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第四章 そして天使はまい降りた
特別な顧客(3)
しおりを挟む榊には両親が居なかった。
居たのかもしれないが気付けば保護されて施設の中に居た。
たぶん親は養育放棄して榊を捨てたのだと思う。
一度でも親の愛情を知っている子供は、再び誰かに愛して欲しいと思うものなのだろう、だが榊はまったくそう思った事は無かった。
だから誰にも懐かないし、かといって面倒を掛ける訳では無く、決められた事はきちんと行う自立心の強い子供だった。
だがそれは可愛らしい子供とは違って見られてしまう。
愛想の無い榊は、心を閉ざした子供のように思われ、一回や二回の面談では榊の良さを理解してくれる里親は現われなかった。
それは榊にも問題が無い訳じゃない。
養子に貰って欲しければ少しは愛想の良いところを見せなければならない事くらい分っているのに、自分からそれを遠ざけてしまっていたのだった。
榊は最初から無償の愛なんてきれい事など信じていなかった。
もし自分を養子に引き取りたいのなら、途中で捨てる事無く最後まで面倒をみるという内容をきちんと提示して欲しかった。
血の繋がった親でさえ榊を置き去りにして消えてしまったというのに、血の繋がりも無い子供を、無償で引き取り養育してくれるもの好きが現れるとは到底思えなかった。
だから榊は、里親なんか必要ないと思っていたし、自分の将来の事は自分で何とかすればいいとそう思っていた。
その為に勉強だけは人一倍頑張っていた。
勉強さえ出来れば自分で働きながら奨学金をもらい大学にだって行ける。そして何か国家資格を取れば誰にも頼らず生きていけると考えていたのだった。
だが年齢が上がるにつれ勉強も難しくなっていく。
今まで部活にのめり込んでいたような級友たちでさえ、そのほとんどが塾に通いはじめたが、榊は独学で勉強をし続けるしかなかった。
施設の中ではその独学すら一人で没頭する事は難しい。
なるべくギリギリまで図書室に籠りその時間を確保しようと思っても、集団生活の中では食事の時間も決まっていたし、風呂に入る時間も決められていた。そして電気が落される時間も早い。
そんな中で更に年長者は、年下の者の面倒をみる事が暗黙の了解にもなっていて、勉強が得意な榊は当然年下の者の宿題をみてやる事が担当になっていた。
夕飯の後、わらわらと宿題で分らないところがある生徒たちが榊の周りに集まってくる。榊はそれを自分の勉強をしながら見てやっていた。
人に何かを教える事は大変だったが、それが案外嫌いではない事がわかる。それが自分でも不思議だった。
愛想の悪い自分にもその子達は無邪気に懐いてくれていたし、学校の先生よりずっとわかりやすいと言ってくれた。
そして目の前でその子達がどんどん問題が解けるようになっていくのを見ていると、榊もやりがいを感じてしまったのだった。
だがそんな事を続けていたら、自分の大学進学は正直厳しいだろうと思うようにもなっていった。
高校に上がるとその不安はどんどん現実になっていく。
実際、大学受験までの間に、今のペースで自分がどれくらい勉強する時間があるかを計算してみた事があった。
すると圧倒的に時間が足りない現実を突き付けられた。
世の中には確かに施設で暮らしながら頑張って勉強して奨学金をもらい大学を出た人も居る。
昔その奇跡のような話をテレビのドキュメンタリーで見て、榊はずっと自分もそうなりたいと大学進学を目標に頑張って来たのだった。
だが理系の、しかも医療系の学部を目指そうと思っている今の榊の現状では、受かったとしても奨学金だけで暮らしていくのは困難だった。
その為にはアルバイトをして今のうちに敷金礼金くらいは貯めなくてはならないだろう。
だが勉強する時間すらままならないのにそこにアルバイトを入れる時間は無い。
今回は進学をあきらめて住み込みで雇ってくれる就職先を探し、ある程度お金が貯まってから進学を目指す、それが一番なのかもしれないと、榊の中で就職か、進学かと大きく心が揺れ動いていた。
榊がその後の主人となる男と出会ったのは、そんな人生の岐路に立たされていた頃だった。
施設では時々イベントが執り行われる。
そのイベントの目的は主に里親候補と施設の子供とを巡り合わせる為だった。
中には本当の家族が参加してくる場合もあった。親が居ても、何らかの理由で一緒には暮らせない子供たちもいた。その子供たちの為にクリスマスやバザーなどという名目で交流を図らせるものだった。
そんなイベントの時は、榊は必ず目立たない裏方に徹するようにしていた。
榊の中ではもうとっくに養子縁組の選択肢は消えていたし、だったら少しでも可能性のある可愛い小さい子たちが目立つ役割の方がいい。
そんな榊がひっそりとイベントの後片付けをしているとその男が話しかけてきた。
榊はきっと子供たちの中に自分が里親になりたい子でもいるのだろうと思った。
だいたいそういう人はまず周りの人間から普段の様子を聞き出したがるものだった。
そういう経験が榊には何度もあったので、そのつもりで対応しようとその男を見上げたら、いつもとは違う感覚がして榊は柄にもなく戸惑ってしまった。
それは初めての感覚だった。
目の前の男は榊だけをじっと見詰めてくる。それも今までにない優しく慈愛の籠った瞳だった。
そんな瞳でじっくりと見られると、思わず榊だって身体が硬直して動けなくなってしまいそうだった。
何をされたわけでもないのに心臓がドキドキと早打ちし始める。
それは今まで経験した事も無い得体のしれない衝動のようなものでもあった。
榊は黙っているのも限界で口走っていた。
「誰か気になる子供でもいましかた?」
大人ぶってそこの職員であるかのように振る舞ったつもりだった。
だが彼の発する言葉によって榊は更に打ちのめされる事になる。
『私が気になっているのは君だよ。君は私のパートナーにならないか?』
そんな風に言葉を掛けてもらったのは生まれて初めての事だった。
榊の動揺は、他の小さな子供が感じる以上に激しかっただろう。
水疱瘡もおたふく風邪も大人になってから罹ると余計症状が重く出る。
まさに今の言葉こそ榊には大きなダメージを与えていた。
身体の芯に熱がともり、心臓はバク付き、一人でそこに立っている事も出来なくなって、ガクガクト膝をついてその場にへたり込んでしまった。
そんな榊に彼は立てとは促さなかった。
優しくそこに一緒に座ってくれ、並んで横に座り、榊の身体を自分の肩に凭れていいと引き寄せてくれた。
『いますぐに返事をくれなくても構わない。それに君には君の思うところがあるのだろう。私は君が望む事に正当な報酬を与える存在になろうと思っている。だから君も私の望むものをくれないか?お互いに五分と五分の関係なら君も受け入れてくれるんじゃないかと私は思っている』
榊には彼の言っている事はもっともだと思った。
得るものと与えるものは、フィフティ・フィフティで無ければならない。
彼とは利害が一致しそうな気がしていた。
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