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第八章「神の剣と知られざる真実」

暁の離愁

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賢者マチェドニルよ。どうかこの子を……この子を預けて頂きたい。

私は聖地ルイナスを治める者。この子を貴方に預ける事を選んだのは、近い将来訪れる災厄を予知しての事だ。この子は未来の勇者を救う力が備わった魔導師の力を秘めている。そしてそれを育てられるのは貴方しかいない。父親としてとても心苦しい決断だが、この子までも犠牲にするわけにはいかない。

頼む。どうか、我が娘を……!


十六年前――聖地ルイナスから来た魔導師ムルによって賢者の神殿に預けられた一人の赤子。マチェドニルはムルから赤子を託されていた。
「何と愚かしい事よ……災厄の予知で実の子を余所者に預けるとは。しかもこの子の名前を教えもせずにな」
赤子の名前を教えられないまま預けられたマチェドニルは一先ず神殿に戻る。賢者の神殿には、世界と魔法等の様々な知識を研究する学者として生きる賢人と呼ばれる者、生まれつき自身に備わる魔力に関する知識を習得してあらゆる魔法を駆使する賢者と呼ばれる者が住んでいる。賢人は日々研究に励み、賢者は訓練所で魔法の修行に励んでいた。
「これはマチェドニル様! その赤ん坊は?」
「うむ、先程ルイナスの長たる者から預けられてな。全く理解に苦しむ話よ」
マチェドニルが事情を説明すると、賢人達は唖然とする。
「まあこうなってしまった以上、この子は私が面倒を見る事にする。どうか仲良くやって欲しい」
「ハハッ!」
訓練所を去るマチェドニルは、ぐっすりと眠る赤子の顔をジッと見つめる。
「確かにこの子からは大きな魔力を感じる。あの男が言っていた未来の勇者を救う魔導師の力……天性の魔力だというのか」
マチェドニルは赤子から秘められた魔力を感じ取っていた。赤子はスフレと名付けられ、賢者の神殿を治める大賢者であり、師であるリヴァンからスフレを未来の大賢者として育てるように告げられる。
「未来には大いなる災厄が訪れる。その子を預けたルイナスの民も私と同様の予知をしたのだろう」
リヴァンは未来に訪れる災厄の予知について話す。大いなる災厄は、闇王の復活と共に訪れる。復活した闇王を討つ為には魔を滅ぼす赤き雷の力を受け継ぐ者……つまり赤雷の騎士の力が必要となる。そしてスフレは、赤雷の騎士と共に闇王に挑む使命を受けた子になるという事を。
「マチェドニルよ。後は頼んだぞ。どうか、その子を未来の大賢者に育ててくれ」
妻子共々聖都ルドエデンに向かう事となったリヴァンは神殿から去り、リヴァンに代わって賢王として神殿を治める事となったマチェドニルはスフレを未来の災厄に挑む賢者として育てる事となった。物心ついた頃から勉強三昧で、厳しい魔法の訓練を重ねたスフレは僅か十歳で賢者としての実力を身に付けていた。賢王である自身の後を継ぎ、全ての賢人を統べる未来の大賢者になってもらう。この時は本当の目的を敢えて話さず、マチェドニルはスフレにそう言い聞かせていた。
「ファイヤーボール!」
スフレの杖から炎の玉が飛び出す。正面に立てられた数体の人形の顔に炎の玉を正確に当てるという訓練であった。炎の玉は次々と人形の顔に命中していく。
「やったあ! これで炎の魔法は完璧だね!」
嬉しそうにはしゃぐスフレの元に、紫色の髪を靡かせた褐色肌の少女がやって来る。
「随分と順調のようね、スフレ」
「あ、マカロ。あたし、とうとう炎の魔法をマスターしたんだよ!」
マカロはスフレが預けられる三年前に賢人から拾われた孤児であり、スフレ同様マチェドニルによって賢者として育てられている少女であった。マカロはスフレの魔法によって顔部分が黒焦げになった数体の人形を見つめている。
「ふーん、炎の魔法ねぇ……あんた、雷魔法は使えないんだっけ?」
「うん。あたしの魔力は雷を操れる力はないみたい。賢王様がそう言ってたよ」
「そう。だったら私の雷の力を見せてやるよ」
マカロは魔力を集中させ、人形に次々と稲妻を落としていく。マカロには雷の魔力が備わっており、様々な雷魔法が得意であった。
「うわぁ……あたしも雷魔法を使ってみたいなぁ。あたしは炎魔法だけじゃなく水魔法、地魔法、風魔法も使えるのに雷魔法は使えないなんてちょっと変だよね」
スフレの一言にマカロは眉を顰める。
「ふん。雷は私の専売特許よ。天性の魔力だか何だか知らないけど、あまり調子に乗るんじゃないよ」
半ば対抗意識を燃やしているような物言いで去って行くマカロ。そんな中、マチェドニルが現れる。
「スフレよ。そろそろ訓練だけでは物足りぬであろう。魔物との実戦に向かうぞ」
「魔物と?」
「お前の実力ならばこの辺りの魔物とも立ち向かえるはず」
魔物との実戦は未経験であるものの、自信満々に頷くスフレ。
「ちょっと待って!」
そう言ったのはマカロであった。
「賢王様、どうして私を差し置いてスフレにばかり目を付けるんです? 私の方が先輩だし、実力だって……」
「戯け! この子は天性の魔力が備わった未来の大賢者だ。お前は先輩としてこの子をサポート出来るよう、雷魔法を極めるのだ」
マチェドニルの返答にマカロは納得がいかない表情を浮かべる。マカロは周りからスフレに並ぶ未来の大賢者として有望視されており、マチェドニルの後継者となる賢王を目指していた。自分の魔法の力を過信する余り負けず嫌いでプライドが高い事もあり、年下で後輩であるスフレをライバル視している上に賢者としての実力を追い抜かれてしまい、スフレがマチェドニルの御眼鏡に適う存在として見られている事に危機感を抱いているのだ。マチェドニルと共に魔物との実戦訓練に向かったスフレの背中を見ながらも、悔しそうに歯軋りをするマカロ。
「クッ……私だって……!」
苛立ちを抑えながらも訓練所に向かうマカロ。訓練所からは雷鳴による轟音が絶え間なく響き渡っていた。

