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第二章
33. 深緑の瞳
しおりを挟む「————担架は持ってきたか? よし。そんじゃ、頭は動かさないように運んでくれ。そう、そーっと」
「クロード先生、足のほうはどうしますか」
「ん? ああ……折れてる感じはないけど、腫れてそうだなー……とりあえず、固定はしなくていい。担架に乗せたら、ひとまず触れないようにはしてやってくれ。あとの治療は救護室のほうでやる」
自分の周辺で緊迫した声と、それに混じって、いつぞやに聞いたのんびりした声がしていた。
全身が痛い。目を開けようにも、眩しくて開けることができなかった。
「…………う……」
どうにか手を動かそうとすると、自分の呻き声が漏れる。
「っと。起きたか。……レオンス、声が聞こえたら、この指を握れ。自分で勝手に動くんじゃないぞ」
動かそうとした手に、かさついた指先が置かれる。
レオンスは、その指をなんとか握った。声は聞こえている。けれど、何が起きているのかわからなくて、意識はぐるぐると回っていた。目を開けようにもうまくいかない。
「よし、意識はあるな。……お前さん、階段から落ちて、頭と体を強く打ってるようだ。今、運ぶからじっとしていてくれ」
「……ぁ……」
「しゃべらなくていい。目も閉じてていい。いいな?」
何か返事をしなければと思ったが、それを制したクロードと思しき声は、また色々な指示を飛ばしているようだった。
体を持ち上げられて、担架に乗せられる。あちこちが痛くて、どこを触られても痛みが走って、よくわからない。喋ることも、目を開けることもしなくていいと言われて、レオンスはされるがままに痛みにだけ意識を向け続けていた。
やがて救護室に運び込まれて、クロードから治療を受けているうちに、ようやくレオンスは自分が今どういう状況なのか理解が及んできていた。
先ほど何か注射を打たれた気がするが、それからは痛みが少しだけ引いてきてもいる。それで痛み以外へ意識を向けることができるようになってきて、目をゆっくりと開けた。
すると、軍医よりも衛生班の兵士よりもなによりも、深い森の色が目に入った。
「っ! ……大丈夫か、レオンス」
ベッドから少し離れたところで、腕を組んで眉を寄せていた男と目が合う。
(……ブラッスール隊長……なんで、ここに……)
そういえば、階段から落ちる前に自分を呼んだのはシモンだった気がする。
「……ぅ、たい……」
「無理に動くな。全身を打っているらしい。いくつか腫れもあるようだが、幸い骨は折れていないそうだ」
「おー、レオンス。お前さん案外、外見は頑丈なようでよかったなー。さっき、痛み止めも打ったから痛みがマシになってきたか? まあでも、もう少し寝てろよー? 頭を打ってるからな。しばらく様子を見たい。だから今はそのまま寝とけ。話は起きてからすればいいさ」
シモンと話していたところに、クロードが割り込んであれこれ指示を出す。
寝ていろと言いながら、軍医は手でそっとレオンスの目を覆った。せっかく優しい色を視界に捕らえたと思ったのに、再び瞼裏の闇しか見えなくなってしまって、レオンスはそれを少し残念に思った。
「……隊長……起きた、ら、話を……」
「ああ。わかっている」
シモンの返事が聞こえた頃には、レオンスは意識を夢の世界へと飛ばし始めていた。
ふと目が覚めると、眠る前に見かけた緑の瞳がそこにあった。
レオンスが睫毛を震わせて目を開けたことに、僅かに驚いている様子だった。
「……ずっと、ここにいたんですか……?」
思いついたままに疑問を投げかけると、シモンはさらに目を瞠ってから、ふっと小さく笑った。
「いや、ずっとではない。つい先ほどまでは会議もあったしな。ここに来たのは三十分ほど前だ」
それならばよかった、とレオンスは胸を撫で下ろした。
目が覚めた瞬間、シモンと目があったので、もしや隊長の彼をずっとここに留めてしまったのかと心配になったからだ。同時に、まさか自分ごときに付きっきりというわけではないだろうとは思ってはいたが、その予想はおおむね外れていないようで安堵した。
とはいえ、シモンの話だと三十分は彼の時間を貰ってしまっていたらしいが。
レオンスが体を起こそうとすると、シモンが背中を支えてくれる。
上半身を起こして、頭側の壁に背を預ける。背を凭れる前に、シモンが枕をクッション替わりに差し込んでくれたので、硬い壁の背中の全面に感じずにすんで、レオンスは無意識にほっと息を吐いた。
そのまま、視線をぐるりと周囲へ向けると、窓の外は随分と暗かった。
今は何時かとシモンに問えば、夜の十時を過ぎたところだという。
「クロードを呼んでくる。少し待っていろ」
そう言って、シモンは簡易椅子から立ち上がって、衝立の奥へと消えていった。
(……俺、また迷惑かけたんだな。はぁ……何やってるんだろ……)
レオンスが傷病人として救護室にお世話になるのは、これで二回目だ。
しかも、そのいずれもレオンスの意識がないときに起きている。成人男性ではあるが細身であるレオンスを、鍛えた体を持つ軍人が運ぶのは訳ないことだろう。だが、この忙しい時期に手間をかけさせたのは事実だし、戦闘行為をしているわけでもない雑兵が倒れるなんて迷惑も甚だしい。
いつになく落ち込んでしまうのは、無理もないことだ。
そうしてレオンスが目を閉じて自己を省みていると、シモンがクロードを連れて戻ってきた。
「おー、だいぶ顔色もマシになったか。意識もしっかりしてそうだな」
「はい……。すみません、またご迷惑をおかけしてしまって……」
「いや、こういうときの医者ってもんだ。どれどれ、熱はあるかねぇ……」
クロードは幾分おどけながらレオンスの額に手をやって、ひとまずは大丈夫そうだと笑みを浮かべながら頷いた。
それから、レオンスが話ができる状態なのであれば、とシモンと並んで簡易椅子に腰をかけた。
「クロード、お前の見立ては?」
「ん? あー……そうだなぁー。レオンス、ここ最近はちゃんと眠れてたか? 疲れは?」
質問をしたのはシモンだ。クロードはそれに答えながらも、レオンスに訊ねた。
眠れているかと訊かれて、レオンスはここ数週間を思い出してみる。といっても、特に気になるところはない。
「頭痛や吐き気はたまにありますが、寝込むほどではなかったです。所定時間以外の作業も以前ほどは行っていないので、疲れているかと訊かれても、それほど自覚はあまりなく……。食事もいつも通りにとれていたかと思います」
以前、薬包作りをしていたときに倒れたのは、貧血と過労に、副作用がダメ押しをした形で気を失ったのでは、という見立てだった。そこで忠告を受けたこともあり、それ以来は前ほどの無茶はしていない。倒れたときのほうが周囲に迷惑をかけることは、さすがのレオンスでもわかりきっていたからだ。
貧血というのもあったので、食事も意識して減らないように心がけていたし、睡眠にも気をつけていた。多忙な日もあり、そういうときは疲れを感じることもあったが、翌日に持ち越さないようにしていたつもりだ。
副作用については、どうしてもゼロにはできなかったが、幸いにして寝込むほどのものはない。稀に、ものすごい吐き気があることはあったが、なんとかやり過ごすことができていた。オーレリーやアメデに手を貸してもらいながら作業をすることはできている程度のものだ。
そのようなことを伝えると、クロードはふむ……と顎に手を当てて、考えを巡らせているようだった。
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