193 / 237
第10章「奈落の告白」
186話
しおりを挟む先程の喧騒が夢であったかのように、聖堂はしんと静まり返っていた。
辺りは、天井にぽっかりと開いた穴から降り注ぐ月明かりで、淡い光に満たされている。それは、呼吸をすることさえも忘れてしまうくらい、神聖さを感じる光景であった。
「おいっ!クソベルト!!」
突然、稲妻のような声が、神聖な空間を叩き割る。その声に、ハッと我に戻ったのも束の間、今度は視界に飛び込んできた光景に目を剥いた。
「ちょっとは火加減を考えろっ!もう少しで火達磨になるところだったじゃねーか!!」
語気を荒げながら、殿下がユリウスに飛び掛かっていた。だが、ユリウスは特に驚いた素振りもなく、殿下の足が当たる寸前、ひょいっと身をかわす。そしてーーー
「文句があるのは、こちらの方ですよ。」
そう言ってユリウスは、あろうことか、空振りをし体勢を崩した殿下に、容赦のない蹴りを入れた。
「なにのんびりと惰眠を貪っているんですか。予定より7分も遅れているんですよ。この責任をどう償うおつもりで?あと僕の名前はクソベルトではなくユリウスです。いい加減、覚えてください。」
淡々とそう言いながら、ユリウスは殿下の身体をゲシゲシと蹴る。だが殿下もやられっぱなしではない。殿下は「責任転嫁してじゃねぇ!」と咆哮し、その長い足でユリウスの足を払った。ユリウスの身体はぐらりと傾き、そのまま尻餅をつくかと思いきや、彼はすぐさま床に手をつき、軽やかに体勢を整え、殿下と距離をとった。
一方、首をボキボキと首を鳴らしながら立ち上がった殿下はユリウスを見据え、冷笑を浮かべた。
「予定が狂ったのは、明らかにお前が用意した得体の知れない薬のせいだろうが。むしろ7分ぐらいの誤差で起きれた俺を褒め称えるべきじゃねーの。」
「確かにあの薬は、偶然にできた副産物です。ですが、ちゃんと僕が18歳だった時の身体能力に合わせて調合し直してあります。つまり、殿下は当時の僕より劣っている、ということになりますね。」
「あーでたでた。ジジィ共の『儂の若い頃はなー』ってよく比較してくるヤツ。お前らみたいに、過去の栄光にしがみつくしか能のない、頭の固いジジィにはなりたくはねぇよな。」
「おや。その過去の栄光すら持たない青二才が随分と偉そうなことを仰いますね。身の丈に合った言葉を選んだ方がよろしいですよ。テオドール皇太子殿下。」
「そのセリフそっくりそのまま返すわ。ユリウス卿。」
顔面に冷たい笑みを張り付けた二人は、バチバチと火花を散らしている。
…。
これは一体どういう状況なのだろうか。
少し離れたところで繰り広げられている口喧嘩を唖然と眺めていると…
「…アルベルトは貴方の方だったんですね。」
聖女の声が凛と響き、聖堂の空気を支配した。
その声にピタリと口喧嘩を止めたユリウスと殿下は、祭壇の上で底知れぬ威圧感を放っている聖女を見上げる。
「…。」
静黙に交わる3人の視線。
息苦しささえ感じるほどの重い沈黙。
誰もが息を吞み3人の挙動を見守る中。
何の前触れもなく、ユリウスが聖女に向かって歩き出した。
コツコツと、静寂に包まれた空間に、ユリウスの靴音だけが響く。
何故かその音が、やけにゆっくりと耳の中で響いてーーー
私は、皮膚がざわつくような恐怖を覚えた。
「そこで止まりなさい。」
威厳に満ちた聖女の声が、ユリウスの歩みを制した。
2人の距離は、僅か5歩ほど。
再び訪れる静寂。
だがそれは、僅かな間で、終わりを告げた。
ゆっくりと顔を上げたユリウスの瞳が、サファイアの煌めきを宿したことによって。
「ーっ、」
聖女が小さく息を吞んだ次の瞬間。
瞬く間に青い炎の包まれた聖女の華奢な身体が、聖堂の下手の壁に聳え立つ巨大なパイプオルガンに叩きつけられた。
派手な音と共に、パイプオルガンから吐き出された不協和音の音色が、聖堂内に響き渡る。
青い火の粉が飛び散る中、ガラガラと音を立てながら無数のパイプが、小さな身体の上に崩れ落ちてゆく光景を目の当たりにした私は、堪らず声を上げた。
「ベティ!!」
考えるより先に身体が動く。
祭壇から飛び降りた私は、聖女の元に駆け寄ろとした。
しかし。私の身体は、ぐいっと後方に引っ張られる。すれ違いざまに、ユリウスが私の腕を掴んできたのだ。
「離して!」
咄嗟にユリウスの手を振り払う。
だがその直後。
“ぺちん”と。
頬を襲った衝撃…とも言えぬ感触に、聖女のことで一杯だった私の頭は真っ白になった。
「ーーー」
決して痛くはない。ただ酷く驚いただけ。でも、だからこそ、自分が何をされたのか、すぐには分からなかった。
遅れて気付く。私はユリウスに頬を叩かれたのだ。
半ば呆然として、叩かれた頬に手を添えながら、目の前に立つユリウスに視線を向ける。
昨日会っていたはずなのに、何故か何十年ぶりに相まみえたような気がする彼の黄水晶の瞳は、冷たい氷河の中で怒りの炎が揺らいでいるようだった。
「何故、貴女がここに居るんですか。」
憤りを滲ませた静かな声。
その声に、ハッと我に返った私はーーー
思いっきりユリウスの白い頬に、平手を放った。
パァン、と鋭い音が聖堂に響く。
「……何故って、そんなの決まっているじゃない。」
目を見開き、叩かれた頬に手を当てるユリウスを、私はキッと睨みつけた。
「私は、貴方に会いに来た。」
昨夜、小指を絡めて交わした約束を果たしてもらう為に。