多くの魔物を自身の魔法で打ち倒す事に成功したスフレは、マチェドニルから黄色に輝く宝石が埋め込まれたブローチを与えられる。宝石は、スファレライトであった。
「これは?」
「スファレライトのお守りだ。災いから守る光の力が込められている。試練を成し遂げた褒美として受け取るがいい」
「わあ、ありがとうございます!」
スフレは嬉しそうにブローチを受け取ると、マチェドニルは穏やかな表情を浮かべる。そんな二人の様子を陰で見ていたマカロは険しい表情で拳を震わせていた。

それから暫く経つと、賢者同士の魔法による手合わせが行われた。スフレとマカロも手合わせに参加する事になり、二人の魔法対決が行われる。
「マカロ、本気で行くよ」
「ふん、私を甘く見るんじゃないよ」
激しくぶつかり合う双方の魔法。様々な雷魔法が襲い掛かる中、スフレは数々の属性魔法を駆使していく。
「サンダーボルト!」
迸る稲妻の中、スフレは杖を地面に突き立てる。
「アーソンブレイズ!」
次々と巻き起こる火柱はマカロを取り囲み、大きく広がっていく。
「きゃあああああ!」
火柱を受けたマカロは身を焦がしつつ倒れ、スフレの勝利となった。
「やったあ! あたしの勝ちね!」
勝利に喜ぶスフレ。賢人達に運ばれて行くマカロは気を失っていた。

翌日、神殿内が騒然とする。スフレとの手合わせに敗北し、寝室で眠っていたはずのマカロが突然神殿から姿を消し、消息不明となっているのだ。
「マカロがいない? どうして……?」
「解らぬ。あやつ、まさかお前に負けた事で……」
「えっ……」
スフレは何とも言えない罪悪感に襲われる。自分に負けたショックで神殿から出て行ったのではないかという考えが浮かんでいたのだ。
「マカロ……あたしに負けるのがそんなに嫌だったの?」
マカロが自分に対抗意識を持っていた事を薄々と感じていたスフレはどうしようと思うばかり。賢人達はマカロの捜索を始めるものの、マカロの姿は何処にもない。時が経っても、マカロは神殿に戻って来る事は無かった。


