私は貴方を許さない

白湯子

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第3章「後退」

55話

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「…ははっ、そうだな。貴殿と腰を据えて会談できる日を楽しみに待つとしよう。」


薄く笑みを浮かべた殿下の瞳が煌めき出した途端、彼は姿を消した。転移魔法を使ったのだろう。
…特に別れの言葉を交わすことなく行ってしまったことが、少し悲しい。


「…だいぶ降ってきたね。」


父の言葉に空を見上げると、風のない空中からたえまなく雪がしんしんと降り続けていた。この調子だと、明日の朝にはきっとノルデン帝国は銀色の世界に包まれているだろう。


「さ、2人とも。早く邸の中へに入りなさい。風邪をひくよ。」


私と義弟は父の言葉に従い、邸の中へと入った。


※※※※※


まだ仕事があるという父と別れ、私と義弟はそれぞれの自室に戻ろうとした。
私は義弟の前を歩き、自室へと向かう。ぼんやりと過去に思いを馳せていた、その時、


「…ひぃ!?」


うなじに氷をあてられたような感覚に悲鳴を上げた私は、うなじを手で押えつつ反射的に後ろを振り返る。
そこにはキョトンとした表情で私を見つめる義弟の手が、中途半端な位置で止まっていた。


「な、なに?」
「…あ、すみません。姉上が髪を上げているのが珍しくて、つい…。」


…どうやら、義弟の冷たい手が私のうなじに触れたようだ。
義弟は申し訳なさそうに目を伏せ、叱られた子犬のようになっている。その姿を見て自身がいつもとは違う格好をしていたことを思い出した。


「あぁ、これね。皇宮の侍女にやってもらったの。…変かしら?」
「いえ、とても似合っていますよ。ですが…」
「なぁに?」


口ごもる義弟に首を傾げる。義弟にしては珍しい反応だ。義弟はこういう時、大抵は私のことを必要以上に褒めてくるのに。


「…姉上、少しだけ目を閉じでいてください。」
「…?」


不思議に思いつつ義弟の言う通りに目を閉じる。

すると顔の辺りの空気が微かに動き、複雑に編み込まれていた髪がしゅるしゅると、ほどけていく音がした。


―…なに?魔法?


「もう目を開けても大丈夫ですよ。」


その言葉に恐る恐る目を開ければ、自身の肩にふんわりと広がる栗色の髪が視界に入った。

義弟の突然の魔法に驚きながら、腰まで伸びている栗色の髪に触れる。
先程まで強く編み込まれていたとは思えないほど、髪は綺麗に下ろされており、心做しかいつもよりもまとまりが良い気がする。
なんて便利な魔法なのだろう!この魔法があれば朝の支度がとても楽になるわ!と関心していると、こちらをじっと見つめる義弟の視線と目が合った。


「…やっぱり、姉上は下ろしている方が似合います。」


そう言って義弟は満足気に微笑んだ。


※※※※※


夕食時、父に殿下の件で軽く説教された私は、少し落ち込みながら湯汲みを終え、自室に戻ってきていた。

湯汲みの際に外した、義弟から貰ったネックレスを定位置であるベッドサイドテーブルに置く。ここなら目立つし、失くすことはないだろう。

ベッドに腰掛け、夜の部屋の中でもキラキラと輝いている蜂蜜色のネックレスをぼんやりと眺めていると、義弟の瞳と目が合っているような感覚に陥る。それに気付いた私は苦笑いをした。


―ブラコンも大概にしなさい、エリザベータ。


と、自分自身に呆れていた、その時―


―――コンコン、


部屋にドアをノックする音が響く。私はドアに視線を向けた。


「姉上、起きてますか?」
「ユーリ?」


扉の向こうから聞こえてきたのは義弟の声だった。
私はやや急いでドアを開ける。そこには、紺色のシルクのパジャマに茶色のガウンを羽織った義弟が居た。


「突然すみません。寝ることろでしたか?」
「ううん、大丈夫よ。どうしたの?」


先程まで義弟のことを考えていたからか、若干視線が泳ぐ。…やましいことはしていないのに。
義弟はそれに気付いた様子もなく、にっこりと微笑んだ。


「寝る前にハーブティーでも飲もうかと思って…良かったら姉上も一緒にいかがですか?」


義弟とは、よく寝る前にハーブティーを飲んでいた。義弟のハーブティーが急に恋しくなった私はそのお誘いに頷き、寝巻きの上にショールを羽織ってから義弟の部屋へと向かった。


※※※※※


久々の義弟の部屋に足を踏み入れる。記憶にあるのと変わらず、ものが少なく整頓された部屋だった。

大きな窓の近くには、オーク材のティーテーブルと同じオーク材の椅子が2つ置かれている。そのテーブルの上には既にお茶の準備が整っていた。


「さ、姉上。こちらです。」


義弟は私の手を取り、優しくティーテーブルへと案内し、椅子に座らせた。
毎回、エスコートしなくてもいいのに、と思うのだが義弟が楽しそうなので「まぁ、いいか。」とされるがままとなっている。

窓の外へと視線を向ける。
いつもなら月が顔を覗かせているのだが、今日は雪雲に覆われており、その顔を拝むことはできない。少し残念に思うが、しんしんと降り続いている雪を見るのも、これはこれで趣きがあっていいかもしれない。

ぼんやりと雪を眺めていた私の鼻腔に、甘い香りが漂ってきた。


「最近はカモミールティーに蜂蜜を入れているみたいですが…今回はどうします?」
「入れなくていいわ。ユーリのなら別に入れなくても……あら?何で蜂蜜のこと知っているの?」


義弟の前でカモミールティーに蜂蜜を入れて飲んだことなんて、一度もないはずだ。なぜなら義弟の入れるカモミールティーは蜂蜜を入れなくても美味しいから…、入れる必要なんて無い。
不思議に思い首を傾げていると、義弟はくすくすと笑い出した。


「ふふ、忘れてしまいましたか?姉上の手紙に書いてありましたよ。最近、殿下と蜂蜜入りのカモミールティーを飲んでると。」


まったく書いた覚えがないのだが……。
だが、思い当たる節はある。何度か殿下と意見が衝突し、気が立っていたことがあったので、その時の勢いで書いてしまったのだろう。


「自分で書いた内容って案外覚えていないものなのね。」
「…きっと、一日中歩き回っていたから疲れているんですよ。……はい、お待たせしました。熱いので気を付けてくださいね。」


義弟は私の前にカモミールティーの入ったカップを置いた。
私はソーサーからカップを持ち上げて香りを嗅ぐ。うん、いい匂い。義弟が入れるカモミールティーは香りが強いのだ。同じカモミールティーであるのに私や殿下が入れるものとは全然違う。…不思議だ。


「…ありがとう、ユーリ。頂きます。」


カップに口をつける。


―…ん?


…ふと、義弟の言葉に違和感を感じた。だがそれが何なのかわからない。わからないことがもどかしい。
私はその違和感を拭うように、ハーブティーを喉に流し込んだ。


口の中でカモミールが咲いたように、口いっぱいに甘い香りが広がる。

ホッと一息ついたわたしはカップをソーサーの上に置き、香りの余韻を楽しんでいると、


――突然、私の中で張り詰めていた何かがプツンと切れる音がした。
















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