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第16章 華北決戦編

第91話 関羽の六番勝負

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関羽は延津から許都に戻ると、劉備が袁紹の元で生きていることを知らせるため、すぐさま、麋夫人にあてがわれている屋敷を訪れた。
麋夫人は、その報告に涙を浮かべる。

「こんな嬉しい報せはないわ。早速、劉備さまのところに行きましょう」
「それが、申し訳ございません。私が袁紹の配下、顔良を斬ったことで、簡単な話とは、ならなくなりました」
「まぁ。そうなの」

麋夫人は驚くが、別に関羽を責めるようなことは言わない。
女性の身で、戦場のことは口出すべきではないと心得ているのだ。

「それでは、この後、どうなさいますの?」
「兄者も袁紹の元を離れる予定です。落ち合う場所は、これより定めます」
とりあえず、許都を出ることだけは分かった麋夫人は、すぐに旅支度を開始する。

関羽は関羽で、別の用事があり、急いで陳留郡の酸棗さんそうへと向かった。
酸棗は延津の戦いの後、曹操が本陣を構えている場所である。
最後に曹操に会って、別れの挨拶をしたかったのだ。

「やはり、出て行くのか」
「はい。私にとって、兄者こそが唯一の主」

関羽の言葉に曹操は複雑な表情を見せる。
関羽を手元に置いておくため、わざと手柄を立てさせないという方法もあった。

しかし、顔良の勇猛さを知るに、躊躇わずに関羽の投入に踏み切ったのである。
この決断力こそ、曹操の曹操たる所以なのだが、今回は別の事情もあった。
あまりにも長く関羽との時間を過ごすと、手放す踏ん切りがつかなくなると思ったのだ。

「それでは、次に会うのは戦場だな」
「はっ。曹操殿のご厚情は、生涯、忘れませぬが、主命とあれば手加減はできませぬ」
「それは、こちらの台詞。次は張遼の助命があっても、耳を貸さぬぞ」

お互い、戦場では正々堂々と戦うことを誓う。
別れに際して、関羽は、曹操からいただいた金品の類は全て麋夫人が暮らしていた屋敷に置いておくと告げるが、赤兎馬だけは、そのままいただきたいと申し出る。

「一度、与えた物を取り上げるような無粋な真似はしない。旅の路銀も必要だろう。持って行ける物は、全て持って行っていい」
「まさに王者の度量、感服いたします」
曹操という人物に触れ、関羽にも惜別の念がないではないが、それ以上に劉備の存在、絆は、重きものなのだ。

「それでは、これで失礼します」
関羽が曹操の前から立ち去ろうとすると、その行く手を阻むように数人の男たちが立ちはだかる。

「待て、関羽。我が君のお前への想いを、ここで断ち切るために、俺と立ち会え」
そう言いだしたのは、夏侯惇を先頭にした曹操軍が誇る勇将たちだった。

「関羽がいなくても、曹操孟徳の元には夏侯惇元譲ありということを知らしめる」
夏侯惇の隻眼は、強いまなざしで関羽を睨む。
私怨ではなく、主君を想っての漢の行動。
関羽は応えぬわけにはいかなかった。

「良かろう。曹軍が誇る鬼将軍の腕前、見せてもらおうか」
「ほざけっ」

曹操の御前で、関羽と夏侯惇の一騎打ちが始まった。
夏侯惇の性格が表されたような激しい槍さばきだが、関羽は全て受け止めると、強烈な薙ぎ払いをみせる。
何とか槍で防ぐ、夏侯惇だが、勢いまでは殺せずに後ろに一丈ほど飛ばされてしまった。

すると、代わって、
「次は私が相手だ」
名乗り出たのは夏侯淵だった。

夏侯淵の薙刀は、流麗な軌道に乗せて関羽を攻めたてる。
「さすがだな。弓だけではなく薙刀も一流とは」
関羽は舌を巻くが、最終的にはその夏侯淵をも退けた。

続けて、于禁、楽進らが関羽に挑みかかるが、彼らの場合は関羽と立ち会えたことこそ、誉れと考えたようで、数合、打ち合った後に自ら後退する。
栄誉と言えば、次に立ち合った徐晃も同じ考え。
但し、彼の場合は、もっと積極的だった。

「ぜひ私にご指南をお願いいたす」
関羽との一騎打ちを武芸の稽古の場と捉える。関羽の体さばきや冷艶鋸の動きを体感し、自分のものとしようするのだった。
「勉強になりました」
数十合、打ち合うと礼を述べて、徐晃も退き下がる。

そして、最後に張遼が関羽の前に立った。
「息が整うまで待ちましょう」
「いや、問題ない」

確かに関羽に疲れた様子など微塵もなく、五人の勇将・猛将と立ち合った後とは、到底、思えないほど、平然としていた。
この無類の体力こそが、関羽の強さの根源なのかもしれない。
張遼は、そう思えてならなかった。

「それでは、いざ、勝負」
「応っ」

関羽と張遼の対決は幾度となく繰り広げられている。
その度に勝負つかずという結果だったが、今回も同じだった。
ただ、関羽は五将と闘った後であり、逆の立場で同じことが張遼にできるとは思えなかった。

