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1章 悪霊の饗宴
08 日の沈む町
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頭に流れる衝撃は撃たれたこともない雷にこの痩躯が包まれる光景を想起させる。
一度目は吐き気を覚えたような不快感もどこか他人事のように気にならない。泥に全身を捕らわれたような夢への旅路の不自由さも、終わりが来ることをわかっているからこそ苦しみも幾分か和らぐというものだった。
僕にできるだろうか。
あの人はできると思っている。
僕が自分自身を最強だと証明する世界。固有冠域と言われる空間を成立させることで信号鬼の信号点灯の影響を掻き消すことを前提とした作戦。あのキンコル号という得体のしれないボイジャーはあの信号の呪いの力がある限り、自分の固有冠域も満足に成立せず、兵器としてのスカンダ号の突破力も保証されないと何度も繰り返して言っていた。
だからといって、僕にできるのか?
風除けも満足にこなせないような僕が最強の証明を求められる。まったく目覚めてからというもの、実に馬鹿馬鹿しい突拍子もない夢物語の中で無理難題ばかり押し付けられてくるような気さえする。
自分の正体もわからないのに成し遂げることばかりに目を取られ、足を掬われ、本来の自分とは何かなんてまるで誰も興味がないみたいだ。
『それでいいじゃないか』
また、あの声だ。脳に直接響くような何者かの声。耳元で呟くかのような何者かの声。
『お前は遠くへ行きたいだろう。ここじゃない、もっと広くて自由な世界。
海の底でもいい。空の果てでもいい。自分だけの、自分のためだけの世界に行きたいとお前は言っていた』
ああ。そうだよ。楽園とも言えるかもね。
『あんな塵芥に等しい魂魄の泥人形にお前がその夢を阻まれる道理はない。最強の証明など、これからお前がその夢を叶えるために為さねばならない手段の一つでしかないわけだ』
なんだろう。
もう答えは出ているはずなのに、心がそわそわする。
やるしかない状況なのにどこか心は夢見心地で、やる気が出ないんだ。
『そうだろうな。今、こうしてお前がのんきに夢の世界で夢見心地になっている所為で、再戦に燃えるお前の仲間たちが虫けらのように屠られているわけだ』
え?
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信号鬼の討伐のために夢想世界に潜航したTD2Pの小隊は二つ。第一回の討伐作戦の時と比べれば単純に倍の数の隊員が同じパスを辿って例の町の座標に降り立ち、最初の作戦時には御法度と説明されていた大規模な重火器の構築を行った。
現実世界の物質を夢想世界に直接持ってこれない都合上、夢の世界で生成される精密機器や火力兵器には人間の想像力的な問題も付きまとうと説明されもしたが、おそらくはその手の知識に明るい者が今度は大量に投入されたのか、見たことも聞いたこともないようなロケットやバカでかい砲台のようなものが次々と生み出されていた。
作戦通り、町を破壊しうるだけの火力が求められるのだろう。信号鬼の呪縛が張り巡らされた町の中では歩くだけで死を迎える可能性があるため、いくつもの砲台は町から少し離れた位置に整備・配置され、夢見心地のアンブロシアを尻目に砲撃を開始した。
アンブロシアにとっては記憶にすらない戦争の光景を瞬時に頭に刷り込んでしまうまでにその攻撃は苛烈なものであった。夢想世界では火力兵器の弾数や耐用値などはほぼ度外したような"僕が考えた最強の大砲"のようなスペックを持った兵器が常に火を噴き続けることができる。少し遠くに見据えるような位置にあった町の正面は既に一面が火の海と化している。遠くでぼんやりと照っていた信号機の光も兵器による凄まじい光量によって目に留めれないほどの小さなものになってしまっていた。
『固有冠域:陽の沈む町』
頭の中にメッセージが流れる。がさついたこの声音の主は、あの不敵な鬼のものであるとすぐにわかった。
すぐに周囲の空間に顕著な変化が生じる。見ていた景色が塗り替えられるように今自分たちが立っていた町の外れにも民家や商業ビル、公園から青果店までの多様な建造物が生成され、それから一拍置いてから道路標識や信号機が出現する。
「なんだ!町に引き込まれた!」
「怯むなっ砲撃を続行しろ!」