それから月日は流れ――スフレは数人の賢者と共に神殿を出て北の方へ向かっていた。賢者の神殿の北にはトリスという小さな村があり、村が何者かによって焼き討ちされたという知らせを聞かされ、マチェドニルの命令を受けて村の調査へ行く事となったのだ。
「これは……」
トリスの村は所々が焼かれており、人々の姿は何処にも無い状況であった。
「一体誰がこんな事をしたって言うの?」
スフレが声を張り上げると、村の畑に雷が降り注ぐ。
「スフレ……あんた、スフレなのね」
現れたのは、マカロであった。
「マ、マカロ?」
数年前に消息不明となっていたマカロの出現に愕然とするスフレ達。
「ふん、他の賢者どもとご一緒だなんて随分偉くなったのね。クソ賢王の命令でわざわざ此処まで来たってわけ?」
悪態を付くマカロの異様な雰囲気に、スフレは思わず身構える。
「ねえマカロ、何があったっていうの? あの時の手合わせであたしに負けてから突然姿を消して、それから……」
「ええ、それからずっと身を隠して一人で特訓をしていたわ。あんたじゃなくて、この私が真の大賢者である事を思い知らせる為にね」
マカロは杖を掲げると、激しい稲妻が次々と降り注ぐ。稲光は紺色に輝く色であり、闇を象徴させる色となっていた。
「何なのよその魔法? あんた、どうやってそんな力を手に入れたというの?」
尋常ではないマカロの魔法の力にスフレが問い詰める。
「何を寝ぼけた事を言ってるの? これこそ私の真の力よ。あんただって知ってるんじゃない? 私は雷魔法の才能がある事を」
スフレはマカロの操る紺色の稲妻が元々備わっていた魔力によるものとは思えず、更に問い詰めようとするが、マカロは再び紺色の雷をスフレの前に落としていく。
「お喋りはここまでよ。スフレ、あんただけは私の手で消してやる。あんたがいるせいで、私は……!」
「待って! どうして戦わなきゃならないのよ! あたしは……」
「黙れ!」
マカロの全身が紺色のオーラに包まれ、激しい稲妻を呼び寄せる。スフレは魔力のオーラを身に包み、稲妻の攻撃を避けながらも地の魔法で岩の防壁を作る。
「マカロ……あんたはずっとあたしの事を妬んでいたの?」
岩の防壁で雷の攻撃を遮断しつつも、スフレは反撃に転じようとする。マカロが操る闇の雷は憎悪を象徴させるかの如く、次々とスフレに降り注いでいく。
「あああぁぁっ!」
雷の直撃を受けたスフレが倒れると、更なる闇の雷がスフレに叩き込まれる。
「ぐっ……」
全身を焦がし、煙を出しながらも立ち上がろうとするスフレだが、身体が痺れてろくに動く事が出来なかった。マカロは唾を吐き捨て、憎悪が込められた目を向けながらスフレの元に歩み寄る。
「何が天性の魔力だ。何が未来の大賢者だ! あんたなんか……あんたなんか!」
スフレの背を足蹴にし、忌々しげに何度も踏みつけるマカロ。
「おい、やめろ!」
賢者達が一斉に止めに入るが、マカロの闇の雷によってあえなく一蹴されてしまう。
「ふん、どいつもこいつも」
マカロはスフレの脇腹に蹴りを入れ、杖を突き付ける。
「……バカよ、あんた」
スフレは口から血を滴らせながらも、そっと立ち上がる。
「あたし達は賢者として生きる身なのに、競い合う必要なんて何処にあるの?」
痺れが残る身体を必死で動かしながらも、マカロの肩にしがみ付いて顔を寄せる。
「賢王様が何を思っているのか解ってるの? 賢王様は、みんなが支え合って戦う事を望んでいるのよ! あんたにはあたしに使えない力がある。それなのにあんたは……」
「黙れ! 私の前で臭いクチを開くな!」
喚き散らすように暴言で返答するマカロにスフレは怒りを覚え、マカロを拳で殴り付ける。殴られたマカロは憎悪に顔を歪ませ、スフレを殴る。二人はいがみ合いながら激しく殴り合い、至近距離で荒く息を付かせつつも睨み合っていた。
「もう……あんたには何を言っても無駄なのね」
スフレが口内に溜まっていた血をペッと吐き出すと、両者は距離を取る。
「殴り合いはここまでよ。そろそろ終わらせてやる」
マカロが魔力を高め、杖先に雷光のエネルギーを集中させる。スフレは杖を手に防御態勢に入ると、マカロは杖先から迸る闇の雷撃を放つ。
「あああああああああ!」
闇の雷撃を身に受け、倒れるスフレ。服は既にボロボロになっていた。だがスフレはそれでも立ち上がろうとする。
「まだやるっていうの?」
ウンザリした様子でマカロが言い放つ。スフレは鋭い目を向けながらも、杖を手に魔力を高めていく。マカロが更に魔力を高めると、全身を覆う紺色のオーラが激しく燃え始める。
「いい加減、そろそろくたばってしまえ! この私の手で……うっ!」
突然の吐き気に襲われ、胸を抑えながら膝を付くマカロ。
「んぅっ……ぐぼっ」
吐き気が抑えられず、マカロは前のめりの体勢で黒く染まった血を吐き出して倒れてしまう。
「マカロ?」
マカロの異変に思わず駆け付けるスフレ。
「はぁっ……あ……か、身体が……痛い……苦しい……こんな事……」
倒れたマカロは激しい苦しみと全身に響き渡る激痛に襲われていた。
「マカロ、一体何が……?」
スフレはマカロを抱き起こすものの、マカロはただ苦しむばかりであった。
「……嫌よ……まだ……死にたく……な……い……私……は……っ……」
必死で口を動かしながら何かを言おうとするマカロだが声を出す事も出来なくなり、そのまま息を引き取る。
「マカロ……」
マカロの突然死を目の当たりにしたスフレは放心状態となっていた。数年前に突然失踪し、闇の雷で村を焼き討ちにしながら現れたマカロは明らかに邪悪な雰囲気を放っていた。持ち前のプライドの高さで自分に嫉妬心を抱き、対抗意識を燃やしていた末にこんな形で道を外してしまったのは何故なのか? マカロの性格上の理由もあって決して良好な関係ではなかったけど、衝突して争い合うなんて望んでもいない事。ましてや死んでしまうなんて……。自分が此処にいるせいなの? もし自分がいなかったらあんな事にならなかったの? スフレは遣り切れない気持ちを抱きながらも、賢人達と共にマカロを手厚く葬る。
「あたしには理解出来ないよ。ここまであたしを妬んで、殺しにかかるなんて……。あんたは本物のバカよ」
立てられた墓にマカロの杖を添え、神殿に帰還したスフレ達は事の全てをマチェドニルに話すと、マチェドニルは表情を険しくさせる。
「マカロ……何と愚かな事を……何故そんな事になってしまったというのだ」
マカロの一件を聞かされたマチェドニルはやるせない気持ちのまま項垂れる。
「スフレよ、どうか気を落とさないで欲しい。決してお前のせいではない」
スフレの心中を察したかのようにマチェドニルが言う。神殿内が重苦しい雰囲気に包まれる中、スフレはマチェドニルから休息するように言われ、寝室へ向かった。それから数日間、スフレは魔法の応用の訓練に励むものの、気分は一向に晴れなかった。


ある日、スフレは呼び出しを受けてマチェドニルの元へやって来る。
「マカロの件も含めて少し前から思っていたのだが、どうやら闇王が蘇ろうとしているのかもしれぬ」
「闇王?」
「うむ。スフレよ。お前を賢者として育てていたのは、赤雷の騎士と共に闇王に挑む為でもあるのだ」
マチェドニルは語る。近い将来、歴戦の英雄達によって倒された闇王が復活し、大いなる災厄が訪れる。闇王を討つ為には赤雷の騎士――赤き雷を継ぐ者の力を必要としており、スフレには赤雷の騎士と共に闇王に挑む使命があるという事を告げた。
「つまり私がその闇王に挑む賢者、という事ですか?」
「うむ。本来ならばマカロもお前と共にと思っていたのだが、あの子は自分に備わっていた力を過信しすぎたせいでプライドの高い性格に走ってしまった。それであんな事に……。せめてわしがもっとあの子の事を理解していれば……! お前が素直な性格に育ってくれたのが幸いだった……」
マチェドニルは後悔の念に駆られながらも、両手を震わせていた。
「賢王様。マカロがあんな恐ろしい力を持ったのは何故なのか解りますか?」
マカロの闇の雷についてスフレが問う。
「残念ながらわしにもよく解らぬ。マカロ自身に備わっていた未知の力なのか、それとも何らかの形で手にしたものなのか」
「そうですか……」
マチェドニルにも明確な答えが見出せない状況であった。
「……もう一つ、いいですか?」
「何だ?」
「私は一体何者なんですか? 天性の魔力が備わっているからといって、ずっと賢王様に育てられていたけど……」
スフレは自身の存在について密かに気になっていた。幼い頃から魔法の勉強や訓練を受けながら育てられ、成長していくに連れて自分は一体何者なのか、自分には何故父や母と呼べる存在がいないのか、自分は本当にこの神殿で生まれた存在なのかと考えるようになったのだ。マチェドニルは言葉を詰まらせるものの、軽く咳払いをする。
「……すまんが今はまだ言えぬ。だが、いずれ解る時が来る。今は使命に従い、赤雷の騎士と共にする賢者としての力を身に付けて欲しい。お前の力は、人を守る為の力だ。お前は……紛れもなく心ある人の子だ」
そう言い残し、マチェドニルは去って行く。
「賢王様……」
スフレは何とも言えない気持ちのまま、その場に立ち尽くしていた。

それから、使命を与えられたスフレは数々の厳しい修行を乗り越え、多くの高等魔法を習得した。更に月日が流れた頃に闇王が蘇り、マチェドニルの要請を受けたブレドルド王からボディガードとして任務を与えられたブレドルド兵団長オディアンと共に旅立ち、赤雷の騎士であるヴェルラウドとの出会いを果たし、数々の戦いに挑んだ。生きるか死ぬかの戦いを乗り越えていく中で新しい仲間達と出会い、そして闇王との戦いに挑み、勝利した。

闇王との戦いの後、闇王を蘇らせたという災いの根源に挑む事となったスフレは旅の途中で知った故郷となる場所に降り立ち、顔も知らぬ母親と再会した。だが、邪悪なる存在によって母親を目の前で失い、そして――。


「……う……」
スフレが目を覚ました場所は、聖地ルイナスであった。自分自身の生まれた頃から過去の様々な出来事が夢となって現れ、夢の結末がはっきりしない形で目が覚めたのだ。
「此処は……? あたしは一体?」
スフレは今いる場所が故郷であるルイナスだという事を知ると、何故自分がこんなところにいるのか理解できず、記憶を辿り、今までの状況を振り返る。確か仲間達と共に恐ろしい力を持つ黒いドラゴンに戦いを挑んでいた。ドラゴンはレウィシアによって倒され、その直後に憎き敵ケセルが現れた。母の無惨な姿を見せつけられ、怒りのままにケセルに戦いを挑んだものの、その圧倒的な力に打ちのめされ、ケセルが放った光線に左胸を貫かれて――。
「へえ……あんた、あいつに殺されたんだ?」
突然、背後から聞こえて来る声。振り返ると、マカロが立っていた。
「あんたは、マカロ?」
スフレは何故この場に死んだはずのマカロがいるのかと考えるが、これまでの出来事を改めて最後まで振り返った瞬間、ある答えが浮かび上がる。
「あんた、もしかして自分がどうなったのか解ってないの? それとも、現状を認めたくないわけ?」
嘲笑うように薄ら笑みを浮かべるマカロ。スフレは狼狽えつつも辺りを見回すが、マカロ以外誰もいない様子であった。
「まさか、あの時であたしは……」
見出せた答えは、自身の死であった。ケセルによって殺されたという事実を突き付けられたスフレは涙を溢れさせ、頭を抱えて蹲る。
「そんな……こんな事って……あたし……うっ、あああぁぁぁぁあ!」
スフレが深い悲しみの叫び声を轟かせる中、マカロは残酷な笑みを浮かべる。
「ハハハ、いい気味。この際だから最後に教えてやろうか。私が何故闇の雷を操れるようになったのかを」
マカロが闇の雷を操れるようになったきっかけ――それは、ケセルとの出会いであった。


神殿を脱走したマカロは大賢者に相応しい力を身に付けようと旅立ち、数年間に渡って世界中を流離っていた。旅の最中、マカロは荒地を彷徨っているうちに凶悪な魔物の群れに襲われてしまい、辛うじて魔物達を退けるものの、魔物の鋭い牙によって致命傷を負っていた。
「がふっ……うっ……死にたくない……このまま死ぬなんて嫌……」
脇腹からの出血が止まらず、血を吐きながら身体を引き摺るマカロの元に何者かが現れる。ケセルであった。
「ほう……ただの迷子ではなさそうだな」
ケセルは苦痛に喘ぐマカロを見下ろしながらも不敵な笑みを浮かべる。
「た、助けて……お願い……あぁっ」
マカロが助けを求めると、ケセルは乱暴に首を掴み、マカロの身体を持ち上げる。
「いいだろう。その代わり実験させてもらう」
ケセルはマカロを連れて黒い影の口の中に入り込んでいく。亜空間の中、ケセルはマカロの記憶を読み取り、鋭い爪が伸びた左手をマカロの身体に突き立てる。
「ぎゃあああああ! ああああっ……がっ、がはっ」
ケセルの左手から体内に闇の力を注ぎ込まれ、激痛に絶叫を轟かせるマカロ。身体から左手が引き抜かれると、マカロは蹲りながら苦しみ続けていた。
「……これは失敗作だな。長くは持たぬだろう。出来損ないの失敗作など使い物にはならぬ。後は好きにしろ」
ケセルによってマカロは亜空間から放り出される。マカロの身体は、ケセルに与えられた闇の力に耐えられる肉体ではなかったのだ。闇の力を利用する事による肉体への負担は大きく、スフレとの戦いの際に使用した闇の力の影響で肉体が蝕まれていき、そして自身の命を失う事になったのだ。


「私はあいつに殺されたようなもの。けど、あんたもあいつに殺された。そういう意味で感謝しているわ。あいつにね」
薄ら笑みを浮かべるマカロの表情はどこか切なげであった。
「……感謝してるってどういう事よ」
スフレが顔を上げ、止まらない涙で溢れさせた表情をマカロに向ける。
「あんたはどうしてあたしを妬んだの? あたしに負けるのがそんなに我慢ならなかったの? 本当はあんたと仲良くしたかったよ。見下した事もバカにした事もなかったのに……寧ろあんたの事を応援したかったのに……!」
「黙れ! 何においても恵まれてる奴に私の気持ちが解ってたまるか!」
激昂するマカロ。スフレは立ち上がって拳を振るい、マカロを殴り倒す。その拳は怒りではなく、悲しみの力が強く込められていた。
「だからバカだっていうのよ!」
馬乗りの体勢でマカロを抑え付けながら、スフレは更に言葉を続ける。
「確かにあたしは周りに恵まれてる方だと思うわ。使命を受けて旅立った後も色んな仲間と出会えた。けど……あんただって道を誤らなければ、賢王様も認めて下さったのよ。賢王様は、あたしと共に力を合わせる事を望んでいた。あんたは……どうしてあんな事になったのよ……。あんな事にならなければ、あんたを頼りにしてくれる沢山の仲間と出会えたのに……」
マカロの眼前で涙を零しつつも呼吸を荒げ、嗚咽を漏らすスフレ。
「……どけ」
スフレを押し退け、立ち上がるマカロ。
「どんなに喚いたところでもう遅いさ。私はしょうがない性格だから、あんたとは相容れなかった。私がちゃんと親元で育てられていたら、こうならなかったかもしれないのに……」
その言葉にスフレはマカロが孤児であった事を思い出すと同時に、言葉を失ってしまう。
「死んだら私の親に会えるかと思ってたけど……何処を探してもいなかった。私を捨てた理由を聞こうと思ってたのに。今頃何処かでぬくぬくと生きてるのかな。それとも、既に生まれ変わったのかな」
マカロは振り返り、歩き始める。
「私はこれから親を探しに行く。時間のあるうちにね。死んだばかりのあんたとは違って、私は死んでから長く経っている。いつまでもこの世界には留まれないようだからね」
そう言い残し、その場から去って行くマカロ。スフレは呼び止めようとするものの、声に出す事が出来なかった。マカロとの再会、そして知ってしまった自分の死という事実。今いるこの場所は死後の世界である事。スフレは共に旅をした仲間達の姿、自分を育てた人々の姿、旅の中で出会い、自分と心を通わせた人々の姿を思い浮かべる。
「……みんな……ごめん……あたし……」
止まらない涙を拭いつつも、スフレはその場にしゃがみ込み、再び嗚咽を漏らす。
「ヴェルラウド……アイカ……ごめんね……」
誰もいない中、悲しみに震えながら泣き叫ぶスフレの脳裏にはヴェルラウドと仲間達、そしてアイカの姿がずっと浮かび上がっていた。
「セレア……セレア……」
突然響き渡るように聞こえる懐かしい声。顔を上げたスフレが見たものは、ムルとレネイの姿であった。
「……お父さん……お母さん……?」
スフレは目の前に現れたムルとレネイの姿を凝視していた。


