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第5章「正義の履き違え」
90話
しおりを挟む後ろを振り返ると、1人の可憐な少女が階段の下からこちらを見上げていた。
―――聖女ベティだ。
「あ、やっぱりエリザベータ様だ!」
聖女は私を認識すると、まるで可憐な百合の花が綻ぶような笑顔を浮かべ、背中に羽が生えているのではないかと思うほど軽やかに階段を駆け上がり、私の元まで来た。
「こんにちは!お会いできて嬉しいです!」
嬉しそうに微笑む聖女は、頬をピンク色に染めていた。
「どうして、聖女様がここに…?」
突然の聖女の登場に戸惑いを隠せない私に、彼女はにっこりと微笑んだ。
「えっとですね、中庭で貴女を見掛けたと教えてくださった方が居たんです。」
聖女の言葉に、背中にヒヤリと冷たいものを感じた。
まさか、先程の彼とのやり取りを見ていた人が居ただなんて…!中庭には人の気配を感じられなかった。ということは、きっと校舎から見ていたのだろう。冷静さを失いてしまっていた私にはその可能性まで考えられなかった。
学校を休んでいる私が中庭に居て、何をしていたのか…。この学校は、噂が広がるのが早い。自分で自分の首を絞めてしまった事実に、くらりと眩暈を覚えた。
「なので、中庭に向かっていたら、その途中で貴女を見つけたんです。あぁ、すれ違いにならなくて良かったぁ…。これって運命ですよね!」
無邪気に運命だと言い放つ彼女に曖昧な笑みを浮かべることしか出来ない。この温度差をどうすればよいのか。
「それに、そのドレス…」
聖女はじっと私の服装を見つめてきた。…先程、あの人に下品だと言われたドレスだ。彼女にもそのように見えているのだろうか。その視線に居心地の悪さを感じた私は、上着の袷を掻き合せドレスを隠す。
そもそも、学校にドレスでいること自体が由々しき問題なのだ。
「あれ、どうして隠しちゃうんですか?」
「…その、」
口ごもる私を、聖女は不思議そうに首を傾げる。
「とっても素敵なのに。」
「…素敵…?」
「えぇ!まるで、貴女のために特別にあつらえたかのような上品なデザインで、楚々な雰囲気のエリザベータ様に、すっごく似合っています。」
うっとりと、どっかの誰かさんのように大袈裟に褒めてくれる聖女に、思わず呆れた笑いが漏れてしまった。それを見た聖女は可愛らしく頬を膨らませる。
「あ、信じていませんね?本当ですよ!見つけた時だって、あまりにも綺麗だったから雪の精霊かと思ったんですからね!」
正直、ドレスを褒められたのは嬉しい。とても、嬉しい。
そして…その嬉しさの中に、軋むような切なさを感じている自分に気が付いた。
…あぁ、そうか。
―私は、彼に褒められたかったんだ。
彼女のその穏やかな垂れ目を見て、そう思い知った。
彼女は残酷なまでに義弟とそっくりだ。
義弟の存在が偽りのものだったとわかった今、彼女に縋り付きたいと思ってしまっている。
周りに花を飛ばす勢いでニコニコと笑っていた彼女は突然、何かに気づいたかのようにはっと息を呑んだ。
「…顔色、あまり宜しくないですね。」
「え、」
「気付かなくて、すみません。私ったら、エリザベータ様に会えたのが嬉しくてペラペと話しちゃって…」
聖女は私を心配するように、瞳を揺らす。
「ユリウス様から聞きました。体調が優れないから暫く学校を休むことになったって。お身体は大丈夫ですか?」
―――ユリウス様。
今思えば、彼女は最初からあの人のことを名前で呼んでいた。名前は本来、親しい間柄でないと呼び合わない。そして彼も彼女のことを『聖女様』とは呼ばずに『ベティ嬢』と呼んでいた。
「…。」
「…エリザベータ様?」
この世界は300年前から何も変わっていない。ならば、あの人と聖女が結ばれることは運命なのだ。この運命は、きっと最初から決まっていた。私は、その運命に巻き込まれただけ。
聖女が私に好意的なのも、私が彼の姉だから。ただそれだけ。彼女に愛を求めても、彼女は同じようには返してくれないだろう。
彼女の私に対する好意が行き過ぎているように感じたのは、彼女が聖女という立場だから。慈悲深い聖女様には、これが普通なのだ。
そこまで考えて、緩く息を吐く。
―ふざけないで。
これは、私の人生だ。あなた達の運命に私を巻き込むな。私は、あなた達の引き立て役じゃない。
黙り込む私に、聖女は戸惑った様子をみせる。そんな彼女に首を傾げ、にこりと笑ってみせた。
「ごめんなさい、少しぼんやりとしてしまいましたわ。まだ本調子ではなくて…。」
今は、この場を早く立ち去ることだけを考えよう。このままここに居たら、余計なことまで口走ってしまいそうだ。
「やっぱり…。早く休んだ方がいいですよ。」
「心配して下さってありがとうございます。お言葉に甘えまして、邸に帰らせていただきます。…ごきげんよう、聖女様。」
聖女に余計な質問をされないように、やや早口で会話を終わらせた私は2階に上がろうと聖女に背を向けた。
しかし、
「…待ってください。」
聖女に呼び止められてしまった。心の中で舌打ちをしつつ、それを表に出さないように、微笑みを貼り付けて後ろを振り返った。
「どうかされましたか?聖女さ」
「首筋、どうしたんですか?」
「―!」
思わず、首筋を手で隠す。だが、隠してももう遅い。きっと、彼女に見られてしまった。首筋にくっきりと刻まれた歯型を。その証拠に、彼女の顔は強ばっていた。
「誰にされたんですか?」
「これは、その…」
「その歯型、犬とかではないですよね?」
どう言い訳をしようかと頭をフル回転させる。その間にも彼女は距離を少しづつ詰めてきた。
「どうして、貴女ばかり傷付くのでしょう?」
「…聖女様?」
「貴女は幸せにならないといけないのに…。」
「…?」
「どうして、どうして…」
その声は、泣き出しそうなほど震えていた。明らかに、聖女の様子がおかしい。
「聖女様、大丈…」
「エリザベータ様。」
私の言葉を遮った聖女は、そっと私の両手を握ってきた。その冷たさに、ビクリと肩が震える。彼女の手は、こんなにも冷たかっただろうか。身体の芯まで冷えてしまいそうだ。
「あぁ、爪もこんな…。なんて、おいたわしい…」
彼女に言われて気が付く。私の爪は所々に血が滲んでおり、欠けていた。
まるで、自分の事のように痛々しい表情を浮かべた聖女は、私の指先に唇を落とした。
「―!?」
彼女の突然の行動に驚愕に目を剥く。
今まで、手の甲にキスを落とされたことはあっても指先には初めてだ。その上、今まで生きてきて女性にキスをされるのも、初めてである。
私の指先から顔を上げた聖女は、真摯な顔で私を見つめる。
「やっぱり、この世界は貴女に相応しくなかったのですね。でも、大丈夫です。前は邪魔が入っちゃいましたが、今度は失敗しません。」
「何を言って…」
彼女の真意が分からず、戸惑った視線を向けると、彼女はふんわりと笑った。
「私が、この世界から貴女を救ってみせます。」
彼女の聖母のような微笑みに思わず見蕩れていると、私の身体は宙を舞っていた。
「――え」
やけにゆっくりと景色が流れているなと思った瞬間、背中に強い衝撃が走る。
そして、痛みを感じる暇もなく私の意識は完全に途絶えてしまった。
最後に私が見たものは、ピンクダイヤモンドの煌めいた瞳で私を見下ろす聖女の穏やかな笑顔だった。
第5章「正義の履き違え」完
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