上 下
111 / 120

10-07 追い討ち

しおりを挟む

 カアスとの会話の後、ヘニルが解消されない薄暗い感情を抱えたままセーリスの部屋の前で待っていれば、いつものように彼女は部屋から出てくる。変わらないその姿を目にしたヘニルは噴出しそうになる不安を抑えるように咄嗟に彼女を抱き寄せた。


「わっ……、ど、どうしたの、ヘニル」
「セーリス様……」


 見上げてくる彼女の頬を撫で、口付けをしようと顔を近づける。
 だが唇が重なるよりも前にぽこっと軽い衝撃が頭に降ってくる。何かと思えば鬼のような形相をしたサーシィが箒で彼の頭を叩いたようだった。


「ヘニル様! 貴方はもう正式に姫さまの騎士なのですから自分の言動にはご注意ください。いつでもどこでも姫さまとベタベタして、貴方が姫さまのお側に居られるのは立派な業務だからなのですよ?」
「まぁまぁ、サーシィ、落ち着いて……」
「姫さまも! 恋仲になってからというもののヘニル様に対して甘くなりすぎです! 人目を気にするべきなのは恥じらいを持つ為ではなく、王城が公の場であるという意識を持つ為です」


 相変わらず痛いほどの正論で叱ってくるサーシィにセーリスは眉を下げた。ヘニルの方は呆然と彼女の注意を聞いていて、カアスのことで不安になっていた心境に追い討ちがかかっていく。


「あまりにも酷いとデルメル様のお叱りを受けることになりますよ」
「うっ……そうよね、全くもってその通りだわ。ごめんなさいサーシィ、以後気を付けます……」
「ヘニル様も、分かりましたか?」


 サーシィの問いかけに彼は深刻そうな顔のまま黙り込んでしまう。様子のおかしいヘニルに二人が顔を見合わせているのに気づいて、彼は慌てて頭を下げた。


「すいません、勝手なことして……反省、します」
「……どうしたのヘニル、どこか悪いの?」


 いつもであれば不満そうに文句を言ってきそうなものなのだが、ヘニルは力なさげにそんなことを言った。咄嗟にセーリスは彼の頬に触れようとする、が彼はそれを避けるように彼女の手を掴んだ。


「大丈夫です。業務に遅れるといけません、参りましょう」
「え、ええ……。それじゃあね、サーシィ」


 様子のおかしいヘニルに怪訝そうな顔をしながらもサーシィは礼儀正しく頭を下げた。


「いってらっしゃいませ、姫さま、ヘニル様」


 王城地下へ向かう最中も口数の少ないヘニルを心配したように、セーリスは彼を見上げる。


「何か悪いことでもあった?」


 けれど今度はいつもの笑みを浮かべ、彼は首を横に振る。


「何でもありませんって。さっきはすいません、いつにも増してお美しいセーリス様の姿を見たら我慢できなくて」


 そうヘニルが褒め言葉を口にすれば、驚いたようにセーリスはじわりと頬を赤らめる。小さくありがとと呟くと、照れてにやけそうになる顔を隠すように前を向く。
 そんなセーリスの様子を不思議に思いながら見つめていたヘニルは、王城の地下に向かう階段を降り始めた所でいつもの彼女とはどこか違うことに気付く。


「(なんか違う……なんだ)」


 違和感がある、としか分からない彼はセーリスを見つめながら考え続ける。


「(あ、化粧か!)」


 ようやく違和感の正体に気付くものの、その時には工房に到着してしまっていた。そしてヘニルが褒め言葉を口にするよりも先に、セーリスに真っ先に駆け寄ってきた魔術師イズナは、こともあろうか彼の長考の末に出せた答えをあっさりと口にしたのだ。


「姫様、今日はいつも以上に気合入れてお化粧したんですね、かわいいです!」
「ありがと、イズナ」


 ヘニルにとってこの出来事はとてつもなくショックだった。
 大事なセーリスの変化に気付けなかったこと、何より自分の見目にコンプレックスのあった彼女がようやく自分をもっと着飾ろうと思ったというのに、それを一番に褒められなかったこと。ただでさえカアスの一件で精神的に参っていた彼は余計に落ち込んでしまう。


「(こんなの、愛想尽かされたっておかしくない。俺は何て勝手な奴なんだ……)」


 自分は本当にセーリスのことをちゃんと見てきたのか。そんな疑問が浮かんでは恐ろしくなって重々しくため息をついた。

しおりを挟む

処理中です...