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第四章 あの山の向こう

7・魔改造ラジコンに乗って

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「何か手伝えることはない?」
 北寺から一つも指示が降りてこないので、自分から声をかけてみた。
「うーん。いや、いいよ」
「言って。言ってくれなきゃわからないのよ、私」
「じゃあ、あれとって」
「これ?」
 足元に置いた天蔵の段ボール箱を指さされるが、どれのことだ。この箱自体なのか、それともこの中の……どれだ?
「それじゃなくて、あーそっち」
「これ?」
 バラバラになったトランシーバーがいくつも入っている。どう使うのかは全くわからない。
「うーん。いいや、自分で取れるから。ありがと」
 かえって邪魔になりそうだった。律歌はあきらめた。北寺は人に使われてばかりで、人を使うことに慣れていないような気がする。
「なんていうのかな。工場内で、日がな一日ずっと同じ作業を繰り返すだろ? そうするとさ、開けっ放しの眩しい扉の向こうを、ランドセルを背負った小学生が元気よく通っていくんだよ。朝と、夕方にね。あの子たちはこれから、どんな人生を送るのかなーって。なんかさ、鬱になるよねえ。ただ年を取っていく自分。どん詰まりっていうか、掃き溜めっていうか、底辺っていうか、さすがにちょっと精神的にくるものがあったな。ま、自分で選んだ道なんだけど」
 立ち上がると、テスト走行を始めた。ラジコンは電波を拾ってキーボード入力の通りに走って、止まる。何度も繰り返すと、今度は映像の送受信をチェックする。
「そんな人生を送りたいと思ったわけではないの?」
「まさか。それしか道がなかったんだよ。気付いた時にはね」
「たしかに、なんだか少しもったいないわね。北寺さんなら、もっと社会の役に立てそうなのに」
「あーいや、今のはなんだか……全部社会のせいにするような、いかにも底辺らしい発言で、自分で言ってて嫌になるね」
 鬱屈とした思い、諦めのような顔。
「わかってる。これも結果だからね。収まるところに収まっているだけさ」
 北寺智春という一人の人間像が見えてくる。その表面も裏面も――。
「うん、でもね、いい思い出もあるんだ。おれみたいに人生に躓いた人が多かったし、適当に生きて流れ着いた人もいるけどさ、でも、つまり誰でも受け入れてくれる場所だからね。そこがあるから生きていける人がいる。迷惑をかけあいながら、支え合って生きていて。社会にはそういう場所も必要なんだとは思う」
 つまはじきにされた人達でも、なんとか生きていくことのできる場所。最後の砦。
「じゃあ、記憶のない私も、次はそこに行くのかもしれないわね」
 そういうことになる。
「不安?」
「わかんない」
「そっか」
 でも、絶望感はなかった。
「北寺さんがいるなら、まあそこでもいいかなーって」
 二人ならば。
「りっかと日雇い派遣生活かあ。あっはは、はは」
「なんで笑うの」
「いや、あまりにも、りっかとあの世界が、かけ離れてて……。りっかのいたところは、エリートコースと呼ばれていた場所だからさ。くく。でも、悪くないね。意外とイメージできなくもないかも」
 北寺さんと、それはどんな一日だろう。ネジを一つ取って、これは何の部品? と問いかけたら、すぐに教えてくれたりするのだろうか。現場の取りまとめ役も知らないようなことまで。知らなくても生きていけるような知識までもを。
「りっかとなら、楽しいかもね、なんてね」
 同じことを北寺に対して律歌も思った。
「りっか」
「なに?」
「でもねりっかには、本当は、世界を変える力があるんだよ」
「え……?」
「でもその力を、最大限に発揮するには、あらゆるツールが必要かもね。性能のいい計算機や、これまでの人類の歴史から得た経験……とかね」
 世界を、変える力。
 そんなものが、本当に私にあるのなら、私は――
「……さて、オッケーだね~」
 視線の先の北寺は、満足気に笑ってラジコンを律歌の足元まで走らせた。
 ずいぶんメカメカしくなったラジコン。山道用のでかすぎるタイヤを履かされ(しかも後輪のみキャタピラである)、バッテリーをこれでもかと積み、頭にはスマートフォンを無理やり括り付けられている。そこにはUSBケーブルで手作りのユニバーサル送信機が接続され、映像を送り返すことができるようになった。元が赤いスポーツカーだっただなんて思い出せないような見た目になっている。
「できた?」
「うん。魔改造ラジコンのできあがりー! さ、乗るよ~」
 手元のパソコンの画面には、もう青空の下のこの作業場の様子が下からのアングルで映っている。そしてキーボードを操作すると、シャーッという大きな音と共にラジコンが走って止まる。それに合わせてパソコンの画面はなめらかに動いた。まるで北寺と小さくなって二人、手作りのこのスーパーカーに乗車しているような。
 自由に、窮屈に、遊び、疲れ、悩み、苦しみながら。文句を言いながら、ため息つきながら、不安になりながら、おびえながら、そんな風に、そんな感じが、いつも一緒の二人でなら、案外悪くない。
 うん。悪く、ない。
「ねえっ」
「え?」
 ラジコンの微妙な動きを確かめながら、北寺がこちらを見上げる。
「前いた世界なんて知らないわ。過去の私も知らない。私はここにこうして生きている。北寺さんと生きていたい」
 このラジコンカーに乗って、新しい世界を見にいくのだ。
「じゃあ、一緒に住んでみる――?」
 そう言って。
 一緒に、住む?
