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第四章 あの山の向こう
8・そんな奇跡が、起きただけのこと。
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翌日。朝から律歌と北寺は自転車を南へと走らせていた。
「ね、機嫌直してよ~りっか~」
「ふん……」
二人で住む話をやっぱりなかったことにしたいと言う北寺に何度理由を聞いても教えてくれなかった昨日。
(ほんと、ひどい。人の気持ちを弄んで。北寺さんの……ばか……)
「ごめんね、ごめん。りっか」
「ふーんだっ」
「ごめんごめん……ごめんね」
北寺の弱り切ったような顔を見ていると、一体どうしてそこまで自分のことを拒むのかわからなくなってくる。自意識過剰だろうか。でも、それにしても、あんなのひどい。
山のふもとに到着し、自転車で行ける限り山を登る。
「そろそろ疲れたわ……ラジコンに乗り換えましょ」
北寺は頷くと、リュックから魔改造ラジコンを大事に取り出す。それからノートパソコンも。
「これでちょっとは軽くなるな~。バッテリー一〇個載ってるし」
「そうよね。ありがと」
「いいよいいよ」
地面に置き、接続を試みる。分解したトランシーバーから取り外した基板を流用して電子工作し、強力な基地局を立てていて、それとラジコンが通信できるようにしているらしい。
「繋がった」
手元のパソコンに、ローアングルの映像が表示された。律歌のスニーカーが映っている。
「さて、行きますか」
キーボートを押すと、ラジコンカーがシャーっと音を立てて走り、止まる。
「安全運転で頼むわよ」
「任せて」
何度かカメラの向きを調整すると、再度走り出す。しばらくまっすぐ走らせてみて、調子が出てきたのか徐々に加速していく。
昨日の気まぐれはまだ律歌の心に引っかかっていたものの、これからの冒険を前に胸は高まり、詰まりが水圧に押し流されていくように、流れていった。
山道だが舗装はされていて、砂利道というほどではなく、走行には問題ないどころか、早すぎて手元が狂ってどこかに激突して壊れないか心配なほどだった。データ通信の処理が追いつかないくらい、景色が飛ぶように後ろへ過ぎていく。
「はっや……! ちょっと、どんなふうに改造したのよ!」
「あっはは。男心が、つい出てしまった……」
山は急勾配に差し掛かるが、ラジコンカーは止まらない。ジェットコースターが天に向かって昇っていくように、律歌の鼓動は高鳴っていった。
「画面の左上、小さくガードレールが見えるのわかる?」
「ええ」
緑の森の中に、白いガードレールがミニチュア模型のように小さく細く見えている。
「そこを登って、そのまた上を登って……七~八回くらい繰り返したら、頂上に着く」
あんなところまで登るのか――しかもそれを何度も繰り返すのか。
しばらく、ただひたすら同じような映像が続く。
「ほら、今さっき言ったところを走っているよ」
「もう……!? 早い……!」
景色は森ばかりで変化がなかったが、言われてみれば確かに画面下の方に木々が覆い茂っている。
「頂上まで、行けるわね……! こんなに早いんだもの」
不可能なんてまるで感じない。なんだってできそうだ。そしてこの全能感をくれたのは、他でもない北寺だ。排水溝を流れて川へ、その向こうに大海原を感じるように、清々しいほど雄大な気分。なんて素敵だろう。律歌の胸に、北寺への感謝の思いが溢れた。と、そこへ、
「りっか、ありがとう」
「え?」
声をかけてきたのは北寺だった。
「りっかのおかげで、おれは、こんなところまで来ることができたんだ」
「それは、北寺さんの――」
それは律歌が北寺に対して思っていたこととまるきり同じで。
「おれ一人じゃこんなことにはなっていないよ。だから、ありがとう」
北寺がいて、律歌がいた。
そんな奇跡が、起きただけのことだ。
「さあ、もう下り道だよ。山の向こう側が見えてくるはず」
遠くに点々と家が映される。風景画にでもしたいような、のどかで美しくファンタジックな村の光景。
世界はこんなにも、きらめいている。
