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十六章150年前からの愛

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「がいこくじん、いっぱい」
「甲夜、ちゃんと手を繋いでいて。はぐれちゃうから」

 再度また場面が切り替わる。時代が慶応から明治に年号が変わった。家族三人で横浜に来た時だ。

 世間は維新だなんだと騒がしく、オレ達はどさくさに紛れて生きづらい日本を出るため、上海行きの船に渡航する事を決めていた。さすがに広い海外へ出るなら両親達も親戚達も追ってこないだろうと、しばらく大陸に身を寄せようと思ったのだ。

 オレの両親を嫌っていた親戚の伝手を頼り、そこへ身を寄せるつもりだったのに、この時は――……オレとしても思い出したくない最低最悪な日々の始まりだった。

「清国は日本とは違うのでしょうか」
「何度か父と行ったことがある。知り合いがそこに住んでいてしばらくはそこで生活する事になる。言葉も違う国だ。しばらくは慣れないと思うが……」
「あなたとなら……私はどこへだって構いません。甲夜も楽しそうだし」
「とーさまとかーさまがいっしょ。かよ、うれしい」

 この時の甲斐と甲夜の笑顔が、黒崎大和として見た最後の笑顔だったように思う。もう二度とこの人生でこの笑顔を見る事なく、三人は離れ離れになる。特に甲夜とはもうこの時代では……


「見つけた、甲斐」
「横浜に来ると思っていたぞ、大和」

 二つのゾッとする声を聞いて振り返れば、父親の又二郎と大柄な中年の男の白井が立っていた。その背後には数人の御付の者もいる。とうとう見つかってしまった。何年も行き先々を先回りして逃げ回っていたのに。

「お前は何をしているんだ。いいとこの嫁をもらい、祝言を挙げ、私の家の跡取りとなってもらうという時に全てから逃げ出しおって!挙句の果てにそんな貧乏くさい芋女とまだ関係を持って子までこしらえるとは……この親不孝者め!」
「親不孝で結構。クソ親父。もう家には帰らない。オレ達の事は放っておいてくれ」

 甲斐と甲夜がいるなら何もいらなかった。詐欺まがいなあこぎな商売で金儲けを繰り返し、これからも醜い顔して私腹を肥やし続ける両親の元になど誰が好き好んで帰りたいと思うか。

 甲斐と出会う前の何も知らなかった頃のオレならそれでよかっただろう。何不自由のない生活で贅沢三昧し、吉原で女を抱き漁る毎日。それもじきにくだらなく感じて何も満たされやしなくなった。

 甲斐と出会って愛し愛される幸せを知って、愛しい愛娘もできて今幸せだというのに……

「そうはいかない。白井様がどうしてもその芋女を御所望でな……ねえ、白井様」

 父の又二郎は白井の顔色を窺うように話している。情けない父だ。

「人の嫁を芋女とは失礼だぞ、黒崎」
「し、失礼しました」

 
 気に食わないことがあればすぐに癇癪を起し、怒鳴り散らし、暴力は当たり前。自分より下の人間を人間扱いせず、傲慢で威張り散らし、気に入った女を何人も屋敷に連れ帰り、寝室にはべらかせて好き勝手に抱いては捨てる。甲斐もこの男に気に入られたせいで許嫁の一人にされたのだ。

 こんな最低最悪な男の元に愛する甲斐を渡せるはずがないだろう。



「お前、いい度胸だな。黒崎大和だったか?人の嫁を略奪したんだ。それなりの覚悟はあるようだな。だがな、よりにもよって俺が一番気に入っていた女を攫ったのが気に食わねえ。甲斐はこんな俺にも優しくしてくれた言わば菩薩のような女。そんな菩薩をお前はっ……お前はよくもっ!よくも俺からさらいやがって!!奪いやがってッ!!」

 白井の拳が飛ぶ。頬をいきなり殴られ、続けざまに着流しから現れた足で腹も蹴られた。白井の腕力と脚力は大柄なだけあって、この時代でそこまで強くなかったオレなど簡単に吹っ飛ばされてしまった。

「っかはっ」

 壁に叩きつけられて血を吐き、視界が一気にぼやけた。

「大和さん!!白井様っやめてくださいっ!」
「やあああ!とうさまっーー!!」

 向こうの方で甲斐と甲夜の悲痛な悲鳴が聞こえ、なんとか体を動かそうとするも痛みに力が入らない。一撃で骨が折れてしまったようだ。

「甲斐……っ、甲夜を、つれて、にげ、ろ……っ」

 血を吐きながらなんとか逃げろと訴えるも、甲斐も甲夜も泣いて動こうとはしない。

「い、いや。大和さんを置いてなんてっ……っうぁあ!」

 大きな影が狼狽えている甲斐の背後に近づき、長い髪を鷲掴んだ。その直後、白井のいかれた目とあった。

「やっとあえたな、甲斐。俺の嫁」
「は、放して……っ、痛ッ!」

 抵抗すればするほど甲斐の髪を強く引っ張り、その大柄な懐に引き入れて抱き寄せる。顔を引きつらせて嫌がる甲斐を手中に収めたとオレに見せつけたいのだろう。その様子を見て頭が沸騰する。甲斐が他の男に触れられている光景など見たくない。

「汚い手で甲斐にさわるなっ……ぐ、あッ!」

 今度は白井の従者のような男に背中や頭を蹴飛ばされる。甲斐の悲鳴がさらに大きくなった。

「やめて!やめてくださいっ!!大和さんに酷い事をしないでっ!!」
「とうさまーーっ!!」

 愛娘がオレに近づこうとして駆け寄ろうとしたが、白井に軽く足蹴にされる。白井の脚力で蹴られた小さな甲夜は簡単に吹っ飛び、もんどりうって昏倒した。

「甲夜――っ!!」
「いやああっ!甲夜っ!甲夜っ!」

 オレも甲斐も血の気が引いて暴れるが、取り押さえられて身動きすら取れない。

 血を流しながら甲夜はぴくぴくとかろうじて動いている様子だった。まだ生きてはいるが、顔面をあんな剛脚で蹴られたのだ。ただでは済まない。

「そんな男との間に生まれたガキなどどうでもいい。汚いカタワ同然だ」
「汚いカタワ、ですって……ッ!?まだ小さいのに……あんまりです……ッ!!」

 甲斐は涙目で憎しみを込めた表情で白井を睨みつけた。

「そんな顔もするんだな。怒った顔もなんと可愛らしい事か。ますます俺のものにしたくなった。そう、あの男の目の前で」

 その台詞にゾッとする。白井の手が逃げようとする甲斐の両手を一纏めにし、もう片方の手で帯に手をかけようとする。

「しら、いっ、貴様っ!!」

 オレが怒りでカッとなって唸り、動こうとするも白井の従者たちがそれ以上の力で押さえつける。それでも目の前で、甲斐が奴に手込めにされそうになっているのを黙って見ていられるはずがない。

「っ、い、や……やめ、て」

 帯がゆっくり解かれて、甲斐の生足が露になる。 

「この男の前でお前があられもなく乱れたら、そうしたらいくらお前でもこの男を諦めるだろう?」
「やめて……やめて……ください……」

 泣いて嫌だと懇願する甲斐と、白井の醜悪な顔や手が甲斐の肌に触れるだけで怒りにどうかしてしまいそうだった。

「白井様、さすがにここは野外ですので」
「ふん。俺様は別に構わんのだがな。まあ、帰ってからたっぷり仕込んでやる」


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