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本編
06. せめて一言……
しおりを挟む『わあぁ……! すごくたかーい! はやーい!』
…………そうだな。
はしゃぐハニエルに、無の境地で頷く。
只今、赤金髪の人の片腕に腰掛けるように抱っこされて移動している真っ最中だ。
初めは、にこやかだった赤金髪の人だけど……進む程にどんどん顔が険しくなって行く。……何故?
……やっぱり抱っこをお願いしたのは図々しかっただろうか……? それとも重くなって来たのか? もう十分くらい歩いてるもんな。
「……あの、重くないですか……?」
赤金髪の人の険しい顔に、思わず聞いてしまう。
これ、女子のセリフだと思ってたわー。
「まさか。……軽過ぎて心配な程だよ」
赤金髪の人は、そう言って苦笑した。
ですよねー。
赤金髪の人は前に視線を戻して、一度だけ微かに鼻をすんっとした。
え……もしかして俺、臭いの……?
え……? ちょっと、待て……ハニエルがお風呂に入っている記憶がない……? 身体を拭いたりしている記憶もない……
『おふろ……?』
不思議そうなハニエルの声。
……もしかして、この世界はお風呂がないのか? 身体が汚れた時はどうするんだ?
『よくしつに行けば、きれいになるよ?』
そう言われ、頭に浮かんだ光景はトイレだった。
『まほうで、きれいになるよ?』
あぁ……魔法か。浄化魔法ってことか……?
それなら、ハニエルが動けなくなる前に行っていたから大丈夫だな。俺が臭い訳じゃないな。
じゃあ、この赤金髪の人の反応は何なんだろう?
険しい顔のまま、何やら考え込んでいるようだ。……解らん。
長い長い廊下を歩いて、漸く立派な扉の前に辿り着いた。茶髪の人が扉をノックすると、扉が開いて黒い執事服を身に着けた、五十代くらいの灰色の髪を一つに束ねた濃い碧の眼をしたイケオジが出て来た。
「――お連れしました」
「ご苦労さまです。どうぞお入り下さい」
執事さんは、扉を抑えながら中に促す。
茶髪の人は部屋には入らず、扉の横に立つ。赤金髪の人は、俺を抱っこしたまま部屋の中に入って行った。
部屋の中は、どうやら執務室のようだ。
部屋の両側面は、高級そうな書棚で埋め尽くされ、中央には黒茶色のテーブルとソファのセット。その奥に立派な執務机が置かれている。
ソファに座って居た三十代半ばくらいの男性が立ち上がって、此方に近付いて来た。
後ろで一つに束ねた白金髪にグレーの眼、ハニエルママと同じ色で顔立ちも何処となく似ている。この人が公爵様でハニエルの伯父様だろう。
どうもこの世界では、男性も髪を伸ばして一つに束ねるのが主流みたいだ。
「――ありがとうございます。降ろして貰えますか?」
ここまで連れて来てくれた赤金髪の人に礼を言って、床に降ろして貰う。
「やぁ、久しぶりだねハニエル。と言っても、君が今よりもずっと小さな頃に会ったきりだから……覚えていないかな?」
俺の前に来て屈み込んで、にこやかに話しかけて来た伯父様。
『……おぼえてない……ごめんなさい……』
ハニエルが申し訳なさそうに謝る。
「申し訳ありません……おぼえてないです……」
「なに、謝る必要はないよ。小さかったから仕方がない。――では改めて、私はイグディス・ダリダラント。君の母親の実の兄で、君の伯父だよ」
「お……私はハニエル・キディリガンです。お目にかかれて光栄です……イグディス伯父様」
「ちゃんと挨拶が出来て偉いな」
伯父様は、満面の笑顔で俺を褒めると俺を腕に乗せた。……また、抱っこだ。
そのまま、ソファの方へ移動して座る。
「それで? こんな時間に、こんな格好で来た理由を教えてくれるかい?」
「こんな時間……?」
「気付いていなかったのかい? 今は、夜の十一時を過ぎているよ?」
うっ……家を訪ねる時間じゃないですね……ごめんなさい。まさか、そんなに遅かったとは思わなかった。
「申し訳ありません……でも、どうしてもイグディス伯父様にお願いがあってっ……!」
