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第10章
187話
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"フェルシュング"
その名はかつて、口にするのも悍ましい数々の生業に手を染め、目も当てられないほど贅沢の限りを尽くした、悪名高い伯爵家のものであった。
散財を繰り返し、とうとう首が回らなくなった伯爵は、衰弱していた息子ーーーユリウスを森に置き去りにし、妻と娘と一緒にデューデン国へ夜逃げを謀ろうとした。しかし、国境付近を彷徨っていたところを父たちに捕えられ、伯爵夫妻は牢獄へ、幼い娘は修道院に送られたのだった。
…。
まさか、その幼い娘が、聖女だったなんて。
にわかには信じがたいが、言われてみれば確かに、ユリウスと聖女には類似点が多々あった。やや垂れ目の目元や、独特の雰囲気、時折感じた既視感など…。二人が血の繋がりをもった姉弟だったと思えば、納得がいく…はずなのだが...
何故か私の中で、その納得がピタリと噛み合わない。
「聖女になった貴女を一目みた瞬間、すぐに分かりましたよ。姿かたちが変わっても、その腐った林檎のような中身までは変わりません。」
「…。」
「貴女も本当は、僕に気づいていたのでしょう?時折、害虫でも見るかのような眼差しでこちらを見ていましたからね。」
「………。」
聖女は何も話さない。俯き、無言を貫く。その沈黙に耐えられなくなった殿下が「おいクソ聖女。」と声をかけた、その時。
「…ふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ…」
俯く聖女の口から、壊れた玩具のような、不気味な笑い声が漏れた。
思わずゾクリとする声に、ユリウスと殿下にピリッと緊張が走る。
聖女はひとしきり笑うと、ゆっくりと顔を上げた。
「部屋の隅っこで転がっていた分際で、なに自惚れたことを言っているんですか。」
元の敬語口調に戻った聖女の顔には、パッと咲いた花々恥じらってしまうほどに可愛らしい笑みが浮かんでいた。
見慣れた笑顔に、聞き慣れた敬語。そして、聖女の頭から流れる見慣れぬ液体。更には先程の聖女の姿も相まって、拭いきれない違和感と不気味さが纏わりつく。
「私とお前が姉弟?。ふふふ、冗談はその昆虫みたいに気持ち悪い目だけにして下さいよ。どんなに身なりを整えて人間のフリをしていてもお前は何処まで行っても虫なんです。汚くて卑しい、ただの虫けらのままなんです。そんなお前が私を姉と呼ぶ資格なんて最初から存在しないんです。だから次に私のことを呼ぶ時は、いつものようにベティ嬢、もしくは聖女様と呼んでください。ペティーナは聖女ベティに生まれ変わって、もう居ないんですから。」
息継ぎせずに一息で発した聖女の言葉に、私は言葉を失った。
実際、この二人がフェルシュング家でどんな幼少期を過ごしてきたのかは分からない。だが、本来の姉弟からはかけ離れたものだったということだけは分かる。
聖女の言葉に、ユリウスはにこりと微笑んだ。
「僕のこと、憶えていてくださって光栄です。」
「とっくの昔に野垂れ死んでいると思っていましたけどね。だから見かけた時はとっても驚きましたよ。流石はゴキブリ。うんざりするほど素晴らしい生命力です。しかも、毒林檎を食べても、こうして生きているわけですから本当にしぶとい…いえ。それだけ初代皇帝が奪った神様の力が素晴らしいってことですよね。」
「残念ながら、貴女が言う神様の力は、そこまで万能ではありませんよ。」
「……では、どうして生きているんですか?お前が血を吐いて動かなくなるまで、ずーと見ていた私には、それが不思議で不思議で仕方がないんですよ。」
「簡単な話ですよ。僕は貴女が使用した毒の耐性を持っていた。ただそれだけです。」
「耐性…?」
表情から笑みを消し眉間に皺を寄せる聖女に対し、ユリウスは笑みを崩さず、話を続ける。
「植物、動物、鉱物や人工毒など、この世界にはありとあらゆる毒が存在します。その中で貴女がどの毒を使っても対抗できるよう僕は10年ほどの月日をかけて、200種類以上の毒の耐性をつけました。」
毒の、耐性…。
心の中でそう呟くと、脳裏にあらゆる記憶が蘇る。
頻繁に熱を出して寝込んでいた幼いユリウスの姿や、母の屋敷の棚の中に大量に保管されていた謎の瓶。
そして、月明かりに照らされた毒々しいながらも美しい巨大な温室…
…まさか…
「嘘を言わないで下さい。毒の耐性を付けるだなんて、そんな話、聞いたことがありません。」
少しざわつき始めた聖堂の中、聖女が冷静にユリウスの話を否定する。しかし、ユリウスはすぐさま「嘘ではありませんよ。」と言って、肩をすくめてみせた。
「人の体内で作られる抗体によって中和できる毒であれば、毒の耐性をつけることは理論上可能なのです。」
「…前々から思っていましたが、相当頭がイかれていますね。」
聖女に侮蔑の眼差を向けられたユリウスは、笑みを深めた。
「全ては聖女に対抗する為です。」
「……。」
自分の常識を超えたユリウスの話に誰もが呆気に取られている中、私は10年前のことを思い返していた。
10年前といえば、ちょうど父がユリウスを邸に連れてきた時期と重なる。
あの頃のユリウスは、今にも消えてしまいそうなほど衰弱していた。ベッドの上でぐったりしているユリウスに「大丈夫?」と尋ねれば、彼は決まって「大丈夫だよ。」と言って笑っていた。
…。
一体なにが大丈夫だったのだろうか。
やや深めの思考に潜っていると、聖堂に突然鳴った「パチパチ」という乾いた拍手の音に、私はハッと我に返った。
「それはそれは、自ら寿命を削るような真似をしてご苦労様です。」
拍手の発生源は聖女だった。
胸の前で小さく拍手をした聖女の顔には、再び笑みが浮かんでいる。
その姿はまるで、街中で芸を披露した道化師に拍手を贈る可愛らしい少女の様だが、言っていることは辛辣だ。
「ついでにもう一つ質問をします。結界が張られたこの聖堂に、どうやって侵入したんですか?」
「おや?分かりませんか?テスト前に一緒に勉強した内容ですよ。」
「あれ?そうでしたか?お前の声が耳障りで、勉強の内容が耳に入ってこなかったのかもしれませんね。」
「ふふふ。では、海馬が死んでいる貴女の為に、もう一度おさらいをしましょう。」
「目の下のホクロ引きちぎりますよ。」
「さて、結界とは、その名の通り外部からの襲撃や侵入を防ぐ魔法のことです。魔力の質によってその強度は異なりますが、術者が魔法を解除しない限り外部からの侵入はほぼ不可能です。しかし。テストにも出た所ですが、結界には内部からの攻撃には弱いという弱点があります。そこで、仮死状態にした殿下を生贄として送り込み、起きたタイミングで、事前に仕込んでいた召喚魔法で僕を呼び出した…という流れです。…殿下がなかなか起きなかったのは予想外でしたけど。」
「終わったことをネチネチうるせーな、クソベルト。」
「僕の名前はユリウスですよ、殿下。」
「...私の知らない内に随分と仲良くなっていますね。」
にっこりと微笑む聖女の言葉に、殿下は思いっきり顔を顰めた。
「利害の一致で一時的に手を組んでいるだけだ。」
「聖女に対抗する為ならば、利用できるものは何でも利用しますよ。例えそれが、大して役に立たない騎士気取りの雑草だったとしても。」
「聖女をヤる前にお前から殺ってもいいんだぜ。」
「おや、ご自分が雑草だという自覚があるんですね。」
「てんめぇ…」
殿下はズカズカとユリウスに歩み寄り、再び口喧嘩を始めた。
そんな緊張感に欠ける2人のやり取りを見ていると、つい忘れてしまいそうになる。
今、私たちが置かれている状況のことを。
「なるほどなるほど。」
そう言いながら、聖女は腕を組みうんうんと頷いてみせる。そして、口元に笑みを湛えたまま、すっと目を細め「...それで?」と言って、ユリウスと殿下を見据えた。
「魔力がすっからかんな2人で何が出来るんですか?」
ざわついた聖堂が、しんと静まり返り、散らばっていたはずの無数の視線が私たち三人に向けられた。
その殺意のような強い意志を込められた視線に晒され、私はごくりと喉を鳴らす。
殿下は仮死状態からの回復とユリウスの召喚。ユリウスは毒の回復と召喚の際に放った火力過多な炎。
私が想像している以上に、2人の消耗は激しいはず。そして、この圧倒的な数の差。
どちらが不利なのかは、誰の目から見ても明らかだ。
そして。
不安要素はもう一つ。
私は横に立つユリウスを、ちらりと盗み見る。
…果たして、今の彼は味方なのだろうか。
あのユリウスのことだから、考えなしに乗り込んできたとは思えない。おそらく、何かしらの策を考えているはず。だが、先程の彼の反応から察するに、私は邪魔な存在だ。
己の計画に支障をきたすかもしれない存在を、彼はどうするのだろうか…
そんなことを考えていると、不意にユリウスと目が合った。
ーが、すぐに逸らされた。軽くとかではなく、思いっきり、バッとややくせ毛のミルクティー色の髪が揺れるぐらいに。
「…。」
そんなあからさまに逸らさなくてもいいじゃないか。
そう思いながら私はユリウスの涼しい横顔を睨みつけていると、ふと彼の左手首に視線がいった。冷たくて、固い、鉄の輪っか。ドクリと心臓が嫌な音を立てる。ついさっきまで己の手首に嵌っていたモノが、ユリウスの手首を戒めていた。何故、そんなものを嵌めたままにしているのだろうか。そんな私の疑問は、聖女のクスクスと笑う声に掻き消された。
「何も言えませんよね。何も出来ないですもんね。外は戦争の真っ只中で誰も助けになんか来れない状況ですし。ふふ、今ごろ陛下の首が飛んでいるかもしれませんね。」
「ベティ、貴女…!」
実の息子である殿下の前で何てこと言うのだ。私がカッとする一方、殿下は呑気に小指で耳の中をほじりながら、ヘラヘラと笑った。
「あのクソジジィの首をとれる奴が居たら、逆に拝んでみてぇーな。」
「全くです。」
罰当たりなことを言う殿下に、こくりと無礼極まりない同調をするユリウス。そんな二人に私は目が点になった。絶体絶命の状況で可笑しくなってしまったのだろうか。
「…強がるのもいい加減にしてください。流石に見苦しいですよ。」
微笑みをたたえたまま、冷たい声を発する聖女に対し、顎に手を当てたユリウスは「いえ、強がりとかではなく…」と言って、視線を宙に向けた。
「純粋に気になるんですよ。不老不死の首の取り方が。」
エーミールside
『終わった…!!!俺の人生終わった!!!!』
だだっ広い謁見室に、俺の悲痛な叫び声が響き渡る。
エーミール=ヘッセ。誕生日を迎えたばかりの16歳。
俺は人生最大の危機に直面していた。
その名はかつて、口にするのも悍ましい数々の生業に手を染め、目も当てられないほど贅沢の限りを尽くした、悪名高い伯爵家のものであった。
散財を繰り返し、とうとう首が回らなくなった伯爵は、衰弱していた息子ーーーユリウスを森に置き去りにし、妻と娘と一緒にデューデン国へ夜逃げを謀ろうとした。しかし、国境付近を彷徨っていたところを父たちに捕えられ、伯爵夫妻は牢獄へ、幼い娘は修道院に送られたのだった。
…。
まさか、その幼い娘が、聖女だったなんて。
にわかには信じがたいが、言われてみれば確かに、ユリウスと聖女には類似点が多々あった。やや垂れ目の目元や、独特の雰囲気、時折感じた既視感など…。二人が血の繋がりをもった姉弟だったと思えば、納得がいく…はずなのだが...
何故か私の中で、その納得がピタリと噛み合わない。
「聖女になった貴女を一目みた瞬間、すぐに分かりましたよ。姿かたちが変わっても、その腐った林檎のような中身までは変わりません。」
「…。」
「貴女も本当は、僕に気づいていたのでしょう?時折、害虫でも見るかのような眼差しでこちらを見ていましたからね。」
「………。」
聖女は何も話さない。俯き、無言を貫く。その沈黙に耐えられなくなった殿下が「おいクソ聖女。」と声をかけた、その時。
「…ふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ…」
俯く聖女の口から、壊れた玩具のような、不気味な笑い声が漏れた。
思わずゾクリとする声に、ユリウスと殿下にピリッと緊張が走る。
聖女はひとしきり笑うと、ゆっくりと顔を上げた。
「部屋の隅っこで転がっていた分際で、なに自惚れたことを言っているんですか。」
元の敬語口調に戻った聖女の顔には、パッと咲いた花々恥じらってしまうほどに可愛らしい笑みが浮かんでいた。
見慣れた笑顔に、聞き慣れた敬語。そして、聖女の頭から流れる見慣れぬ液体。更には先程の聖女の姿も相まって、拭いきれない違和感と不気味さが纏わりつく。
「私とお前が姉弟?。ふふふ、冗談はその昆虫みたいに気持ち悪い目だけにして下さいよ。どんなに身なりを整えて人間のフリをしていてもお前は何処まで行っても虫なんです。汚くて卑しい、ただの虫けらのままなんです。そんなお前が私を姉と呼ぶ資格なんて最初から存在しないんです。だから次に私のことを呼ぶ時は、いつものようにベティ嬢、もしくは聖女様と呼んでください。ペティーナは聖女ベティに生まれ変わって、もう居ないんですから。」
息継ぎせずに一息で発した聖女の言葉に、私は言葉を失った。
実際、この二人がフェルシュング家でどんな幼少期を過ごしてきたのかは分からない。だが、本来の姉弟からはかけ離れたものだったということだけは分かる。
聖女の言葉に、ユリウスはにこりと微笑んだ。
「僕のこと、憶えていてくださって光栄です。」
「とっくの昔に野垂れ死んでいると思っていましたけどね。だから見かけた時はとっても驚きましたよ。流石はゴキブリ。うんざりするほど素晴らしい生命力です。しかも、毒林檎を食べても、こうして生きているわけですから本当にしぶとい…いえ。それだけ初代皇帝が奪った神様の力が素晴らしいってことですよね。」
「残念ながら、貴女が言う神様の力は、そこまで万能ではありませんよ。」
「……では、どうして生きているんですか?お前が血を吐いて動かなくなるまで、ずーと見ていた私には、それが不思議で不思議で仕方がないんですよ。」
「簡単な話ですよ。僕は貴女が使用した毒の耐性を持っていた。ただそれだけです。」
「耐性…?」
表情から笑みを消し眉間に皺を寄せる聖女に対し、ユリウスは笑みを崩さず、話を続ける。
「植物、動物、鉱物や人工毒など、この世界にはありとあらゆる毒が存在します。その中で貴女がどの毒を使っても対抗できるよう僕は10年ほどの月日をかけて、200種類以上の毒の耐性をつけました。」
毒の、耐性…。
心の中でそう呟くと、脳裏にあらゆる記憶が蘇る。
頻繁に熱を出して寝込んでいた幼いユリウスの姿や、母の屋敷の棚の中に大量に保管されていた謎の瓶。
そして、月明かりに照らされた毒々しいながらも美しい巨大な温室…
…まさか…
「嘘を言わないで下さい。毒の耐性を付けるだなんて、そんな話、聞いたことがありません。」
少しざわつき始めた聖堂の中、聖女が冷静にユリウスの話を否定する。しかし、ユリウスはすぐさま「嘘ではありませんよ。」と言って、肩をすくめてみせた。
「人の体内で作られる抗体によって中和できる毒であれば、毒の耐性をつけることは理論上可能なのです。」
「…前々から思っていましたが、相当頭がイかれていますね。」
聖女に侮蔑の眼差を向けられたユリウスは、笑みを深めた。
「全ては聖女に対抗する為です。」
「……。」
自分の常識を超えたユリウスの話に誰もが呆気に取られている中、私は10年前のことを思い返していた。
10年前といえば、ちょうど父がユリウスを邸に連れてきた時期と重なる。
あの頃のユリウスは、今にも消えてしまいそうなほど衰弱していた。ベッドの上でぐったりしているユリウスに「大丈夫?」と尋ねれば、彼は決まって「大丈夫だよ。」と言って笑っていた。
…。
一体なにが大丈夫だったのだろうか。
やや深めの思考に潜っていると、聖堂に突然鳴った「パチパチ」という乾いた拍手の音に、私はハッと我に返った。
「それはそれは、自ら寿命を削るような真似をしてご苦労様です。」
拍手の発生源は聖女だった。
胸の前で小さく拍手をした聖女の顔には、再び笑みが浮かんでいる。
その姿はまるで、街中で芸を披露した道化師に拍手を贈る可愛らしい少女の様だが、言っていることは辛辣だ。
「ついでにもう一つ質問をします。結界が張られたこの聖堂に、どうやって侵入したんですか?」
「おや?分かりませんか?テスト前に一緒に勉強した内容ですよ。」
「あれ?そうでしたか?お前の声が耳障りで、勉強の内容が耳に入ってこなかったのかもしれませんね。」
「ふふふ。では、海馬が死んでいる貴女の為に、もう一度おさらいをしましょう。」
「目の下のホクロ引きちぎりますよ。」
「さて、結界とは、その名の通り外部からの襲撃や侵入を防ぐ魔法のことです。魔力の質によってその強度は異なりますが、術者が魔法を解除しない限り外部からの侵入はほぼ不可能です。しかし。テストにも出た所ですが、結界には内部からの攻撃には弱いという弱点があります。そこで、仮死状態にした殿下を生贄として送り込み、起きたタイミングで、事前に仕込んでいた召喚魔法で僕を呼び出した…という流れです。…殿下がなかなか起きなかったのは予想外でしたけど。」
「終わったことをネチネチうるせーな、クソベルト。」
「僕の名前はユリウスですよ、殿下。」
「...私の知らない内に随分と仲良くなっていますね。」
にっこりと微笑む聖女の言葉に、殿下は思いっきり顔を顰めた。
「利害の一致で一時的に手を組んでいるだけだ。」
「聖女に対抗する為ならば、利用できるものは何でも利用しますよ。例えそれが、大して役に立たない騎士気取りの雑草だったとしても。」
「聖女をヤる前にお前から殺ってもいいんだぜ。」
「おや、ご自分が雑草だという自覚があるんですね。」
「てんめぇ…」
殿下はズカズカとユリウスに歩み寄り、再び口喧嘩を始めた。
そんな緊張感に欠ける2人のやり取りを見ていると、つい忘れてしまいそうになる。
今、私たちが置かれている状況のことを。
「なるほどなるほど。」
そう言いながら、聖女は腕を組みうんうんと頷いてみせる。そして、口元に笑みを湛えたまま、すっと目を細め「...それで?」と言って、ユリウスと殿下を見据えた。
「魔力がすっからかんな2人で何が出来るんですか?」
ざわついた聖堂が、しんと静まり返り、散らばっていたはずの無数の視線が私たち三人に向けられた。
その殺意のような強い意志を込められた視線に晒され、私はごくりと喉を鳴らす。
殿下は仮死状態からの回復とユリウスの召喚。ユリウスは毒の回復と召喚の際に放った火力過多な炎。
私が想像している以上に、2人の消耗は激しいはず。そして、この圧倒的な数の差。
どちらが不利なのかは、誰の目から見ても明らかだ。
そして。
不安要素はもう一つ。
私は横に立つユリウスを、ちらりと盗み見る。
…果たして、今の彼は味方なのだろうか。
あのユリウスのことだから、考えなしに乗り込んできたとは思えない。おそらく、何かしらの策を考えているはず。だが、先程の彼の反応から察するに、私は邪魔な存在だ。
己の計画に支障をきたすかもしれない存在を、彼はどうするのだろうか…
そんなことを考えていると、不意にユリウスと目が合った。
ーが、すぐに逸らされた。軽くとかではなく、思いっきり、バッとややくせ毛のミルクティー色の髪が揺れるぐらいに。
「…。」
そんなあからさまに逸らさなくてもいいじゃないか。
そう思いながら私はユリウスの涼しい横顔を睨みつけていると、ふと彼の左手首に視線がいった。冷たくて、固い、鉄の輪っか。ドクリと心臓が嫌な音を立てる。ついさっきまで己の手首に嵌っていたモノが、ユリウスの手首を戒めていた。何故、そんなものを嵌めたままにしているのだろうか。そんな私の疑問は、聖女のクスクスと笑う声に掻き消された。
「何も言えませんよね。何も出来ないですもんね。外は戦争の真っ只中で誰も助けになんか来れない状況ですし。ふふ、今ごろ陛下の首が飛んでいるかもしれませんね。」
「ベティ、貴女…!」
実の息子である殿下の前で何てこと言うのだ。私がカッとする一方、殿下は呑気に小指で耳の中をほじりながら、ヘラヘラと笑った。
「あのクソジジィの首をとれる奴が居たら、逆に拝んでみてぇーな。」
「全くです。」
罰当たりなことを言う殿下に、こくりと無礼極まりない同調をするユリウス。そんな二人に私は目が点になった。絶体絶命の状況で可笑しくなってしまったのだろうか。
「…強がるのもいい加減にしてください。流石に見苦しいですよ。」
微笑みをたたえたまま、冷たい声を発する聖女に対し、顎に手を当てたユリウスは「いえ、強がりとかではなく…」と言って、視線を宙に向けた。
「純粋に気になるんですよ。不老不死の首の取り方が。」
エーミールside
『終わった…!!!俺の人生終わった!!!!』
だだっ広い謁見室に、俺の悲痛な叫び声が響き渡る。
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