「この距離では下手に打てば建物の爆撃に伴う爆風でこちらに被害が出かねません!」
隊員たちはてんやわんやだった。安全圏と思っていた場所が突如として戦場のど真ん中に変わったのだからそれも仕方がないことだろう。
「引き込まれた?違うだろうねぇ……奴は固有冠域をもう一つ作ったんだ。極めて短い距離スパンでの固有冠域の同時構築はなかなか見られるもんじゃないけどね」
自分で顕現させたと思われるふかふかのソファにだらしなく体を埋めているキンコルは言った。
そして彼はアンブロシアにまたウインクする。
「さ、君が何とかしてくれないと全滅しそうだよ」
「……!」
少し気圧されるようにしてアンブロシアが口を噤んでいると最も彼に近い信号機の上に何やら人の姿のようなものが出現した。周囲の者が即座に反応してこぞってそちらに頭を向けてみれば、そこには件の討伐対象である信号鬼の姿があった。
「安心しろ。貴様らが何をするまでもなく、全員まとめて捻りつぶしてやる」
「おや、わざわざ出てくるなんて堪え性がないねぇ?君はちょっと遠くで信号機に馬鹿みたいに突っ立ってるのが結構サマになる紳士だと思ってたのに」
「ほざけ。貴様にも復讐してやるとも」
「何言ってんだか…」
空間が揺らぐ。信号鬼は両手を高らかに掲げ、全身でアートを表現するように恍惚の表情を浮かべた。
「冠域延長:陽が没した町」
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ああ。そうか。
こいつは交通事故を司るような分かりやすい能力だ。一度は口にしていた夕暮れに時には事故が多いという台詞にもヒントはあった。夕暮れ時の浮ついた気分やどこか時間に焦るような焦燥感は事故を誘発するというのは一般的によく言われていることだ。現実世界と一致していない"夕暮れ"という時間帯にはそれ自体に信号鬼の強さを底上げするだけの前提条件としての設定が施されていたのであろう。
そして、新たな力によってずっと続いていた夕暮れ時の太陽が町の底に沈んだ。ああ、これは一大事だ。これからは夕暮れ時とは比べ物にならない危険なフィールドが隊員たちを飲み込んでいる状況下での戦闘だ。そこら中から生えて立ち並ぶ信号機が発する光だって夕暮れよりずっと強い光として闇を劈いている。
信号の呪縛の効果は跳ね上がった。誰もがわざわざ認識するまでもなく、その赤や黄色、果ては青い色の信号機が勝手に目に飛び込んでくる。ボイジャー三機による深度の中和作用が働いているとはいえ、ここまでダイレクトに能力の発動条件である光を浴びるという条件をクリアさせてしまっては一般の人間である隊員たちにはもはや為す術なしだった。
玩具の山を蹴散らすように暴走車両が隊員たちを轢き殺していく。しかも闇の中にあるとはいっても親切にヘッドライトなどつけてくれないような不可視の車たちだ。まだギリギリ目視で追えなくもなかった夕暮れ時の突進と比べても単純な殺傷性能は跳ね上がっている。
立ちどころに命が潰えていく様はまさに阿鼻叫喚。目に見えない悪霊に障られるが如く、多くのものが町の影に取り込まれていく。見えない車が闇から走ってくるという情景だけでも戦慄を覚えるシチュエーションだというのに、乱立した信号機のスポットライトによる精神汚染の影響も一段と不安を煽る要因にもなっていた。
命が無惨に散りゆく地獄。足元には既に誰のものであったかわからない肉の破片が大量に転がっている。
僕が固有冠域で中和できないと全滅する。
話によれば僕が出力可能な深度と耐用値と呼ばれる夢の世界での深度耐久の性能が最も高いからであるそうだ。だからとって僕にはスカンダのような超規模な独自の世界をこのちんけな想像力しかない頭で生み出すことができるとはとても思えない。
まず何から始めて何をすればいいのやら。キンコルは迫られれば自ずと答えが導きだされるといったふわふわとした説明しかしてくれなかった。
固有冠域と唱えればいいのか。技名のようなものを唱えながらやりたいことを想像すれば可能なのか。
しかし、作るもののビジョンが浮かばない。何かを作れるだけじゃダメなんだ。
この日の沈んだ町に煌々と輝くあの信号の光を無力化できるような何かを作らなければこの戦いに勝つことはできない。
さっきの砲撃をヒントに強い光を作って信号機の点灯を上書きするか。
それともこの町のように途轍もない闇をさらに塗りたくることで光の全てを吸収してしまうか。
どうすればいい?