雨上がりの真夜中――半壊した賢者の神殿の前に、マチェドニルを始めとする多くの賢人とレウィシア達が棺を取り囲む形で集まっていた。棺には無数の花と共にスフレの遺体が収められている。リラン、レウィシア、ラファウス、テティノ、オディアンが棺の中に花を添えていく。
「ヴェルラウドは?」
テティノが問うと、オディアンが肩に手を置く。
「そっとしておけ。今は余計な事を考えるな」
オディアンはヴェルラウドの心情を理解していたのだ。テティノはヴェルラウドの様子が気になりつつも黙って頷いた。

ヴェルラウドは離れた場所でスフレのブローチを握り締め、大きな喪失感に苛まれながらも悲しみに暮れていた。
「何故お前までも俺の前で……俺が守ろうと誓ったのに……お前までも……」
スファレライトに滴り落ちる涙。悲しみの涙は止まらないまま、スファレライトを濡らしていく。ヴェルラウドの脳裏にスフレと過ごした過去の日々が次々と頭の中に浮かび上がる。いつも明るい調子でからかってきて騒がしかったけど、その天真爛漫さに何処か救われるものがあった。自分のせいで犠牲が出た事で自責の念に駆られていたところを助けてくれたのも、神の試練で自分を導いてくれたのもスフレであった。スフレがいたからこそ今の自分がいる。だからこそ今、スフレの力になろうとしていた。そんな時、スフレを目の前で失ってしまった。リセリア、シラリネを守る事が出来ず、スフレをも守る事が出来なかった。自分は何処まで無力なのだろう。神雷の剣が使えても、守りたい者を守る事が出来ない。こんな自分に一体何が出来るというのだろうか。止まらない喪失感と無力感を煽るかのように吹き付ける風。ヴェルラウドは涙で濡れたスフレのブローチをずっと眺めるばかりであった。


何ていうか、あんたが持ってた方がいい気がするの。あたしの想いが込められたお守りだから。

これからも、あたしを頼ってもいいのよ。あたしは、いつでもあんたに付いていくから……。


「……くっ……うあああぁぁぁぁぁぁあああああああっ!」
脳裏に繰り返して聞こえて来るスフレの言葉に、ヴェルラウドは悲しみのままに叫び声を上げ、その場に蹲る。
「ヴェルラウド……」
叫び声を聞いたレウィシアはスフレを想うヴェルラウドの悲しみの心を痛感し、涙を流す。同時にスフレと二人きりになった時に交わしたとある会話を振り返っていた。


ねえ、レウィシア。

何?

人を生き返らせる力があればいいのにと思った事って、ある?

……あるわね。

あ、ごめんなさい。この話、しない方が良かった?

大丈夫よ。もしかして……あのアイカっていう子の事で?

うん。あの子のお父さんとお母さんを生き返らせる事が出来たらなって思ったの。あの子、あたしに凄く懐いてるから……。

スフレ……。

でも、そんな力ってあるのかな……。もしあったら……。


人を生き返らせる力は、自分も求めていた事があった。最愛の弟ネモアを生き返らせる事が出来たらどれだけ幸せな事なのか。もしそんな力が何処かに存在していたら、ネモアとスフレを生き返らせたい。そしてスフレを慕っているアイカの両親も生き返らせてあげたい。スフレの死を目の当たりにした時、改めて心の底から生き返らせる力があればと思ってしまった。けど、そんな力はきっと存在しない。例え存在していたとしても、それはきっと自然の摂理として許されない事なのだろう。現実は何もかもが理想通りになるものではない。これも運命として受け止めるしか他にないのだろうか。
「スフレ……あなたの想いは本当によく解る。私だって人を生き返らせる力が欲しい。それが許されざる行いだとしても……」
レウィシアは涙を拭い、空を見上げる。星一つない雨雲に覆われた暗い夜空を見ているうちに、心が大きな悲しみに支配されていくように感じた。


