56 / 237
第3章「後退」
55話
しおりを挟む「…ははっ、そうだな。貴殿と腰を据えて会談できる日を楽しみに待つとしよう。」
薄く笑みを浮かべた殿下の瞳が煌めき出した途端、彼は姿を消した。転移魔法を使ったのだろう。
…特に別れの言葉を交わすことなく行ってしまったことが、少し悲しい。
「…だいぶ降ってきたね。」
父の言葉に空を見上げると、風のない空中からたえまなく雪がしんしんと降り続けていた。この調子だと、明日の朝にはきっとノルデン帝国は銀色の世界に包まれているだろう。
「さ、2人とも。早く邸の中へに入りなさい。風邪をひくよ。」
私と義弟は父の言葉に従い、邸の中へと入った。
※※※※※
まだ仕事があるという父と別れ、私と義弟はそれぞれの自室に戻ろうとした。
私は義弟の前を歩き、自室へと向かう。ぼんやりと過去に思いを馳せていた、その時、
「…ひぃ!?」
うなじに氷をあてられたような感覚に悲鳴を上げた私は、うなじを手で押えつつ反射的に後ろを振り返る。
そこにはキョトンとした表情で私を見つめる義弟の手が、中途半端な位置で止まっていた。
「な、なに?」
「…あ、すみません。姉上が髪を上げているのが珍しくて、つい…。」
…どうやら、義弟の冷たい手が私のうなじに触れたようだ。
義弟は申し訳なさそうに目を伏せ、叱られた子犬のようになっている。その姿を見て自身がいつもとは違う格好をしていたことを思い出した。
「あぁ、これね。皇宮の侍女にやってもらったの。…変かしら?」
「いえ、とても似合っていますよ。ですが…」
「なぁに?」
口ごもる義弟に首を傾げる。義弟にしては珍しい反応だ。義弟はこういう時、大抵は私のことを必要以上に褒めてくるのに。
「…姉上、少しだけ目を閉じでいてください。」
「…?」
不思議に思いつつ義弟の言う通りに目を閉じる。
すると顔の辺りの空気が微かに動き、複雑に編み込まれていた髪がしゅるしゅると、ほどけていく音がした。
―…なに?魔法?
「もう目を開けても大丈夫ですよ。」
その言葉に恐る恐る目を開ければ、自身の肩にふんわりと広がる栗色の髪が視界に入った。
義弟の突然の魔法に驚きながら、腰まで伸びている栗色の髪に触れる。
先程まで強く編み込まれていたとは思えないほど、髪は綺麗に下ろされており、心做しかいつもよりもまとまりが良い気がする。
なんて便利な魔法なのだろう!この魔法があれば朝の支度がとても楽になるわ!と関心していると、こちらをじっと見つめる義弟の視線と目が合った。
「…やっぱり、姉上は下ろしている方が似合います。」
そう言って義弟は満足気に微笑んだ。
※※※※※
夕食時、父に殿下の件で軽く説教された私は、少し落ち込みながら湯汲みを終え、自室に戻ってきていた。
湯汲みの際に外した、義弟から貰ったネックレスを定位置であるベッドサイドテーブルに置く。ここなら目立つし、失くすことはないだろう。
ベッドに腰掛け、夜の部屋の中でもキラキラと輝いている蜂蜜色のネックレスをぼんやりと眺めていると、義弟の瞳と目が合っているような感覚に陥る。それに気付いた私は苦笑いをした。
―ブラコンも大概にしなさい、エリザベータ。
と、自分自身に呆れていた、その時―
―――コンコン、
部屋にドアをノックする音が響く。私はドアに視線を向けた。
「姉上、起きてますか?」
「ユーリ?」
扉の向こうから聞こえてきたのは義弟の声だった。
私はやや急いでドアを開ける。そこには、紺色のシルクのパジャマに茶色のガウンを羽織った義弟が居た。
「突然すみません。寝ることろでしたか?」
「ううん、大丈夫よ。どうしたの?」
先程まで義弟のことを考えていたからか、若干視線が泳ぐ。…やましいことはしていないのに。
義弟はそれに気付いた様子もなく、にっこりと微笑んだ。
「寝る前にハーブティーでも飲もうかと思って…良かったら姉上も一緒にいかがですか?」
義弟とは、よく寝る前にハーブティーを飲んでいた。義弟のハーブティーが急に恋しくなった私はそのお誘いに頷き、寝巻きの上にショールを羽織ってから義弟の部屋へと向かった。
※※※※※
久々の義弟の部屋に足を踏み入れる。記憶にあるのと変わらず、ものが少なく整頓された部屋だった。
大きな窓の近くには、オーク材のティーテーブルと同じオーク材の椅子が2つ置かれている。そのテーブルの上には既にお茶の準備が整っていた。
「さ、姉上。こちらです。」
義弟は私の手を取り、優しくティーテーブルへと案内し、椅子に座らせた。
毎回、エスコートしなくてもいいのに、と思うのだが義弟が楽しそうなので「まぁ、いいか。」とされるがままとなっている。
窓の外へと視線を向ける。
いつもなら月が顔を覗かせているのだが、今日は雪雲に覆われており、その顔を拝むことはできない。少し残念に思うが、しんしんと降り続いている雪を見るのも、これはこれで趣きがあっていいかもしれない。
ぼんやりと雪を眺めていた私の鼻腔に、甘い香りが漂ってきた。
「最近はカモミールティーに蜂蜜を入れているみたいですが…今回はどうします?」
「入れなくていいわ。ユーリのなら別に入れなくても……あら?何で蜂蜜のこと知っているの?」
義弟の前でカモミールティーに蜂蜜を入れて飲んだことなんて、一度もないはずだ。なぜなら義弟の入れるカモミールティーは蜂蜜を入れなくても美味しいから…、入れる必要なんて無い。
