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十六章150年前からの愛

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「奴は……社長は」

 奴に対して人一倍恨みがある友里香が険しい顔で訊ねたので、オレは静かに背後を指さした。一同が視線を向けると、向こうの方で黒く消し炭になった物体が横たわっている。やっと炎上していた炎も沈静化したようだ。

「黒焦げになって人の形態に戻ってる。どうなってんの」
「なんか悔しいな。もっと悔しがらせたかったわ」

 お義母様が悔しそうに唸っている。まだ殴り足りないようだ。気持ちはわかる。

「直の銃弾で炎上したんだけど……よくわからなくて」
「直様の銃弾……?」

 とりあえず面倒くさいが先ほどまでの事を簡潔に説明した。自分の血の事も含めて。すると久瀬が思案したように口を開いた。

「炎上したのはたぶん、今までの霊薬の血の実験台……いや、社長の糧にされた者達の強い念がそうさせたのではないでしょうか。迷信じみた話ではありますが、社長は今まで多くの養分いのちを取り込んで自らのものにしてきた。罪のない人々を含め、実験台にしてきた配下の者達。社長の糧にされた養分いのちが怨みつらみの念として現れ、火が付いたのではないかと」
「なるほど。因果応報というわけですわね。相当ひどい事を今までしてきたのです。あらゆる人々の命を弄んだのですから恨まれても仕方のない事ですわ」

 そう切り捨てる友里香に、父親に対してはもうなんの感情もわかないようだった。野心を優先するあまり霊薬の血を求めすぎて、人々の怨念に破滅に追いやられたというべきか。
 

「そういえばあの化け物、途中でえらく強くなっていた感じだったけど、直君の銃弾で倒れたわけよね?あいつも直君の血を飲んで強くなったって聞いたけど……血の効果ってその時によって違うものなの?」

 皆がごく当たり前に思った疑問に久瀬が答える。

「――ええ。おそらく。助けたいという強い意思で流す血と、不意に傷をつけられて流す血とでは成分の差は一目瞭然。直様の血液型は何度検査しても普通のB型と結果が出てしまうので、本当の所はどうかは調べようがないのでわかりませんが」
「つまり。直の心がけ次第で最強の武器にも奇跡の霊薬にもなるって事か」

 化け物が不本意にオレの血を飲んでそれなりに強くなったとしても、所詮は不意打ちで流した血でしかない。オレの心がけ次第で威力も効果も変わるなら、今後奴らに悪用されることも少ないだろう。

「この事は他言無用でお願いします。白井の連中にはバレていてもおかしくはないでしょうが、できる限りは秘密にしておきたい事。直様がさらに狙われかねない事案ですので」
「もちろん。これから白井の奴らと戦うわけだから、余計な情報は漏らさないに越したことはない。今後はさっきみたいな事がないように祈りたいけど、今後どんな敵が現れるかわからない。そんな時、直の血を使うのはある意味最後の切り札みたいな手段だ。できる限り使いたくないし、俺自身も直には血の力を使ってほしくない。だって、いくら直の傷の治りが早いって言っても、一応皮膚に傷をつける行為には違いないわけだろ。どんな理由があろうとも傷ついてほしくないよ」
「甲斐……」

 ほんと自分の心配より、オレの事をいつも優先するよ……お前は。
 オレだってお前が心配なのに……。今後の戦いはお前が一番狙われるのに。オレの事より自分の心配を少しはしろっての。



「きひひひひひひ」

 そんな時、急な不気味な笑い声に一同が振り返る。消し炭になったはずの奴が薄気味悪く笑っていた。

「いひひひ、レイヤクノチ、れいやくの……ち、ちがう!ちが、う……わたしは、こんな、ことをしたかった、わけでは……ただ、やざきざいばつの、ために……きひひひひ」

 急に頭を抱えだして正気に戻ったかと思えば化け物に戻ったりと不安定な様子だった。

「ねえ。あいつ、変だよ」
「錯乱……しているのかな」
「なんかしぶとい奴ね」


 この男の状態は、過去の正気だった頃の人格と、今現在の化け物であった人格とが混濁しているようだ。

「再起不能になったからこそ、死に際に正気に戻りつつあるのかもしれません」
「……ならば、私が娘として今度こそ引導を渡します」

 友里香が真剣な面持ちで奴に近づく。娘として最期の務めを果たそうとしている顔だ。オレと甲斐も友里香のフォローに入れるように続く。

「おお、ゆりか……ゆりか……なのか?」
「あなたはお父様のわずかながらの理性なのですね」

 男の体は煙があがり続け、間もなく全身が灰となって消える寸前だった。

「わたしは……いままで、なにをしていたか、まったくわからない。きゅうになにかにこころをうばわれたとおもったら、それっきりで……おもいだせない。おまえたちは、だれだ」
「は……?」

