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第二章

第9話 ……私、もうすぐ死ぬの?

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 ゆらゆら揺れる。ひんやりとした感触が心地良い。
 まるでゆりかごのように一定のリズムで揺れて、浮上しかけた意識がまどろんでいく。

「そろそろ起きなさい」
「ぶえっ」

 ゆりかごから放り出され何かにダイブ。ぼんやりとする頭で周りを見渡せば、そこは私のベッドだった。

「んん?」
「いつまで寝ぼけてんだよ。これから説教だぞ」
「え」

 驚いて見上げれば、なんだか不機嫌そうなノエ。ああ、なるほど。ゆりかごはノエのだっこで、ダイブはベッドに放り投げられたのか。

 何故? ――寝ぼけた頭を起こし、記憶を辿る。
 追いかけていったグリーン兄さん、土下座、謎の跳躍。

『――息しろ、馬鹿』

 最後に聞こえた声は、グリーン兄さんではなくノエのもの。ってことは?

「……私、気絶したの?」
「酸欠でな」
「……おおう」

 酸欠ってあれだよね、酸素足りないやつ。運動で頑張りすぎちゃったり、標高高い山とかでなったりするあれだ。
 でも私は別に運動もしてないし、ここは高山でもない。そして直前のノエの発言を踏まえるならば。

「……え、私息するの忘れてたの?」
「意図的に止めてたわけ?」
「そんな自殺行為いたしません」

 ぶんぶんと首を振れば、「息止めたところで自殺はできないけどな」だなんて冷静な突っ込みを入れられる。あ、そうなの?

「っていうかなんで私息し忘れたの?」
「こっちが聞きたい。ってかなんであんな場所にいたわけ? しかも壱政いっせいなんかと」
「いっせい?」
「緑の髪の日本人」

 ああ、グリーン兄さんか。さっき聞きそびれちゃったけれど、そうか、壱政さんと言うのか。

「壱政さん驚いてたよね!?」
「……お嬢さん、状況分かってる?」
「んあ?」

 どういうこと? 私が見返せば、ノエは疲れたように、それはもうとても重たい溜息を吐いた。

「壱政はクラトス様の配下なんだよ。何企んでるか分からないし、そうでなくても自分とこのボスが罰を受けるきっかけを作ったほたるをよく思ってるわけないだろ」
「……おおう」

 なんだか私、とんでもない相手に声かけちゃった? ていうかあれか、クラトスが日本語ぺらぺらなのは壱政さんが関係してるのかな。

「でもクラトスにだってその上がいるんでしょ? クラトス個人が何かするならともかく、それ以外を巻き込んで何かするのってあんまりないんじゃないかなぁ?」

 このへんはノエに教えてもらった情報だ。吸血鬼には序列があって、これは何があってもひっくり返せないらしい。
 ノエ曰く、全ての吸血鬼は真祖アイリスの子なのだそうだ。吸血鬼になった時点で人間のような子供の作り方はできなくなるから、吸血鬼を増やすには種子を人間に与えきゃいけない。ので、遺伝的な繋がりではなく吸血鬼の血によって親子的な繋がりができるらしい。
 真祖が種子を与えたのは三人だけと言われている。この三人がそれぞれ人間に種子を与え、そうして吸血鬼になった人がさらにまた別の人間に種子を与え……――というふうに吸血鬼は増えるので、全ての吸血鬼の親玉が真祖アイリスだっていう考え方になるんだって。

 で、この真祖から親子関係がどれだけ近いかというのが序列になる。
 裁判の時にノエは自分のことを『アイリスの系譜、第四位』と言った。これは真祖の直接の子供を一番目として、四番目の距離にいるよってこと。つまりアイリスさんの孫の孫、玄孫ですよという意味になる。

 というわけで、私はノエから習ったこの情報を元に「クラトスにも上がいる」と言ってみたわけだ。どれだけいるか分からないけれど、少なくとも真祖ではないもの。
 こんな難しいことを瞬時に考えられたのだから、ノエもきっと私を褒めてくれるだろう。自分の教えたことちゃんと分かってんじゃんみたいな感じでさ。

 と思ったのに、ノエは呆れたような顔をしていた。何故。

「ほたる、俺の話ちゃんと聞いてなかっただろ」

 あれぇ? 嘘、これ間違ってるの?

「言っただろ、クラトス様は序列の最上位だって」
「そうだっけ……? でも真祖がいるじゃん」
「それも言った。普通真祖は入れない」
「ううん?」

 なんだどういうことだ。私が眉をうんと近くしていると、ノエが面倒臭そうに口を開いた。

「確かに真祖が最上位だけど、その真祖アイリスはもうかなり長いこと人目に触れてないの。今いる世代じゃ真祖を見たことのある奴はいないだろうって言われてるくらいにね。だから真祖から数えるのは吸血鬼全体の中での序列を表す時だけで、普通は真祖を除いて、存命の吸血鬼をそれぞれの系譜最上位として考える」

 おおう?

「俺の場合、裁判みたいな正式の場以外ではラミアの系譜を名乗る。つまりラミア様が俺のボス」
「ふむ」
「で、クラトス様だ。あの人はアイリスの子と名乗る。それが序列最上位を表す言葉だからだ」
「……クラトス様は真祖の子供なの?」

 この子供というのは直接の子供――真祖が種子を与えた三人のうちの一人という意味だ。ややこしい。
 でもノエには伝わったみたいで、彼は小さく首を横に振った。

「いんや、実際には違う。アイリスの系譜で数えると、あの人は三位。でも一位と二位はもう死んでる。だからあの人がアイリスの子を名乗る」
「……むず」
「慣れなさい。少なくとも相手が俺より上か下かだけ判断できるようになってくれ。俺より下なら、系譜が異なっても相手は俺に逆らえないから」

 この逆らえないというのも吸血鬼で序列が重んじられる理由の一つだ。吸血鬼は相手を催眠で洗脳できるけれど、全体で数えた時に自分より下の吸血鬼しか洗脳することはできないし、逆に自分より上の吸血鬼に洗脳されそうになっても抵抗できないんだって。なんだこの下剋上拒否システム。
 ちなみに同じ序列の場合は精神力の高い方、つまり気合のある方が勝つらしい。ややこしいなぁ。

「もう全部真祖基準で序列名乗ればいいじゃん……」

 そうしたらこんなややこしいこと考えなくていいのに。

「昔はそうだったらしいんだけどなァ。戦争が始まってからこうなったんだと」

 なるほど、つまりは戦争が悪いと。詳しいことはよく分からないけれど、どうせ派閥とかそういう大人の事情なのだろう。ああ嫌だ。

「で、本題。クラトス様は序列最上位だから、あの人を止める人はいない。ラミア様とか他の序列最上位の吸血鬼なら意見できるけど、戦争のこともあるから基本は不干渉。その上あの人の系譜の吸血鬼は全員あの人の意思どおりに動く。勿論壱政だってそう。理解した?」
「……それって、クラトスが何か企むのはかなり大事おおごとなんじゃ」
「大事だよ。だから一時的にしろ、序列最上位相手に権限剥奪だなんて裁定がまかり通る」
「じゃあ壱政さんにはあまり近付かない方がいい……?」
「俺がいない時は絶対駄目。序列的には俺の方が上だから、俺がいれば向こうは何もできない。でもほたる一人だったら、今回みたく敵意を向けられるかもしれない」

 ああ、ノエって結構凄いんだなぁ。じゃなくて。

「敵意?」
「気付いてなかったのか? ちょっと見てたけど、土下座してる時に壱政の奴ほたるに何かしようとしてたぞ。んで、俺が止めるよりも早くほたるはあいつから飛び退いた。――気付いてやったんじゃないの?」
「知らない。全然知らない」

 私がぶんぶんと頭を振れば、ノエは難しい顔をした。あ、その顔格好いい。普段おちゃらけてるから少し真面目な顔をするとなんかギャップがとても良いです。

「……お嬢さんよ」
「はい?」
「もうあまり時間がないかもしれない」

 なんの?

 神妙な面持ちのところ悪いのだけど、正直時間はあるぞ。だって私何もすることないし。なんだったら暇で暇でしょうがないと思うこともある。
 ちょっと気になるのは学校の勉強かな。行かなくても問題ないようになっているらしいけれど、私の頭は問題なくないわけで。だったらこの暇な時間、学校の勉強と同じようなことをさせて欲しいなとも思うわけで。あらやだ私ってば優等生みたいなこと言ってる。

 まあそんなわけで、ノエの言っている意味がよくわからない。うーん、と首を傾げてみれば、ノエは真剣な表情のまま話を続けた。

「種子持ちっていうのは、本来人間と全く同じなんだよ」
「うん?」

 なんで今その話? と思ったけれど、ノエが真剣に話すことは珍しいので大人しく聞いておく。

「だから催眠も効く。これは吸血鬼側の序列に全く左右されない」
「……あれ?」

 吸血鬼というのは吸血鬼の行う催眠による洗脳に抵抗力を持っているらしい。だから自分より序列が上の相手に強い力でやられない限り、洗脳されることはないのだそうだ。
 でも人間はその抵抗力を全く持たない。そのため全ての人間は吸血鬼の催眠に対抗することができない。

 ――と、ノエには教えてもらっている。てっきり種子持ちは吸血鬼側だと思っていたのだけど、人間と同じなのであれば催眠に抵抗できるはずがない。
 でも、ノエは裁判で言っていた。『このお嬢さんには洗脳が効かなかった』と。

「そう、ほたるには催眠が効かない。まあこれに関しては、長い期間種子を持ったままの人間にはたまに起こる現象だからそこまで気にしなくてもいい」

 ノエが言うには、種子を長く持っていると吸血鬼の抵抗力が染み出すことがあるのだそうだ。この場合は弱い力の催眠なら抵抗できる。弱い力というのは、人間に対して向けるもの、もしくは種子の序列よりも低い吸血鬼によるものを指す。
 ちなみに人間に対して向ける力が弱いのは、それで十分だからという理由と、あまり強い力でやると相手を廃人にしてしまうことがあるからという理由で、ノストノクスにより原則人間には強い力を使ってはいけないというルールが定められているのだそうだ。

 けれどあの日、私が種子持ちだと気付いたノエは実は力の出力を上げたらしい。
 そうすることにより私の中の種子に直接働きかけることができて、それは吸血鬼相手にその血に働きかけるのと同じ効果を持っている。ノエの序列は結構上の方だから、これで大抵の相手は洗脳できる――はずだったのだけど、うまくいかなかった。それは私の中にある種子の序列がノエと同じか、彼より上だからだそうだ。

「まあ、抵抗力の有る無しは別にどうでもいいんだよ。けどさっきほたるは自分の意思で壱政から逃げたわけじゃないんだろ?」
「うん。なんか気付いたらああなってた」
「ってことは、だ。種子が宿主を勝手に動かしたってこと」
「……なんかやばそうなんだけど」
「やばいよ。だから時間がないって話」

 あれ、話が元に戻ったぞ。今までの会話は何故時間がないかの説明だと思ってたのに、結局分からないままだ。

「それがなんで時間がないって話になるの?」

 たまらず質問すれば、ノエはやはり難しい顔をする。

「普通、種子を発芽させるのは種子を植え付けてから一年以内。宿主の中にある種子は眠ってる状態ではあるけど、あれも小さい吸血鬼みたいなもんだ。眠ってるだけと言っても、宿主の命を吸ってる」
「え……」
「だから発芽させないと大体一年くらいで宿主が死ぬんだよな」

 ちょっと待ってそんな重大事項後出しにする?
 思わず「私に種子植えられたのいつ!?」と大声を上げれば、ノエは「知らん」と答えた。

「知らんって……!」
「なら一応聞くけど、ほたる今までに吸血鬼に会ったことある? こないだの件より前で」
「……ないよ」

 そんな分かりきっていることを聞くな。裁判の時も裁判長に聞かれて答えたし、何より私に吸血鬼の存在を信じさせたのはノエだ。私が吸血鬼に会ったことがないことくらい、彼が知らないはずがない。

「だろー? 最近はな、人間に種子を与える時は相手の合意を取るのがルールなの。だから種子を誰にもらったか絶対に覚えてる。なのにほたるは自分が種子持ちという自覚すらなかった。ってことは、ほたるは親の吸血鬼によってそのあたりの記憶を消されてるんだよ。誰もほたるがいつ種子を与えられたか聞かなかったのはそういうこと」

 確かにそれなら聞いても無駄だと理解はできるものの、簡単に納得することはできない。

「で、でも……最近って言ったじゃん! 最近じゃないのかも……!」
「俺たちの最近よ? ここ二、三百年の話だよ」

 それはどう考えても最近じゃない。という反論は置いといて。

「もしかして時間がないって……」
「そ。ただ洗脳への抵抗力を持つ以上に、種子の力がお嬢さんの中に染み出してるってことは――それだけ、種子を持っている期間が長いかもしれないってこと」

 ノエははっきりとは言わないけれど。それってつまり、そういうことなんだろう。

「……私、もうすぐ死ぬの?」

 恐る恐る尋ねると、ノエは私の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
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