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一章最低最悪な出会い

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『架谷君』

 神山さんだけは俺に声を掛けてきた。誰も俺に話しかけない中で、パンツを盗んだ張本人かもしれない相手によく声をかけられるなあって逆に感心した。まあ、犯人ではないんだけれども。

『ぼくに何か用?』

 俺は素っ気なくなっていた。彼女に対してこんな態度は初めてだっただろう。自分でも相当追い詰められていたのだ。何もかも信じられなくて、誰も彼も敵にしか思えなかった。どうせ彼女だって……俺がパンツを盗んだ犯人だって事も含めて哀れみから声を掛けて来たか、それとも面白がっているんじゃないかって。気休め、もしくは罰ゲームの類なのかもしれないって。

『一緒に……帰ろうと思って……』

 何を言っているんだかって呆れたようにそう思った。

『……遠慮するよ。つまらないでしょ。ぼくといたって。それにもうぼくに関わらない方がいい。きみも同類だと思われちゃうから』

 死んだ魚のような眼で俺は卑屈になっていた。ていうか俺ってコミュ障なのにこんなにスラスラ話せたんだ。追い詰められるとそれなりに言葉が出て呂律が回るものだなってちょっと自嘲した笑いがこみあげてくる。でもさ、こんな状況で声をかけられたって嬉しくもなんともないんだよと、神山さんを思わず睨み付けてしまった。自分が情けないアホにも関わらずに。

『逃げるの?』

 神山さんはそんな事を言った。

『このまま犯人にされたまま逃げちゃうの?悔しくないの?』

 俺は唇を噛み締めて俯く。

『わたし……架谷君が犯人にされたままなんて嫌だよ……。架谷くんはそんな事をするような人間じゃないって知ってるから』
『……それでも、ぼくが犯人かもしれない。きみのパンツを持ってたんだよ。水玉のレースのちょっといい匂いがした可愛いパンツを』
『に、匂いってっ……そんな事言わなくていいからっ!ていうかなんで私のパンツだって知ってるの!』
『あ、いや……その、時々見えたり……』

 やべって思ったけど、意外にも神山さんは怒ってなくて顔は真っ赤なままで。

『っ……もう……エッチ』

 彼女は顔を背けてもじもじしていた。むしろなんか喜んでいるように見えるのは目の錯覚だろうか。まあ俺自身もちょっと変態発言だったし、これじゃあ本当に犯人みたいだと思う。でもぶっちゃけいい匂いだったのは覚えている。触っていないけどカバンの中で香りが充満していて、無性に懺悔したくなったよ。

『架谷君はやってない。絶対やってないよ。わたし、信じてる』

 その一言が、俺を突き動かすように何かを後押しした。
 無意識のまま早々に家に帰って、俺は古武道をやっているじいちゃんに声をかけた。じいちゃんは田舎からこちらの町にしばらく滞在していた。

『じいちゃん。ぼくを鍛えてください』

 とりあえず強くなりたかった。いじめっ子に負けないくらい、打ち負かす程度の力を欲した。そしたら力づくでも無実を晴らせるかもしれないと浅はかな事を考えていたのだ。

 それを見越したじいちゃんは『甘ったれるなクソ孫がぁ!お前なんぞ我が道場の門を跨ぐ事すら許されんわ』と俺を怒鳴りつけた。そんでもって『ただ強くなりたいだけのお前なんぞに教える武道は何もない。家でブドウでも食ってブドウと格闘しておれ』と、オヤジギャグを捨て台詞に追い出されてしまった。
 
 それでもどうしても諦めきれない俺は今度は両親に頼み込んだ。両親は俺がパンツ事件の冤罪人にさせられている事は知っていたため、不憫でならないと思ったのか親馬鹿ぶりとお人好しさをここで発揮。なんとか入門させてくれと両親がじいちゃんを説得した結果、まずは甘い考えを無くして弱虫を克服してからなら入門を考えてやってもいいというお達しだった。

