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第2章 清須景明の悩み

第7話 誘い

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「え……そんな……嘘でしょ?」
 冷や汗で化粧が崩れだした須藤 小夜を見て、角田が笑い転げる。そばにいた少女がびくりと肩を震わせる。
「ひゃはは! ひゃっ! ひっひっひっ!」
「おい、角田! 失礼なのも大概にしろ!」
「はは、だって……僕たち、こんな紙切れのためにお使いではるばる山奥まで来たんですよ? 笑わなきゃ、やってられませんて、ひひ!」
「にしても、それなりの態度ってものがあるだろ? また阿倍野様に叱られるぞ?」
「はぁ、わかりましたよ。ちゃんとしますって」
「だから、こいつと来るの嫌だったんだ……」

 呆れがちに紅尾さんがそっぽを向くと、角田はさきほどとは打って変わって、真面目な顔で俺に聞いてくる。
「ところで、景明くん。君、随分と若く見えるけど、歳はいくつ?」
「……16です」
「そっかそっかー。じゃあ、この遺言書もまだ無意味だね」
 父がバツ悪そうな顔で腕組みをする。この時、須藤兄妹以外、この場にいた全員が理解していた。ボールペンで書かれた遺言状の穴に。

「確かに、うちの息子はまだ16で未成年だ。後見人にはまだなれない。だが、遺産分配については効力がある。言ったろ? 須藤は清須うちに借金があると。息子が成人するまで、清須うちが彼女ごと全部引き取っても問題はない」
「それをされると、お使いで来たこっちが困るんですよぉ。実を言うと、本音は阿倍野さんのご子息を引き取るために、僕らがやって来たんですから」
「それって、『俺と妹を』ってやつですか?」
 それまで、黙って成り行きを見ていた少年が、声を発する。
「ああ、そう聞いている。」
 紅尾さんが、ぶっきらぼうに返す。角田がにこやかに須藤 小夜に語りかける。
「まぁ、条件によっては奥方も迎え入れるつもりです。清須さんとこの借金も肩代わりします。存外悪い条件じゃないでしょ?」

「嫌です! 私は行きません!」
「ふふふ、暮羽? どうしてそんなにあなたは、頑ななの?」
 須藤 小夜と娘の暮羽のやり取りは、一見すると駄々っ子をあやす母親に見えるが、須藤 小夜の本質を知る者たちからすると、腹の中は違うことは一目瞭然だった。
「暮羽。なんでそんなに行きたくないんだ? 父さんが俺たちに何かしたわけじゃないだろ?」
 少年は母ほどの執着はないが、父が恋しいのか、阿倍野を拒絶する妹に違和感を抱いているんだろう。おそらく、阿倍野の黒い噂を知らないから母と一緒に説得をしてるのは、見て取れた。
 角田がおもむろに席を立ち、少女のもとへ歩み寄ると、しゃがんで少女に目線を合わせる。

 少女は逃げるように、俺の背後に回って俺の制服を強く掴む。服を掴む小さな手が震えていた。
「なんか誤解してるようだけど、お嬢ちゃん。先祖返りでも、力があって、それをきちんとコントロールできるやつは、僕みたいに自由に屋敷の中と外と行き来できる。お嬢ちゃんが来てくれたら、僕も同じ先祖返りとして、嬉しいなぁと思って。なぁ? 僕らと一緒に来てくれない?」
 角田がにっこりマイペースに伝える。
「それは、『力があって、それをきちんとコントロール出来る先祖返りの話』ですよね? もし、コントロールできても力がなかったり、逆に力があってもコントロールできなかったり、あるいはその両方だった場合は、どうするんですか?」
 俺が言葉を発するよりも先に、少女が震えた声で勇気を振り絞って尋ねた。
「ちっ。頭の回るガキだなぁ」
 紅尾さんが焦れて口悪く言う。
「あのなぁ、お嬢ちゃん。おじさん達も仕事で来てるんだ。本当だったら、そのまま連れて行っても構わねぇが、おかしらである阿倍野様からと、念を押されてる。今回は諦めるが、次はわからん。清須殿も不良債権を片付けたかったら、いつでも阿倍野に相談してくれ。行くぞ、角田」
「はい! お茶ごちそうさんでした」
 紅尾さんと角田は、控えていた使用人に出口へと案内され、出ていった。

 俺は一気に緊張の糸が切れ、大きく息を吐く。すると、俺の服を掴んでいた少女が、服からばっと手を離して、俺に顔を少し赤くしてうつむきながら謝罪した。
「申し訳ありません! お客人の服を掴むなんて、はしたない真似を……。本当に、なんと言って謝罪したらいいのか」
「いいよ。俺だって、君くらいの歳だったら、怖くて声も出なかっただろうし。気にしないで?」
 幼いながらにあまりにも申し訳なさそう謝る少女の姿に俺は戸惑いを覚えつつも、笑顔を貼りつけててきとうに返しをする。
「そろそろ我々もおいとまする。葬儀の準備は使用人に言いつけておくので、後見人の話は後ほど」
 父はそう言って席を立つ。俺も一礼すると、父のあとを追いかける。父は振り向かずに、俺に助言する。
「気をつけろよ。先祖返りの件、お前も例外ではない」
「はい。肝に銘じます」

 須藤邸をあとにしながら、俺は先祖返りについて考える。元々は阿倍野家の家臣が屈服させた妖たちを祀った一族の末裔のみに生じる、祀った妖をその身に宿して産まれた人間、それが先祖返り。
 だが、阿倍野一門は同じ先祖返りでも俺のことには目もくれず、須藤 暮羽ばかりを気にしていた。阿倍野当主自身の娘だからか? それとも他にも何か理由が?
 とりあえず帰ったら、蔵の書物でもあさってみるか。そうすれば何かヒントがあるかもしれない。

 一瞬だけ、泣き腫らした顔で俺に遺言状を手渡した少女の姿が脳裏にチラついた。
 あの子からは子供らしからぬ、どこか浮世離れした雰囲気が漂っていた。それにしても婚約者候補どころか、あの子の後見人かぁ。
「俺、うまくやっていけるかな?」
 思わず口の中で呟く。車の窓ガラスに映った自分が、やけに頼りなく見えた。

 つづく
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