153 / 182
第二十三章 ビョルンの屋敷
4 聡明な馬
しおりを挟む
4 聡明な馬
裏庭の菜園では、鶏やガチョウたちが地面を突きながら歩き回っていた。
「おはよう」
変わらない朝が懐かしくて声をかける。が、鳥たちは一斉に散っていった。僕がザクロさんの姿をしてるから、怖かったみたいだ。鳥たちにまでそんな反応をされるとは衝撃だった。
「……ほら、ご飯だよ」
僕はめげずに餌を撒いた。すると、鳥たちは目を釘付けにして首を揺らしながら寄ってくる。こういうところは素直で可愛い。
とはいえ、完全に警戒を解いてくれたわけではない。僕を迂回しながら餌をめがけてダッシュして、パッと嘴で地面を突くなり飛び退いて、目を白黒させながら小石も一緒に飲み込んでる。そんなに慌てなくていいのにと、思わず笑ってしまった。
凍った池のほとりには、一本の柳が揺れている。その向こうの陽だまりに、納屋と並んで小さな馬小屋が光っている。
「ファラダは元気かな」
ザクロさんが川で氷漬けになった時、馬は逃してくれたってプリッツは言ってた。とはいえ怖い思いをしたことだろう。
茅葺の屋根は朝の冷たい日差しを受けて光っていた。木戸をくぐると薄暗く、馬小屋の中はあたたかな藁と馬草の匂いで満ちていた。
細い丸太の柵で囲われた中に、灰色の毛並みに白い斑入りの馬ファラダが、静かに佇んでいた。
「ファラダ、怪我はない?」
ファラダはザクロさんの姿にも怯えることなく、視線を僕に向けた。僕はそっと近寄って、ファラダの首筋を撫でた。
ファラダは変わってしまった僕からも逃げない。あたたかな毛並みに思わず頬を寄せた。以前よりずっとファラダの目が近くにある。
「僕のこと、わかる?」
わかりますとも、とファラダは頷いたような気がした。
僕はファラダを馬小屋から連れ出すと、柵で囲まれた敷地内を好きに歩かせてやった。飼い葉桶にたっぷりと牧草を入れてやる。
ファラダが庭でご飯を食べている間に、僕は馬小屋の床を掃除した。ボロを取り、汚れた藁を換える。
ザクロさんの高い身長とたくましい腕のおかげで、大きなフォークが軽々と扱える。これはありがたい変化だった。手押し車の往復もスイスイ行ける。
手の皮だけはちょっとヒリヒリしたから、明日から手袋をしてこよう。せっかくの綺麗な爪が欠けたりしてももったいないし。
「さあ、綺麗になったよ」
水を飲んでいたファラダはゆっくりと目をあげた。ブルっとまた歩き出す仕草をする。ファラダの言いたいことは何となくわかる。
「まだ戻りたくないの?」
僕は笑ってファラダの鼻を撫でた。ファラダは柵に近寄ると僕に鼻をすり寄せた。乗りませんか、と言ってくれてるのだ。
「いいの?」
僕は柵に足をかけると、ファラダの背中にまたがった。ザクロさんの重みで柵がギシっといった時、僕はハッとした。でも、ファラダは動じずに僕の重たい体を乗せて歩き出した。
ファラダは他の動物たちと違って、元々ザクロさんにもこんなに懐いていたのだろうか。それとも本当に、僕がアリオトだってわかってるのだろうか。
ファラダはゆっくりと柵を巡り、裏庭を抜け、徐々に脚を速めながら森のほとりを駆けた。まだ雪の残る草地を飛ぶように走る。ザクロさんの燃えるように赤い髪が風になびいた。僕はファラダの背で弾みながら、声をあげて笑っていた。
ひとしきり走って、草原の中にポツンとたつ楡の木の前で止まった。僕はファラダの背から降りた。息がずいぶん切れた。
「ありがとう」
近くの小川にファラダを引いていく。雪解け水が流れてくる。僕はファラダの汗をかいとり、ブラシでくまなく撫でて埃を落とした。たてがみとしっぽも柔らかく梳る。
力のみなぎる筋や筋肉を覆った毛並みがツヤツヤと輝き出すのを見るのが、僕は大好きだ。
蹄に詰まった泥を掻い出す間も、ファラダは大人しく片足ずつあげて、じっとしていてくれた。
「君は本当に綺麗だね、ファラダ」
ファラダは黙って首を下げると、鼻の先を川面につけて静かに水を飲んだ。それをみおろすザクロさんの姿は、澄んだ水の奥の、御影色の土や小石と一緒に溶けて、波紋のなかに隠れてしまった。
ふとファラダが顔を上げて、耳を前後に動かした。僕もファラダの見ている方角に目を凝らす。