「さすがです」
「なに、今回も引き分けだ」

激戦も終わり、関羽は改めて曹操に謝辞を述べる。
曹操も六番勝負を十分、堪能したようで、配下の六将を労った。
「皆の力、今後とも頼りとするぞ」
「はっ」
六将の声が揃う。

そして、改めて、曹操は関羽と向き合うと、最後の言葉をかけた。
「関羽よ、もし劉備より先に私と出会っていたら、その忠誠を向ける先は変わっていただろうか?」
「いえ、兄者と私の関係は、例え生まれ変わっても変わることはございません。早い遅いの違いではないのです」
「ふっ、そこまで言われては、これ以上は言葉もない。さらばだ」

関羽は、曹操と六将に見送られ、酸棗を後にする。
許都で麋夫人を迎えると、そのまま、汝南へと旅立つのだった。

落ち合う場所は、定まっていないが、南下しているうちに、何か情報があるだろう。
何と言っても、許都と汝南郡は目と鼻の先。道に迷うことはない。

汝南の地で、反曹操の勢力の拠点に行けば、おそらく間違いないはずだ。
確か指揮しているのは元黄巾党の劉辟という名の男。
関羽は、まずその劉辟を訪ねようと汝南郡汝陽県じょようけんを目指した。


夫人の馬車を連れての行軍。
治安の悪い土地では、無法者に絡まれることがしばしばあったが、大概の連中は関羽のひと睨みで退散する。

ところが、臥牛山がぎゅうざんという山を通過した際、本格的な山賊の集団に襲われるのだった。
林の陰から矢を射かけられ、配下の夏侯博が倒れてしまう。

「おのれ、賊徒が」
関羽は矢が飛んできた方へ、一気に駒を進める。
赤兎馬の瞬発力、跳躍力は常識の外にあり、迫りくる赤顔長髯の偉丈夫に山賊たちはひどく慌てた。

「は、はやく矢を射かけろ」
「や、やっている」
山賊の矢など軽く冷艶鋸で弾き落とすと、一振りで三人ほどの首を飛ばす。
この圧倒的な攻撃力に驚いた山賊の一人が、関羽を指さした。

裴元紹はいげんしょう、あの人は関羽雲長殿だ」
「何ぃー」
それが裴元紹と呼ばれた男の最後の言葉だった。
驚いた表情のまま倒れているのは、関羽の名前に驚いたのか一撃に驚いたのかは、定かではない。

気づけば、山賊の半数以上が関羽一人に討ち取られていた。
もう、残った山賊たちに戦意はない。

その中でも、関羽の名を叫んだ男は、真っ先に武器を捨てて、地面に平伏していた。
このような状態の者たちを討ち取る関羽ではないが、襲われた以上、黙って見過ごすこともできない。

すると、平伏している男が、発言する許しを乞うてきた。
「私の名は、周倉しゅうそうと言います。元黄巾党で恥ずかしながら、山賊を生業にして命をつないでおりました」
「だが、その生活も今日でお終いだ。潔く、罰を受けるがいい」
「山賊は、本日で足は洗います。罰を受けろとおっしゃいますが、もしお慈悲をいただけるのなら、関羽殿に付き従いたいのですが・・・」

襲った相手に敵わぬから助命を願って付き従う。
いささか、調子が良すぎる。
関羽が断ろうとした矢先、麋夫人が馬車の中から声をかけて来た。

「関羽将軍、差し出がましいのですが、一言、よろしいでしょうか?」
このような場面で麋夫人が声をかけてくるのは珍しい。
機知に富んだ方だが、一体、何の用事だろうか?
関羽が疑問に思っていると、この周倉という男の出自の再確認を行った。

「こちらの方、元黄巾党というのは間違いないのかしら?」
「はい、間違いございません」

平伏しながら、周倉が答える。すると、麋夫人は端正なあごに手をあてて、
「これから、お伺いする劉辟さまも元黄巾党ということですが、お知り合いでしょうか?」
「あ、劉辟の旦那なら、よく知っています」
「まぁ、それでは、この方に劉辟さまを、ご紹介いただい方がよろしいのではないでしょうか?」

確かに知人がいた方が劉辟との話はつきやすいかもしれない。
劉辟という人物の人柄がわからない以上、面倒な人物だったときの保険はあった方がいいだろう。

関羽も考え抜いた末、周倉の同行を赦すのだった。
その他の者も自由にしていいと伝えると、みな付き従うと答える。
何やら関羽の勇名は、以前より知っており、密かに配下となる慕情を抱いていたらしい。

倒れた者たちの弔いを済ますと、周倉という新たな仲間を得て、関羽は劉辟の元へ向かった。
恐らく、関羽の方が先に着くはずなので、万全の状態で劉備を迎えたい。

関羽は二度と敵の手に落ちる愚はおかさぬように、しっかりと劉辟という人物を見極めようと思った。
もし信用できそうもない人物ならば、一刀のもとに斬り捨てる。
そういった覚悟を持って、旅を進めるのだった。
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