「……」
ユリウスの唇が何か言いかけて開いたーーーーその時。
「――死に損ないの虫けら共が…」
地を這うような低い声が聖堂に堕ち、背筋にぞくりと震えが走った。
続いて響く、ガラララ…!!とパイプが崩れ落ちる音に、ハッと下手に目をやった私は、思わず息を呑む。
そこには、まるで地獄の底から這いあがってきた亡霊のように、積み重なったパイプの中から出てきた聖女が、頭から血らしきものを流しながら立っていた。
「アルベルト。毒林檎を食ったはずのお前が、なんで生きていやがる?」
ギラギラと光る獣のような瞳でユリウスを睨みつけながら、聖女は粗野な言葉を吐く。
常に敬語であったはずの可憐な少女の豹変に、誰もが戸惑いを隠せない中、ユリウスと殿下の態度だけは最初と変わらなかった。
何故、2人は聖女の姿を見ても平然としていられるのだろうか―――あんなにも、聖女の頭から溢れているというのに。
聖女の問いに小さく肩をすくめたユリウスは、にこりとした笑みを貼り付けた。
「これは驚きました。貴女もその名で僕を呼ぶのですね、ベティ嬢―――いえ、」
そこで言葉を切ったユリウスは、黄水晶の瞳を眇めて、こう言った。
「ペティーナお姉様。」
思わず「え…」と零す私を一瞥したユリウスは言葉を続けた。
「彼女の本当の名前は、ペティーナ=フェルシュング。正真正銘、僕の異父姉です。」
41
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
生まれ変わり令嬢は、初恋相手への心残りを晴らします(と意気込んだのはいいものの、何やら先行き不穏です!?)
夕香里
恋愛
無実の罪をあえて被り、処刑されたイザベル。目を開けると産まれたての赤子になっていた。
どうやら処刑された後、同じ国の伯爵家にテレーゼと名付けられて生まれたらしい。
(よく分からないけれど、こうなったら前世の心残りを解消しましょう!)
そう思い、想い人──ユリウスの情報を集め始めると、何やら耳を疑うような噂ばかり入ってくる。
(冷酷無慈悲、血に飢えた皇帝、皇位簒だ──父帝殺害!? えっ、あの優しかったユースが……?)
記憶と真反対の噂に戸惑いながら、17歳になったテレーゼは彼に会うため皇宮の侍女に志願した。
だが、そこにいた彼は17年前と変わらない美貌を除いて過去の面影が一切無くなっていて──?
「はっ戯言を述べるのはいい加減にしろ。……臣下は狂帝だと噂するのに」
「そんなことありません。誰が何を言おうと、わたしはユリウス陛下がお優しい方だと知っています」
徐々に何者なのか疑われているのを知らぬまま、テレーゼとなったイザベルは、過去に囚われ続け、止まってしまった針を動かしていく。
これは悲恋に終わったはずの恋がもう一度、結ばれるまでの話。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!
ぽんちゃん
恋愛
――仕事で疲れて会えない。
十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。
記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。
そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
(本編完結)無表情の美形王子に婚約解消され、自由の身になりました! なのに、なんで、近づいてくるんですか?
水無月あん
恋愛
本編は完結してます。8/6より、番外編はじめました。よろしくお願いいたします。
私は、公爵令嬢のアリス。ピンク頭の女性を腕にぶら下げたルイス殿下に、婚約解消を告げられました。美形だけれど、無表情の婚約者が苦手だったので、婚約解消はありがたい! はれて自由の身になれて、うれしい! なのに、なぜ、近づいてくるんですか? 私に興味なかったですよね? 無表情すぎる、美形王子の本心は? こじらせ、ヤンデレ、執着っぽいものをつめた、ゆるゆるっとした設定です。お気軽に楽しんでいただければ、嬉しいです。
侯爵家の婚約者
やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。
7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。
その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。
カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。
家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。
だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。
17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。
そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。
全86話+番外編の予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる