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第一章

11. 夜の貯蔵庫

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 薄暗く、静かな貯蔵庫に、時折シャッシャッとペンが走る音が響く。
 在庫の有無を確認して、リストにチェックを入れていく。

(……うぇ……やっぱ、ちょっときついな……)

 レオンスは心の中だけで独り言ちた。
 きついというのは、体調のことだ。
 吐き気もそうだが、頭痛が加わったことによって気合を入れないと、ふらっと倒れかねない。

 今朝からレオンスを悩ませている体調不良は、オーレリー同様に新しい抑制剤の副作用だ。
 レオンスたち三人が第九部隊に配属されて、ひと月。
 この間に、想定していなかった出来事が彼らの身に起きた。それが副作用だ。

 新しい抑制剤だという新薬の服用は、徴兵された後、簡単な説明を受けてから正式配属までの待機期間中から始まっている。徴兵令を受けとった時期は人により多少なりとも差が生じているので、説明が終わったタイミングも人それぞれだ。そのため、新薬の服用開始時期はレオンス、アメデ、オーレリーで異なる。
 レオンスの場合は、三月上旬にアメデとオーレリーの二人と出会うより二週間前——つまり、二月中旬から服用を始め、二ヵ月半が経っていた。
 この期間がどう作用しているかは不明だが、つい一週間ほど前まではレオンスに副作用の症状はなかった。いつも通り、朝起きたら抑制剤を一錠飲む。これは徴兵される前より変わらぬレオンスの習慣だ。服用するものが、市販の抑制剤から、支給される新薬に変わっただけ。
 ちょうど一週間前の朝、新薬を飲んだあとから吐き気の症状が現れた。えずいたり、吐いたりするまではいかないのだが、なんとなく気持ち悪さがある。市販の抑制剤も副作用の存在は知られており、レオンスも何度か経験がある。なので、このときも「薬の副作用か」と軽く流した。

 このとき、新しい抑制剤の副作用は、アメデにはまだ起きていなかったが、オーレリーはレオンスよりもさらに数日早く副作用が起きていた。朝食を共にとっているときに「今日は副作用があるみたいで」とオーレリーが話してくれていたのだ。その経緯もあって、数日後にレオンスにも副作用が出たときには落ち着いて受け止められた。

 その副作用だが、オーレリーは打ち明けてくれた日以降は、症状が出る日があったり、出ない日があったりという状態だった。そこに、今回の発情周期の乱れが追い打ちをかけたのだ。今日のオーレリーが相当具合を悪くしていたのも頷ける。
 そしてレオンスについても、副作用はまちまちだ。昨日は特に症状はなかったのだが、今日は随分と症状が長引いている。朝から少し無理をしている自覚はあるので、そのせいかもしれない。

(でも明日の分も、なるべく終わらせておきたいし。もうちょっと頑張ろう)

 アメデの手伝いを断ったのは、それが理由でもある。
 今日対応する予定のものは、振り分けたオーレリー分も含めて一時間ほど前に作業を終えた。壁に掛けられた時計を見ると、時刻は午後九時半。アメデと別れてから二時間半が経過していた。

 今日分の作業が終わってから一時間半、レオンスが何をしていたかというと、明日分の確認に手をつけていたのだ。明日分のうち、オーレリーに担当してもらおうとしていた分を先んじて確認しておけば、明日もオーレリーが出てこられなくても、アメデに割り振る量を少なくすることができる。もしオーレリーが復調して出てこられるようであれば、負担を軽減できる。
 なにより、オーレリーの様子を見て「明日は自分も……」という不安が拭えない。

 レオンスは、なるべく他人に迷惑をかけたくなかった。
 勘違いしないでほしいのだが、レオンスはオーレリーを迷惑だとは微塵も思っていないのだ。他人を助けるのは嫌いではない。その相手を迷惑だとも思わない。
 それが自分である場合は、話が別なだけだ。

(アメデもオーレリーも、俺よりずっと若いしな。それに、二人とも相手がいる。不安もあるだろうし、ここは独り身の年長者が踏ん張らないとだよな)

 自虐しつつも、自分を励ます。
 こうやって、レオンスが年下のオメガを可愛く思い、手を差し伸べるのには、自分としてはちゃんと理由がある。

 レオンスには、弟と妹が一人ずついる。
 三歳年下の弟セレスタンはアルファ、十歳年下の妹ジョゼットもアルファだ。
 弟はレオンスよりも早く、この戦争が始まったときに徴兵されてしまった。あのときはあっという間に令が下り、まともに話す時間すら取れないまま、彼は家族のもとから発っていった。弟が今、どの地にいるのかレオンスは知らない。レオンスが帝都にいるときはどこにいるかは知っていて、手紙のやりとりが何度かできた。しかし、レオンスが徴兵されて待機宿舎に行ってからは、弟と連絡を取れなくなってしまったのだ。
 兵役先が変わっていなければ、帝国の中央地帯にある拠点で整備関係の任務に就いているはずだ。セレスタンは徴兵前、優秀な技師として働いていた。もし希望を持てるとすれば、レオンスが徴兵される前までに彼の訃報は届いていないことだろう。

 妹は、オメガの母とベータの叔母——どちらも女性だ——と一緒に帝都にいる。アルファだった父は何年か前に流行り病をこじらせて亡くなってしまった。四十歳を前にして作った古傷を抱えて暮らしていた父だが、体格が良く、頭も良く、なによりも家族を大切にする慈愛に満ちた人物だった。レオンスにとって尊敬する父だった。
 そんな家族愛の深い父の教えもあってか、長男のレオンスは、弟と妹の世話をよくしたものだ。レオンスの第二の性がオメガだと判明し、その何年後かに弟はアルファとして覚醒し、いつしか兄弟の体格差が逆転してしまっても、レオンスにとって弟はいくつになっても可愛い弟だった。言うまでもないが妹のことも、レオンスは愛している。

(セレスも、こんな感じのどっかの要塞にいるんかな……。元気にしてるといいけど……)

 自分が徴兵され、こうして要塞という戦地に限りなく近い場所に来てみて、改めて思う。愛する弟がどうか無事であってほしいと。
 第九部隊にも元々軍人ではなかった、徴兵されたアルファやベータが大勢いる。ファレーズヴェルト要塞付近は、まだそこまで大規模かつ激しい戦闘行為は始まっていない。それでも、負傷して帰ってくる者もいるし、残念ながら命を落とした者もいる。この要塞に来てから、彼らの姿に弟が重なることが幾度とあった。

 つい感傷的になってしまった気持ちを振り払うように、レオンスは頭を軽く左右に振った。と、今度はふわっと目眩がして、体が揺らいだ。体調不良の相まって踏ん張りがきかず、そのままよろけてしまう。

「うわっ、と……ッ! いたた……」

 背後の棚に背中を軽くぶつけてしまい、小さく痛みが走った。
 どうやら、自分が考えている以上に疲労が溜まっているみたいだ。まだもう少し、と思っていたが、早めに切り上げたほうが良いかもしれない。明日の副作用がどのくらいか想定がつかないのもあって、頑張れるときに頑張っておくつもりだったが、ここで倒れてしまっては元も子もない。

「はぁ……仕方ない。十時までやったら終わりにして、部屋に戻ろう」

 あと三十分弱。
 レオンスは打ちつけた背中をぐーっと反らし、凝り固まった体を伸ばすと、シャツの袖をまくった。そうやって気合を入れて、残り時間でリストと在庫を交互に睨めっこしたのだった。

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