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第二章
34. 副作用
しおりを挟む「話を聞く限り、前のときみたいに酷い貧血状態ではなさそうだな。ちょいと診せてくれ」
そう言ってレオンスの両頬を手で挟み、まじまじと診察をする。
瞼の裏や、頬や唇の血の気具合を診ているようだ。
「……そうだな。疲労も、まあ溜まってないってわけじゃないだろうが、範疇内だろう。レオンスはアルファやベータの男から見れば華奢なほうだが、体力はそこそこあるようだしなぁ」
「徴兵される前も、ベータに混じって普通に働いていましたから。オメガのなかでは体力はあるほうかと、自分でも思います」
だよなぁ、とクロードはへらっと笑った。
医師であるクロードからも、貧血や疲労で倒れたわけではなさそうだと言われ、少しだけほっとする。
シモンが隣にいるこの状況で、また無理をしたのかと指摘されるのはバツが悪かった。倒れてしまった事実は変えられないが、むやみやたらに無謀な行動をしていたわけではない、とシモンに知っておいてもらいたかったのだ。
クロードに人懐っこい笑みを返されると、不安だった気持ちが和らいだ。
だが、それも束の間。笑みを僅かに引っ込めたクロードは、レオンスの目をしっかりと見て、告げたのだ。
「レオンス、お前さんには酷なことを告げるかもしれんが……今回ぶっ倒れたのは、副作用そのもんが原因だろうな」
……副作用、そのもの?
その言葉を聞いて、一瞬にして頭が真っ白になる。クロードの言葉が何度も頭の中を回るが、彼が告げた言葉は頭の中を回っても回っても変わりようがなかった。
「俺が倒れたのは、副作用のせいだと……?」
オウム返しの問いに、クロードは頷いた。
「階段から落ちたって聞いたが、別に単に足を踏み外したわけじゃねーんだろ? 目が回ったとか、立ちくらみとか、そーいうのがあったんじゃないか?」
「それは……たしかに、そうですが」
「やっぱりな。お前さん、新薬による副作用は頭痛と吐き気が主だと言っていたが……先日と今日、なんもないとこで二度も意識が落ちるとなると、アメデとオーレリーよりも、レオンスのほうがよっぽど危険な症状が、実は体ん中で起きてるってことだ。薬の影響で、二度意識を失ってると見たほうがいい。まあ、意識喪失っていう副作用は、市販の抑制剤でもごくごく稀だが、無いこともない。お前さんは運悪く、それを引き当てちまったんだな」
「そんな……まさか……」
レオンスは今まで、オーレリーやアメデに比べたら副作用は軽いほうだと思っていた。実際に頭痛や吐き気の症状があっても軽いものが大半だったし、寝込むようなことにはなっていない。目眩だってそうそう起きていない。それに、発情期中も一人で対処するだけで抑制の効果を得ることができた。
それらの事実から、新薬との相性はどちらかといえば良いほうで、効き目もしっかりと発揮されているのだとばかり思っていた。
それが、実は違っていたとなると、自分の体はいったいどうなっているのか。
レオンスは、無意識のうちに体を小さく震わせた。
「レオンスがこのまま抑制剤の服用を続けるのは、俺は医者として止めなきゃなんねぇ。言ってること、わかるよな?」
「副作用が危険だから、飲んじゃダメ、ってこと……ですよ、ね……?」
「ああ、そうだ」
言葉は理解できている。理屈もわかる。
けれど、いまいちピンときていない。自分にそんな重大な副作用が出ているなんて、信じられなかった。
「おい、シモン。お前からも何とか言ってやれ」
「そうだな……。レオンス、突然の話で混乱しているだろうが、君はすぐに新薬の服用を中止するように。これは軍医と第九部隊隊長、双方からの決定であり命令だ」
呆然とするレオンスを見るに見かねてか、クロードはシモンにも声をかけるように伝える。そのシモンは、クロードの見解に対して、追い打ちをかけるように服用中止を明確に告げた。
鋭い深緑に縫い留められて、レオンスはどうしたらいいか、わからなくなってしまった。
「中止って……」
服用を中止しろなんて、どうしたらいいのか。
新薬が飲めないとなると、手元に他の抑制剤はない。今後、市販薬を入手するためにまさに今、ルート確保を急いでいるところだ。その道が開けるまでの間、レオンスの手元にあるのは義務付けられている新しい抑制剤——いわゆる新薬しかない。徴兵前に飲んでいた市販薬は、徴兵の際に不要であると没収されてしまったため、持ってきていなかった。
「だって……まだ市販薬も届いていません。抑制剤無しでいるわけには……」
「たしかに君の言うように市販薬の確保はまだだ。だが、ルートの確保はほぼ可能だろうから、いずれは手に入る。それも、なるべく近いうちにだ。ただそれまでの間、君が新薬の服用を続けることは認められない」
「そんな……。市販薬が届くようになれば、仰るとおり新薬の服用は止めます。俺も、命は惜しいです。ですが、それまでの間、抑制剤を断つのは無理です!」
「なぜだ?」
シモンになぜだと問われて、レオンスはたじろぐ。
アルファの彼には、きっと一生わからないだろう。レオンスがオメガという性に対してどんな思いを抱き、そんな自分をどう受け入れて、乗り越えてきたかなど。パートナーのいないオメガがどれほど発情期を惨めに感じ、劣情に身を焦がすことに翻弄される自分がどれほどに疎ましいかなど。
「なぜって……。だって、何が起きるかわからないです……俺が抑制剤を飲んでいないときに、万が一ヒートを起こしたら、どうするんですか? そのとき困るのは、隊長たちアルファですよ? せめて市販薬が届くまでは今の薬を飲んでおかないと、いろいろ迷惑がかかります……」
当惑の表情を浮かべながらレオンスは言った。
もし抑制剤を服用しないままにヒートを起こしたら、困るのはレオンスだけではない。この要塞は、アルファも多く詰めているのだ。彼らを見境なく欲情させるわけにはいかないだろう。
「それに……そもそも、薬なしのヒートなんて……考えただけでも、ゾッとします……」
レオンスは『オメガである自分』をすでに受け入れてはいる。
どんなに望んでもアルファはおろか、ベータにもなれない。それを認めている。
けれど、だからといって、本能のままに雄を求めて乱れる性を何の苦も無く受け入れたくはない。抑制剤というストッパーがあればこそ、今の自分を受け入れながら生きることができているのだ。
抑制剤を使わないで暮らすなど、狂気の沙汰だと思った。
「あー……、それなんだがなぁ……レオンス。しばらくの間、抑制剤全般の服用は禁止だ。新薬だけじゃなく、市販の抑制剤が手に入っても、俺がいいって言うまで飲むな」
「…………え?」
今、この軍医はなんて言ったのか。
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