「あれ、何だろう」
森のほとり近くで蛇行した川の澱みの岩陰に、何かが引っかかってる。黒いぼろ布のようにも見えた。近付こうにも水草が生い茂っている。浅い川だから、水の中を歩いた方がよさそうだ。僕は靴を脱ぐと、川の中に足を入れた。
「つ、つめたー」
ファラダが心配そうに僕を見ている。
「ちょっと待っててね。見てくるから」
ドレスをたくしあげ、水に逆らって歩く。
澱みに近づくにつれて、岩に引っかかっていたのは布ではなく、どうやら人のようだとわかってきた。
「大変だ!」
幸いにも、その人の斃れていたのは浅瀬だった。駆け寄って、声をかける。
「大丈夫ですか」
グッタリとしていて意識がない。殴られでもしたのだろうか、顔はコブだらけで、まぶたも口も膨れ上がっている。小さな細い手足に、曲がった背骨。
お爺さんのようだけれども、首や手肌は若い人のようにも見えた。
裏庭の菜園では、鶏やガチョウたちが地面を突きながら歩き回っていた。
「おはよう」
変わらない朝が懐かしくて声をかける。が、鳥たちは一斉に散っていった。僕がザクロさんの姿をしてるから、怖かったみたいだ。鳥たちにまでそんな反応をされるとは衝撃だった。
「……ほら、ご飯だよ」
僕はめげずに餌を撒いた。すると、鳥たちは目を釘付けにして首を揺らしながら寄ってくる。こういうところは素直で可愛い。
とはいえ、完全に警戒を解いてくれたわけではない。僕を迂回しながら餌をめがけてダッシュして、パッと嘴で地面を突くなり飛び退いて、目を白黒させながら小石も一緒に飲み込んでる。そんなに慌てなくていいのにと、思わず笑ってしまった。
凍った池のほとりには、一本の柳が揺れている。その向こうの陽だまりに、納屋と並んで小さな馬小屋が光っている。
「ファラダは元気かな」
ザクロさんが川で氷漬けになった時、馬は逃してくれたってプリッツは言ってた。とはいえ怖い思いをしたことだろう。
茅葺の屋根は朝の冷たい日差しを受けて光っていた。木戸をくぐると薄暗く、馬小屋の中はあたたかな藁と馬草の匂いで満ちていた。
細い丸太の柵で囲われた中に、灰色の毛並みに白い斑入りの馬ファラダが、静かに佇んでいた。
「ファラダ、怪我はない?」
ファラダはザクロさんの姿にも怯えることなく、視線を僕に向けた。僕はそっと近寄って、ファラダの首筋を撫でた。
ファラダは変わってしまった僕からも逃げない。あたたかな毛並みに思わず頬を寄せた。以前よりずっとファラダの目が近くにある。
「僕のこと、わかる?」
わかりますとも、とファラダは頷いたような気がした。
僕はファラダを馬小屋から連れ出すと、柵で囲まれた敷地内を好きに歩かせてやった。飼い葉桶にたっぷりと牧草を入れてやる。
ファラダが庭でご飯を食べている間に、僕は馬小屋の床を掃除した。ボロを取り、汚れた藁を換える。
ザクロさんの高い身長とたくましい腕のおかげで、大きなフォークが軽々と扱える。これはありがたい変化だった。手押し車の往復もスイスイ行ける。
手の皮だけはちょっとヒリヒリしたから、明日から手袋をしてこよう。せっかくの綺麗な爪が欠けたりしてももったいないし。
「さあ、綺麗になったよ」
水を飲んでいたファラダはゆっくりと目をあげた。ブルっとまた歩き出す仕草をする。ファラダの言いたいことは何となくわかる。
「まだ戻りたくないの?」
僕は笑ってファラダの鼻を撫でた。ファラダは柵に近寄ると僕に鼻をすり寄せた。乗りませんか、と言ってくれてるのだ。
「いいの?」
僕は柵に足をかけると、ファラダの背中にまたがった。ザクロさんの重みで柵がギシっといった時、僕はハッとした。でも、ファラダは動じずに僕の重たい体を乗せて歩き出した。
ファラダは他の動物たちと違って、元々ザクロさんにもこんなに懐いていたのだろうか。それとも本当に、僕がアリオトだってわかってるのだろうか。
ファラダはゆっくりと柵を巡り、裏庭を抜け、徐々に脚を速めながら森のほとりを駆けた。まだ雪の残る草地を飛ぶように走る。ザクロさんの燃えるように赤い髪が風になびいた。僕はファラダの背で弾みながら、声をあげて笑っていた。
ひとしきり走って、草原の中にポツンとたつ楡の木の前で止まった。僕はファラダの背から降りた。息がずいぶん切れた。