「――やはり、キディリガン家で何かあったんだね?」
伯父様の眼がスッと細くなる。
「かあさまとにいさま、ハ……ぼくを助けて欲しいのですっ……! これを、かあさまからイグディス伯父様に渡すようにと預かって来ましたっ……!」
収納空間から、ハニエルママに預けられたものを取り出し伯父様に差し出す。
「――もう収納魔法が使えるのかい? 凄いな…」
伯父様は、驚きながら俺を自分の直ぐ隣に降ろして、俺の差し出したものを受け取ってくれた。
伯父様は、テーブルの上に受け取ったものを置いて改めて手紙を手にすると、いつの間にか傍に来ていた執事さんが、スッとペーパーナイフを差し出す。伯父様は軽く礼を言って受け取り手紙を開いた。
「――どうぞ」
さっきまで伯父様の傍に居たはずの執事さんがホットミルクを勧めて来る。
「……ありがとうございます」
あまりの早業に感動する。仕事の出来る執事って感じだ。
「飲んで待っているといい」
伯父様が手紙に眼を通しながら勧めてくれた。
「――いただきます」
喉が乾いていたので有り難く口を付ける。蜂蜜が入ったミルクは熱過ぎず、温すぎず、ゆっくりと飲める温度だ。
美味しいけど……今は水が欲しいな……
「こちらもどうぞ」
執事さんがスッと出して来たのは、水の入ったコップ。
「……声に出てました……?」
思わず聞いてしまう。
「いいえ、水が欲しそうなお顔をされていましたので。……当たりましたか?」
くすりと笑う執事さんは、とてもダンディなイケオジだった。
「ありがとうございます」
「っ……!?」
心で褒めただけなのに、お礼を言われた。また、心を読まれた……
くすくす笑う執事さんを尻目に、水をごくごく飲み干した。その後は、ミルクをちびちびと飲んでいると赤金髪の人が俺の傍に片膝を立てて跪く。
「――何処か……怪我をしているのではないか?」
……え? 何? この人達。俺の心が読めるの?
「さっき抱き上げた時……血の匂いがした。――それに熱もあるだろう?」
あー、血の匂いを嗅ぎ取ってたのかー……
「……何だって?……バースルを呼んでくれ」
「直ぐに」
手紙を呼んでいた伯父様が顔を上げて執事さんに命令すると、執事さんは、さっと部屋を出て行った。
「……あ、あの、僕のことは後でいいですから……」
正直、医師を呼んで貰えるのは有り難い。ハニエルの身体を診て貰えるから……だけど、伯父様からまだ助けてくれると明言された訳じゃない。
「大丈夫、後のことは私に任せなさい。君のかあさまとにいさまは、私が必ず助けてみせるから」
伯父様は、優しく微笑んで頭を撫でてくれる。
流石、頼れる大人は違う。あのミジンコ野郎とは雲泥の差だ。
「……よろしくお願いします」
伯父様が頷くと同時に扉がノックされ、執事さんがサンタクロースのように立派な白い髭を生やした、白衣の爺さんを連れて入って来た。やっぱり髪は一つに束ねている。
「何じゃ、こんな遅くに呼び出しおって……」
爺さんは急いで来てくれたのか、弾む息を整えながらボヤく。
ふさふさの眉毛に完全に眼が隠れていて、表情がよく解らない。
「すみません。この子は、私の甥のハニエル・キディリガン。キディリガン辺境伯爵家の次男坊です。こっちは、公爵家専属医師のバースルだよ」
俺は軽く会釈する。
「どうやら怪我をしているみたいで……熱もあるようなのです。診て貰えませんか?」
伯父様は、苦笑しながら下手にお願いする。伯父様でも頭の上がらない相手のようだ。
「――ほう? お主の甥っ子とな?……随分と痩せとるな……」
爺さんは立派な髭を扱きながら俺を観察する。
「ふむ……こっちに来てくれるかの?」
爺さんが差し示したのは、俺が今座って居るソファのテーブルを挟んだ向かいにあるソファ。
俺は頷いて、そろそろと言われた場所に移動し、勧められるがままソファに腰掛けた。
しわしわの骨張った手が額に当てられる。
「……ふむ……熱いのぅ……気分はどうじゃ?」
――気分? 今は痛覚麻痺の魔法で何も感じない。でも、ハニエルの身体だから、ちゃんと申告したほうがいいよな?