不思議に思い首を傾げていると、義弟はくすくすと笑い出した。
「ふふ、忘れてしまいましたか?姉上の手紙に書いてありましたよ。最近、殿下と蜂蜜入りのカモミールティーを飲んでると。」
まったく書いた覚えがないのだが……。
だが、思い当たる節はある。何度か殿下と意見が衝突し、気が立っていたことがあったので、その時の勢いで書いてしまったのだろう。
「自分で書いた内容って案外覚えていないものなのね。」
「…きっと、一日中歩き回っていたから疲れているんですよ。……はい、お待たせしました。熱いので気を付けてくださいね。」
義弟は私の前にカモミールティーの入ったカップを置いた。
私はソーサーからカップを持ち上げて香りを嗅ぐ。うん、いい匂い。義弟が入れるカモミールティーは香りが強いのだ。同じカモミールティーであるのに私や殿下が入れるものとは全然違う。…不思議だ。
「…ありがとう、ユーリ。頂きます。」
カップに口をつける。
―…ん?
…ふと、義弟の言葉に違和感を感じた。だがそれが何なのかわからない。わからないことがもどかしい。
私はその違和感を拭うように、ハーブティーを喉に流し込んだ。
口の中でカモミールが咲いたように、口いっぱいに甘い香りが広がる。
ホッと一息ついたわたしはカップをソーサーの上に置き、香りの余韻を楽しんでいると、
――突然、私の中で張り詰めていた何かがプツンと切れる音がした。
70
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
生まれ変わり令嬢は、初恋相手への心残りを晴らします(と意気込んだのはいいものの、何やら先行き不穏です!?)
夕香里
恋愛
無実の罪をあえて被り、処刑されたイザベル。目を開けると産まれたての赤子になっていた。
どうやら処刑された後、同じ国の伯爵家にテレーゼと名付けられて生まれたらしい。
(よく分からないけれど、こうなったら前世の心残りを解消しましょう!)
そう思い、想い人──ユリウスの情報を集め始めると、何やら耳を疑うような噂ばかり入ってくる。
(冷酷無慈悲、血に飢えた皇帝、皇位簒だ──父帝殺害!? えっ、あの優しかったユースが……?)
記憶と真反対の噂に戸惑いながら、17歳になったテレーゼは彼に会うため皇宮の侍女に志願した。
だが、そこにいた彼は17年前と変わらない美貌を除いて過去の面影が一切無くなっていて──?
「はっ戯言を述べるのはいい加減にしろ。……臣下は狂帝だと噂するのに」
「そんなことありません。誰が何を言おうと、わたしはユリウス陛下がお優しい方だと知っています」
徐々に何者なのか疑われているのを知らぬまま、テレーゼとなったイザベルは、過去に囚われ続け、止まってしまった針を動かしていく。
これは悲恋に終わったはずの恋がもう一度、結ばれるまでの話。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!
ぽんちゃん
恋愛
――仕事で疲れて会えない。
十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。
記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。
そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
(本編完結)無表情の美形王子に婚約解消され、自由の身になりました! なのに、なんで、近づいてくるんですか?
水無月あん
恋愛
本編は完結してます。8/6より、番外編はじめました。よろしくお願いいたします。
私は、公爵令嬢のアリス。ピンク頭の女性を腕にぶら下げたルイス殿下に、婚約解消を告げられました。美形だけれど、無表情の婚約者が苦手だったので、婚約解消はありがたい! はれて自由の身になれて、うれしい! なのに、なぜ、近づいてくるんですか? 私に興味なかったですよね? 無表情すぎる、美形王子の本心は? こじらせ、ヤンデレ、執着っぽいものをつめた、ゆるゆるっとした設定です。お気軽に楽しんでいただければ、嬉しいです。
侯爵家の婚約者
やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。
7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。
その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。
カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。
家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。
だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。
17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。
そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。
全86話+番外編の予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる