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六章初デート

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 日曜日がやってきた。
 丁度バイトはお休み。猫のカイとシルバーに餌をあげてからの出発だ。

 どこに行くかは決めていないが、とりあえずは二人だけで会う。バンビちゃんフィギュア限定版がほしいので、エロゲショップには寄らなければならん。

 そんでなぜか母ちゃんは自分の事のように大いに張り切り、着ていく衣服を俺のために選んだ。いつものキモオタファッションを着ようとしていたら、母ちゃんが猛烈にダメ出しをしてきたのが始まり。あれやこれやと世話を焼き、気づけば遅刻しそうになっていた。

 まだ矢崎は着ていないようだな。
 待ち合わせの〇〇駅前に到着し、9時半前になるのを待った。

 〇〇駅は俺の家から結構離れた郊外にあって、都市部よりかは人通りも少ない小さな駅だ。ここまでくれば知っている奴もいないだろうし、学園の奴と鉢合わせなんて事もないだろう。ただ、矢崎が有名人すぎるので素性がバレてマスコミらに騒がれないか心配だ。とは言っても、ここは田舎寄りだからまさかの四天王の矢崎直がこんな田舎にいるなんて思われはしないだろう。たぶん。

 そんな時、向こうの方で女性たちが頬を赤く染めてうっとりしているのが目に付いた。

「ねえ、あの人誰?超カッコイイんだけど!」
「めっちゃ美形!芸能人かモデルの人?こんな田舎に目の保養だわ」
「ていうか四天王の矢崎直に似てない!?写真とりたーい!」

 通りすがりのあらゆる年頃の女性達が振り返っている。その中心には人だかりができていて、一際背の高い男の後ろ姿が見えた。これらの声やあの髪の色を見てもう間違いない。しかし、たくさんの女に囲まれていてなかなか近づけねーなこりゃ。

 どうしようかねーと思っている中で、女性に囲まれている男がこちらに気づいた。視線をこちらに向けた途端、今までの仏頂面がなかったかのような笑顔に変わった。

「約一週間ぶり」
「よ、よう」

 矢崎が自分を囲んでいた女達を華麗に無視してこちらに寄ってくる。
 普段は無表情か意地悪を企んだ顔しか見せないのに、見たことがない笑顔に一瞬こいつ誰だと思ってしまった。

 え、これ本当に矢崎?こいつこんな笑う奴だったか。
 それにいつも学校じゃ仕事用スーツか色つきのシャツだったので、こいつの本当の私服姿にも新鮮さを感じる。

 矢崎の格好は灰色のサマーTシャツに、紺色のデニムボトムス。高そうな腕時計を左手に黒縁のオシャレ眼鏡。

 なんだこのモデル野郎。ハリウッドスター顔負けじゃねぇか。

 抜群のスタイルと容姿を持ち合わせたコイツが着こなせば、どんな格好も似あってしまいそうだ。500円で売っている安物のTシャツでさえ似合いそう。

「なんだよ」
「や……お前の眼鏡姿ってスーツ姿でしか見た事なかったから、私服では珍しいなって思って」
「オレ、視力めちゃくちゃ悪いから普段はコンタクトで仕事では眼鏡だ。けど、今日はプライベートだからなんだっていいと思ってプライベート用眼鏡にした」
「そうなのか。ま、イケメン野郎のお前ならなんだって似合うんじゃねーの」

 なんだか恥ずかしくなって視線を外しながら言うと、それに気づいた矢崎が鼻で笑う。

「なんで視線外すんだよ」
「野郎をジロジロ見ても面白くないだろ」
「オレは違うけど。ずっと、お前だけを見ていたいよ」
「っ……初っ端から飛ばしてくるな。そーゆーの困るんだって」
「嫌、なのかよ……」

 耳があったら垂れているだろうしょんぼり顔の矢崎。お前こんなキャラだっけ。 

「別に嫌じゃねーってば……」
「オレは楽しみだった。お前に会えるのが。時間を共有できるのが。お前は?」

 じっと矢崎が俺の表情を覗き込んでくる。 

「っま、まあ楽しみだった……よ」

 と、思う。はっきり言えるほど羞恥心がないわけではない。でも、実は心は躍っていたかもしれない。そんな矢崎の表情はとてもうれしそうで瑞々しい。自然な笑顔を見るとこちらまで照れてしまう。

 やっぱりこいつ……学校での姿は偽りで、今笑っているのが素の姿だなって改めて思った。

「お前もそそる格好だな」

 矢崎からの実にふざけた言葉を頂戴する。

「素で言ってるのなら貴様の目は腐っている。眼科受診をお勧めする。日曜でも場所によってはやっているぞ。行ってこい」
「だって、お前の格好……なんか鎖骨が見えて色気がある」
「何が色気だ。普通だろうが」

 水色の涼し気なシャツに七分のカーゴパンツ。たしかに夏場だから胸元は開いてるけど、なんでそそるんだよ。

 最初、母ちゃんが用意したものはこれとは別の異様に女々しい格好だったな。当然そんなカマ臭い格好は嫌だったので、母ちゃんと相談した結果、動きやすさを重視したの格好になった。キモオタファッションじゃないだけマシである。

「架谷……」
「な、ちょっと」

 矢崎はなぜか俺をいきなり抱きしめてきやがった。暑苦しい。

「な、なんだよ!」
「お前が可愛く見える。いつもと違って見える」
「……は?ちょ、意味わかんねーし!離れろっつーの!」


 とりあえず庶民デートの定番という映画館に移動した。街中にあるような小さな映画館で、上映しているものはマイナーなものが中心らしい。

 別段観たいものはなかったが、適当なジャンルのチケットを矢崎が持ってきていた。御曹司として映画の試写会やらによく招待されるので、腐るほど映画のパスやらチケットやらをもらってしまうのだという。

 まあ、チケットなんてなくても矢崎なら顔パスであっさり入場できるし、矢崎の権力で映画館なんて貸し切りで鑑賞し放題なんだろうけど、今日は庶民として行動したいからという事で自分でチケットを買ったのだという。秘書の久瀬さんからお駄賃でももらったのかしらね。

「初めて自分一人で映画のチケットを買えた」
「自販機にQRコードをかざして金入れるだけだけどな」

 自分一人でという事は今日は久瀬さんやエスピーがそばにいないようだ。気配探知しても気配を感じられない。

「今日は護衛の人いないんだな?」
「ただの矢崎直として庶民としていたいから、護衛は必要ないって無理言ったんだ。だが、隠れた護衛はどこかにいると思う。オレでも気づけないくらいの久瀬の部下が」
「へえ、隠密みたいだな」

 御曹司のお坊ちゃんは大変なもんだ。いつでもどこでも見張られているなんて自由がないな。

「ほら、いくぞ。もうすぐ始まる」

 と、言いながらさりげなく距離を縮めてくるこやつ。

「こら、肩を抱くな。あとくっつくな」

 矢崎がくっついてくるので気が抜けない。おホモ達と思われてかいろんな通行人の視線を浴びてしまう。

「くっついちゃだめなのかよ」
「野郎同士はくっつかねーだろ」
「オレはくっつきたい」
「やめろ。時と場所を考えろ」
「じゃあ二人きりになったらいいのか?」
「それもどうかと思うが……まだ二人きりの時のがマシだ」
「じゃあ、二人きりになるまで我慢するよ……」

 矢崎がぱっと俺から離れてうっとり微笑む。
 なんだか後が怖いな。やっぱり身の危険を感じざるを得ないよ。


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