはり連絡し辛いらしく、二人だけで連絡を取り合って頻繁に会っているのはグループメッセージの雰囲気で何となく察してはいた。それは優香が逆の立場だったとしても仕方ないことだと分かっている。
「あれ、陽太君も保育園に入れるの?」
ソファーの上に置きっぱなしになっていた入園グッズに気付いた愛理が、トーンを落とした声で聞いてくる。和室に敷いた子供布団では陽太が少し寝汗をかきながらも静かに眠っていた。
数日前に縫い終わったばかりの絵本バッグや上靴入れをソファーから退けて、優香はママ友達に席を勧める。二人は慣れた手付きで抱っこ紐を外して子供を縦抱きしたり膝の上に座らせてあやし始めた。
「うん、マリちゃんも六カ月から入れるんだよね?」
「あー、うちはまだ保活中……近くの園には乳児の空きが無いらしくて」
「え、愛理さん、育休あまりないって言ってなかった?」
ナオに歯固めの玩具を手渡しながら、胡桃が驚き顔で聞き返す。
「保育園が見つからなければ延長もできるんだけど、復帰後のことを考えるとね……」
「確かに、休みが長いと戻りにくそうだよね。そっか、うちはどうしようかなぁ。妊娠が分かってすぐ辞めちゃったし、しばらくは専業主婦のままかな」
母親達の話し声に目を覚ましたのか、和室の方から陽太が小さくグズり始める声が聞こえてくる。優香は慌てて駆け寄ると、汗でじっとりと湿った小さな額をガーゼで拭った。
「ほら、ナオ。陽太君、起きたって。久しぶりーって」
「わ、陽太君、めちゃくちゃ背伸びてない?」
子供を抱っこして駆け寄って来た二組に、陽太は不思議そうに目をぱちくりさせていた。子供布団の上に三人並んで座らせると、優香達はスマホで我が子の写真を撮り始める。まだ安定感のないお座りはそう長くは続かず、思い思いにハイハイしたり転がり出す子供を追いかけながら、優香は声を出して笑う。こんなに笑ったのは、いつぶりになるんだろう。
34
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
旦那様。私が悪女ならば、愛人の女は何になるのかしら?
白雲八鈴
恋愛
我が公爵家主催の夜会の最中。夫が愛人を連れてやってきたのです。そして、私を悪女という理由で離縁を突きつけてきました。
離縁して欲しいというのであれば、今まで支援してきた金額を全額返済していただけません?
あら?愛人の貴女が支払ってくれると?お優しいわね。
私が悪女というのであれば、妻のいる夫の愛人に収まっている貴女は何なのかしら?
氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―
柴田はつみ
恋愛
亡国との同盟の証として、大国ターナルの若き王――ギルベルトに嫁いだエルフレイデ。
しかし、結婚初夜に彼女を待っていたのは、氷の刃のように冷たい拒絶だった。
「お前を抱くことはない。この国に、お前の居場所はないと思え」
屈辱に震えながらも、エルフレイデは亡き母の教え――
「己の誇り(たましい)を決して売ってはならない」――を胸に刻み、静かに、しかし凛として言い返す。
「承知いたしました。ならば私も誓いましょう。生涯、あなたと褥を共にすることはございません」
愛なき結婚、冷遇される王妃。
それでも彼女は、逃げも嘆きもせず、王妃としての務めを完璧に果たすことで、己の価値を証明しようとする。
――孤独な戦いが、今、始まろうとしていた。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる