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第二章

第8話 グリーン兄さんってなんだよ

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 私のノストノクスでの日々は単調に過ぎていった。
 ノエがいる時は言葉を始め、ノクステルナや吸血鬼について教えてもらった。そして彼が何かの用事でいない時は部屋で読書に勤しむ。お陰でバスケがしたくなってきたり、霊界探偵になれそうな気がしてきたりといろいろ大変なこともあったけれど、それなりに楽しんで過ごせているんじゃないかと思う。
 しかし、よ。やはり毎日同じことをしていると結構飽きる。なんだろう、毎日夏休みだったらいいのになーと思っていたのに、実際にそうなってみるとなんか違うみたいな。ちなみに部屋の掃除や洗濯はそういう仕事の人がいるので、私にできるのは毎朝起きたら恥ずかしくないようにベッドを整えるくらい。うん、一瞬で終わる。
 でも私は保護されている身なので暇というのはいいことだろう。ここで命の危険を感じたことは今のところない。

 でも、食堂でノエが赤い液体をちゅーちゅー吸っているのを見た時はちょっと頭が冷やされる感覚がした。
 あれは彼が外出から戻ってきた時だったかな。結構疲れていたみたいで、普段一緒にご飯を食べる時のノエは何も口にしないか、私と同じようなものをつついていたのだけど、あの時はげっそりとしながら赤いやつを飲んでいた。
 太めのストローはタピオカドリンクのやつだろうか。全くもって可愛くないビジュアルのそれを、ノエはまるで仕事終わりのサラリーマンが一気にビールを煽った時のように、「ぷはぁ!」と生き返る感満載でゴクゴクと一気に飲み干していた。ふわっと香った鉄の臭いで、ああ彼も吸血鬼なんだと実感したのだ。

『……ちなみにそれは、やっぱり人間の血なの?』
『いんや、今日は牛』
『牛!?』

 曰く、血液であれば割となんでもいいのだそうだ。しかし吸血鬼も元は人間ということで、栄養効率的には人間の血液が最も良いらしい。少量で済む上に飲みやすい味(らしい。血にそんな味の違いあるとは思えないけれど)なので非常に人気が高く、それで吸血鬼は人間を襲うというイメージがあるのだそうだ。
 で、人間のものほどではないけれど次に人気なのが哺乳類。爬虫類や魚類はノエ的にはゲテモノの味らしい。栄養を考えると類人猿が良いらしいのだが、やはり人間だった頃の感覚で忌避される。じゃあ人間も駄目じゃないかと思うものの、ノエが言うには人間は何故か平気な吸血鬼が多いのだとか。なんでだ。
 まあそんなわけで、牛や豚などの馴染みの家畜が活躍する。これらの血液は外界でも基本は廃棄対象なので、こっそり大量入手しやすいらしい。なんだか意外と現実的。

 そういうことも学びつつ、吸血鬼の巣窟で私は二週間近くを過ごした。
 二週間も過ごせば自然と余裕も出てくる。なるべくノエの影に隠れていた私は、いつの間にか周りをよく見るようになっていた。
 するとどうだろう、ちらほらとノストノクスで人を見るようになったのだ。と言っても元から普通にいたんだけど。裁判でもない限り人が集まらない場所らしく、ただでさえ人が少ないのにノエの背中ばかり見ていたらそりゃ視界に入らない。

 ノストノクスにいるということはまあ、当たり前だけど吸血鬼だ。やっぱり外国人が多いみたいで、アジア人は滅多に見かけない。アラブとか西アジアっぽい外見の人はいたけれど、日本人というのはまだ出会ったことがなかった。

 だから私が日本人探しをしたくなるのは当然と言えよう。
 とはいえノエには食堂と図書館以外は一人でうろつくなと言われている。私もここが日本にしろ外国にしろ、自分の知っている世界であればまあ多少言いつけを破ろうとしただろうけれど、流石に命を狙われる危険性がある見知らぬ世界じゃあ良い子でいるしかない。
 でもまあ飽きるんだよ、いい子でいるのって。しかも精神的に余裕も出てきたから余計にね。

 その上日本人探しは中々進まないと来たもんだ。私の行動範囲内で一生懸命探しているけれど、食堂にも図書館にもあまり吸血鬼はいない。
 なんでも、吸血鬼というのは一週間に一回適度な量の血を飲んでいればそれで食事はおしまいらしい。食い溜め的なこともできるらしく、お腹いっぱいになれば最長一ヶ月いけるとか。ただそれだと食糧供給バランスが悪くなるとかで、ちょこちょこ飲みが推奨されているそうだ。
 だからまあ、いくら娯楽で人間のご飯を食べるって言っても食堂には全然人が来ない。
 図書館にしたって人間の世界でも人が多く来るイメージはない。しかもここの図書館はだだっ広いから、人口密度はめちゃくちゃ低いのだ。

「暇だよう……」

 ぺしゃんと食堂のテーブルに突っ伏す。ノエは朝から出かけているから一人でご飯を食べながら日本人探しの計画を立てていたのだけど、まあこの行動範囲で見つけられる気がしない。今だってほら、食堂はほぼ貸し切り状態だし。
 なんてことを考えていたら、新たに人がやってくるのが見えた。

「んー?」

 服装は今時の若いにーちゃんって感じ。背はノエよりも低そうで、髪は緑。緑って凄いな、染めてるんだろうな。ノエもそうだけど、吸血鬼は奇抜な髪色がお好きなのかしら。
 ちなみに裁判所ではみんな布を被っていたけれど、あれは裁判時とかの正装らしく、普段は割と普通の格好をしている。ノエは仕事柄しょっちゅう外界に行くらしいので今風だけど、ちょっと昔っぽい服装の人もちらほら。
 そして今見ている人はノエ派だ。現代っ子の私から見て違和感がないということはそういうこと。
 ってことは執行官かな? ノエ曰く外界に行く頻度が高いのは執行官などのノストノクス関係者なのだそうだ。変に目立たないよう自然と彼らのファッションは外界の流行に影響される。となれば割と安全な人なのではないだろうか。だって執行官であれば上司はあの裁判長だ。裁判長も私を保護することに賛成派だから、その部下ならみんな彼女の意思どおりに動くだろう。

 ああ、これ声かけちゃっていい? ダメ?
 そわそわしながらグリーンヘッド兄さんを見守っていると、彼は赤いやつをちゅーちゅーして、すぐに容器をゴミ箱にインしてしまった。やばい、これ長居はしないタイプだ。
 咄嗟に私は食器を下げに行っていて、手元が空くと既に食堂の出口にいたお兄さんを急いで追いかけた。


 § § §


 ああこれ、駄目なやつかなぁ?
 グリーンヘッド兄さんを追いかけながら、心の中で問いかける。というのもお兄さんが向かっている先は私の行ったことのない場所だからだ。今はまだ遠目から見たことのある廊下を歩いているけれど、その先を私は知らない。だってノエは教えてくれなかった。

 ノエが百パーセント正しいと思っているわけじゃないけれど、なんとなく彼の言っていることは信じられる。誘拐犯だしお腹も殴られたわけだけど(そういえば謝ってもらってない)、結果として保護されているし。
 だからノエが一人で行ってもいいと言った場所は安全で、それ以外は彼にも保証できないんだと思っている。となるとノエから教えてもらっていないこの先は、安全とは言い切れないんだろう。

 でも、な。この二週間ここで過ごして分かったけれど、ノエは結構忙しい。数時間一緒にいてくれることもあったものの、それよりも一時間だけ時間作ってきましたみたいな感じのことの方が多い。
 今日だってそうだ。朝少しだけ勉強に付き合ってもらって、その後は急いでどこかに行ってしまった。まあ仕事をしているのだから当然だろう。私の保護も仕事だけど、本来の業務だってあるはずだ。吸血鬼の業務って何かよく分からないけれど。

 だから必要最低限だけしか教えなかったっていう可能性も十分にある。一度にたくさん教えると私が間違って覚えそうだとか、私の行動範囲が広がるとノエが私を探すのが大変になるとか。そもそも私の立場が微妙だからそんなに案内するなと言われていることだってあるかもしれない。
 そう考えると、ノエが教えてくれなかった場所の中にも私が行っても安全上は問題ないところがあるんじゃないかと思ってしまうわけだよね。

 とかなんとか考えているうちに、とうとう未踏の地に足を踏み入れてしまった。
 そこは他と変わらない廊下。内装は勿論、雰囲気だって変わらない。

「別に普通じゃん」

 なんでノエはここを私に教えなかったんだろう。まあ迷子を心配されている可能性もあるけどさ、さすがに私もこの程度じゃ迷わない。……と、思う。
 まあそんなことよりグリーン兄さん(長いから略す)だ。この先は行ったことがないから見失わないようにしないと――って、いない。まじか。

「誰?」
「っ――!?」

 心臓がビクってした。肩が面白いように跳ねて、その勢いで少しバランスが前方に崩れる。それをなんとか転ばないように踏みとどまって、声のした方を振り返った。

「……えっ!」

 グリーン兄さんがいた。なんでだ、私は目を離してないぞ――と思ったけれど、なんだかデジャヴ。
 そうだ、これノエにもやられた。裁判所で自分が人間ではないと私に信じさせるために。
 そっかー、そうだよね。ノエができるんだから同じ吸血鬼であるグリーン兄さんにもできて当たり前だよね。瞬間移動なのかなんなのか私にはさっぱり分からないけれど、吸血鬼の標準スキルか何かなんだろう。今度ノエに聞いておこう。

「日本人? ――ああ、ノエが身柄預かってる種子持ちか」
「そうです、それです。っていうか何故日本人だと……?」
「『えっ』って驚くのは日本人。あとさっき『普通じゃん』とかなんとか言ってたろ?」
「……おおう、聞こえてましたか」

 そういえばノエに教えてもらっていた。吸血鬼は人間より五感がかなり優れているって。

「それで、種子持ちが何か用か? ノエは?」

 グリーン兄さんは面倒臭そうに私に尋ねる。なんだろう、執行官(だと思う)ってみんな面倒臭がりなのかな。
 近くで見たグリーン兄さんはやっぱり日本人っぽい顔立ちをしていて、ノエとは雰囲気の違う切れ長の目をしていた。いわゆる塩顔タイプのイケメンってやつだ。懐かしいアジア人の顔にほっとするけれど、イケメンはちょっぴり緊張するぞ。

「えっと、ノエは今外出中なんです。それで私、日本人っぽい人がいないか探してて……」
「俺がそうだと?」
「と、思ったんですけど……違います?」

 グリーン兄さんの反応に、もしや間違えてしまったかと不安になる。そうだよね、彼がいつ頃生まれた人かは分からないけれど、ちょっと昔までアジア諸国ってそこそこ仲が悪かったはずだ。もしかしたらグリーン兄さんの感覚も当時のままなのかもしれない。
 ああ、これはまずかったかも。最近のグローバルな感じで考えてしまっていたけれど、ノクステルナで吸血鬼を相手にした場合、私の感覚の方が少数派なんだ。
 あれやこれや考えながら不安になっていると、グリーン兄さんが「ま、違わないけど」と呟くのが聞こえた。

「本当ですか!? ああ、よかったぁ……間違えて怒らせちゃったかもと……」
「そりゃ間違われたら怒るだろ」
「うっ……そうですよねー」

 私は別に怒らないけどなー。だって私も外国人の見分けがつかないんだから、外国人だって日本人かどうか分からなくてもおかしくないだろう。
 だけどそういうのも最近の感覚なのかな。日本人特有なのかもと思ったけれど、グリーン兄さんの反応を見ている限り違うのかもしれない。

「で、日本人を探してどうする?」
「お、お近づきになりたいなー……なんて」

 言いながらお兄さんを見上げたら、顔に「はあ?」って書いてあった。つらい。

「いやあの、嫌だったらいいんですけど! でも日本人の吸血鬼全然見ないし、急にここに連れてこられちゃったし、なんかちょっとホームシックと言いますか!」

 慌てて言い訳を並び立てる。グリーン兄さんの顔は変わらない。つまり「はあ?」ってことだ。つらすぎる。

「だから! その! 私は神納木ほたると申しますが、グリーン兄さんはなんとおっしゃる方ですか!?」

 あれ、なんか今変なこと言ったかも。

「グリーン兄さんってなんだよ」
「あぁあぁあああぁああああ!!」

 この時の私の動きは過去最速とも言っていいだろう。なんだったら吸血鬼方の瞬間移動に引けを取らないかもしれない。
 ばっと頭を下げ、地面に頭をこすりつける。そう、土下座だ。
 人生初土下座にしてこの速度、私天性の土下座ニストかな。……やだな。

「すみません心の声が! お名前が分からなかったから親しみを込めて心の中でお呼びしていたのがだだ漏れてしまったらしく!」
「……もっとマシなのなかったのか」
「ごもっともで……――ッ!?」

 必死で謝ろうとしていた口が、急に動きを止める。なんだこれ、おかしい。
 身体の奥底からぶわって何か嫌なものが湧き上がって、全身の産毛が逆立つ感覚。

 気付けば私はその場を飛び退いていた。土下座の体勢からどうやったんだってくらい一気に移動していて、心臓はバクバクと物凄い音を立てている。頭の中が熱いのに、すごく冷たい。
 意味の分からない感覚に戸惑いながらグリーン兄さんを見ると、彼もまた驚いたような顔をしていた。そりゃそうだよね、目の前で土下座していた奴が急にこんな意味分かんない動きをしたんだから。
 なんとか取り繕うために口を開きたいのに、うまく動かない。その一方で私の身体は勝手に動いていた。身を屈めて、両脚に力がこもる。どこかへ走りたいわけじゃないのに、いつでも走り出せる感じ。

「……お前、本当に種子持ちか?」

 なんでそんなこと聞くんだろう。聞きたいのに、聞けない。身体が言うことを聞かない。
 耳の奥からキーンと音がする。目の前がきらきら光る。それなのに視界がどんどん狭まって、お兄さん以外何も見えない。

「――息しろ、馬鹿」

 緑色が、青色に。
 そう気付いた時には、私の視界は真っ暗になっていた。
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