「……あの、ぼく……瀕死の重症なんです……」
部屋に居る全員が、俺を困惑した目で見て来る。
そりゃそうだよな。平気そうにして居るのに、何言ってるんだ? ってなるよな……でも本当なんだ……
「……ほほぅ、それはまた大変じゃのう。ほっ、ほっ……!」
冗談だと思われて爺さんに笑われた……本当なのに……
「それで? 何処を怪我しておるのじゃ?」
「えっ……と……身体中……?」
傷がいっぱいあり過ぎて、何て答えたらいいか解らない。……鞭で打たれましたとは、なんか言い辛い。
「そうか、そうか、身体中かっ! どれどれ、服を脱いで見せてみぃ!」
大袈裟に言っているとでも思われているのか、面白そうに爺さんが笑っている。
「……えーと……ここで脱ぐの……?」
他にも人がいる中で鞭打たれた傷を晒すのは、何だか恥ずかしい。
「ほっ、ほっ。何じゃ、恥ずかしいのか? ここには男しか居らんのだから恥ずかしがるでないわっ!」
そう言われると、女子のように恥ずかしがっていると思われているのも癪なので、意を決して茶色のワンピースみたいな服を傷になるべく触らないようにゆっくりと脱ぐ。
「「「っ……!!」」」
俺以外の全員が息を飲んだ。
さっきまでの和やかな雰囲気が一瞬で変わる。
「――何じゃ……これはっ……!? 坊主、何故、平気な顔をしておるっ……!?」
「えっと……痛くて動けなかったから、痛覚麻痺の魔法を掛けました……」
ちゃんとハニエルの身体を診てもらわないと困るので、正直に答える。
「なんて、無茶をしおるんじゃっ!! 魔法で痛みを消しとるじゃとっ……! 正気かっ……!?」
爺さんは、怒りながら俺の身体の前面背面を食い入るようにじっくりと診て、何ならパンツまで引っ張られて股間も尻も診られた……
「なんてことだっ……!!」
伯父様まで、睨むように俺の身体を視て、怒りを堪えるように小刻みに震えているし、執事さんは無表情だけど俺の身体を視る眼が怖い。
ギリっと音がして、そちらを視れば……赤金髪の人が鬼の形相で歯を食い縛り、片手で握り締めた剣の柄が、ミシミシと軋んでいる。
……何だか皆、目茶苦茶怖い……
「――ここに来れたのは僕だけだったし、無理してここに来なかったら……僕は死んじゃうし……かあさまもにいさまもきっと酷い目にあったままだ……」
俺が言い訳のように弁明すると、皆、静かになった。
「――これは……誰にやられたんだい?」
伯父様が静かに聞いて来る。
「――とうさまに……」
庇う気など更々ないので、正直に答える。
「っ……!! あの子鼠がっ……!!」
ずっと穏やかな口調だった伯父様の言葉が荒くなる。
子鼠って……あの父親のことだよな? 皆に嫌われてる?
「――兎に角じゃ、瀕死の重症は冗談ではなかったのぅ……」
爺さんは、気を取り直して真剣な雰囲気を醸し出す。
「先ずは――これを飲め、体力回復薬じゃ」
爺さんは、ウエストポーチから水色の液体が入った大人の掌サイズの瓶を渡して来た。
体力回復薬……ゲームのポーションみたいだな。
俺は、言われた通りそれを飲み干した。……美味しくはない。
「傷のせいで発熱しとるから、解熱剤も飲め」
今度は、山吹色の液体が入った瓶を渡され、飲む。……何とも言えない味だ。
「痛覚麻痺の魔法が切れたら、とんでもなく痛むじゃろうからこれも飲め。痛み止めじゃ」
どろりとした……緑色の液体が入った瓶を受け取って飲む。……とんでもなく不味いっ……!
「傷口を綺麗にするでな、浄化魔法を掛けるぞ」
瞬間、身体がキラキラと光った。……傷口の血や体液が消えた。消毒にもなるし便利だな、浄化魔法。
「深い傷だけ治癒魔法を掛けるでな」
「……魔法で全部治せないんですか?」
「ほっ、ほっ。治癒魔法は万能ではないんじゃよ。身体の治癒力を高めるだけじゃな。じゃがこうも傷が多いとな……全部に治癒魔法を掛けると坊主の治癒力が足りなくて、効果が殆ど出んのじゃ。じゃからこうして致命傷に成りそうな傷に絞って、治癒魔法を掛けるのが常識じゃな」
そう説明してくれながら、治癒魔法を掛けてくれる。
ここまで来るのに使った魔法は、以外と簡単に使えていたから、魔法で簡単に傷も治せると思っていたけれど、何故か回復系魔法だけは厳しい縛りがあるんだな……転移とか収納魔法とかは、チートっぽいのにな……
「ほれ、傷に化膿止めの薬を塗るからな。本当なら、もの凄く滲みるんじゃが……痛覚を麻痺させておるんじゃから平気じゃろ」
言いながら、薄っすら緑がかった白い軟膏を傷に塗り始める。
「――可哀想じゃが傷跡は残るのぅ……」
痛ましいものを視るように眉毛を下げる爺さんは、容赦なく俺のパンツを下げて、尻の傷に軟膏を塗り込んで行く。
皆の前に晒される、ハニエルの可愛い息子。
……せめて一言、言ってからにして欲しかった……
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