 律歌は言われた言葉の意味を考え、何度も咀嚼するように、胸の内で響かせる。
 北寺さんと、私が……?
「いいの……?」
 するとそこへ、
 ピピピピ ピピピピ
 およそ予期しない音にはっとする。それは聞いたことのない音ではなく、聞いたことのありすぎる音だった。着信音だ。
「き、北寺さん、これ……」
 北寺もどうしたことかと目を皿のように丸くして固唾をのんでいる。着信……誰かが、電話をかけてきている?
 もしかしたら、気候の調子で電波が通る時があるのだろうか? だとしても、いったい誰から?
「出てみるわよ?」
 静かにこくりと頷かれ、律歌ははやる気持ちで受話器マークをタップした。
「もっ、もしもし!?」
 だが。
「天蔵カスタマーサービスの添田です」
 その相手は唯一電話の通じた天蔵のカスタマーサービス担当だった――まあ、そんな気もしていたが。「えと……なんの用ですか」
「先ほどご注文いただきました【ホウオウ製】殺虫スプレー300ml一本が、都合により、お届け時間が変更となりました。ご不便をおかけして、申し訳ありません」
 配達の、業務連絡?
「あ……ら、玄関のドアの前に置いといてくれても……いいわよ?」
「かしこまりました。それでは、天蔵カスタマーサービスセンター添田がご案内いたしました」
 通話終了。
「はあ……びっくりした」
「電話連絡なんてあるんだね」
「そうみたいね。急ぎの連絡ってことみたい」
 ここで暮らし始めて、初めてのことだった。
「それで、なんだったの?」
「ああ、うん。明日の荷物の到着が少し遅れるんだって。勝手に玄関に置いといてもらうことになったからいいのだけど」
「そうなんだね」
「あのカスタマーサービスの添田、何を、わざわざ……」
 別にいつ届こうが困らないものだ。律歌は会話の続きに戻ろうとした。せっかく北寺と二人暮らしをする話が進んだと思ったら、腰を折られた。お邪魔虫め、その虫よけスプレーで駆除してやる。
「添田?」
「え? うん」
 カスタマーサービスの添田。直接通話している律歌は何度も名乗られているが――。
「……まさか」
 北寺がはっとしたように固まっている。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ……。さて、いこうか」
「えっ、うん」
 緊張味を帯びたような、どこか硬い表情で。
「どうかしたの? 北寺さん」
「ううん、なんでもない」
「もしかして添田さんって人、知ってるの?」
「ん……まあ、知ってるというか、同じ苗字の人がさ、おれの派遣先の上司だったんだ」ちらりと、律歌の方を見やる。「少し、困ったことを思い出しちゃっただけ」
 珍しい苗字のような気もするが、偶然の一致だろうか。
「ふーん。どんな人だったの?」
 その問いかけに、北寺は答えるべきか躊躇したような素振りを見せる。
「うーん……なんていうか……」
「?」
「効率主義者で、計算尽くの、強くてタフなエリートサラリーマン。律歌と同い年のね」
「へえ。そんな人がいるのねえ……」
 まあ、どうでもいいことだ。それよりも、
「ねえ、さっきの話……一緒に住むって」
 その話を進めたい。
「あ、いや……うん」
 だが北寺は煮え切らない態度を見せたかと思うと――
「やっぱ、やめよう?」
「え……?」
 突然の同居キャンセル。それを聞いて、律歌は固まるしかなかった。
「ごめん、勝手で」
 いったい、どんな心境の変化? あまりにも急で……彼の心に何が起きたというのだろう。
「それじゃ、続きはまた明日。帰ろうっか、りっか」
 はっきりと打ち切られてしまった。律歌が話を再開させようとしても、強引にはぐらかされるばかり。
(なんなのよ……もう)
 そんな簡単に心変わりするなんて、気まぐれにもほどがある。自分の恋心は、こんなに軽く扱われているのだろうか。
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