「誰かが住んでいるみたいよ!」
どんな人が住んでいるのだろうか。
「敵とみなされて攻撃とかされないかしら」
「……そう思うと、ラジコンカーでよかったかもね……。まあ、文化的な集落だと信じよう」
隣町――もしかしたらここに天蔵の配送センターがあったりして。ここから配達されているとか? 天蔵の謎も解けるかもしれない。自分たちのいたところには、迷い込んだ住民ばかりだったけれど、そうではなく生まれながらにここに住んでいる人に会えるかもしれない。タダで生活物資を受け取ってしまっていたが、何か払わされたりしないだろうか。たとえば遊園地でいうフリーパスのようなものを本当は買わないと住んではいけないとか、そういう事情が突きつけられたりしたらどうしよう。余計なことをしないほうがいいかもしれない。……でも、その場合だっていつかは不法に享受していることはバレてしまうだろう。それに、誰かの意図しないことをして甘い汁を吸い続けるというのは、なんだか寝覚めが良くない。まあ、それもこれも自分のただの想像でしかないが。
「なんか映像がカクカクするわ」
電波が悪くなったのだろうか。
「まあ、長距離電波を飛ばすために低い周波数帯にしているから仕方ない」
ほどなくしてふもとまで下りられた。昼下がりの静かな草原を走っていく。
ふと、律歌は奇妙な感覚に襲われた。
「あれ……? なんか、この道を見たことがある気がするわ」
初めて見る場所なのに、以前にも見たような感覚。とてもリアルなデジャヴのような風景の山道。
「おれもなんかそんな感じする」
どうやら北寺もそうらしい。まあ田舎風景なんて木や草原ばかりでどこも似たようなものだが。
「なんか……」
見覚えのある黄色い菜の花畑がある。山のふもとには菜の花畑があるものなのだろうか?
「前に行った北の果てと、似ているわよね」
「似ているね」
少し走らせると、小高い丘に差し掛かった。丘の上には大木が五~六本生えており、その間には誰かが吊るしたのか、
「ハンモックだわ」
とても見覚えのあるハンモックがあった。
「ねえ、待って。ここって……」
「そんなはず、ないよ……」
「でも……」
もう少し走らせてみると、見覚えのある形の住宅が映る。
「あの家、三人組の主婦達の家にすごく似ているわ。天蔵の販売する家のデザインって、数に限りがあるのかしらね」
「ほんとだ……同じデザインだ。山の向こう側には、同じような家が建てられているのかもね。誰かいるかな?」
誰もいないようだ。そのまま進んでいく。どこも同じようなものらしい。もといた村にいた主婦三人組にとてもよく似たような女性が三人、井戸端会議をしている。いや、似ているというには、あまりにも……。音までは拾えないが、どう見ても普段挨拶を交わす見慣れた面々である。
「どういう……こと?」
律歌の頭はパニックだった。
ラジコンが、北から戻ってきた? なぜ?
「ちょっと北寺さん、一回行って、みましょう!」
ラジコンを人目に付かない場所へ移動させ、道の端に停車すると、パソコンをリュックに詰め込み、自転車にまたがった。
「もし……もしこれで、ラジコンがあったら……」
「いやそれは、そんなことは、おかしいよ……」
律歌と北寺はそれから無言で、早く早くと急かされるように自転車を走らせる。
もしラジコンがいたとしたら……? いくら早いスピードが出せたとしても、道を間違えていたとしても、そんなことはありえないはずなのに。じゃあ、ラジコンが無かったら? 井戸端会議の三人組は誰? あの三人組にあまりにも似ているけれど。山の向こうにはこことうり二つの世界が広がっているのかもしれない。それも気味が悪い。検証しないといけないことだらけだ。まずは、井戸端会議のあの家まで行ってみるしかない。
休むこともなく走らせ、律歌と北寺は三人組がよく立ち話をしている場所までたどり着いた。三人はそれぞれの家に戻っていた。
自転車を降り、きょろきょろと辺りを探す。
曇り空の下、道の隅に、猫くらいの大きさの塊の影が、あった。
四駆のタイヤとキャタピラ、バッテリーを積み、てっぺんにスマートフォンを括り付けた、ラジコンカーが音もなく鎮座していた。
