上 下
90 / 319
五章仮面ユ・カイダー爆誕

5ー16

しおりを挟む
 ラウンジの執務室でひたすらしたくもない仕事に勤しんでいた。
 取引の電話をしつつ契約書に目を通したり、秘書の久瀬と数日後の海外出張の打ち合わせをしたりと忙しいので、この頃は帰宅以外はラウンジに缶詰状態。ここを出る暇もなく、いくつもの子会社経営は授業なんていうものを受ける暇すらない。まあ、今のオレに高校レベルの授業なんて低レベルすぎて受けるだけ無意味だが。

 だからと言って、この多忙さが開星を卒業した途端に倍以上の忙しさになると思うと頭や胃が痛くなってくる思いだ。
 仕事一筋になってきているこの現状。
 矢崎の道具なんだな……オレは……。
 いや、仕事以外でも、存在自体が利用されているんだろうけど……

 もはや学校で仕事をしている日々に、学生生活とはなんだろうとさえ疑問に思う。ある意味出席日数だけを稼いで卒業資格を得るためだけに来ていると言っても過言ではない。この学校に飛び級制度があるならぜひとも利用したいものだが、この日本には飛び級制度がないので未だに学生なんだけれど、学生だという自覚が持てない。自分自身がもう社会人のような気分だ。

 ここを卒業すれば、すぐに海外留学させられて、矢崎グループの全指揮を統括する事になるんだろう。その頃には好きでもない女と結婚させられて、跡取りを無理に作らされるというくだらんストーリーが出来上がるわけだ。

 くだらんストーリーを歩むのは矢崎家の人間になった時から決まっている事だが、でもせめて学生で自由が少しでもある今だけは……人並みの青春を味わってみたい。普通の年頃の男として過ごしてみたい。

 今だけでいいから、あいつともっと一緒にいたい……。

「直!」

 名前を呼ばれてびくりとして顔をあげると、草加菜月が目の前に立っていた。いつの間に……と思うほど、気配を探知するのを忘れていたほど上の空になっていたようだった。

「何度も声を掛けたんだけど返事がないから部屋まで入って来ちゃった」

 菜月は生徒会長なのでラウンジのマスターキーを持参しているし、警備システムの解除の権限も持っているので、このラウンジに易々と入ってこれるのを忘れていた。

「なにか用か?オレはまだ仕事が立て込んでる」
「……ごめんなさい。直が言ってた例の桐谷杏奈についての書類を持ってきたの」
「そうか。それだけはどうしても欲しかったからな」

 桐谷杏奈は菜月がやっているコスメやファッション会社の商品のイメージキャラクターであり、菜月とも最近は海外でのモデルの仕事で関わりがあったので、その時の様子などを聞きたかった。だから、知っている事があれば逐一教えてほしいとプロファイリングしたものを持ってこさせた。

 もちろん拓実率いる青龍会の諜報活動でわかるものばかりだが、直接あいつと関わりがある菜月の方が最近のあの女の様子をわかっていそうなので、情報提供者として白羽の矢を立てたのだ。

「あの女を……つぶすの?」
「ああ。あんな悪女いつまでも野放しにしておきたくはないし、迷惑している。正之の愛人だからと言って黙って見ているわけにはいかない。あの女の弱味を徹底的に探っている」
「そうなんだ……。前までは自分に近づく女があの女のおかげで減っているから助かっているって喜んでいたくらいなのに」
「それは昔の話だ。今は……殺したいほど邪魔だと思ってる」

 殺意を少しだけ露にすると、菜月が驚いて息を飲んだ。

「そう……。そこまであの女が邪魔になるくらい直にとって劇的な変化が訪れたわけだ。僕が海外に行っている数ヵ月の間、いろいろあったんだね。少し前だったらもっと気性が激しくて、誰も寄せ付けない雰囲気だったのに、最近は落ち着いてて穏やかになってる気がする。今だって、ここまで僕と会話すらままならなかったのに」
「そう、だったか?」

 なんとなくそうだったかもしれないなと思うが、当の自分がこれじゃあ申し訳ない。

「そうだよ。いつもそっけなかった。視線すらあわせてくれない時だってあったのに」
「それはすまなかったな。すまない」

 謝罪をすると、菜月が驚いた表情でこちらを見つめている。

「何を驚いている」

 怪訝に見つめるも菜月はまだ驚いたまま固まっている。

「え、あ、だ……だって直が謝罪するんだもの」
「そんなに驚くことか?」
「驚くよ。今までどんな相手でも頭を下げたり、謝罪なんてしない人だったのに。やっぱり、変わったね」

 それは全てアイツのおかげだなんて言えない。アイツがオレを少しづつ更正してくれているから。

「話はそれだけか?杏奈についてのプロファイルは貰ったからもう用はないだろ」
「……そこは相変わらずつれないなあ。せっかく持ってきてあげたのに。直にあいたかったんだよ、僕……。数ヵ月ぶりじゃないの」

 菜月が近づいてオレが座っている椅子越しの背後から両腕をまわして抱き締めてきた。

「離れろよ……うっとうしい」
「ちょっとだけ。今だけ……ちょっとだけでいいから。でないと、直はすぐ離れていきそうだもの」
「……しつこい奴は嫌いだから仕方ないだろ」
「今だけ、だから」

 今だけ、か。
 どうしてかそれを拒むことができなくて、今だけ好きにさせておくことにした。
 オレも、学生というこの今だけ……アイツのそばにいられる事を願っているから、同じ気持ちを抱いているこの菜月を無下にできなかった。昔のオレじゃあ考えられないくらい寛大になったものだ。




 *


 矢崎が草加と一緒にいる。
 しかも、草加が矢崎を抱き締めている。
 おいおい。これ、見ちゃいけない光景じゃね?大スクープ的なスキャンダル?まじかよ。

 その光景を見た時、どうしてか足が鉛のように重くなって動かなかった。
 別に矢崎と草加が何していようが、一緒にいようがお構いなしに部屋に入ればいい事なのに、思うように体は動かない。
 胸の奥にドロドロしたものが駆け巡り、唐突に嫌な気持ちになってくる。
 なんだこの気持ち。おかしいな。
 すげームカつくんだけど、なんでだろ。

 わかる事は俺が場違いって事は確かだよな。
 今、あの場に俺は来ちゃいけない。お楽しみの最中だからって事。いろんな意味で本番に入られる前に早々に立ち去らなければ……。
 なんでか知らんけど俺、今すげーひでー顔してるだろうし、醜い顔というのはまさしく今この時の表情を言うんだろう。

 すぐに踵を返そうとした瞬間、草加が振り向いた矢崎に顔を近づけている一瞬を目に捉えてしまったのだった。

 は…………草加が矢崎にキス!?
 思わず持っていた弁当を落としそうになったが、なんとか持ちこたえてセーフ。
 とりあえず約束だからと持ってきた弁当を矢崎のいる部屋の前に置き、俺は気配を立てないように逃げるようにその場を後にした。

 くそが。リア充爆発しろ爆発しろ爆発しろ。
 堂々とききききき、キスしやがってっ!!
 なんだよ矢崎の野郎!
 俺に気があるとか言いながら草加ともいい関係になっていたなんて聞いてねーし!女と全部手を切るとかいうのは嘘だったのかよ!まさかの相手が男だなんてとんだ抜け穴だけど。
 あーなんかすっげえ気分悪いというか胸くそだ。脳内で今のシーンが繰り返されて頭を記憶喪失になるまで殴りてーよコンチクショウが!!


 
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

エキゾチックアニマル【本編完結】

BL / 連載中 24h.ポイント:78pt お気に入り:498

COALESCE!

BL / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:164

極道の密にされる健気少年

BL / 連載中 24h.ポイント:1,356pt お気に入り:1,737

8月のイルカ達へ

BL / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:24

二度目の人生ゆったりと⁇

BL / 連載中 24h.ポイント:454pt お気に入り:3,622

異世界でのおれへの評価がおかしいんだが

BL / 完結 24h.ポイント:1,533pt お気に入り:13,896

処理中です...