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本編
07. 病床にて
しおりを挟むバースル医師の治療を受けた後、伯父様に公爵家の部屋を与えられ安静にするように命じられた。
バースル医師に薬を塗られ、身体中を包帯でぐるぐる巻にされた俺は、まるでミイラ男のようだ。
「キディリガン家のことは、私が直ぐに動くから安心してお休み……」
赤金髪の人にまたもや抱っこされ、ふかふかのベッドに寝かされた俺の頭を撫でると、伯父様は赤金髪の人を連れて部屋を出て行った。
取り敢えず、俺が出来ることはもうないな……
『……ありがとう……アシャ……』
「ハルの味方、いっぱい居て良かったな」
『うん……うれしい……』
ハニエルが照れくさそうに、もじもじしているのが伝わって来る。
「……後はハルの伯父様に任せよう?」
『……うん、わかった』
「……少し疲れた……休ませてくれ……」
『うん……ほんとうに……ほんとうにありがとう……おやすみなさい……アシャ……』
ハニエルの惜しみない感謝の念を感じながら、俺の意識は深く深く落ちて行った――。
眼を覚ますと、俺は公爵家のふかふかのベッドの上で……勿忘草の群生する懐かしい花畑にいた。天井を視れば、白い雲が漂う青空が拡がっている。これも、見慣れた天井の内に入るのだろうか……?
身体は元の俺、芦谷蓮斗のものだ。濃い灰色のスラックスに白い半袖のYシャツ。俺の人生最後に着ていた服。
Yシャツの下に黒のタンクトップを着ていたので、シャツの前ボタンを全て外す。
横向きに寝ていた俺の向かいには、大人一人分の幅を開け、俺と向き合うようにしてハニエルが胎児のように丸まって寝ていた。その姿は、まだ透けている。
公爵家の部屋のベッドで休んでから、どうなったんだろう?
ふと思い浮かべると意識が引っ張られるように何処かに引き込まれた。
身体が重い………意識が朦朧として瞼がちゃんと開かない……眠い……
「――こらこら、まだ眠るでない。眠るなら、これを食べてからにせんか……」
バースル医師……?
「そうじゃよ。ほれ、噛まなくても良いように作らせた栄養満点の食事じゃ。……味は保証せんが身体の為じゃ、我慢せい」
唇に硬い物が当てがわれ、どろどろの何かを流し込まれる。もの凄く不味いっ……!
それから逃れようと身じろぐが、離してくれない。
「これっ、我慢せいと言っておるじゃろうがっ」
バースル医師が許してくれない。
嘔吐きながらも、何とか飲み下す。
「よしよし、いい子じゃ」
いい加減止めてくれっと思った頃、漸く硬い物が口から離れる。
「ほれ、今度のは美味い茶じゃ。これを飲んだら終いじゃ。頑張って飲め」
また、口に硬い物が当てがわれ液体が流れて来る。ほうじ茶みたいな味にほっとして、今度は素直に飲む。
「よしよし、終いじゃ。もう眠っていいぞ」
その言葉に薄っすらと開けていた瞼を閉じて眠りに落ちて行く。
そんなことを何度も繰り返した。
引っ張られては嘔吐きそうな不味い物を飲まされ、口直しに茶を飲まされる。
大体はバースル医師で、偶にハニエルママだったり、イグディス伯父様だったり、執事さんだったり、何故か赤金髪の人だったりした。
いい加減、あの不味い物を飲まされるのは勘弁して欲しいのだが、隣で眠り続けるハニエルの為だと思って我慢している。
少なくとも、ハニエルの身体は少しずつ回復してきているみたいだ。
それからまた、何度も同じことを繰り返す。
この頃では、果物を絞った物を飲まされることも増えた。
飲ませてくる面子に、ハニエルのにいさまが加わった。
ハニエルママも、ハニエルにいさまも、無事に保護されたのが解ってほっとする。
漸く、母様と兄様に会えるというのに……ハニエルはまだ目覚めない。身体が完全に回復するまで起きないのか……?
また、同じことを繰り返す。
近頃は、あの不味いどろどろが別のどろどろに……いや、違うな。野菜や肉、魚が細かく刻まれた具が入った御粥のような物に変わった。不味くなくなった。
それが何回か続いたある日、漸く、意識を取り戻した。
窓から入る光は、随分と明るい気がするけれど何時だろう?
「――おお、ようやっと意識が戻ったのぅ」
ぼんやりと窓から見える景色を眺めていると、部屋の中に居たらしいバースル医師に声を掛けられた。
「……バースル医師……」
爺さんは、俺の傍に来ると手首に指を当て脈を取り出す。
それが終わると、急須の吸口を俺の口に当てて、いつものお茶を飲ませてくれた。
「気分はどうじゃ? おかしな所はないかの?」
「……ちょっと怠いくらいです」
「ほ、ほ。まぁ、一ヶ月も眠っておればそうじゃろうな」
「…………一ヶ月…………?」
え、あれからそんなに経っているのか?
「お主は危険な状態でな……何度も生死の境を彷徨ったのじゃ。じゃが、もう大丈夫じゃ」
「……母様と兄様は……?」
「安心せい、二人とも無事じゃ。――どれ、お主が目覚めたと知らせて来ようかの」
爺さんが部屋を出て行く。
待っているつもりだったが、どうにも眠くてまた眠ってしまった。
次に目を覚ますと、夕方だった。
「――起きたの? ハル?」
男の子の声がした。
声の主に目を向けると、白金髪を一つに束ね透き通るような薄い碧色の眼をした美少年がいた。何処となくハニエルに似ているから、ハニエルの兄様だと当たりを付ける。
「……にい……さ……ま……?」
「そうだよ」
兄様は、にこりと笑って急須の吸口を口に当ててお茶を飲ませてくれた。
「……兄様は……何処も痛くない?」
痩せている兄様も、ハニエルみたいに鞭打たれたりしたんだろうか?
「大丈夫だよ。……私は、ハルよりも酷くなかったから」
「……でも……痛いことをされたりしなかった?」
「されたよ。だけど、私は嫡男として国王主催のお茶会に出たりしなきゃならなかったから、私にはあまり手酷く出来なかったんだろうね」
そうか、社交とかあるんだな。流石、貴族。
「……兄様に、ずっと会いたかった」
ハニエルの気持ちを代弁しておく。
「私もだよ……」
兄様は、眉をへにゃりと下げて頭を撫でてくれた。
「聞いたよ。ハルがイグディス伯父様の所に助けを求めてくれたんだってね。そのお陰で、私も母上も助かったんだ。――ありがとう、ハル」
改めて言われると照れる。俺は笑って誤魔化した。
「本当なら、兄の私がしなきゃいけなかったのに……魔力を封じられていなければ、あんな奴っ……!」
おぉ……? 何か兄様から不穏な空気が立ち昇っているような……?
「兄様、兄様のせいじゃありませんっ!」
ベッドの上に置かれた兄様の、硬く握り締められた拳の上に手を重ねる。
兄様は、気不味そうに笑った。
「ハルが目覚めたって、皆に伝えて来るよ」
兄様は、俺の頭を撫でてから部屋を出て行った。
そういえば、兄様の名前って何て云うんだ?
ハニエルの記憶を探る。……あー、これか?
シュザーク・キディリガン。ハニエルより二歳年上の九歳。ハニエルは、偶にシーク兄様と呼んだりしていたみたいだ。シークが愛称なのかな。
ついでに云えば、母様の名前はミーメナ・キディリガンだ。年齢は――ハニエルは知らなかったみたいだな。見た感じ、二十代後半から三十代前半くらいだろうか?
「ハニエルっ……!」
そんなことを考えていたら、部屋の扉が勢いよく開いて母様が駆け寄って来た。
「……ハル……! 良かった……心配したわっ! 母様が不甲斐ないばかりに……ごめんね……ごめんね……ハル……!」
母様は、俺の手を取って自分の頬に当てて泣きながら謝る。
「――母様は、何も悪くないよ? それより、母様は大丈夫なの……?」
頬に当てられた手で母様の涙を拭く。
「ハルっ……! 母様は大丈夫よ」
母様は、俺の頭を優しく撫でて泣きそうな顔で微笑んだ。
あ~……ハニエル……起きてくれ……
俺にとっては知ったばかりの母様と兄様。正直、場違い感が半端ない。
友達の家に初めて遊びに行って、初対面の友達の母親と兄に頭を撫でくり回されるようなものだ。……もの凄く居心地が悪い。
それに、彼らが心配しているのはハニエルなのだから余計に居た堪れない。
あ、そうだ。あれを返しておかなきゃ。
「――収納……母様。これをお返しします」
収納空間から、キディリガン辺境伯爵家当主の証である指輪を取り出して差し出す。
「ありがとう。あの時、ハルが頑張ってくれたから母様もシークも助かったのよ。ハルもシークも辛い思いをさせて……本当に、ごめんなさい……」
「――母上」
母様は、当主の指輪を指に嵌めて隣に来ていた兄様の頭と俺の頭を撫でる。
「あの後、どうなったんですか?……父様は……?」
あの父親は、ちゃんと罰を受けるのだろうか? 俺の居た世界なら、虐待や監禁で罪に問えるけど、この世界ではどうなるんだろう? っていうか母様、ハニエルの為にも父様と離縁してくれないかな。
「あの後、その日の内にお兄様が助けに来てくれたわ。あの男も捕らえてくれて……私とシークをダリダラント公爵家に保護してくれたの。――あの男とは離縁が成立したから、もうハニエルのお父様ではないの。ハニエルは、お父様が居なくなるのは嫌かしら……?」
母様が、苦苦しく聞いてきた。
「ううん、もう二度と会いたくない」
俺の答えに母様は、ほっとした表情を浮かべた。
「それを聞いて安心したわ」
「イグディス伯父様、僕や母様と兄様を助けてくれてありがとうございます」
母様の後ろにいる伯父様に礼を言う。
「礼には及ばない。寧ろ、もっと早く異変に気付くべきだった……王家主催の舞踏会にミーメナが来ないことに、もっと疑いを持つべきだったよ。あの子鼠の言うことを信じたばかりにっ……!」
何でも、あのミジンコ男は母様を病気と偽って舞踏会を欠席させて居たらしい。伯父様が見舞いに行きたいと言っても、原因不明の病気だから伝染るといけないので、見舞いは遠慮して欲しいと言い続けたそうだ。――あのミジンコ男めっ!
伯父様は、憤慨していた。
「もう、そこ迄で良いじゃろ。目覚めたとはいえ、まだまだ坊主の身体は本調子じゃないからの。さっさと食事を摂らせて薬湯を飲ませんか」
バースル医師が、そう言って割り込んできた。
「ああ、すみません。直ぐに食事の準備を」
伯父様が執事さんに目配せすると、執事さんは軽く礼を執って部屋を出て行く。
食事が運ばれて来ると、母様がお粥のようなものを食べさせてくれて薬湯を飲んで寝かされた。
それからは、寝て食べて少しずつ歩いてを繰り返し、十日程経った頃には部屋の中や庭を歩き回れる迄に回復した。
――そして、漸くハニエルが目覚めた。
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