夜が明けた頃、スフレの棺は追悼と共に賢人達によって葬られ、立派な墓が立てられる。墓の前には様々な花とスフレの杖が添えられる。レウィシア達はスフレの墓の前で黙祷を捧げるが、ヴェルラウドだけがその場にいなかった。
「ヴェルラウド……大丈夫なのか」
ヴェルラウドの様子が気になるテティノは居た堪れず声に出す。ヴェルラウドは、未だにスフレのブローチを手にしたまま神殿から離れた場所に佇んでいた。
「俺に出来る事は、この命を捨ててでも戦う事だ。スフレ、もし俺までもお前のところへ行く事があれば……」
ヴェルラウドはブローチに向けて抱えている想いを打ち明けると、不意に背中に雫が零れ落ちるのを感じた。雨が降っているわけではなく、樹木から滴り落ちている水滴でもない。思わず空を見上げるヴェルラウド。曇り空の中、僅かに朝日の光が見える空に人の姿が見えたような気がした。人の姿は三つ。そして、声が聞こえて来る。


お父さん……お母さん……。

セレア、お前は本当によく頑張ったよ。父親らしい事をしてやれなかったこの私を許してくれ……。

セレア……ありがとう。最後にあなたと会えてよかった……。

ううん、いいの。お父さん、お母さん……どうかあたしの願いを聞いて。あたしには――


空に見えたものは、スフレを抱きしめている父と母の姿。父と母に抱かれ、涙を流しているスフレ。不意にスフレのブローチに視線を移すヴェルラウド。まるでスフレの心を象徴しているかのように、スファレライトは光り輝いていた。その光は、スフレの魔力のオーラの色である黄金の光であった。そして背中に零れ落ちた一滴の雫の意味を考える。


スフレ……あの世で両親と会えたんだな。そしてお前は両親と共に、俺達の事を――。


ヴェルラウドはスフレのブローチを握り締めた手で一筋の涙を拭いつつ立ち上がり、レウィシア達の元へ向かって行く。
「ヴェルラウド!」
「俺の事は心配するな」
レウィシア達が見守る中、ヴェルラウドはスフレの墓の前に立ち、スフレのブローチを掲げながら黙祷を捧げる。黙祷を終えた瞬間、マチェドニルはヴェルラウドが持つブローチの存在に気付き、そっと声を掛ける。
「ヴェルラウドよ、そのブローチは……」
「ああ、賢王様から授かったお守りだって聞いている。神の試練に挑む時、俺に託したんだ。それからずっと……」
「やはりか……。だが、そのお守りはずっと持っていて欲しい」
ヴェルラウドが頷くと、静かに見守るレウィシア達の前にやって来る。
「行こう。俺達にはやる事がある。俺はスフレの分まで戦う。付いてきてくれ」
決意を固めたヴェルラウドの言葉に全員が頷く。マチェドニルは全ての魔力を託す形でレウィシア達に最高峰の回復魔法を掛け、ケセルや冥神ハデリアがいる孤島アラグへ向かって行くレウィシア達を見守っていた。


スフレよ。お前までもが命を失うとは……。お前の事はマカロと共に、実の娘のように育てていた。

もしマカロが道を誤らなければ、マカロ共々スフレの運命は変わっていたのだろうか。

マカロが道を誤ったのは、親代わりであったわしの責任。もっとマカロの心を理解してやる事が出来たら、マカロも救われていたかもしれぬ。

わしは未来の賢者を育てる者の器ではなかったのだ。だからこそ、お前には正しき心を持つ賢者を育てられる賢王としてわしの後を継いで欲しいと思っていた。それなのに……。

……今わしに出来る事は、皆の勝利を願う事。今現れようとしている冥神から世界を守れるのは、最早レウィシア達しかいない。

わしに何か力になれる事があるとしたら、或いは……。


マチェドニルはスフレの墓に祈りを捧げ、神殿から飛び立っていく二体の飛竜を見送った。








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