 そのお達しから両親は何を思ったのか、笑顔で俺を山籠もりという名のクマが出る山に置き去りにしたのだった。食料が入ったリュックと寝袋付で。

『GYAAAAA!GUAAAAA!!だずけでええええーーー!!殺されるウゥウゥ!!!うえげええっ!!くぁwせdrftgyふじこlp!!』

 俺は鼻水と涙にまみれて意味不明な奇声をあげながら森の中を突っ走っていた。
 クマから逃げるためにもう必死で必死で、足やら手がすり傷だらけだがそれ所ではない。後ろからは凶暴な野生のクマがヨダレを垂らして俺を食おうと鼻息荒く追いかけてくる。しかも結構早い。体長もデカい。威圧感もすごい。ちょっと雄叫びしただけで近くにいた小動物がびびって動けなくなるほどだ。マジで死ぬ。追いつかれたらマジで殺される。

 いくら学校で死にたくなるくらい辛い目にあってはいても、クマの胃袋に収まる末路だけはやめてくんろである。

『おんぎやああああああ!!』

 必死で逃げ続ける中で木の枝で転んでしまい、クマの鉤爪や牙が俺に襲い掛かろうとした時、俺は死を覚悟した。が、間一髪背後から俺を誰かが助けてくれた。

 両親ズやじいちゃんの弟子の人だろうか。颯爽と俺を抱えて放り投げてくれた。もっと早く助けてくれよ。マジで死ぬかと思ったよ。ちょっと小便ちびりました。

 こうして、食われそうになったりとか危ないと感じたら誰かが助けに入るのだが、それ以外はひたすら俺の動向を傍観するだけの両親ズとお助け人。スパルタどころではない。普段はお人好しなくせしてやることが鬼畜である。

 野生のクマ相手に逃げ続けてできれば小道具を使ってでもいいから倒せだなんて、小坊のガキに無理ゲーもいい所である。ていうか弱虫を直すために荒療治が過ぎるだろ。

『ほらほら、逃げてばかりじゃいつまで経ってもクマは追いかけて来るわよ』

 笑顔で母ちゃんがそんな事を言う。どうしろってんだよ母ちゃんのアホ。

『今夜は甲斐の旨煮入りクマ肉が食卓に並ぶかもしれんなぁ。父さんはクマ肉が好きだから楽しみだぁ』

 若い頃も白いランニングシャツ一枚だったクソ親父。俺がクマの胃袋に入るのを楽しみにしているなんて子を持つ親としては最低である。

 こんな事をする両親にさえ絶望した俺は、本当にこのままクマ肉にされてしまおうかと思ってしまった。
 学校ではパンツを盗んだ冤罪人にされ、変態としての目で見られてクラスでは孤立し、城山達から今後もいじめられ続けると思うと絶望しかなかった。

 俺の周りには誰一人味方がない。いや、神山さんだけは違うかもしれないが、彼女だって内心は面倒くさそうにしているはずだ。同情心で俺に声をかけているだけだって。

 ああ、もう……生きていても嫌な事ばかりだ。苦しい事ばかり。死んでしまいたい。

 そう思っていた山籠もり五日目の事。全速力で逃げ続けているせいか、自然と足腰が鍛えられており、クマがどんどん俺に追いつけなくなっているのを感じていた。

 あれ、クマってこんな遅かったか?もっと早いような気がするんだけど……。
 俺は立ち止まってクマに向き直る。クマはやっと俺に追いついて来てゼーゼー言っている。こいつも俺を追うのに必死だったのか。てことは逃げるが勝ちだ。

 俺はまた逃げ続けて、サルのように木に上りつつ丈夫そうな枝の上で昼寝をする事にした。
 久々の安眠である。周囲にクマがいると思うとなかなか夜は寝られなかったからな。音や気配にも敏感になって、いつの間にか木登りもお得意になっていたようで、ターザンになった気分だ。

 そういえば俺は、ここへ来る前に両親に10キロはある重り付のギプスを装着させられていたっけ。ここへ来た当初は重くて最悪だったが、クマに逃げ続けるのに必死でそれを装着していた事を忘れていたようだ。
 幼気な小学生になんて重いモン装着させてんだか。おかげで今じゃあ重りつけるのが当たり前に思ってしまってるよ。

『クマを追い払ったら山籠もりを卒業させてやろう』

 親父が卒業試験だとそんな事を言う。んな無茶な。逃げるだけなら楽勝だが、あんなデカいクマを追い払うのは無理である。

『大丈夫だ。そのギプス外して戦っていいから』

 このクソ重たい10キロの重りギプスをか。本当にいいのだろうかと恐る恐る外すと、あら不思議。全然体の重さを感じなくなっていた。うひょー体が軽すぎて重力がマヒしているようなものだ。こりゃあもしかしてもしや……

 丁度いい所にいつもの俺を食う予定のクマがいたので、俺は逃げも隠れもせずにクマを挑発してみた。当然クマは俺に襲い掛かるわけで、クマの爪攻撃が俺の顔面を狙う。が、俺は難なく避ける。そのまま反撃だとクマの腹に突きを入れてみた。

『BUGYA!』

 クマは痛かったらしい。だから余計に怒ったクマは俺に連続で両腕を振り回してきた。爪の乱れ撃ち的な。

『おお、遅い。遅い。なんて遅いんだ』

 避け続けた末に、今度はクマの左目を指で目つぶししてやった。

『GYAOOOO!!』

 悲鳴みたいな苦悶の声をあげるクマ。
 こうなれば俺の独壇場。叩いたり、つねったり、かじったり、武道の心得がない泥臭い子供の攻撃だが、ギプス効果でクマ相手にもそれは通じているようだ。

 傍から見ればまるで子供同士のケンカに思えるが、クマ相手に善戦している自分が不思議でならない。一歩間違えたら食われて死ぬ瀬戸際なのに、なんだかクマの攻撃がすべて遅く見えるのだ。

 最終的にクマは『きゃいん』とかいう甲高い鳴き声をあげて逃げて行った。これで見逃してやろう。だって今日の敵は明日の友とも言うからな。次会った時はあのクマといい友達になれそうだ。

『よくやった。ようやく第一段階を突破したな』

 じいちゃんが両親と一緒に現れた。ブドウと格闘しておれと言いながらも、孫の俺の事を気にかけてくれていたようでやはり根は優しいじいちゃんだ。お人好しの血は先代から流れているのがなんとなくわかったよ。

 だがようやく第一段階突破という事は、第二段階はさらに厳しいものになりそうだ。この時点でやっとじいちゃんの道場に入門できる資格が与えられたのだからな。

『攻撃の型が全然なっておらん。ケンカ殺法どころか子供のじゃれ合いにしか見えなかった。それでもクマをなんとか撃退した事は褒めてやる。これからお前に教える事は山ほどあるだろう。まだまだ弱い部分が見え隠れしておるから性根を叩き直してくれる。覚悟する事だ、甲斐』
『わ、わかったよ。じいちゃん』
『じいちゃんと呼ぶな!わしの事は家以外では師匠と呼ぶように。それと敬語を使え』
『は、はい……師匠!』


 山籠もりを終えた俺は、一週間ぶりに学校に登校した。
 俺が来なくなったのはイジメが原因で登校拒否になったとか、死んだとか、いろんな噂が立っていたが、俺は何食わぬ顔で自分の座席に着いた。机の上に仏花入りの花瓶が置かれていたけどな。ついでに机には「死ね」とか「うんこ漏らした変態」だとか彫刻刀で彫られていたがスルーした。あのクマ相手に生きるか死ぬかの瀬戸際に比べたら、人間相手のイジメなど全然大した事ではないと妙に落ち着いていた。

