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第二十三章 ビョルンの屋敷
3 抜かりない魔女
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3 抜かりない魔女
ホクトくんは僕に掴みかかろうとした。ホクトくんの怒りで空気がビリビリ震えた。
それを止めてくれたのはマフだった。マフはホクトくんを宥めながら、厨房の方へ連れて行った。
僕は呆然としていた。身体がすくんで、耳がじんじんして、うごけない。
ホクトくんが怖かったからじゃない。僕自身、ホクトくんと同じくらい混乱してたからだ。
ホクトくんとマフとメアリを前に、自分がアリオトだと告げたかった。でも、何かの力によって口封じされていた。
口にしようとした言葉がかき消された時の焦りがまだ尾をひいてる。
口にしようとした途端、言葉が頭からも喉からもぽっかり消えるんだ。この感覚はザクロさんを男だと言えなくされた時と同じ。
ああ……。
胸がひきつれる。
この不自然で強引な口封じの魔法は、ピノやプリッツの魔法とは種類が違う。そういうのがなんとなく分かるようになっていた。
ザクロさんなんだ。
僕をザクロさんに変えたのは。
そう直感したとたん、どうにもならないやるせなさが僕を襲った。僕は動揺して、ホクトくんの気持ちを思いやることが出来なかった。
ホクトくんは僕を心配してくれてた。お母さん想いのホクトくんが、ザクロさんと喧嘩までして憤ってくれてた。
そのホクトくんに、僕はアリオトは幸せだの、消えたのはザクロさんの方だのと、ちゃんとした順序も踏まずに口走ったんだ。ホクトくんが混乱するのも当然だった。
そんなことを「ザクロさん」の口から語られたのだ。彼が怒るのも無理はない。
「ホクトくんに謝らなきゃ」
僕はつぶやいた。でも、立ち上がることが出来なかった。膝がまだ震えてる。
そのときふと、僕の頬に柔らかなものが触れた。
メアリが、僕の髪についたスープの滴を拭ってくれていた。
「今はそっとしておきましょう、坊ちゃん」
優しい手つきが、泣きたいほど嬉しい。
「うん……そうだね……」
メアリの手が止まった。僕は目を擦って、メアリを見上げた。
「ありがとう」
僕の顔を見つめるメアリの口が、小さく動いた。
「本当に……」
「え?」
メアリは口を閉ざした。首を振って俯くと、僕の髪を拭いた布巾をたたみ直した。僕の背後で、柱時計の鐘が低く鳴った。
「あ、餌をやる時間だね」
そういえば、今日はまだ馬屋や家畜小屋の様子を見に行ってない。
「ファラダは元気?」
家畜には名前をつけてはいけない。父さんにそう教わった。だけどうちには一匹だけ、名前のついた馬がいる。
灰色のファラダは、とても綺麗な馬だ。ホクトくんの一番のお気に入り。彼がいつのまにか名前をつけてたんだ。
「え……ええ、馬屋にいますよ」
僕はよっこいしょと立ち上がる。
「よし、馬小屋の方は僕に任せて。今日は念入りにブラッシングしてあげよっと」
僕は席を立ってから、はたと振り返った。
「そういえば、さっき、僕のことを坊ちゃんて呼んだ?」
気のせいかな。期待のこもった僕の視線を避けるように、メアリは出て行ってしまった。
残された僕は、テーブルの食器を片付けた。
「上着を、お持ちしました」
振り返ると、マリアが、ザクロさんの上着を持って立っていた。
乗馬用の、綺麗な上着。馬小屋の掃除で汚したら悪いかな。
そんな気持ちが一瞬湧いたけど。
まあいいや。なんの説明もなく、僕をザクロさんに変えちゃったザクロさんが悪いんだもの。好きにさせてもらう。モノマネもやめだ。
「ありがとう、メアリ」
僕はメアリに背を向けて、腕を斜め後ろに差し出す。正面の鏡には、ペンギンみたいに腕を下げるザクロさんがいた。照れくさそうに笑っている。
「……坊ちゃんは、本当に幸せなのですか」
背伸びして上着を着せてくれながら、メアリは「ザクロさん」に尋ねた。うん、とザクロさんの僕はうなずく。メアリは鏡越しに僕の目をじっと見つめてた。
お皿を洗うのはメアリがやってくれるというので、僕はやったとばかりに馬小屋に駆け出した。
はやく、物言わぬ馬たちに会いたかった。
なんだか自分が分からなくって、話すのも、考えるのも、ひどく疲れてしまったから。
ホクトくんは僕に掴みかかろうとした。ホクトくんの怒りで空気がビリビリ震えた。
それを止めてくれたのはマフだった。マフはホクトくんを宥めながら、厨房の方へ連れて行った。
僕は呆然としていた。身体がすくんで、耳がじんじんして、うごけない。
ホクトくんが怖かったからじゃない。僕自身、ホクトくんと同じくらい混乱してたからだ。
ホクトくんとマフとメアリを前に、自分がアリオトだと告げたかった。でも、何かの力によって口封じされていた。
口にしようとした言葉がかき消された時の焦りがまだ尾をひいてる。
口にしようとした途端、言葉が頭からも喉からもぽっかり消えるんだ。この感覚はザクロさんを男だと言えなくされた時と同じ。
ああ……。
胸がひきつれる。
この不自然で強引な口封じの魔法は、ピノやプリッツの魔法とは種類が違う。そういうのがなんとなく分かるようになっていた。
ザクロさんなんだ。
僕をザクロさんに変えたのは。
そう直感したとたん、どうにもならないやるせなさが僕を襲った。僕は動揺して、ホクトくんの気持ちを思いやることが出来なかった。
ホクトくんは僕を心配してくれてた。お母さん想いのホクトくんが、ザクロさんと喧嘩までして憤ってくれてた。
そのホクトくんに、僕はアリオトは幸せだの、消えたのはザクロさんの方だのと、ちゃんとした順序も踏まずに口走ったんだ。ホクトくんが混乱するのも当然だった。
そんなことを「ザクロさん」の口から語られたのだ。彼が怒るのも無理はない。
「ホクトくんに謝らなきゃ」
僕はつぶやいた。でも、立ち上がることが出来なかった。膝がまだ震えてる。
そのときふと、僕の頬に柔らかなものが触れた。
メアリが、僕の髪についたスープの滴を拭ってくれていた。
「今はそっとしておきましょう、坊ちゃん」
優しい手つきが、泣きたいほど嬉しい。
「うん……そうだね……」
メアリの手が止まった。僕は目を擦って、メアリを見上げた。
「ありがとう」
僕の顔を見つめるメアリの口が、小さく動いた。
「本当に……」
「え?」
メアリは口を閉ざした。首を振って俯くと、僕の髪を拭いた布巾をたたみ直した。僕の背後で、柱時計の鐘が低く鳴った。
「あ、餌をやる時間だね」
そういえば、今日はまだ馬屋や家畜小屋の様子を見に行ってない。
「ファラダは元気?」
家畜には名前をつけてはいけない。父さんにそう教わった。だけどうちには一匹だけ、名前のついた馬がいる。
灰色のファラダは、とても綺麗な馬だ。ホクトくんの一番のお気に入り。彼がいつのまにか名前をつけてたんだ。
「え……ええ、馬屋にいますよ」
僕はよっこいしょと立ち上がる。
「よし、馬小屋の方は僕に任せて。今日は念入りにブラッシングしてあげよっと」
僕は席を立ってから、はたと振り返った。
「そういえば、さっき、僕のことを坊ちゃんて呼んだ?」
気のせいかな。期待のこもった僕の視線を避けるように、メアリは出て行ってしまった。
残された僕は、テーブルの食器を片付けた。
「上着を、お持ちしました」
振り返ると、マリアが、ザクロさんの上着を持って立っていた。
乗馬用の、綺麗な上着。馬小屋の掃除で汚したら悪いかな。
そんな気持ちが一瞬湧いたけど。
まあいいや。なんの説明もなく、僕をザクロさんに変えちゃったザクロさんが悪いんだもの。好きにさせてもらう。モノマネもやめだ。
「ありがとう、メアリ」
僕はメアリに背を向けて、腕を斜め後ろに差し出す。正面の鏡には、ペンギンみたいに腕を下げるザクロさんがいた。照れくさそうに笑っている。
「……坊ちゃんは、本当に幸せなのですか」
背伸びして上着を着せてくれながら、メアリは「ザクロさん」に尋ねた。うん、とザクロさんの僕はうなずく。メアリは鏡越しに僕の目をじっと見つめてた。
お皿を洗うのはメアリがやってくれるというので、僕はやったとばかりに馬小屋に駆け出した。
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