 その言葉に唖然とする一同。今更なんて都合のいい記憶喪失だと呆れすらした。
 
「思い出せないですって!?あんた、今まであたしらや皆に何したと思ってんのよ!一つの家族を引き離しやがった挙句に子供を攫っていろんな人々の人生を滅茶苦茶にしてさ!あんたのおかげでどれだけ周りが傷ついたと思ってんのよ!この疫病神野郎っ!」
「そーだよ!この人でなしっ!すっとこどっこいのとうへんぼく!実の娘の友里香を傷つけやがってっ!てめえそれでも父親だった奴かっ!今更な、都合よく記憶を失っても許すわけねーんだよ!」
「ま、まあまあ!唯ちゃんも未来も抑えて抑えて」

 皆が憤る気持ちはよくわかる。今更忘れたと言われてもこの業はずっと忘れない。怒りと恨みが消えるはずがない。とはいえ、果たして本当に忘れたのかどうか怪しい所だが。

「ほんとうに、おもいだせないのだ。ただ、おぼえているのは……そう、れいやくのち。それがあれば……やざきざいばつを……たすけてやると、そう、しらいさまにめいれいされた……。クロサキナオというにんげんを……みつければ……わたしは……テンカヲトレル。ああ、そうだった……きひひひひ……レイヤクノチ。ヒヒヒヒヒ」

 やはり正気に戻りそうというわけではなさそうだ。この男の本性。いわば欲望に忠実な所がよく表れている。霊薬の血に目がくらみ、理性より己の欲望をとったのだ。人の身を捨ててでも。

「なお……わたしのなお……れいやくのち、わたしのあいするむすこ……あいして……あいしているのだ!」

 何がアイシテ、だ。心底気持ちが悪い。吐き気のようなものがする。

 オレはこいつと過ごした今までの事を思い出して身震いする。矢崎で過ごした桎梏の箱庭生活の日々を。薬漬けにされてあらゆる拷問を受けた地獄の日々を。甲斐には決して言えない事もたくさんされた。

 いつも目が覚めたら全裸で寝台の上にいて、たくさんの計器に繋がっていたあの日々。新鮮な血を採るため、負の感情を底上げするために、こいつからあらゆる暴力で蹂躙され続けた。

 苦しかった。死にたかった。屈辱に毎日泣いて吐いていた。そう思うほど最低最悪な16年だった。

 もはや見たくも聞きたくもない。大嫌いどころか永劫苦しませて万死に値したい程憎らしい。


 今にも灰になって崩れ落ちそうな手がオレに触れようとした時、湧き上がる殺意に自然と手が動いていた。

 右手の銃で躊躇いもなく脳天をぶち抜き、心臓であった場所には友里香の槍が突き刺さっていた。


「キモイんだよクソ野郎。死ね」
「うんざりですわ。とっととくたばれ」

 気持ちの悪い愛に応えるつもりなど毛頭ない。元義父だったとも思いたくない。侮蔑の眼差しを向けながら今度こそ全ての息の根を止めた。16年前の因縁と共に。

 奴は驚愕の表情を浮かべながら時が止まったように動かなくなった。娘と義理の息子であった者にトドメをさされたのだ。その顔であの世に行けるなんてこれ以上の不幸はないだろう。あばよ。クソ野郎。

「さようなら……お父様。私を生んでくださったことだけは感謝いたします。次があればまともな人間に生まれ変わってくださいね。そうでなければ永劫地獄で苦しんでくださいませ」

 瞬く間に灰となり、そのまま風に流れて飛び去って行く。黒く嗤う友里香の言葉が最後のたむけとなった。

「やっと肩の荷がおりましたわ。ねえ?直お兄様」

 友里香も詳しくは話さないが、この男に相当な酷い事をされたと聞いている。血の繋がった父の許されない所行。オレ以上に苦しんでいたと思う。甲斐と出会って明るくはなったが、それ以前はいつも暗い表情ばかりを浮かべていたな。

「そうだな。清々した」

 やっと終わった。 矢崎正之クソ野郎との因縁が。


 しばらく言葉なく静寂に佇んでいると、甲斐が周囲を見渡していた。

「甲斐?」
「誰かいる」

 そう言い放つ甲斐は、この中で一番気配に聡い。

「そこだ!!」

 甲斐が拾った石を怪しい場所へ投げつけると、それを察して避ける人影が見えた。

「ふふふふふ。よくわかりました。さすがです」


 

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