田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

雪うさこ

文字の大きさ
125 / 231
第16章 最恐メンバー最後の仕事

05 舞い戻る

しおりを挟む



 オペラ上演一週間前になった。

「やっと出てきたのか」

 教育委員会事務局長室に立ち尽くす保住に、澤井はちらりと視線を寄越すが、呆れたようにため息を吐いた。

「顔色が悪すぎるぞ。一日持つのか」

 コルセットをしてはいても、三週間も寝込んでいた影響で躰を支える体力も筋力も随分と落ちたようだ。こうして立っているだけで、疲れを覚える。横になりたいと思ってしまうのだった。

「なんとかします」

「痛み止めは?」

「一日三回です」

「はあ……。お前の空けた穴は、田口が塞いでいた。お前がいなくて滞っていることも多いが、できないわけではない」

 澤井に促されて腰を下ろした保住もため息しか出ない。今回ばかりは、自分の不注意が招いたことだ。みんなに迷惑をかけていることは重々承知。後ろめたい気持ちでいっぱいだった。

「お前の父親もそうだが。躰が弱すぎる。この仕事、休みがちだと寝首をかかれるぞ」

「申し訳ありません」

 じんと重い痛みは、受傷したばかりの痛みとはまた違う。じわじわとダメージを与えてくるのだった。

「動き始めれば、なんとかなるかと考えています」

「甘い見積もりだな。お前らしくもない」

「そうでしょうか? 少しずつ復帰させてください。足手纏いにはなるつもりはありません」

「痛みがある奴になにができる」

 澤井は保住の目の前に来て、彼の顎に手を当て上を向かせる。背中が自然と反る形になると、チクリと痛みが走り顔をしかめた。

「ほらみろ。これだけでも痛むのだろうが」

「そんな物は想定内です」

 そう言って立ち上がろうとするものの、ソファの高さは低くてキツイ。

「強がるな」

 澤井は苦笑して、保住の手を引いて立ち上がりを手伝ってくれた。

「すみません」

「強がりはむしろ周囲に迷惑。一日キツイなら時間を短縮しろ。肝心なところだけ顔を出せばいいい。後はメールで何とかなるものだ」

「ありがとうございます」

 立ち上がってしまえば手を借りることはないが、澤井は手を離す気がない。保住は顔を上げると、澤井は心配そうにこちらを見ていた。

「すまなかったな。無理をさせたのだろう。このオペラの企画は強行スケジュールだったからな」

「澤井さん……」

 保住は素直ではない言葉を口にしようとするが、その言葉をやめて頷いた。

「あなたの教育委員会事務局長の最後の花道ですからね。悪態ばかりで素直ではない部下だったかもしれませんが、あなたには色々な事を教えてもらいました。感謝しています」

「そんな風に思ってくれているのか」

 澤井は苦笑した。

「素直ではないのは、あなたも一緒ですからね」

「そうだな」

 澤井の腕が腰に回ってきたかと思うと、一気に引き寄せられた。腰を支えられたおかげで、痛みが和らぐ。

「仕事中ですが」

「田口にこうしてもらっていろ。楽なはずだ」

 澤井との距離が近い。なんだか気恥ずかしくて、保住は視線を逸らした。

「勘弁してくださいよ」

「たまには触らせろ」

「嫌です」

 そっと床に降ろされて、保住は頭を軽く下げる。屈む姿勢が一番辛いのだ。

「失礼します」

「帰るときは帰れ。休めるときは休めよ」

「ありがとうございます」

 保住は軽く頭を下げてから事務局長室をあとにした。


***


 澤井は静かになった部屋を見渡した。

 ——この部屋にいるのも、後一週間か。

「おれには次があるのだ。保住」

 口元を歪める。一週間後、自分は更に高見を目指す。そして、自分の人生をかけた夢を叶えるための第一歩を踏み出すのだ。そう、それはまだ第一歩に過ぎないのだ——。

「お前にはまだまだやってもらいたい事があるのだ。お別れとはいかんな」

 そのためには、保住や田口が必要だ。澤井は窓の外に視線を向けて、浮き足立つ自分の気持ちに微笑を浮かべていた。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

隣の親父

むちむちボディ
BL
隣に住んでいる中年親父との出来事です。

処理中です...