人生負け組のスローライフ

雪那 由多

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眠れぬ夜に戦う為に 8

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 俺は一切手を出さなかったがモップを駆使して天井は勿論部屋の隅の埃も電気の笠に積もった埃も冷蔵庫裏の埃も驚くほど手際よく綺麗にしてしまった。
 当然のようになんの打ち合わせもなく戸棚の食器を全部出して、一人は皿を洗い、一人は戸棚を綺麗にして洗い終えた食器をなぜにそれでと聞きたくなったバスタオルで拭いて片づけていた。それはあれよあれよと瞬く間の出来事。机も椅子も綺麗に水拭きをして、乾拭きで磨き上げ、窓ガラスの曇りも無くなり、手持ちぶたさと言わんばかりに磨きだすグラスとカトラリーが光り輝く頃飯田さんとオリオールは帰って来た。
 まるでタイミングを見計らったかのような仕事に休む事もなく机の上に並べられた野菜や肉、ワインから調味料と言った物が並べられる。そして何かオリオールが二、三言ったかと思えば四人は一斉に動き出せばもうテーブルの一角にも俺の居場所はもうなくなってしまった。
 とりあえず部屋の隅に椅子を持って行きスマホとタブレットをポチポチしていた。
 手伝う隙と言うかそんな物どこにあると言うような四人の動きに俺が出来るのは邪魔をしないようにおとなしくし腹をすかしておくだけすかしての晩餐と夜食。
 至福の時間は中々帰らない三人のお爺ちゃんと借りているアパートに帰ろうともしない飯田さんにだんだん小首をかしげたくなるもとりあえず俺はおなかもいっぱいになったのでお布団目指してビール片手にベットに戻れば飯田さんがすぐにやってきて
「すみません。師匠達がキッチンを乗っ取ってしまって」
「ああ、うん。台所綺麗にしてもらってご飯も食べさせてもらったからね。今は文句は言わないよ」
 ここは妥協して置こう。
 そうなんだよ。
 車で来たのに全員アルコールを摂取してしまったのだ。
 事故が起きて何かが起こるより俺が諦めれば丸く収まる事だ。
「申し訳ありません」
「まぁ、ご家族に連絡はしておいてくださいね」
「はい」
「あと、悪いけどベッドどころか寝る所なんてないから、そこは自力でどうにかしてもらってください」
「寝る時は車の中で十分ですので。それに……」
 何だ?と思うも少しくぐもった楽しそうは歌声が響いてきた。思わずその歌声の方へと視線を向けてしまえばその大きな体を小さくして
「すみません。静けさを求めてこちらに移動したとお聞きしたのに」
 可哀想なくらいに頭を下げるどこか慣れたようなその姿に苦労して来たんだなぁなんて、時々腰が低すぎるのはご実家の影響ではなく三人のジジイのせいかと妙な納得をしてしまった所で
「まぁ、明日朝から人に会う予定だからそこで解散としようか」
「ジョルジュですか?」
 この旅行の一番の目的。
「一応オリヴィエが戻って来る前に会っておこうかと思ってね」
 いきなり弁護士連れて会いに行くと言う所まで話さない。
 既に電話でも話はしたし、エドガーにも接触して向こう側の弁護士同士でお互い納得いく条件を提示してある。
 問題はその他大勢になるだろうギャラリーだろうか。
 いずれ自分の物になうと思っていた物が手に入らない問題はこの身が十分すぎるほど知っている。
 恨まれるのは当然だが、それでもあのバイオリンをオリヴィエの手に残してあげたいのだ。
 たった一つのパートナーと言うわけではないだろうが、ここまでの苦楽を、そして共に歩むべき半身は沢山の人の手に渡り受け継いできた至宝の一つ。
「ひょっとしたらオリヴィエに恨まれるかもしれない。
 だけど、あの二階の部屋で俺の為に作ってくれた曲はあのバイオリンがあっての曲だと思うから。
 まぁ、俺の我が儘だね」
 きっとあの時がオリヴィエの先の長い人生の中でもこれが人生最悪の事件になる事を願いつつもずっとそばに寄り添っていてくれたバイオリンこそ永遠の友になればと思う俺のおせっかい。
 今にも泣きだしそうな顔をなんとか踏み留める様にケースごと抱きしめる今にも消えて無くなりそうな姿を思い出せば己の存在を辛うじて繋ぎとめていた唯一のアイデンティティーはきっとこれからもオリヴィエを助けてくれるだろう。
「いらないって突っ返されるかもしれないけど、俺はどんな手を使ってでもあのバイオリンを必ずオリヴィエの手にあるようにしたいんだ」
 そんな俺の決意。
 誰かに聞いてもらいたかったわけじゃないけど、あの時俺を救ってくれたオリヴィエに返せる物は、俺が出来る事はと考えたからこそこんな遥か遠くまで来れたのだ。
「絶対勝ち取るよ」
「でしたら、俺も着いて行きます」
 いつの間にかベットの片隅に座って俺を睨みつけるその視線の意味が分からなくて眉間にしわを寄せてしまうも
「綾人さんが無茶しないようにと言うか、既に無茶する宣言しているからこそせめて常識的範囲で収まるようなストッパーになります」
 わけわからないと言う様に睨むも
「綾人さんはきっと幾らでもふっかけられても笑ってお支払しようとするのでしょうから。
 ですが俺としてはオリヴィエからバイオリンを取り上げようとする奴らには正しく適正価格で買ってもらいたいので、これは俺なりの意地ですね」
 何やら怪しげな事をおっしゃり始めて飯田さんについと距離を取り出せば
「綾人さんの恩人は俺の恩人でもあります。
 オリヴィエだけに苦労させて自分達は身の丈に合わない豪遊をされているのですから。そこはもういい大人なので自分達でけじめをつけてもらいたいと思うのは私の我が儘でしょうか?」
 いいえ? 
 と言うか、飯田さん何怒ってらっしゃるのでしょう?
 よくわからなくてもう少し距離を取るも
「さあ、明日は戦場に行くのですから、そろそろ休みましょう。
 俺は車で寝てきますが、師匠達はどうせキッチンでワインの空き瓶でも抱いてそのうち寝ると思い出すので放っておいてください。
 ああ、夏で本当に良かった」
 風邪をひく事はないでしょうからね、なんて言いながら外に置いた車に向かう姿が見えたと思えば、そこから何故か取り出されたキャンプ用品。簡易テントを張ってバサバサと丸まった寝袋を広げて、小さなランプを側に置いてテントに潜る姿を取り外されたカーテンのない窓越しに眺めてから、何も見なかったと言う様に改めて布団にもぐるのだった。
 

 
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