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十八章ならず者国家

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「甲夜ちゃん、お父さんの様子はどう?」
「相変わらず、です……廃人のようで」

 ウチが買い物のために外へ出ると、家の前には父様や母様の母親が立っていた。もうあれから一週間は経つので、さすがに心配になって放ってはおけなくなったようだ。

「そろそろ直君には立ち直ってもらわないとね。甲斐がいない中で一番白井と互角に戦えるのは直君以外いないだろうし」
「でも、父様は何を話しても無反応で……時々、母様の名前を呟くだけです」
「いくら私達を遠ざけるためとは言っても、あそこまで廃人みたいになるほど落ち込むなんて予想外だわ」
「父様が特にショックを受けていたのは、自分は母様の心情を知らずに傷つけて追い詰めていた事だと思います」

 今の母様は150年前の自分にコンプレックスがあるようだ。たしかに今の母様は昔とは全然違うが、私は今を生きる母様を大事にしたい。今の母様は母様でいい所はいっぱいあるし、昔にはなかった凛々しくて勇敢な所は本当に尊敬している。

 父様が昔の母様も大事にしているのは知っていたし、私も昔の母様は好きだったけど、それはもう150年も前の事。昔の母様の人格が今の母様に宿っているとは言っても、もう忘れる段階に来ているのだ。

 昔は昔、今は今。

 だから、父様の「どちらも好き」発言はその時は聞き流していたけど、私は腑に落ちなかったのを覚えている。

 しかし、私の何気ない発言も母様をどこかで傷つけていたかもしれないので、私も父様になかなか強く言えないのだ。

「ねえ、ちょっと上がらせてくれるかな」
「早苗おばあ様?」
「親として、直を叱ってあげないとね」

 にっこり早苗おばあちゃまを見据えると、そのままわが家の玄関に入って行った。


 *

「直、入るわね」

 がちゃりと扉を開けると、直は床に寝転がってボロボロの姿だった。かろうじてトイレに行く元気はあるようで、部屋が垂れ流し状態ではなさそうなのにほっとした。

 しかし、甲斐君がいなくなってからずっとそのままらしいので、少々匂う。髪もボサボサで、髭も生えている。目はぼんやりどこを写しているのかわからない。

 これが我が息子だなんてね。いつも綺麗でキリッとした姿しか知らなかったから、直も悩める年頃なんだなってちょっと安心したわ。そんな場合じゃないけれど。


「直、とりあえず風呂に入ってきなさい。話はそれからよ」
「…………」
「直、お母さんの言う事が聞けないのかな?」
「…………」
「仕方ないわね。じゃあお母さんがお風呂に入れてあげるわね。一才の頃から生き別れて直の世話を全然せずに悔しかったから、あなたの世話を親として全部してあげる。ちゃーんとお風呂にもトイレにも入れてあげますから安心してね。可愛いボウヤ」

 そうにっこりとして直の手を取ろうとすると、さすがに恥ずかしいと思ったのか手を払ってきた。

「母さん……オレの事は……ほっといて……」

 やっとぼそぼそ口に出したかと思えばそんな諦めたような台詞だった。

「どうして?息子が苦しんでいるのだから力になりたいのは親心よ」
「それでも……オレは……甲斐に……嫌われた、から……」

 完全に挫折している顔ね。こういう所は本当に幼くて年相応に見えるわ。

「オレ……甲斐を……傷つけるばっかりで……。昔の甲斐も、今の甲斐も、どちらも大事だと思いすぎて……今の苦しんでいた甲斐に寄り添えていなかった……。甲斐は……ただでさえ……不安定なのに……甲斐を不安にさせて……昔の甲斐ばかりに構って……甲斐を絶望させていたのは……おれで……。だから、甲斐は……ある意味……おれを……嫌いになって……白井の元へ……愛想を尽かして……行ったようなもので……」
「……そっか。直はそれで自分自身を許せなくて苦しんでいるのね。優しいのね」
「ちがう。優しくなんてない。オレが悪いから。甲斐の事を……考えられなかった最低な旦那……」
「そうね……直にも悪い部分があったけど……甲斐君も不満をちゃんと直にわかってくれるまで話すべきだったわね。思っている事を話すのは恥ずかしいし難しいけれど……恋愛や夫婦関係はやっぱり話し合いが大事なのよ」

 直はどこか思い当たる節があるのか視線を彷徨わせる。
 
「ねえ、直。私もね……同じような経験をしたの。直純が生まれる前くらいかな。一樹さんはお医者さんだからモテるでしょう?だから一樹さんの幼馴染の女性がいたんだけど……その女性も一樹さんを好きでね、修羅場になっちゃったの。一樹さんは優しすぎてなかなかハッキリしないし、女性は一樹さんから離れないしで信じられなくなっちゃった事があってね……一時期離婚寸前にまでなった事があったの」
「……父さんと……母さんが……?」

 懐かしいな。あの時は本当にイライラして、悲しくて、ムカついて、人生で一番の修羅場だったなあ。

「そう。でも、最終的には一樹さんはしっかり女性を振ってくれたし、私も一樹さんをどこか信じていたから関係は修復できたの。まあ、何が言いたいかって言うとね……本当に愛し合った者同士なら、お互いを信頼しあっているなら……決してこの関係はこんな事で崩れたりはしないって事よ」
「母さん……」
「この先、長い人生ですれ違う事は何度でもある。今みたいに。だけど、直も甲斐君もお互いを想い馳せて信じていれば……こんな事で終わる事はないって事よ。直は……甲斐君をちゃんと愛しているんでしょう?」
「オレは……そうだけど……。でも甲斐は……本当に……オレを嫌いになってたら……」
「甲斐君はあなたを本気で嫌いになったりしない。だって、甲斐君は直が矢崎財閥に攫われた時、命を懸けて助けに来てくれたじゃない」
「っ………」
「命を懸けるほど好きになった人を本心で嫌いになったりはしないわ。むしろ逆。言葉ではそうじゃない事を言っていても、心のどこかで想っているもの。いつの時代もね、命がけで惚れた人が助けに来てくれるのを待っているものよ。あなたもそうだったでしょう、直」

 私は直の頭を撫でながら子供を諭すように言った。
 
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