北寺がそれを拾い上げるのを律歌は黙って見ていた。夢から醒めたような、妙な脱力感と共に。
「ね、機嫌直してよ~りっか~」
「ふん……」
二人で住む話をやっぱりなかったことにしたいと言う北寺に何度理由を聞いても教えてくれなかった昨日。
(ほんと、ひどい。人の気持ちを弄んで。北寺さんの……ばか……)
「ごめんね、ごめん。りっか」
「ふーんだっ」
「ごめんごめん……ごめんね」
北寺の弱り切ったような顔を見ていると、一体どうしてそこまで自分のことを拒むのかわからなくなってくる。自意識過剰だろうか。でも、それにしても、あんなのひどい。
山のふもとに到着し、自転車で行ける限り山を登る。
「そろそろ疲れたわ……ラジコンに乗り換えましょ」
北寺は頷くと、リュックから魔改造ラジコンを大事に取り出す。それからノートパソコンも。
「これでちょっとは軽くなるな~。バッテリー一〇個載ってるし」
「そうよね。ありがと」
「いいよいいよ」
地面に置き、接続を試みる。分解したトランシーバーから取り外した基板を流用して電子工作し、強力な基地局を立てていて、それとラジコンが通信できるようにしているらしい。
「繋がった」
手元のパソコンに、ローアングルの映像が表示された。律歌のスニーカーが映っている。
「さて、行きますか」
キーボートを押すと、ラジコンカーがシャーっと音を立てて走り、止まる。
「安全運転で頼むわよ」
「任せて」
何度かカメラの向きを調整すると、再度走り出す。しばらくまっすぐ走らせてみて、調子が出てきたのか徐々に加速していく。
昨日の気まぐれはまだ律歌の心に引っかかっていたものの、これからの冒険を前に胸は高まり、詰まりが水圧に押し流されていくように、流れていった。
山道だが舗装はされていて、砂利道というほどではなく、走行には問題ないどころか、早すぎて手元が狂ってどこかに激突して壊れないか心配なほどだった。データ通信の処理が追いつかないくらい、景色が飛ぶように後ろへ過ぎていく。
「はっや……! ちょっと、どんなふうに改造したのよ!」
「あっはは。男心が、つい出てしまった……」
山は急勾配に差し掛かるが、ラジコンカーは止まらない。ジェットコースターが天に向かって昇っていくように、律歌の鼓動は高鳴っていった。
「画面の左上、小さくガードレールが見えるのわかる?」
「ええ」
緑の森の中に、白いガードレールがミニチュア模型のように小さく細く見えている。
「そこを登って、そのまた上を登って……七~八回くらい繰り返したら、頂上に着く」
あんなところまで登るのか――しかもそれを何度も繰り返すのか。
しばらく、ただひたすら同じような映像が続く。
「ほら、今さっき言ったところを走っているよ」
「もう……!? 早い……!」
景色は森ばかりで変化がなかったが、言われてみれば確かに画面下の方に木々が覆い茂っている。
「頂上まで、行けるわね……! こんなに早いんだもの」
不可能なんてまるで感じない。なんだってできそうだ。そしてこの全能感をくれたのは、他でもない北寺だ。排水溝を流れて川へ、その向こうに大海原を感じるように、清々しいほど雄大な気分。なんて素敵だろう。律歌の胸に、北寺への感謝の思いが溢れた。と、そこへ、
「りっか、ありがとう」
「え?」
声をかけてきたのは北寺だった。
「りっかのおかげで、おれは、こんなところまで来ることができたんだ」
「それは、北寺さんの――」
それは律歌が北寺に対して思っていたこととまるきり同じで。
「おれ一人じゃこんなことにはなっていないよ。だから、ありがとう」
北寺がいて、律歌がいた。
そんな奇跡が、起きただけのことだ。
「さあ、もう下り道だよ。山の向こう側が見えてくるはず」
遠くに点々と家が映される。風景画にでもしたいような、のどかで美しくファンタジックな村の光景。
世界はこんなにも、きらめいている。
「誰かが住んでいるみたいよ!」
どんな人が住んでいるのだろうか。
「敵とみなされて攻撃とかされないかしら」
「……そう思うと、ラジコンカーでよかったかもね……。まあ、文化的な集落だと信じよう」
隣町――もしかしたらここに天蔵の配送センターがあったりして。ここから配達されているとか? 天蔵の謎も解けるかもしれない。自分たちのいたところには、迷い込んだ住民ばかりだったけれど、そうではなく生まれながらにここに住んでいる人に会えるかもしれない。タダで生活物資を受け取ってしまっていたが、何か払わされたりしないだろうか。たとえば遊園地でいうフリーパスのようなものを本当は買わないと住んではいけないとか、そういう事情が突きつけられたりしたらどうしよう。余計なことをしないほうがいいかもしれない。……でも、その場合だっていつかは不法に享受していることはバレてしまうだろう。それに、誰かの意図しないことをして甘い汁を吸い続けるというのは、なんだか寝覚めが良くない。まあ、それもこれも自分のただの想像でしかないが。
「なんか映像がカクカクするわ」
電波が悪くなったのだろうか。
「まあ、長距離電波を飛ばすために低い周波数帯にしているから仕方ない」
ほどなくしてふもとまで下りられた。昼下がりの静かな草原を走っていく。
ふと、律歌は奇妙な感覚に襲われた。
「あれ……? なんか、この道を見たことがある気がするわ」
初めて見る場所なのに、以前にも見たような感覚。とてもリアルなデジャヴのような風景の山道。
「おれもなんかそんな感じする」
どうやら北寺もそうらしい。まあ田舎風景なんて木や草原ばかりでどこも似たようなものだが。
「なんか……」
見覚えのある黄色い菜の花畑がある。山のふもとには菜の花畑があるものなのだろうか?
「前に行った北の果てと、似ているわよね」
「似ているね」
少し走らせると、小高い丘に差し掛かった。丘の上には大木が五~六本生えており、その間には誰かが吊るしたのか、
「ハンモックだわ」
とても見覚えのあるハンモックがあった。
「ねえ、待って。ここって……」
「そんなはず、ないよ……」
「でも……」
もう少し走らせてみると、見覚えのある形の住宅が映る。
「あの家、三人組の主婦達の家にすごく似ているわ。天蔵の販売する家のデザインって、数に限りがあるのかしらね」
「ほんとだ……同じデザインだ。山の向こう側には、同じような家が建てられているのかもね。誰かいるかな?」
誰もいないようだ。そのまま進んでいく。どこも同じようなものらしい。もといた村にいた主婦三人組にとてもよく似たような女性が三人、井戸端会議をしている。いや、似ているというには、あまりにも……。音までは拾えないが、どう見ても普段挨拶を交わす見慣れた面々である。
「どういう……こと?」
律歌の頭はパニックだった。
ラジコンが、北から戻ってきた? なぜ?
「ちょっと北寺さん、一回行って、みましょう!」
ラジコンを人目に付かない場所へ移動させ、道の端に停車すると、パソコンをリュックに詰め込み、自転車にまたがった。
「もし……もしこれで、ラジコンがあったら……」
「いやそれは、そんなことは、おかしいよ……」
律歌と北寺はそれから無言で、早く早くと急かされるように自転車を走らせる。
もしラジコンがいたとしたら……? いくら早いスピードが出せたとしても、道を間違えていたとしても、そんなことはありえないはずなのに。じゃあ、ラジコンが無かったら? 井戸端会議の三人組は誰? あの三人組にあまりにも似ているけれど。山の向こうにはこことうり二つの世界が広がっているのかもしれない。それも気味が悪い。検証しないといけないことだらけだ。まずは、井戸端会議のあの家まで行ってみるしかない。
休むこともなく走らせ、律歌と北寺は三人組がよく立ち話をしている場所までたどり着いた。三人はそれぞれの家に戻っていた。
自転車を降り、きょろきょろと辺りを探す。
曇り空の下、道の隅に、猫くらいの大きさの塊の影が、あった。
四駆のタイヤとキャタピラ、バッテリーを積み、てっぺんにスマートフォンを括り付けた、ラジコンカーが音もなく鎮座していた。
北寺がそれを拾い上げるのを律歌は黙って見ていた。夢から醒めたような、妙な脱力感と共に。
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