『まさかまだ生きていたとはなぁ。てっきり死んだかと思ったぜ。パンツを盗んだ変態仮面という汚名に苦しんでな』

 城山と取り巻き共が俺にニヤニヤ顔で話しかけてきた。相変わらずな態度で怒りを通り越して呆れたよ。
 そんな俺は静かに城山を見上げた。そして目を細めてじっと見つめた。

『な、なんだよその眼はよ。気に入らねえな』

 城山が俺の胸ぐらをつかんで立たせようとする。が、

『ちょっとやめてよ城山君!架谷君に乱暴しないで!』

 現れた神山さんが割って止めに入ってくれたおかげで、城山は胸ぐらから手を放す。

『か、神山……。神山はこいつの肩を持つのか。こいつお前のパンツを盗んでたんだぜ。変態だろ』

 当然俺をかばうような神山さんに怯むと同時に俺に憎悪の眼差しを向ける。

『架谷君はそんな事をするような人じゃない!何回言ったらわかるの!』
『でもこいつのカバンの中にパンツがあったのは事実だろ。真面目そうに見えても変態は変態なんだよ。こんな奴と一緒にいたら神山だって変な目で見られるぜ』
『ちがう、架谷君は絶対n『悠里、もうやめようよ。架谷と付き合ってたらまたパンツ盗まれるよ』

 やってきた女子達が納得していない神山さんを強引に連れて行く。俺の疑いは晴れていないので、女子達の顔は俺を侮蔑に睨んだままだった。

『お前は一生パンツを盗んだ犯人なんだよ。みじめにさっさと死ね!』

 捨て台詞を吐いて城山達は去って行った。乱闘騒ぎにならなくてよかったとホッとする。あのままだと俺も怒りに手が出ていたかもしれなかった。

 クマ相手にした一撃をこんな人間の、しかも子供相手にすれば怪我だけじゃ済まない。それがわかっているからこそ連中から去ってくれて助かった。山籠もり&10キロのギプスの効果恐るべし。


 数日後、すぐに夏休みに入ったおかげで、大して城山達やクラスメート達と関わる事はなかった。
 その夏休み期間中は勿論師匠との地獄の修行である。ついに入門を許可されての鍛錬が始まったのだ。お馴染みの10キロの重りギプスを装着してな。

 まずは30キロのロードワークと腹筋背筋を500回毎日させられた。それでやっと師匠との組手に始まり、滝行や打ち込み、浜辺での全力疾走、階段と山登りの数回往復。反射神経を鍛えるためにバッティングマシーンでひたすら150キロ以上の剛速球を避け続け、コンスタントに避け続けられるようになったら拳銃の弾もしくは機関銃の弾すら避けられるようになれとか無茶を言われた。そんな某泥棒アニメの五●衛門みたいな真似はまだ無理である。

 それから俺自身にクマが好むニオイをつけさせられて、前回の山に放り出された時はまた死ぬかと思った。今度は複数のクマに追い掛け回されたからな。その山の主みたいな大グマなんかも現れて、崖から落ちそうになったり川に放り投げられたりして、今度こそあの世行きになるかと思った。その時にかなり負傷したがなんとか追い払ったのは奇跡に近い。ていうか、どんどんクマ相手に強くなっていく気がするが、人間相手じゃないだけいいのだろうか。それとも人間相手の方がマシなのか、ようわからん。

 
『遅い!なんだその突きは!そんなんじゃ米兵の軍人相手に避けられちまうぞ』
『は、はい!』
『特に背中をとられるな!背中を取られたら半分負けだと思え』

 いつその軍人相手と戦うのか知らないが、じいちゃん……いや、師匠の脳内では第二次大戦中の米兵と戦っている様だ。もう時代が違うんだけどな。じいちゃんは戦後生まれなはずなんだけど。

『てやあ!うりゃあ!でやあ!!』

 道場以外の家の中でも俺は自主練を始めた。憎き城山らのサンドバック人形相手に蹴りや突きの稽古をし、ばーちゃんからは架谷家伝家の宝刀「ヒグマかかと落とし」という技を伝授された。この技は後に俺の必殺技となるのであった。
 
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