どうするのが正解だ?
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―――
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「退避っ!退避ぃ」
「無理だ!?どこからでも車がわいて…っぶへぇアァ‼」
「おい、誰でも良い!盾を作れるやつはいないのか!」
「撃てばいいんだ撃てば!……っておい、大砲をイメージしてたやつは死んだのか?武器がどこにもない」
「ぎゃあぁあああ!」
「物陰に隠れろ!」
「馬鹿ッそりゃ信号だ!」
多くの命が摘まれていく。
「なぜ現実への帰還許可が下りない!どう考えても作戦は失敗だろ!」
「間抜けなボイジャーども!なんの役にもたちゃしねぇ!」
「お前らが死ねばよかったんだ!」
「お前らが死ねぇぇええええ‼」
呪詛にも似た怒号。形を保っていた人間の声音は、恐怖と怒りで既にぐちゃぐちゃに歪んでいた。
アンブロシアが顔を俯かせる。
「……なんで、こんな奴らのために」
キンコルはともかくとして、スカンダが先の戦いで誰よりも獅子奮迅の活躍を以て戦いに臨んでいたことはよくわかっている。この場にいる者らは自分で何をすることも出来ない癖に、その弱さの恨み辛みを自分らが風除けと罵るような改造人間に向けている。それがアンブロシアには堪らなく許せないことだった。
「いいや、違うよ。こいつらのためじゃない。自分のためさ」
依然としてソファに腰かけて余裕たっぷりとしているキンコルが言う。
「自分のため?」
「そうさ。夢は自分が見るもの。君の夢の主人公はいつだって君自身でなくてはならない。考えてみれば当たり前のことじゃないか」
「…………」
「固有冠域として成立しうるだけの強い思いは信念と己の欲深さに依存する。誰かのために生きるのも悪くないが、その全ての根源的欲求は自らを至高の存在たらしめるだけの動機が必要なのさ」
「…………僕は」
記憶を失ったからこそ、辿り着きたい果てがある。
「何を呑気に喋り散らかす?」
鬼の声。アンブロシアの四方八方に信号機が出現し、頭がおかしくなるような強い光の中に彼は囚われる。
強い光の中で暴走車両が遠慮なしに彼に向けて突撃し、追い打ちをかける。赤い光の海では呼吸さえ許されていないような強力な呪縛の力が働いており、車に対して反撃を仕掛けることもできなかった。
あと数度同じような突撃を受ければ再び彼は死んでしまうだろう。だが、今の彼には先の戦闘とは違う何かが胸にあった。
「僕は………俺の進む道の邪魔はさせない……ッ‼」
激しく燃える左右の重瞳。紫色の眼光が彼を縛る赤い信号の光を跳ね除ける。
『固有冠域:楽園双眼鏡』
浸食を始める世界。固有冠域同士の空間の競り合いによって町の風景にノイズのような不和が奔る。周囲を席巻する圧迫感と緊張感により隊員の中には言葉を失って立ち尽くすものさえ現れた。
アンブロシアの足元に伝う紫の光。くっきりと稜線を示す重なり合う瞳の瞠目。宙を揺らすような凄まじいプレッシャーを放ちながら、じわりじわりと浸食されていく彼の頭上の空間に変化が来たす。
アンブロシアの頭上に生じた二つの巨大な輪。それは凄まじいエネルギーを感じさせるような巨大な球体として徐々に形付けられていく。一つは黒い光を発する"太陽"。もう一つは目を潰さんとするほどに眩しい"闇"だった。
どう考えても実在しえない奇妙な事象の顕現。
太陽は闇のように黒く燃え、闇は太陽のように焼き焦がすような眩さを放つ。
二つの球はお互いを認めあうように激しく宙で肥大する。黒く燃える太陽に吸い込まれるように信号の光はその力を失い、闇の光に掻き消されるようにあれほど強力だった信号の光は見る影もない程に消滅してしまった。
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