「ありがとう」
近くの小川にファラダを引いていく。雪解け水が流れてくる。僕はファラダの汗をかいとり、ブラシでくまなく撫でて埃を落とした。たてがみとしっぽも柔らかく梳る。
力のみなぎる筋や筋肉を覆った毛並みがツヤツヤと輝き出すのを見るのが、僕は大好きだ。
蹄に詰まった泥を掻い出す間も、ファラダは大人しく片足ずつあげて、じっとしていてくれた。
「君は本当に綺麗だね、ファラダ」
ファラダは黙って首を下げると、鼻の先を川面につけて静かに水を飲んだ。それをみおろすザクロさんの姿は、澄んだ水の奥の、御影色の土や小石と一緒に溶けて、波紋のなかに隠れてしまった。
ふとファラダが顔を上げて、耳を前後に動かした。僕もファラダの見ている方角に目を凝らす。
「あれ、何だろう」
森のほとり近くで蛇行した川の澱みの岩陰に、何かが引っかかってる。黒いぼろ布のようにも見えた。近付こうにも水草が生い茂っている。浅い川だから、水の中を歩いた方がよさそうだ。僕は靴を脱ぐと、川の中に足を入れた。
「つ、つめたー」
ファラダが心配そうに僕を見ている。
「ちょっと待っててね。見てくるから」
ドレスをたくしあげ、水に逆らって歩く。
澱みに近づくにつれて、岩に引っかかっていたのは布ではなく、どうやら人のようだとわかってきた。
「大変だ!」
幸いにも、その人の斃れていたのは浅瀬だった。駆け寄って、声をかける。
「大丈夫ですか」
グッタリとしていて意識がない。殴られでもしたのだろうか、顔はコブだらけで、まぶたも口も膨れ上がっている。小さな細い手足に、曲がった背骨。
お爺さんのようだけれども、首や手肌は若い人のようにも見えた。
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない
タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。
対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
龍の寵愛を受けし者達
樹木緑
BL
サンクホルム国の王子のジェイドは、
父王の護衛騎士であるダリルに憧れていたけど、
ある日偶然に自分の護衛にと推す父王に反する声を聞いてしまう。
それ以来ずっと嫌われていると思っていた王子だったが少しずつ打ち解けて
いつかはそれが愛に変わっていることに気付いた。
それと同時に何故父王が最強の自身の護衛を自分につけたのか理解す時が来る。
王家はある者に裏切りにより、
無惨にもその策に敗れてしまう。
剣が苦手でずっと魔法の研究をしていた王子は、
責めて騎士だけは助けようと、
刃にかかる寸前の所でとうの昔に失ったとされる
時戻しの術をかけるが…
拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件
碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。
状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。
「これ…俺、なのか?」
何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。
《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》
────────────
~お知らせ~
※第3話を少し修正しました。
※第5話を少し修正しました。
※第6話を少し修正しました。
※第11話を少し修正しました。
※第19話を少し修正しました。
※第22話を少し修正しました。
※第24話を少し修正しました。
※第25話を少し修正しました。
※第26話を少し修正しました。
※第31話を少し修正しました。
※第32話を少し修正しました。
────────────
※感想(一言だけでも構いません!)、いいね、お気に入り、近況ボードへのコメント、大歓迎です!!
※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる